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第9話 安らぎのソファー


 冒険者ギルドを出ると、王都の通りは夕暮れの柔らかな光に包まれていた。

 露店では店じまいの準備が始まり、買い物籠を提げた人たちが行き交っている。

 ボクは腰のアイテムポーチに目を向けた。

 今日の依頼で受け取った金貨が一枚。

 透明なスライムを見つけるまでには随分と苦労したけれど、その分、報酬も大きかった。

 これだけあれば、しばらくは生活費の心配をしなくても済むだろう。

 それに、今日は買いたいものもある。

 昼間に『公式ストア』で見つけた、二人掛けのソファーだ。

 仕事から帰ってきた母さんが、ゆっくり休める場所を作りたい。

 もちろん、ボクも一緒に使うつもりだけど。

 そんなことを考えながら歩いていると、いつもの通りが見えてきた。

 家の窓には、もう明かりが灯っている。

 ボクは少し足を速めた。


「ただいま」

「おかえりなさい、レイン」


 台所から母さんの声が聞こえてきた。

 覗いてみると、母さんはいつものように鍋をかき混ぜているところだった。

 温かな湯気と一緒に、芋のスープの匂いが漂ってくる。


「今日は少し遅くなっちゃった」

「ふふっ。お疲れさま。手を洗ってきなさい。もうすぐ夕食よ」

「分かった」


 手を洗い、装備を片付けてから食卓へ戻る。

 母さんはちょうど、焼き直したパンを皿に並べていた。

 ボクもお椀を運ぶのを手伝い、向かい合って椅子に座った。


「いただきます」

「いただきます」


 パンをちぎってスープに浸す。

 柔らかくなったところを口に運ぶと、芋の優しい甘みが広がった。

 今日は朝から歩き回っていたせいか、いつも以上においしく感じる。

 もう一口食べたところで、母さんがこちらを見た。


「今日はどうだったの? 依頼はうまくいった?」

「うん。無事に達成できたよ」

「あら、良かったわね」

「それで、今日は報酬がすごかったんだ」

「すごかった?」

「ちょっと待ってて」


 ボクはアイテムポーチから報酬の入った袋を取り出した。

 中から金貨を一枚取り、食卓の上に置く。

 夕食の明かりを受けて、金色の表面がきらりと輝いた。


「……レイン?」

「今日の依頼の報酬だよ」

「これ、金貨じゃないの……!」

「うん。金貨一枚」

「まあ……」


 母さんは金貨を見つめたまま、しばらく動かなかった。

 それから、そっとボクの顔を見る。


「いったい、どんな依頼だったの?」

「透明なスライムを探す依頼だよ。朝からずっと探して、ようやく見つけたんだ」

「透明なスライム?」

「ほとんど姿が見えないんだ。草むらにいても気づきにくくてね」

「そんなスライムがいるのね……」

「でも、何とか見つけて倒せたよ。素材もちゃんと納品してきた」


 母さんはもう一度金貨に目を落とした。


「それにしても、金貨だなんて……お母さん。初めて見たわ」

「珍しいスライムだから、報酬も高かったみたい」

「そうだったの」


 母さんは小さく息をつくと、金貨をボクの方へ押し戻した。


「頑張ったわね、レイン」

「ありがとう、母さん」

「でも、無茶だけはしないでね?」

「うん。気をつけるよ」


 母さんが微笑んでくれたので、ボクも笑い返した。

 それから、残っていたスープを飲み干す。

 パンをもう一つ取ろうとすると、母さんが自分の皿をこちらへ寄せてきた。


「まだ食べられる?」

「うん。でも、母さんもちゃんと食べて」

「そう?」

「明日も仕事でしょ? ちゃんと体力つけなきゃ」

「ふふっ。分かったわ」


 母さんはパンを半分にちぎり、嬉しそうに口へ運んだ。

 夕食を終えると、ボクは食器を洗うのを手伝った。

 洗い終えた椀を布で拭き、棚へ戻していく。

 最後の一枚を片付けたところで、母さんが手を拭いた。


「ありがとう、レイン。助かったわ」

「うん。それで、母さん」

「なあに?」

「ちょっと見てほしいものがあるんだ」

「あら、何かしら?」


 ボクは食卓の椅子を引いて、母さんに座ってもらった。

 その隣へ自分の椅子を寄せる。


「『公式ストア』で、良さそうなものを見つけたんだ」

「まあ。また何か見つけたの?」

「うん。これなんだけど」


 目の前に『公式ストア』を開く。

 昼間に見つけた商品を探して、母さんにも見えるように表示した。

 

____________________


 【安らぎのソファー】

 ・ゆったりとくつろげる、二人掛けのソファー。


 【効果】

 ・疲労回復

 ・安らぎ


 【販売価格】

  大銀貨五枚

____________________


「まあ……ソファー?」

「うん。二人で座れるんだって」

「とても柔らかそうね」

「それに、座っていると疲れが取れやすくなるみたいなんだ」

「あら、それは素敵ね」


 母さんは商品に表示された絵を眺めていた。

 ふっくらした座面に、背中を包み込むような背もたれ。

 ボクも、こんなソファーに座ったことはない。


「母さん、これを買おうと思うんだ」

「えっ?」

「ここに置けば、二人で使えるでしょ?」

「ちょ、ちょっと待って、レイン」


 母さんが慌てて表示を指さした。


「大銀貨五枚もするのよ?」

「うん。安くはないけど、これからもずっと使えると思うんだ」

「それはそうだけど……」

「それに、母さんにもゆっくり休んでほしいから」


 母さんは困ったように眉を下げた。

 でも、その視線は何度もソファーへ戻っている。


「母さん、今の靴はどう?」

「とっても楽よ。今日も一日履いていたけれど、足がずいぶん軽いの」

「良かった。だったら、家でもゆっくり休めたら、もっと良いと思うんだ」

「レイン……」

「もちろん、ボクも座ってみたいんだけどね」


 そう言うと、母さんがくすりと笑った。


「ふふっ。そうなの?」

「うん。こんなに柔らかそうなソファー、初めて見るから」

「もう……。それなら、二人で使わなくちゃね」

「買ってもいいかな?」

「ええ。でも、これからのお金の使い方は、ちゃんと一緒に考えましょうね」

「分かった」


 ボクは商品を選び、購入の表示を開いた。


____________________


 『安らぎのソファー』


 販売価格:大銀貨五枚


 購入しますか?


 【はい】 【いいえ】

____________________


 手元に代金を用意し、【はい】を選ぶ。

 すると、目の前に柔らかな光が集まり始めた。


「わっ」

「あら……!」


 光が消えると、そこには商品一覧で見たソファーが現れていた。

 ふっくらとした座面に、丸みのある肘掛け。

 思っていたよりも立派で、食卓の椅子がずいぶん小さく見える。


「本当に出てきたわね」

「うん。……あれ?」


 ボクはソファーと部屋の中を交互に見た。

 置く場所を考えていなかった。

 母さんも同じことに気づいたらしく、口元に手を当てる。


「ふふっ。レイン、ここだと少し邪魔じゃない?」

「そうだね。場所を考えてなかった」

「そうねえ……。あちらの壁際なら置けるかしら」

「あっ、そこなら大丈夫そうだね」


 ボクたちは椅子を少し寄せ、ソファーを壁際へ移動させた。

 部屋は前より少し狭くなったけれど、食卓との間にはちゃんと通れる場所がある。


「これなら大丈夫かな」

「ふふっ。何だか、お部屋の雰囲気が変わったわね」

「うん。じゃあ、座ってみようか」

「ええ」


 ボクが先に腰を下ろす。

 すると、身体がふわりと沈み込んだ。


「……すごい」


 思わず声が漏れた。

 柔らかいのに、沈み込みすぎない。

 背もたれに寄り掛かると、肩の力が自然と抜けていく。


「母さんも座ってみて」

「そんなに気持ちが良いの?」


 母さんが隣に腰を下ろした。

 その途端、目をぱちぱちさせる。


「……まあ」

「どう?」

「すごいわ。こんなに柔らかいなんて……」


 母さんは背もたれに身体を預け、ゆっくり息を吐いた。


「ふふっ。本当に座り心地が良いわね」

「うん。買って良かった」

「ええ。とっても気持ちが良いわ」


 ボクも背もたれに寄り掛かる。

 今日一日歩き回った足が、じんわりと軽くなっていくようだった。

 母さんは肘掛けをそっと撫でている。


「肌触りもいいし、思わず寝ちゃいそう」

「寝ちゃわないように気をつけないとね」

「ふふっ。そうね」


 二人で笑う。

 しばらく、そのまま何も話さずに座っていた。

 窓の外から、遠くを通る馬車の音が聞こえてくる。

 いつもと同じ部屋なのに、今日は何だか少し違って見えた。

 ボクは隣に座る母さんを見上げた。


「……いつか、母さんともっと広い家で暮らしたいな」

「あら、どうしたの? 急に」

「ううん。ただ、そう思っただけ」


 ボクは部屋を見回した。

 食卓に椅子が二脚。

 台所には、いつもの鍋や食器が並んでいる。

 そこへ今日、大きなソファーが一つ増えた。


「もっと広い家だったら、ソファーも好きなところに置けるでしょ?」

「ふふっ。そうね」

「それに、母さんがゆっくりできる場所も、もっと増やせると思うんだ」

「レインったら……」


 母さんは優しく微笑むと、ボクの頭を撫でてくれた。

 少し照れくさかったけれど、嫌ではなかった。


「私は今のままでも十分よ。でも……そうね。いつか大きいお家に住みたいわね」

「うん」


 母さんの手が離れると、ボクはもう一度ソファーに深く腰掛けた。

 いつか、もっと広い家に住めたら。

 そのときも、このソファーを持っていこう。

 そんなことを考えていると、ふと思い出したことがあった。


「そうだ、母さん」

「なあに?」

「これから冒険で稼いだお金、母さんに預けようと思うんだ」

「あら、どうして?」

「ボクが持っているより、母さんに管理してもらった方が安心だから。それに、少しずつ貯金もしていきたいし」


 母さんは少し考えてから、ボクの方へ身体を向けた。


「そうね。じゃあ、こうしましょう。生活に必要なお金は私が管理するわ。でも、レインが使う分もちゃんと残しておきましょうね」

「ボクが使う分?」

「ええ。冒険に必要な道具もあるでしょう? 新しい装備が欲しくなったら、遠慮せずに相談してちょうだい」

「うん。そうするよ」


 それなら、ボクも安心だ。

 でも、稼いだお金を全部家に置いておくのは、少し心配かもしれない。


「母さん、お金がたくさん貯まったら、どこに置いておけばいいのかな?」

「あら。ギルド銀行に預ければいいじゃない」

「ギルド銀行?」

「ええ。冒険者ギルドでお金を預かってくれるのよ」

「そんなこともできるんだ」

「ふふっ。レインはまだ利用したことがなかったわね」


 母さんは少し懐かしそうに笑った。


「私も冒険者登録をしているから、利用できるのよ」

「そうだったね。母さんも冒険者カードを持ってるんだもんね」

「ええ。今はパン屋のお仕事ばかりだけれどね」


 母さんは立ち上がろうとして、すぐにソファーへ座り直した。


「あら、いけない。気持ちが良くて、立つのがもったいないわ」

「母さん、さっき寝ないようにって言ってたのに」

「ふふっ。そうだったわね」


 母さんは笑いながら、もう一度背もたれに寄り掛かった。


「ギルド銀行には、今度一緒に行きましょうか」

「うん。ボクもお金を預けておきたいし」

「そうね。レインの冒険者カードもあるものね」

「装備を買うためのお金も、そこに貯めておこうかな」

「それが良いと思うわ」


 ボクはこれから必要になるお金のことを考えた。

 冒険に必要な道具のお金。

 母さんと暮らすためのお金。

 それから、いつか広い家を買うためのお金。

 全部を一度に貯めるのは難しいかもしれない。

 でも、これからも依頼を受けて、少しずつ稼いでいけばいい。


「母さん、明日からも頑張るよ」

「ええ。でも、頑張りすぎないでね」

「分かってるよ。無茶はしないから」

「ふふっ。それなら安心ね」


 母さんが微笑む。

 ボクも笑い返して、もう一度ソファーに身体を預けた。

 柔らかな背もたれに寄り掛かると、まぶたが少し重くなってきた。

 母さんも隣で、気持ち良さそうに目を細めている。

 しばらくすると、肩にぽん、と手が置かれた。


「レイン。そろそろ寝る準備をしましょうか」

「……うん」

「ふふっ。眠くなっちゃった?」

「少しだけね」


 立ち上がろうとしたけれど、もう少し座っていたい。

 母さんも同じなのか、すぐには立ち上がらなかった。

 顔を見合わせて、二人で笑う。


「……あと少しだけ、座っていようか」

「ええ。あと少しだけね」


 ボクはもう一度、ふかふかの背もたれに身体を預けた。

 窓の外では、王都の夜が静かに更けていく。

 明日はどんな依頼を受けようかな。

 そんなことを考えながら、ボクは母さんと一緒に、もうしばらくソファーの座り心地を楽しんだ。


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