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お菓子づくり

 翌日、あたしは葵さんの部屋で目が覚めた。どうやら泣き疲れて、そのまま眠ってしまったらしい。

 なんとなく恥ずかしくなって、早めに部屋に戻る。蓮君はすでに起きていて、着がえも済ませていた。

「……心配しましたよ。お風呂に行ったまま、帰ってこなかったので」

 のぼせてるんじゃないかと思い、わざわざ見に行ってくれたようだ。途中で葵さんに呼び止められ、状況を知ったという。

「……ごめん。あと、ありがと」

 泣いたせいか、目が少し痛い。知られるのがイヤで、つい、俯いてしまった。

「いいですけど。葵さん、うれしそうでしたよ」

「え……そう、なの?」

「なんとなく、ですけどね」

 身支度を調えて、朝食へ向かう。するとすでに先に、葵さん、それから泰三さんがいた。

「おう、おはようさん」

 泰三さんはすでに食べ終えて、つまようじを使っていた。その隣で、葵さんは黙々と食事をしている。

「おはようございます」

 あいさつすると、こっちを見た。

「おはよう」

 葵さんは一度箸を置いて、軽く笑う。以前と少しだけ違って見えるのは、気のせいだろうか。

 あたしと蓮君は腰をおろす。

「それにしても、家で食う飯はやっぱりうまいねえ」

 泰三さんが笑いながら、こっちを見る。なんとなく、目をそらしてしまった。

「これであまいものがあれば最高なんだけど……」

 ちょうど千里さんが入ってくる。

「何か食べたいものでも?」

「ふふふ。おれね、お菓子が食べたい」

「……お菓子、ですか?」

「ほら、この間もらったスコーンってやつ。あれとコーヒー。おいしかったなあと思って」

「はあ……」

 千里さん少し困ったような顔をする。

「――父上、あれはたまたま頂いたものですよ。この辺では売ってません」

「そうなのかあ? じゃあ、ホットケーキはどうだ? アイスクリームでもいいぞ」

「病人のくせに何を言ってるんですか。あきらめてください」

 葵さんはあくまで淡々と言う。

「そう言われたら、よけいに食べたくなってきた」

 泰三さんはにやりと笑う。

「よし、決めた。ホットケーキかアイスクリーム、それにプリン。このうち一つでも食べられる食べられるんだったら、病院に戻ってもいい」

 急にそんなことを言い出す。

「まあ、食べられるんだったら、だがな」

 口振りからいって、どうやらこの辺じゃ手に入れるのが難しいものらしい。

「プリンはあったかいやつな。じゃないと食わん」

「――何言ってるんですか。私が食事を終えたら、平治に車をまわしてもらいます。引きずってでも連れて生きますからね」

 葵さんの言葉をよそに、あたしはふと考える。

 ホットケーキかアイスクリーム。それにプリン。しかもあたたかいやつ、ということは、たぶん焼きプリンのことだろう。

「……あの」

 食事中なので、行儀が悪いととわかっていながら、手をあげる。

「……食べたいですか? その3つ」

 葵さんと泰三さんが同時にこっちを見た。


 卵と砂糖。牛乳、それから小麦粉。

 桐谷家の台所には、この4つが豊富にそろっていた。

「好きに使ってください。後片づけさえしてもらえれば、こっちは構わないので」

 千里さんはそう言って、台所を明け渡してくれた。

 あたしは彼女の割烹着まで借りて、早速作業に入る。

「えーっと、何から作ろうかな」

 オーブンはないものの、フライパンに、それから蒸し器もある。道具も十分だった。

 まず冷蔵庫から、卵を出した。するとなんとなく、視線を感じる。

 蓮君と、葵さんだった。

「……どうしたんですか? 二人とも」

 なんともめずらしい組み合わせだ。

「いや……父のことだし、何か手伝えることはないかと思って、な」

「ぼくも……ヒマなので」

 探るような視線を送ってくる。

 あたしは少し考えて、

「そうですね。じゃあ、お願いします」

 入ってきた二人に、早速指示を出す。

 道具を持った蓮君が、あたしにそっとささやいた。

「あの……大丈夫なんですか?」

「何が?」

「その……作れるのかなって」

「もちろん。この3つなら簡単だよ。広いから、3人いても作業もしやすいし」

 それが一番大きかった。

「まあ、唯一気になることがあるとすれば、プリンの型ぐらいかなあ」

 湯飲みでも作れなくはないけど、それだとなんとなくプリン感が出ない。

「……型、型、かあ」

「これはどうですか?」

 蓮君が大きめのお皿を指さす。出してみると、大きさといい、深さといい、ちょうどよかった。

「うん。ケーキみたいなプリンになりそう」

 あまり作ったことはないが、これはこれでおもしろそうだ。

 あたしは軽くうなずいて、卵を割り始めた。


 お菓子を作り始めたのは、ちょうど蓮君くらいの歳だったと思う。きっかけは単純に、火を使わないものが多かったからだ。

 うちは父親と二人なので、食事というとどうしても、買ってきたものか、インスタントに頼ることが多かった。父と過ごせればよかったので、そのことに不満なかった。でも自分でもやってみたい、という気持ちは、やっぱりあったのだ。

 父がいない時にガスを使うことは止められていて、そうなるとやれるのは、お菓子作りだった。そのほとんどが、オーブンレンジさえあれば、なんとかなるものだったからだ。

 クッキーやケーキ。プリンにパイ。材料と手順さえきっちり守れば、お菓子は応えてくれる。自分の手で、何かが変わる瞬間やそれまでの課程が、楽しくてしょうがなかった。そうするとだんだん、父も一緒になるようになり、火を使うこと、ついでに料理も覚えた。

「穂乃香、次はどうするのだ?」

 材料を計り終えた葵さんが尋ねる。あたしはざっと手順を説明した。

「なるほど。卵を泡立てるのか」

 葵さんにはホットケーキの生地作りをお願いした。ここにはベーキングパウダーがないので、ふんわりとした生地にするためには、卵を泡立てる必要がある。泡立て器がないので、けっこう力がいる作業だけど、彼女は自分から、やりたいと言ってくれたのだ。

「ほの……姉さん、こっちは?」

 蓮君には、プリンだ。卵と砂糖、牛乳を混ぜて、きめ細かい生地にするために、ザルに入れてこしてもらう。簡単だけど、根気がいる作業だ。

 そしてプリン用のカラメルと、アイスクリーム作り。アイスクリームメーカー……なんてものはもちろんないので、材料を鍋に火にかけながら作ることにした。

 それぞれの作業に没頭していると、

「……おれも、何か手伝おうか?」

 泰三さんが顔をのぞかせる。なんとなく様子を見にきたようだ。

「大丈夫です。父上は向こうに行っていてください」

 葵さんはそう言うものの、あたしはなんだかかわいそうに思えて、

「あ……じゃあ、葵さんを手伝ってあげてくれますか? 卵を泡立てるの、大変なので」

 泰三さんの目が輝く。葵さんは渋々だったけど、あたしの言うとおりにしてくれた。


 アイスクリームの種を冷凍庫に入れ終えると、あたしは蓮君のプリンを手伝った。もう型に入れるだけで、彼は慎重に、そして丁寧に、型へと流しこんでいく。

「……ちなみに蓮君は、好きなお菓子とかある?」

 何気なく、聞いただけだった。もちろん、小声で。

「ぼく……ですか? そうですね。甘いものはふだんあまり食べないんですが」

 そういえば、と思う。昨日もアイスコーヒーを飲んでいた。しかもブラックで。

「嫌いってこと?」

「そこまで敬遠してないです。おいしいとは思いますし。ただなんていうか……お菓子やケーキって、うれしい時や楽しい時に食べるものじゃないですか」

「うん、まあ、ね」

 そうじゃなくても、食べる時はあるけど。

 彼にとってきっと、はそういう認識のものなんだろう。

「だからその……そういう時のために、とっておこうと思って。特に一番、好きなものは」

「一番好きなものって?」

「――内緒です」

 めずらしく、子どもらしく笑った。 

 ちらり、葵さんと泰三さんのほうを見ると、ケンカしながらも仲良く作っている。

 やっぱり、親子なんだな。

 見ていると微笑ましくなった。

「それにしても、良かったんですかね」

 型を蒸し器に入れ終えると、蓮君が言った。

「千里さん、追い出した形みたいになってしまって」

「あ……うん」

 思ったよりも作業に時間がかかってしまい、お昼までに間に合わなかったのだ。すると泰三さんが、千里さんに平治さんと外に行くよう、言ってくれた。

 気を遣ってくれたんだろうけど、やっぱり少し気になる。すると、

「構わん。あいつはちょっと働きすぎだからな。たまには休んだほうがいーんだ」

 聞こえていたのか、泰三さんが言った。

「……父上が言っても、説得力がないですよ」

「それに、一応仕事だ。お使いを頼んだ」

「足りないものでも?」

「ああ、この家では見たことがない」

 泰三さんはにやりと笑う。あたしはなんとなく、わかった気がした。でも、あえて言わない。

「そっちはどうですか? 生地、できました?」

 確かめさせてもらうと、なかなか良い感じだった。

「じゃあ、焼きましょうか」

 いよいよ、ホットケーキだ。


 何度もやっていることでも、場所が違えば勝手が違う。あたりまえのことであれば、あるほど、だ。友達の家で初めてクッキーを焼いたとき、上手くいかなかったことを思い出す。

 電気オーブンとガスオーブン。ホットプレートとフライパン。それだけでも焼き加減など、微妙に変わったりする。

 フライパンに油をひき、ほんの少し、生地をたらす。それで焼き加減をはかるのだ。

「――よし」

 こんがり、きれいな色に仕上げる。すると3人とも、ほっとしたように息をもらしたのがわかった。

「……うまそうだなあ」

 そんな声を聞きながら、ホットケーキを続いて2枚、3枚と焼いていく。

「――ぼくもやってみたい」

 そんな声がして、あたしは蓮君と交代する。彼は真剣な顔をして、同じくホットケーキを焼いていく。

「――私も」

「――おれも」

 続いて二人からも声が上がった。

 半分取り合いになりながらも、順番にホットケーキを焼いていく。なかなか上手で、生地があっというまになくなった。


 テーブルは、ホットケーキでいっぱいになった。それから、大きなプリン。後はアイスクリームだけだ。まだ固まるまで時間がかかるので、一度休憩ということになった。

 泰三さんは縁側で転がり、蓮君も居間で大の字になっている。

「……なんか、良いな」

 葵さんもめずらしく、壁に寄りかかっていた。

「何が、ですか?」

 冷たい麦茶を飲んでいると、セミの声がした。

「父上がいて、おまえたちがいて、この状態が、とても心地よい気がしてな」

「みんなでがんばった後だから、よけいに、ですか?」

「きっとそれもある」

 確かに、とあたしも思った。

 いつも何か作る時は、一人がほとんどだ。それはそれで楽しいけど、今日みたいなのも、悪くなかった。

 正直にいえば、一人の時よりも、何倍も疲れた。なのに、楽しかった。そんなふうに思う自分もいる。

「穂乃香は、確か私よりも一つ下だと言っていたな」

 ふと、思いついたように、葵さんが言った。

「あ、はい……そうです」

 麦茶が入ったコップを置く。

「私は今年学校を卒業したばかりだが、先に終えてしまっているが、もう将来はどうするか、決めているのか?」

「あ……ええっと……」

「言いたくなければ、無理にとはいわない。ただ今日の手際は見事だった、と思ってな。もしやそういった道に進むのかと、ふと、聞いてみたくなったのだ」

 葵さんの言いたいことはわかる。お菓子作りのことを言ってるんだろう。それを将来の道に生かさないのか、と。

「いえ……あたし、は……」

 何もここで決めることじゃない。葵さんはあたしの将来に、なんの関係もない人だ。でもだからこそ、正直になれるような気がした。

「……わからなくて。お菓子作りは好きだけど、ケーキ屋さんがいいかっていうと、なんか違う気もするし。看護師さんもいいなって思ってて……」

「看護師、か。それも立派な職業だな……」

「……父が、看護師なんです。大変な仕事だけど、だからこそ尊敬してる部分も多くて。それに……」

 この先は、言おうかどうか迷う。母のことだ。

 昨夜、葵さんのお母さんの話を聞いたばかりだ。彼女のことだから、妙な気を遣ってしまうかもしれない。すると、

「……だれかのために生きる、というのは、とても尊いことだと、私は思う」

 葵さんがそっと、まるで歌うように口にする。

「ただそれと同じくらい、自分に正直になることも大切で、美しい生き方だと、私は思っている」

 彼女の髪が、やわらかな日差しに包まれる。きらきらとしていて、とてもきれいだった。

「……なんて、な」

 葵さんは少し照れくさそうに笑った。

「迷っているなら、今決める必要はないんだろう。どの道を選んでも、おまえはきっと幸せになる。そう思っておけばいい」

 言われた瞬間、泣いてしまいそうだった。でも、泣かない。恥ずかしい思いは、昨夜だけでじゅうぶんだったからだ。

「時間は、ないと思っていてもあるものだ。意外にな」

 そうかもしれない、と思った。

 進路希望は白紙のままでも、あたしは内心、焦っていたのかもしれない。決めきれない自分に、どこか腹が立っていたのかもしれない。

「なんか、ちょっと安心しました」

 素直に言葉が出た。

「そうか。なら、よかった」

 二人で顔を見合わせる。

 時代も立場もちがう。それでもちゃんと、わかりあえる。気持ちが通じる。

 あたしが心底ほっとしていた、その時だった。

「ただいま帰りました」

 玄関のほうから、千里さんの声がする。

「旦那様、お嬢様、ただいま戻りました」

 千里さんがすぐに居間へとやってくる。すると泰三さんが起きあがった。

「おお、千里。帰って来たか……例のものは?」

「もちろん、買ってきました。こちらでお間違いないですか?」

 千里さんが袋から出したのは、メープルシロップだった。

 やっぱり、と思う。

 ホットケーキには欠かせないものだからだ。

「さすがは千里だ。これでホットケーキが食べられる」

「それとですね、旦那様。途中でお客様にお会いしまして、せっかくなのでお連れしました」

「……客? おれにか?」

 泰三さんが尋ねると、千里さんは不敵な笑みを浮かべる。そして、

「すぐに、お連れしますね」

 一度姿を消し、戻ってきた。そして顔を出したのは――。

「泰三さん、一日ぶりですね」

 あたしは、これ以上ないくらいに、目を大きく見開いた。

 そこに立っていたのはそう、父――日向真澄だったからだ。


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