殿下と婚約するようです 1
あれから、イヴァン様が「やっぱりここですか…」と半ば呆れたようにやってきた。
カイゼル様から事情を聞くと明らかに機嫌の良い笑顔になる。
帰りの馬車では、婚約発表が、帰国準備が、とかなり早口でカイゼル様をまくし立てていた。
そのときのカイゼル様の表情が、どこか照れくさいような、ふてくされたような、困った顔をしていて思わず噴き出してしまった。
「カイゼル様、こちらを」
「…これは?」
「先日、私馬車の中で眠ってしまったでしょう?…後から何度も思い出しては申し訳なく思っていたのです。お礼を込めて、ハンカチに刺繍したのです。もらって頂けますか?」
「……ありがとう、美しい刺繍だ。」
何度も手を止めながら繕った刺繍を渡すことができ、先日のお礼も伝えることができてホッとする。
「殿下の…色ですねえ…艶やかで美しい刺繍ですね」
「ふふ、気が付いたらこの色を選んでいて…。」
「―――大切にする」
きゅっとハンカチを大切そうに握ったカイゼル様の耳は少し赤くなっていた。
*********
自宅へ戻り、別れを名残惜しく思っていると、カイゼル様に手を握られた。
「…カイゼル様?」
「本当は今日から君を連れて帰りたいが…。君の父上にも話をしなければならないし、エスメラルダ王にも話を通さねばならない。…待っていてくれ。」
「…はい。大丈夫です。お待ちしています。」
「全て整えば、君をすぐにでも連れて帰るつもりだ。」
「ふふ、わかりました。私も、準備しておかなければ、ですね。」
別れ際に手の甲にキスを落とし、カイゼル様は馬車に乗り込む。去ってしまった熱に寂しさを感じる。
「エレノア様…。」
私の表情を見て心配そうにセレナが声をかける。
「大丈夫よ、セレナ。…聞いてほしいことがたくさんあるの。」
「…もちろんです、お部屋へ参りましょうか。」
馬車を見送り、屋敷へ戻った。
「…そうですか…エレノア様が、お決めになったんですね。」
「ええ。…カイゼル様はずっと待ってくださったのね。…あの方の横で未来を過ごしたいわ。」
「エレノア様が決めたことですもの、きっと大丈夫ですわ。」
「そう、それであの――。セレナには、ずっと私の傍にいてほしいとも、思っていて…。帝国へは、セレナもついてきてくれるかしら…?もちろん、セレナが良ければだけど…。」
彼女にも家族がいて、もしかしたら私が知らないだけで恋人がいるかもしれない。帝国に行くのに心細くないかと言われれば嘘になる。もし彼女が付いてきてくれたら、もっと心強いのだけれど――。
「エレノア様…!…いいんですか?私本当に付いていっちゃいますよ…?」
「…いいの?」
「もちろんです!エレノア様の好みも、カイゼル殿下より私の方が詳しいんですよ!ずっとエレノア様のお傍にお仕えさせてください…」
勢いよく言ったセレナの瞳には少し涙が浮かんでいる。
「…ありがとう、セレナ。あなたがいたら心強いわ。」
「いいえ!いいえ!私こそありがとうございます…!」
「でも、大丈夫なの?家族はそうだけど、恋人とか―――。」
「恋人なんていませんので大丈夫です!仕事が恋人ですから!」
それはそれで心配なのだけれど…。
「とりあえず、詳しい話はお父様に話がいくはずだから、それまで待っていましょう。必要なものも、これから揃えていかないとね。」
「はい!お召し物もいくらか仕立てていきましょうね。帝国風のドレスと、王国のドレスも。あちらについてすぐ用意できるかはわかりませんので。」
「そうね、ありがとう。お願いするわ。」
「かしこまりました!」
先ほどの涙はどこへ引っ込んでいったのか、セレナはテキパキと予定の確認をし始めた。
*********
「良かったわね、おねえさまが自分のやりたい事を自分で言えるようになったんだもの、カイゼル殿下も素敵な方だし。」
「そうだな、ちょっと複雑だけど。」
「元はといえばお兄様も協力していた話なんでしょう?なぜそんなに落ち込んでいるの?」
「いや、妹が遠いところに行ってしまったな――と。」
いつのまにか習慣になった兄妹でのお茶会で、兄は少し落ち込んでいた。
「ふふ、でもお兄様もまだしばらくは帝国へ留学を続けるんですよね?」
「多分おにいさまは距離の話をしていないわよ。」
「?…それはどういう…?」
焼き菓子を一口つまみながら、シャーロットは呟いた。
「カイゼル殿下と結婚したら、おねえさまは未来の王妃。なんなら私も未来の王妃でしょ?おにいさまは嫡男だからうちの家を継いで――。もうこんな風にお茶をすることもできなくなるかもしれないものね。」
そういうのが、遠いってことじゃない?とシャーロットは紅茶のカップを傾けた。
いつの間にかテーブルマナーは以前より様になっており、彼女も努力していることが伺えた。
「確かになあ。…家をついだら、俺は帝国では何の力も持たない王国の公爵だ。何かあっても、エレノアも、…もちろんシャーロットも、助けることなんてできない立場なんだよな、と思うと…寂しくもなる。」
「お兄様…。」
「今までもそんなに頼りにしてはなかったけれどね。」
「シャーロット、そんなこと言ってはいけないわ。」
「…それについては何も弁解できない…。」
紅茶をぐいっと飲み込み、兄は申し訳なさそうに話をつづけた。
「正直、ずっと責任は感じていた。もっと俺がお前たちや両親との間に入っていれば、シャーロットも我儘にならなかったし、エレノアも自分を必要以上に押し込めるようにならなかったんじゃないか、って。」
「…一言余計だわ…。」
「お兄様も、領地の事や領主になる勉強で忙しかったでしょう?」
「今になって、こういう時間が惜しいと思う。もっと早くこうなっていれば、と。」
「…難しい話ね。…いろいろあったから、今があるんでしょ?…私とお姉さまも、今までのことがあったから、自分を改めることができて、今こうしてお茶ができるまでになった。別に誰かにそうしろと言われたわけじゃないもの。」
シャーロットの話を聞きながら、紅茶のおかわりにミルクを入れてスプーンで混ぜる。随分としっかりした考えを持つようになったのだな、と感心した。シャーロットもまた、前に進もうとしているのだろう。
「そうね、過去があるから今こうやって話ができるのだから、限られた時間だとしてもそれを楽しみましょう。兄妹なんだから、立場が変わってもいずれきっとまた集まることはできるわ。」
「…エレノア…。そうだな、その時はまた、三人でお茶を飲もう。」
「それはそうと、これからおねえさまは大忙しね。まだお父様へは話が行っていないのかしら?」
「もうそろそろだと思うのだけど。」
「先ずはエスメラルダ王に承諾を得てからだからな。…舞踏会の時の反応を見るに、少しは抵抗しそうだが――。帝国の王太子自ら請いに行く上、帝国の国王は既に話をつけてあるとなると―――断るわけにはいかないだろう。…話はすんなり通るはずだ。」
「お父様はなんて仰るかしらね。」
難しそうな顔の父が思い浮かんだ。
「…どうかしら。求婚されたことや、何度かデートに行っていることは知っているはずだけれど…。」
「断るという選択肢はないようなものだから…反対はされないだろう。カイゼル殿下は持参金も必要ないとまで言っているし…。」
帝国の王太子に嫁ぐのだ。通常持参金となれば高くつくであろう。カイゼル様はそれを必要ないとまで言ってくださっているようだ。
「それはそれは本当に熱烈ね…。――おねえさま、帝国風のドレスの流行を教えてさしあげるわ。輿入れの準備に必要なんでしょう?」
「あら、それは嬉しいわ。…頼りにしているわね。」
シャーロットが楽しそうに話し初め、午後のひと時が過ぎて行った――。




