皇太子殿下に求婚されたようです。
規則的な揺れに、うつらうつらと夢の世界へ落ちてしまう。
これは、いつの記憶だろうか。こんなことがあったような、だけれど、記憶の中の少年の顔を思い出すことはできない。あきれたような、でもどこか優しい声色で、不思議と落ち着いた。
「それ、そんなに難しいのか?泣くほど嫌なら辞めてしまったほうがいいんじゃないか。」
「…泣いているのは、くやしいからです。こんなことでくじけては、駄目なのです。私は、この国の国母になるべく、いろんな事を教えていただいています。これくらい、できなければならないのです。」
「その年齢にしては十分きれいなカーテシーだと思うが?」
「いいえ、先生からは合格をいただいていないのです。昨日も、ほら。」
「…できなければ鞭で叩かれるのか?」
「…ふできな、私が悪いのです。」
「年齢に不相応な言葉遣いだな。…よし、俺ができるまで付き合ってやろう。」
私を慰めるためかと思えば、本当に練習につきあってくれて、まだ教えてもらっていない、ダンスのステップまで教えてくれた。子供同士だったけれど、なぜかとても心地よくて、素敵な時間だったように思う。
彼の名前を聞いたような気もするけれど。
あの子、どんな子だったかしら―――。
「…ア、エレノア」
「…! お兄様。やだ、ごめんなさい、私寝てしまっていたわ。」
「どうせお前のことだ。昨日も遅くまで新聞やら本やら読んでいたんだろう。もうそろそろ王城に着くぞ。…?どうした。」
「……いいえ、何でも。子供の頃の夢を、見たような気がして。」
「さあ、お手をどうぞ。」
馬車が止まる。兄の少しわざとらしいエスコートに、ほんの少し緊張が解れる。
「カイゼル殿下の今日のパートナーは他の参加者には公にはしていないんだ。…シャーロットにも話は漏らさないよう忠告はしてある。知っているのは、王家くらいのものだ。王家にはエレシアに控室を用意してもらっている。そこでパーティーまでひと時、カイゼル殿下と話をするといい。」
「婚約の件も、王や王妃様はご存じなのですか?」
「いいや、今回ルイ様のパートナーは婚約者のシャーロットだろう。外交的な問題と、それとまあ…今回エレノアとルイ様の婚約破棄があったわけだから、帝国側が同情しているんだ、とか都合よく解釈してくれているみたいだ。」
「そうね…実務を私に、と提案するくらいだから、私は外交上のパートナーという認識なのね。」
兄にエスコートされて歩く道は、会場の入口から少し離れた裏道で、昔はよくここの隅で人知れず泣いていた事を思い出す。
夢で見たあの少年とも、ここで出会ったのだったかしら。
********
「ここだ。まだカイゼル様はいらっしゃらないみたいだな。俺は使節団の方に合流するよ。エレノア、カイゼル様はお前の話をしっかり聞いてくれる方だ。ちゃんと、自分で決めるんだぞ。」
「ありがとう、お兄様。」
通された控室は、王室の重要なお客様を通す部屋なだけあり、エスメラルダ王国らしい、華やかな美しい造りをしている。壁の装飾や、家具まで一級品だ。
「緊張、するわ。」
大きく息を吸い、深呼吸する。
王城ではこれから舞踏会が行われるというのに、ここは不自然なほど静かだ。
コンコン―――
「失礼、遅くなった。」
控え目なノック。
「カイゼル・ヴァルシュタインだ。」
彼が姿を現した途端、空気がピンと張り詰めた。漆黒の軍服に身を包み、切れ長の瞳の奥に星の強い瞬きのような銀色が光る。―――この方が、カイゼル殿下。
「エレノア・ランカスターと申します。」
カイゼル殿下に失礼のないよう、指先にも神経を研ぎ澄ませたカーテシーをする。
「…相変わらず、美しいカーテシーだな。」
「…え?」
先ほどと雰囲気が変わり、ほんの少し目元が柔らかく感じられる。どこか、懐かしいような。
「! 殿下、この度はパートナーに選んでくださりありがとうございます。こんな美しいドレスや宝飾品まで…。」
「構わない。よく似合っている。開始まであまり時間がないが、君と話しがしたい。いいか?」
「はい。もちろんです。」
ソファに座るよう促され、カイゼル殿下が隣に腰掛ける。ルイ王子とでさえ、こんなに近くでお話したことがないのに…落ち着かない。
「さて、エレノア嬢。さっそくだが、婚約の件は考えてくれただろうか。」
「…そのことですが殿下、私は殿下と一度しかお会いしたことがありません。…そんな私に、どうして婚約など…それに今は婚約破棄された身です。わざわざ私のような小国の令嬢を婚約者になさらなくても、帝国には素晴らしいご令嬢がたくさんいらっしゃるのではないですか?」
「―――まず、君が言う『一度あったことがある』とは、三年前の視察訪問の時だろうか。」
「ええ、そうです。」
三年前、視察訪問で訪れたカイゼル様と、ルイ王子の婚約者という事で挨拶する機会があった。その時から比べると、随分とたくましくなられたが、瞳の奥の銀色は、鋭いままだ。
「二度だ。―――俺は君に二度会っている。」
「…二度…。」
「幼い頃に、泣き虫な癖に大人びた言葉遣いの少女に会った。そのカーテシーは、君の努力の賜物なんだろうな。」
カイゼル殿下の口元が少し緩み、記憶の中のはにかんだ笑みと重なる。
「…カイゼル殿下、あなたは―――。」
「失礼致します。殿下、そろそろお時間ですが。」
扉の隙間から顔を出したのは、先日お会いしたイヴァン様だった。
「貴様、もう少しタイミングを考えろ。」
「やだやだ怖いったら。エレノア嬢の前でそんな顔しちゃいけませんよ。あ、エレノア嬢、いつぞやぶりです。殿下のご用意したドレス、本当によくお似合いでお美しい! …殿下、お二人でゆっくり話ができる時間なんて、これからいくらでも取れるんですから。殿下の歓迎パーティーなんだから主役が行かなくてどうします。」
イヴァン様も軍服ではあるが、所々に銀の刺繍が入っている。片耳に揺れている耳飾りは、よく見ると帝国の紋章入りだ。細身で美しい立ち姿は、カイゼル様と並ぶと絵になる。
「…エレノア嬢、行こう。」
眉を顰めながら手を出され、カイゼル殿下の袖元のカフスが目に入る。
「そのカフス…。」
「…君の色、だからな。」
私に贈られたたエメラルドグリーンと同じ宝石が、そこに留まっている。
「あ、ありがとうございます。」
「…いやはや、殿下と並ぶと本当に美しい。ぜひ、我が帝国に来ていただきたいですね。」
「イヴァン、これ以上無駄口を叩くな。」
カイゼル様は私の手を取ると、甲に軽く口づけをする。
「さあ、行こうか。」
自分の頬が熱を持つのを感じ、先ほどまで感じていた緊張はどこかへ飛んでしまった。
********
控室を出て、カイゼル殿下の腕に手を回す。先ほどまでは少し上にあった目線が、今は遠い。身長の差はもちろんあるけれど、ピンと張った背筋、美しい立ち姿を見れば、私が横に並ぶことでこの方に恥をかかせていないかひどく心配してしまう。
「…緊張しているか。」
「…正直、少ししています。…私で、本当に良かったのですか?」
「当たり前だ。君しかいない。」
嘘をいっているようには見えない自信ありげな含み笑い。そこまで言っていただけるのだから、私もできることを頑張ろう。
「カイゼル殿下のお相手、ランカスター家のご令嬢じゃないか?」
「ルイ王子から婚約破棄されたはずでは?」
会場が近づくほどに、周りからの視線と会話が私を突き刺す。ぐっと、カイゼル殿下に回した手に力が入る。
「気にするな。君はこの会場の誰よりも美しく、聡明だ。」
「あ、りがとうございます。」
カイゼル殿下の腕に目を落とすと、先ほどのグリーンのカフスが目に入り、また頬に熱がともる。
「でも素敵だわ、エレノア嬢のドレス…、カイゼル様のお色ではなくて?」
「カイゼル殿下と横に並ぶとお似合いね。妹君のシャーロット様もお綺麗でしたけれど、エレノア様もあんなに華のあるお方だったのね。」
「ほら、君を褒めたたえる声が聞こえるだろう? 俺の見立て通りだ。」
「素敵なドレスとアクセサリーのおかげですわ。それと、私の侍女もすごく頑張ってくれて…。」
「フ、目に浮かぶ。」
会場の入口には、兄を含め使節団の方々が集まっており、カイゼル殿下の到着を待っていた。
「ほらほら~、さっさと入場してしまいましょう。私は早く 王国の銘酒を頂きたい。」
気を使ってくれたのか、イヴァン様の言葉に周囲が和む。数名の使節団の中に、さきほど別れたばかりの兄の姿を見つけた。私の視線に気づいたのか、兄も小さく手を上げる。
ルイ王子との一件があってから初めての公の場。そんな状態でも、少しだけ自信を持って歩けるのは、セレナやお兄様、それともちろんカイゼル殿下のおかげだろう。
『―――帝国皇太子、カイゼル・ヴァルシュタイン殿下、並びにエレノア・ランカスター様の入場です!』
近衛兵の通る声が広間に響く。ざわ、と私たちに視線が集まる。
カイゼル殿下が私に歩幅を合わせてくれていることに気づく。殿下の隣に心地よさを感じながら、エスメラルダ国王の元へ進む。王の近くには、驚いた顔のルイ王子とシャーロットが控えている。
「カイゼル殿下、この度はご参加いただき誠にありがとうございます。殿下、エレノア嬢は失礼がありませんでしたか。」
国王に挨拶のカーテシーをすると、周囲からため息が漏れた。
「何をおっしゃいます。国王殿。エレノア嬢ほどに完璧な淑女は我が帝国のどこを探してもいない。パートナーの話もこちらからお願いした。―――今日のドレスを見ていただいたら分かる通り、」
殿下の口元がゆっくりと上がる。
「―――エレノア嬢には私から求婚させて頂いた。―――まだ、返事は頂けていないが。」
瞬間、会場の音が消えた。




