41 それは、神話でしか語られぬネイビーブルー!
確かに、教室の一番後ろにロッカーはあった。駅のコインロッカーのコイン投入口無しのような感じのものだった。出席番号順にネームシールが貼られている。
俺のロッカーの場所は……あった。予想通り一番最後だ。
几帳面に畳まれた体操服の上に迷彩の帽子が載っている。地震とか台風とかの災害のニュースで災害派遣つったっけ? の自衛隊員が着ていた服みたいな斑模様の迷彩柄の変な形をした帽子だった。
短めの柔らかいツバに、正面から見たシルエットは丸みを帯びた台形。横から見た感じはツバが付いた扁平カマボコ。
「このヒモは何だ?」
被ったときにこめかみに当たる部分から、ツバの付け根をぐるっと幅一センチくらいのヒモが二重に回っている。
そして俺の目を引き付けたのは、正面に縫い付けられている、桜を刺繍した小さなワッペンだった。
「ほんっと軍隊みてぇだ」
俺が知ってる帽子は、せいぜいが野球帽かニットキャップで、ベレー帽なんて、直に見たのは今日がはじめてだった。
そんなんだから、この帽子は俺にとってなんとも珍妙なものに見えてしまった。
「っと、急がなきゃ」
帽子をロッカーの上に置いて、体操服(校章が左胸にプリントされた緑色のジャージだ)を取り出す。
「ん? ははは、ほんっと軍隊だな。迷彩服まであるのかよ」
ジャージの下に、自衛隊の迷彩服にそっくりな柄の服が、これもまた几帳面に畳まれてあった。
俺も服を畳むのは、施設でしつこく教えられたから今では習慣になっているが、ここまで几帳面に畳むことはできない。
『竜洞生徒』、お前って存外神経質だったのか?
急いで着替え、できうる限り丁寧に制服を畳んで迷彩服の上に置く。
教室から駆け出したとき、廊下を駆けて行く足音が聞こえる。
どうやら、教練場とやらへの競争は俺の敗北が濃厚のようだ。
だからといって、走るのを止めるのはなんかカッコ悪いような気がする。
運動靴に履き替え、昇降口を飛び出したときには、楓と俺の間には五十メートル以上の差がついていた。
「はえぇ!」
楓の脚の速さに驚く。元の世界の小桃より確実に速いな。
服を畳むのに時間をとり過ぎたか。ま、しょうがない…か、畳まないとなんか落ちつかねえからな。それが習慣というものだ。
「ん?」
疾走する楓の後姿に違和感を感じる。なんか、楓の下半身、肌色が多くないか?
俺の遥か前を行く楓の脚は、俺が見知っている体操服とは異なるものを着用しているらしく、太腿が剥き出しの生脚だった。
「あれは、まさか……!」
おいおい楓、急ぐあまり、体操着を履いてくるのを忘れてきたのか?
※※※※※
陸上トラックの向こう側の、芝生がびっしりと隙間なく植えられた『教練場』に俺が着いたとき、楓は手を腰に当て、ドヤ顔で俺を待ち受けていた。
百メートル以上ダッシュしたくせに、息を弾ませてすらいない。ほんっと脳筋なんだな。
翻って俺は、少し息が弾んでいる。
元の世界の俺だったら、すっかり息があがってしまって、ゼーゼーいってたかもしれない。
さすがは『竜洞生徒』の体だ。俺とはきっと鍛え方が違うんだろう。
「あたしの勝ち! ジュース、ゴチでぃっす!」
なんだって? いつの間にそういう賭けが成立していた?
「マジか、そーゆーことなら、服なんか畳んでるんじゃなかった!」
そう応えながら、俺は、まじまじと楓を観察する。仕方ないじゃないか。俺はサクランボを背負ったサカリがついてる男子なんだ。
下半身の体操服を履き忘れてきたナイスバディの女の子なんて目の前にいたらじっくり見てしまうじゃないか。
「あのな、楓ぇ……勝負を焦ったのはわかるが……履き忘れてるぞ」
俺は、顔を背けて、楓の下半身を指差す。
「ええッ!? 嘘ッ! スカートと一緒に脱いじゃった……って、履いてるじゃんかぁ、辰哉ぁ、脅かさないでよ、もぉうッ!」
「え? いや、履き忘れてるだろそれ」
「どこがよ! もおッ! そんなに、ジュース奢るの嫌なのかよぉ」
「いや、それ……って、まさかそれはッ!」
俺の脳裏に、ある可能性が閃いた。頭の上で超明るい電球が灯ったように、な。
と、もう一度楓の装いをじっくりと観察する。
「もぉッ! 辰哉、なんかおかしいぞ、その視線」
とかいいながらも、楓は、胸を張った姿勢を崩さない。
上衣のジャージは校章がプリントされた緑色の俺と同じヤツだ。が、その下半身に着用されているものは俺の女子体操服常識から大きく逸脱したものだった。
楓が履いていたのは、濃紺の『ブルマー』だった。
キーゼルバッハ部位が熱を持つ。
はるか前世紀、俺らが生まれたころには、体育授業における女子の体操服としては既にレッドリスト入りしていたという、アニメやマンガ、ラノベなどの創作物でしか、目にしたことのない、神話でしか語られることがなく、女子の体育授業そして体育祭を鮮やかに彩っていたという、伝説のウルトラスーパーデラックスレア女子装備!
濃紺の『ブルマー』!
こんなものは、太刀浦文庫や太刀浦資料でしか見たことない。実在していたのか!
ま、まさか、この目で生ブルマーを見ることがあろうとは……!
鼻梁が熱い。これは、やばい! 鼻血が出るかもだ。
「辰哉ぁ……」
そんな俺を、楓が顔を土気色にして見ていた。
しまった! 感動のあまりガン見しちまってた。
おそらく、ものすごい脂下がったニヤケ面をしていたに違いない。
(くッ、しくじった)
こりゃ、さっきの上げた高感度、マイナスになるくらい下げちまったか。後悔先に立たずだ。 が、楓が発した言葉は俺の予想とは全く違っていた。
「辰哉! ちゃんと畳んできたよね! 制服」
「え? ああ、いつもより丁寧なぐらいに畳んだぞ」
元の世界で着てた制服なんかより、ずっと高そうだったからな。
それにしても、俺の不躾で助平な視線よりも、俺の制服の畳み方を気にするなんて、楓には羞恥心がないのか? それとも、『竜洞生徒』によっぽどの信頼をおいているのか……。
多分後者だな……。
「よかった。……じゃあ、始めようか。後、十分ぐらいしかないけど、やれるだけやろう!」
なんか知らんが、楓は俺のスケベ心丸出しな視線を非難することなく、なぜだか胸をなでおろしている。
服を畳む畳まないで、そんなに大げさなリアクションをされるとはな。
「んーと、たぶん、今日は停止間の動作だけだと思う。だから、長門がくるまでに、気をつけと休めを形にしておこう!」
テイシカンノドウサ? なんだそれは?
「じゃあ、あたしが、気をつけって言うから、気をつけしてみて」
「お、おう」
楓が気をつけをした。まるで背骨を鉄の棒に換えたみたいにビシッとした姿勢だ。
「ただいまより、当訓練分隊の指揮を自分が執る! きょつけぇいッ!」
早朝のグラウンドに楓の叫び声が、響いた。
た、たぶん今、楓は気をつけっていったんだよな。
芝生の上で、思い思いにストレッチとかの準備運動をしていた部活の朝練の連中が、ビクリとして姿勢正し、数瞬後にバツが悪そうに照れ笑いをしている。
すげえ、何の関係もないヤツをたった一声で従わせてるぞ。正にザ・号令だ。
俺も数瞬遅れで気をつけをする。俺が覚えている小学校のころからの体育の時間にやっている気をつけを、だ。
「うーん、やっぱり忘れてるかぁ。気をつけ、つまり不動の姿勢っていうのは……」
残念な子を見るような目つきで楓は俺をみつめる。
そして、俺に気をつけこと、不動の姿勢を解説し始めた。
曰く、両足の踵をくっつけて、つま先を六十度に開く。膝と膝の間に隙間ができてはいけない。
腰を伸ばし、胸を張り、口は真一文字に閉じてあごを引き、まっすぐ前を見る。
そして、こぶしを握り、脈を取るところをズボンの縫い目に密着させる。このとき、腕と体の間に隙間ができてはいけない。
「辰哉、つま先の開きはこの角度。覚えて」
「ぅおッ!」
開いたつま先の間に、ブーメランのようなものを差し込まれる。
「え?」
「だめ! 足を見ない! 見ないで足に覚えさせて!」
む、むちゃ言うなッ!
「へへ、クラスの男子が作ったヤツ。ウチのクラスの備品借りてきちゃった。これで足の角度のチェックするんだ。女子の五十五度のヤツもあるんだよ」
ほ、ほお……男子と女子でつま先の角度が違うのか……。オマケに、気をつけゲージまであるとはな。
し、しかし。
「…ぅぐぅ……」
な、なんだこれ。ものすごくきつい……。こ、腰が……。
「辰哉ぁ、だめだよお腹が出てる……。ああっ、今度はお尻が出っ張ってる。お尻を締めて腰を前に出す! ほら、今度は腕が離れてる!」
やりなれない姿勢に、体中がギシギシと悲鳴を上げはじめる。
「く、くうっ……」
思わず呻いてしまう。これを気をつけと言うんだったら、俺が、小学校からやってきたのは気をつけじゃない。猫の背伸びだ。
「昔の軍隊は、辰哉が始めにやったみたいなのだったんだけど……」
思わぬところから、こっちの世界の歴史情報が入電してきた。
「日本が敗戦したのは……覚えてる?」
うなずく。
「昭和二十年だ」
「そう、そのとき、陸海軍は完全に解体されて、日本には軍隊が存在していない時期が何年かあったわけ。その間に憲法が改正されて、日本は憲法で軍を持たないことを規定したんだ。でもすぐに半島で戦争が起きて……」
「憲法九条ってやつだな。あと、朝鮮戦争か」
「そう、よくできました。そのときに、再軍備をアメリカに命令されて。軍を再編成することになったんだけど、アメリカとしては戦前の…特に陸軍の復活は阻止したかったみたい。長門曰く、アメ公が帝国陸軍にひどい目にあわされた証拠なんだって。だから、陸軍は……ああ、当時は警察予備隊だったっけかな? ほとんど米軍式で教育されたの。無帽時の敬礼とか、一部例外はあるけどね」
ふむ、敗戦から日本国憲法、朝鮮戦争、警察予備隊までは、俺が、習ってきた日本史と変わらないな。
だが、敗戦したのに貴族制度は残っているわけか。……ってことは、戦前の制度で敗戦によって廃止されなかった、改革されなかったモノがあるってことか。
と、いうことは……!
大日本帝国の敗戦は無条件降伏じゃなかったってことか?
毎度ご愛読誠にありがとうございます。
並びにブクマご評価ありがとうございます!
誤字脱字報告いただきました。ありがとうございます!!




