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真実

 泰三さんはメープルシロップを持ったまま、面食らったような顔をしていた。そしてそれ以上に、あたしは呆然と、身体を制止させていた。

「いやー良かったですよ、途中で千里さんたちに会って。あのままだったら僕、遭難していたかもしれないです」

 父――日向真澄は微笑んで、千里さんのほうを見る。それから空いている場所に腰をおろした。

 すると泰三さんは我に返ったようにまばたきをし、メープルシロップを置く。

「さすがだな、真澄君。わざわざこのおれを追ってくるとは。担当とはいえ、看護師の鏡としか言いようがない」

「何言ってるんですか。僕あてに置き手紙、残していったでしょう。実家へ帰る、と。丁寧に地図まで入れてくださって。まあ、今日は非番なのでこうしてやって来られたわけですけど」

「そりゃあ……きみは方向オンチと聞いていたからな。何かあったらおれもいろいろと目覚めが悪いというか……」

 泰三さんがちらり、葵さんのほうを見る。

 あたしはその様子を見て、思わず肩を震わせた。そしてそのまま、顔を俯けた。

 それもそのはず、あたしの中では今、片隅に追いやっていた仮説が、それが真実である可能性が、めきめきと芽吹いていたからだ。

「――日向さん、父が本当に、申し訳ありません」

 葵さんの声がする。でも、顔を上げることはできない。もう、何がなんだか、自分がどこにいるのかわからない。

「――あの」

 その時、声を発したのは蓮君だった。

「えっと……ぼくたちは席を外したほうが……」

 彼の言葉に、あたしは顔をあげることができた。とにかく、この場から立ち去りたい。というよりも、逃げ出したかった。

「いや、隠すような話ではないし、別にいてもらっても構わないが……」

 葵さんが言いけると、父ーー日向さんと目が合う。

「――あれ? 君たちは確か、昨日のーー」

 途端にあたしは立ちあがっていた。

「ふ、服、汚しちゃったんで、着がえてきます。蓮、行くよ」

 彼の手をむりやり引っぱった。そして無言で、自分たちの部屋へ向かう。

 扉を閉めると、すぐにその場にしゃがみこんだ。重いものがのしかかったかのように、身体が動かない。

 そんなあたしの前に、蓮君はすわった。いつものように、正座をして。

「――これで、わかりましたか?」

 あたしは、ゆっくりと顔をあげる。まだ肩が少し、震えていた。

「……ちゃんと思い出したわけじゃない。そもそも、覚えていなかったから。でも、はっきりしていることが、二つだけ、ある」

 父の名前は、日向真澄。母の名前は、葵。そしてここは、二十年前、だ。

「……他の人ってことは、その可能性はない? だって葵って名前だけじゃあ……」

「――そんなに、認めるのが怖いですか?」

 蓮君の言葉は、静かだった。けれど胸に、まるで刺すように響いた。

「葵さんがーーあなたの母親だということを」

 雫のように、落ちる言葉だった。波紋はやがて、水面に広がっていく。

「……蓮君は、確信があるの? 葵さんがあたしの母親だっていう……」

 それともそれらしいことを、平治さんに聞いているんだろうか。絶対的な、何かを。

「何がそうかと問われれば、難しいでしょう。この世の中に、絶対はありませんから。ただぼくは、思うだけです」

「……何、を?」

「ありえないことが、起きている。始まりから、そうでしたよね。逆にいえばそれは、必然でしかない」

 こんなふうに、時間を遡るということも、意味があることだと、意味しかないと言いたいのだろう。

「じゃあ……これはすべて意味のあることで、あたしたちには何か役目があるってこと?」

「ぼくも、最初はそう思いました。でも今は、少し違います」

「どう違うの? 何があるの?」

 難しい、と思った。わかるようで、わからない。肝心なところがぼかされているようだ。

「意味も役目も、自分自身で決めるってことです」

 やっぱり、難しい。決めると言われても、あたしたちは望んでここに来たわけじゃない。いわば連れて来られたような状態だ。

 そう伝えると、

「――本当に、そうですか? 穂乃香さん、あなたはもういない人に会いたいと、一度も思ったことはないんですか?」

 あたしは、再び俯いた。

 母に、会いたい。

 そう思ったことは、確かにあったかもしれない。でもそれはきっと、何年も前。あの時以来、思うことはない。思うことを、許さなかった。

「あたし、は……」

 顔をあげようとすると、扉がたたかれる。千里さんだった。

「お着替えは済みましたか? 旦那様が待ちくたびれているようで……」

 一気に我に返る。とりあえず先に、蓮君が着がえた。

「後からちゃんと、来てくださいね」

 それだけ言うと、襖を閉めた。

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