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第10話 ギルド銀行と貯金


 朝食の片付けを終えると、母さんと二人で食卓に硬貨を並べた。

 ボクは銀貨を一枚ずつ数え、袋へ戻していく。

 その隣では、母さんが手元に残す分を分けていた。


「こっちは今日のお買い物に使う分ね」

「うん。帰りに何か買ってくる?」

「そうね。夕食に使うものを見ていきましょうか」

「それなら、ボクも一緒に選びたいな」

「ええ。何が並んでいるか、楽しみね」


 母さんが小さな袋の口を結んだ。

 ボクも預ける分をしまい、青い冒険者カードを取り出す。

 忘れ物がないか確かめてから腰にポーチをつけると、母さんも自分のカードを持ってきた。


「準備はできた?」

「うん。いつでも行けるよ」


 玄関で身軽な羽靴を履き、立ち上がる。

 母さんの足元には、茶色の革靴が揃っていた。

 先に扉を開けて待っていると、靴を履き終えた母さんが顔を上げた。


「ありがとう。じゃあ、行きましょうか」


 通りへ出ると、野菜を積んだ荷車が目の前を通り過ぎていった。

 車輪の音が遠ざかるのを待って、母さんと並んで歩き始める。

 普段なら、そのまま大通りまで進むところだ。

 けれど今日は、隣の母さんが露店を覗いたので、ボクも足を止めた。

 木箱の中に、赤い林檎が並んでいる。


「おいしそうだね」

「ええ。帰りに買っていきましょうか」

「うん。まだ残ってるといいな」


 母さんは林檎を眺めてから、ボクへ向き直った。


「先に買っていく?」

「……ううん。先にギルドへ行こう」

「ふふっ。そうね」


 ポーチの口が閉まっていることを確かめ、母さんの隣へ並び直した。


 *


 冒険者ギルドでは、依頼掲示板の前に何人もの冒険者が集まっていた。

 背負った荷物を下ろして依頼書を読む人や、仲間と相談している人もいる。

 空いたところを通り抜けようとすると、受付から声が掛かった。


「レインくん、おはようございます」

「おはようございます、セシリアさん」


 セシリアさんはボクの隣を見ると、母さんにも笑顔を向けた。


「マリアさんも、おはようございます。今日はご一緒なんですね」

「ええ。二人でお金を預けに来たんです」

「ギルド銀行ですね。それでしたら、あちらの窓口へどうぞ」

「ありがとうございます」


 教えてもらった窓口へ向かい、列の最後尾に並ぶ。

 前にいた冒険者が、口を結んだ革袋を台へ置いた。

 ごとりと、重そうな音がする。

 ボクは思わずその袋を見てしまった。


「……いっぱい入っていそうだね」


 小声で言うと、母さんも声を落とした。


「そうね。でも、じっと見ていたら失礼よ」

「あ、うん」


 慌てて顔を戻す。

 袋の中を覗くつもりはなかったけれど、あんな音がするほどのお金は持ったことがない。

 窓口では硬貨を数える音が続いていた。

 それが止み、前の人がカードを受け取って離れると、職員さんがこちらを向いた。


「次の方、どうぞ」

「預金をお願いします。私と、この子の分をそれぞれ」

「かしこまりました。冒険者カードをお願いします」


 母さんがカードとお金を差し出したので、ボクもポーチを開いた。

 まずは母さんの手続きが済むのを待ち、自分の番になったところで窓口へ袋を置く。


「こちらを預けたいです」

「はい。確認しますね」


 袋から出された硬貨が、種類ごとに分けられていった。

 ボクも指の動きを目で追いながら、もう一度数える。

 職員さんが読み上げた金額は、朝に母さんと確かめたものと同じだった。


「こちらの金額で、お預かりしてよろしいですね?」

「はい。お願いします」


 返事をすると、硬貨が窓口の奥へ片付けられた。

 つい、空になった台へ目を落とす。

 渡したのはボクなのに、見えなくなると少し気になってしまう。


「……これで、もう預けられたんですか?」

「はい。お手続きは済みましたよ。こちら、カードをお返ししますね」

「ありがとうございます」


 受け取った青いカードには、いつもと同じようにボクの名前がある。

 指先で端を持ち直してから、ポーチへしまった。

 窓口を離れると、母さんが隣へ並ぶ。


「どうだった?」

「思っていたより、すぐに終わっちゃった」

「ふふっ。何か特別な事をすると思ってた?」

「うん。ちょっとだけね」


 ボクは空になったお金の袋を畳んだ。

 これなら、次は一人でも来られそうだ。


「これで、家のための貯金も始められたね」

「ええ。少しずつ貯めていきましょう」


 母さんと頷き合い、出口へ向かう。

 依頼掲示板の前を通りかかったところで、背後から大きな声が響いた。


「おい、レイン!」


 ……この声は。

 振り返ると、ダンがこちらへ歩いてきていた。


「てめえ、昨日はよくも逃げやがったな!」

「ダン……。今日は母さんと出かけてるんだけど」

「そんなの知るか! クリアスライムの素材はどうした!」

「昨日のうちに納品したよ」

「何だと!?」


 ダンの声に、近くで話していた冒険者たちが振り向いた。


「俺に寄越せって言っただろうが!」

「あれはボクが見つけて倒したんだよ。渡す理由はないでしょ」

「てめえ……!」


 ダンが大股で近づいてくる。

 母さんがボクの隣から声を掛けた。


「ダンくん。少し落ち着いて話しましょう」

「おばさんには関係ねえだろ!」

「ダンさん」


 今度は受付の方から、はっきりした声がした。

 セシリアさんがこちらへ歩いてくる。

 さっきまでの笑顔は消えていた。


「ほかの方の迷惑になります。大きな声を出すのはおやめください」

「俺はこいつと話してるんだよ!」

「お話は聞こえています。素材を無理に渡すよう要求するのも、おやめください」


 ダンが舌打ちをした。

 それでもボクから目を離さず、腕を伸ばしてくる。

 服をつかまれる前に身体をずらすと、指先が空を切った。


「逃げんじゃねえ!」

「ダンさん。これ以上続けるなら、ペナルティーを科しますよ」


 セシリアさんの声が厳しくなる。

 ダンの手が止まった隙に、母さんがボクの袖へ触れた。


「レイン、もう行きましょう」

「うん。セシリアさん、ありがとうございます」


 頭を下げ、母さんと一緒に出口へ向かった。

 ところが、扉へたどり着いたところで、また後ろから足音がする。


「待てよ! まだ話は終わってねえぞ!」

「ダンさん!」


 セシリアさんが呼び止める声まで聞こえた。

 ……昨日も、王都まで追いかけてきたんだよなあ。

 このまま市場へ向かったら、買い物の間もついてきそうだ。

 扉の外へ出ると、ボクは通りを見回した。

 ちょうど人の流れが途切れた向こうに、建物の屋根が見える。


「母さん、ちょっとごめん!」

「えっ?」


 母さんの背中と膝の裏へ腕を回し、抱き上げた。


「きゃっ! レイン、どうしたの?」

「ちょっとだけ、つかまってて!」


 母さんの腕がボクの首へ回ったところで、地面を蹴る。

 通りがすっと遠ざかり、屋根の端が足元へ近づいてきた。

 膝を曲げて着地すると、耳元で母さんが息を呑む。


「えっ……ってレイン! ここ、屋根の上じゃないっ!」


 首に回された腕が、ぎゅっと締まった。

 下では、ギルドから出てきたダンが足を止めていた。


「なっ……! 今度は母親まで抱えてんのかよ!?」


 口を開けたまま、こちらを見上げている。

 けれど、ボクもその顔をゆっくり眺めている場合ではなかった。


「レイン、下ろしてちょうだい……!」

「うん。向こうに下りるね。少しだけ待ってて」


 母さんを抱え直し、隣の屋根へ跳び移る。

 足元を確かめながら反対側へ回ると、人のいない路地が見えた。

 そこへ飛び降り、膝で衝撃を受け止める。

 すぐに母さんの足を地面へ下ろした。


「……もう、大丈夫だよ」


 母さんは両足が地面についたあとも、しばらくボクの肩につかまっていた。

 それからゆっくり手を離し、胸元を押さえる。


「びっくりした……。心臓が止まるかと思ったわ」

「ごめん、母さん。昨日もダンに追いかけられて、それで……」

「それで、屋根に?」

「うん」


 母さんは今下りてきた屋根を見上げ、それからボクを見た。


「あなた、昨日もあんなことをしたの?」

「……一人だったけど」

「そういうことじゃなくてね、レイン」


 ボクは口を閉じた。

 母さんは一つ息をつき、乱れた髪を指で整える。


「もう……。あんなことをするなら、先に言ってちょうだい」

「うん。ごめんなさい」


 もう一度謝ると、母さんはボクの腕へそっと触れた。


「……痛くない?」

「え?」

「私を抱えていたでしょう。腕は大丈夫?」

「うん。平気だよ」


 母さんはボクの腕と顔を見比べ、小さく笑った。


「いつの間に、そんなに力持ちになったのかしら」


 ボクも自分の腕を見下ろす。

 母さんを抱えて跳ぶのは初めてだったけれど、今も腕は重くなっていなかった。

 ただ、首の辺りには、まだ少し抱きつかれた感触が残っている。


「さあ。お買い物に行きましょうか」

「うん」

「今度はちゃんと、道を歩いてね」

「……分かってるよ」


 母さんがボクの顔を覗き込む。

 目が合うと、今度は二人で笑ってしまった。


 *


 朝に見かけた林檎は、まだ店先に並んでいた。

 木箱の前で足を止めると、体格のいい中年のおじさんが顔を上げた。大きな手に持っていた林檎を箱へ戻し、ボクたちに笑いかける。


「いらっしゃい! 林檎を見ていくかい?」

「二ついただこうかしら。自分で選んでもいいですか?」

「ああ、好きなのを選んでくれ」


 母さんが一つ手に取り、ボクへ見せた。


「これなんて、どうかしら」

「うん。おいしそう」

「それじゃあ、レインも一つ選んでね」


 ボクも箱を覗き、同じくらいの大きさの実を選んだ。

 二つ並べて見せると、母さんが頷く。


「この二つをお願いします」

「はいよ、二つだな。袋に入れるかい?」

「いえ、このままで大丈夫です」


 母さんが代金を払う間、ボクは店主から林檎を受け取り、ポーチへしまった。


「ありがとうございました」

「ありがとな。また寄ってくれよ」


 店主に見送られ、母さんと次の店へ向かった。

 その先には、野菜や肉を売る店が続いている。

 母さんが芋の並んだ籠を見ている間に、ボクは隣の肉屋へ目を向けた。


「母さん。今日はお肉も買わない?」

「お肉?」

「うん。芋と一緒に煮たら、おいしそうだなって」


 母さんも肉屋へ目を向ける。

 しばらく品物と値段を見比べてから、ボクへ振り返った。


「そうね。今日は煮込みにしましょうか」

「いいの?」

「ええ。せっかくだから、玉ねぎも入れましょう」

「それなら、パンを浸して食べてもおいしそうだね」

「ふふっ。レインはもう、食べるところまで考えているのね」


 そう言われると、何だかお腹まで空いてきた。

 まだ夕食には早いんだけど。

 母さんと肉屋の前へ移ると、前掛けをつけた恰幅のいいおばさんが、張りのある声で迎えてくれた。


「いらっしゃい! 今日は何にするんだい?」

「煮込みに使うお肉をいただきたいんですけど」

「煮込みなら、こっちだね。じっくり煮てごらん。柔らかくなって、うまいよ!」


 店主が示した肉を、母さんと一緒に覗き込む。


「母さん、これにする?」

「ええ。こちらを二人分お願いします」

「あいよ! これくらいでどうだい?」


 おばさんが肉に包丁を当て、切り分ける量を示した。

 母さんは少し考えてから頷く。


「それでお願いします」


 肉を包んでもらっている間に、母さんは朝に分けておいたお金の袋を取り出した。

 代金を払い、包みを受け取る。


「ありがとうございます」

「ありがとね! 坊や、たっぷり食べるんだよ」

「はい!」


 ボクが返事をすると、おばさんは声を上げて笑った。


 母さんが店主へ会釈してから、ボクへ包みを差し出した。


「レイン、これもお願いしていい?」

「うん。任せて」


 ボクがポーチへしまうのを見届けてから、母さんは野菜の店へ戻った。

 今度は二人で芋と玉ねぎを選ぶ。

 母さんが店の人と話している横で、ボクは買い忘れがないか、指を折って確かめた。

 肉と、芋と、玉ねぎ。

 それから、夕食のあとに食べる林檎もある。


「これで全部?」

「ええ。帰りましょうか」


 母さんと店を離れ、家へ続く道を歩き始めた。


 *


 家へ戻り、買ってきたものを台所へ並べる。

 昼食を済ませてから、少しずつ夕飯の支度を始めた。

 母さんが肉を切る間に、ボクは芋を洗う。

 皮を剥いて切り分けたものを見せると、母さんが手を止めた。


「その大きいのは、もう半分にしてくれる?」

「これ?」

「ええ。ほかのと同じくらいにね」


 切り揃えた芋を器へ入れ、今度は玉ねぎを渡す。

 母さんが鍋へ肉を入れると、じゅうっと音がした。

 朝のスープとは違う匂いが立ち上り、つい鍋を覗き込んでしまう。


「もう、おいしそうだね」

「まだ焼き始めたばかりよ」

「分かってるけど、いい匂いがするから」

「ふふっ。夕食まで待てるかしら」

「それくらい待てるよ」


 母さんは笑いながら肉を返した。

 玉ねぎも加えて炒め、芋と水を入れると、今度は煮えるのを待つ。

 ボクは使い終わった包丁や器を洗い、台の上を拭いた。

 やがて鍋の中で小さな泡が立ち始めると、母さんが火を弱めた。


「あとは、ゆっくり煮ていきましょう」


 蓋の隙間から、細い湯気が上っていく。

 ときどき様子を見に来るたびに、肉の匂いに玉ねぎの甘い匂いが混じるようになった。

 窓から差し込んでいた日差しが、食卓の上を少しずつ移っていく。

 夕方には、家の中のどこにいても、鍋の匂いが分かるようになっていた。


「レイン。そろそろお皿を並べてくれる?」

「うん!」


 二人分の器と匙を運び、温め直したパンも食卓へ置く。

 母さんが蓋を取ると、湯気がふわっと広がった。

 鍋を覗けば、芋の間に肉が見える。

 玉ねぎはすっかり柔らかくなり、煮汁に溶け込んでいた。


「はい、お待たせ」

「ありがとう、母さん」


 椅子へ座り、二人で手を合わせる。


「いただきます」

「いただきます」


 まずは肉を一つ、匙ですくった。

 何度か息を吹きかけてから口へ運ぶと、噛むほどに煮汁がじわりと広がった。


「……おいしい」

「柔らかくなっている?」

「うん。すごく柔らかい」


 母さんも一口食べ、頷いた。

 ボクはパンをちぎり、煮汁へ浸してみる。

 少し待ってから引き上げると、パンの端まで汁を吸っていた。

 口へ入れた途端、肉と玉ねぎの味が広がる。


「母さん。やっぱり、パンにも合うよ」

「そう? 私もやってみようかしら」


 母さんも同じようにパンを浸し、そっと口へ運んだ。

 噛み終えてから、もう一度パンへ手を伸ばす。


「これは、おかわりが欲しくなるわね」

「ボクも。まだ鍋に残ってる?」

「ええ。ちゃんと二人分あるわよ」


 空になった器を持って立ち上がり、母さんの方へ手を伸ばした。


「母さんのも、よそってくるね」

「ありがとう。私は少なめでいいわ」


 鍋の前に立つと、ボクはお玉で底からそっと混ぜた。

 肉も芋も、まだ残っている。

 二つの器へ順番によそい、食卓へ戻った。


 *


 食器を片付けたあと、母さんが林檎を切ってくれた。

 皿を挟んでソファーへ並んで座る。

 ようやく腰を下ろした母さんが、背もたれへ身体を預けた。


「ああ……。やっぱり、ここは落ち着くわね」

「うん」


 ボクも深く座り直し、林檎を一切れ取った。

 しゃくりと噛むと、甘い汁が口の中に広がる。

 母さんも一口食べ、残りを指先で持ちながら窓の方を見た。


「明日は草原へ行くの?」

「うん。ギルドで依頼を見てから行こうと思ってる」

「それなら、お昼のパンを用意しておくわね」

「ありがとう。暗くなる前には帰ってくるよ」


 母さんが頷いた。

 ボクは食卓の方へ目を向ける。

 朝、硬貨を並べていた場所には、もう何も置いていない。


「……今度は、いつ預けに行けるかな」

「お金が貯まったら、また行きましょう」

「うん。そのときも、一緒に買い物して帰ろうよ」

「ええ。楽しみにしているわ」


 母さんが皿をこちらへ寄せてくれたので、もう一切れ取る。

 今日選んだ林檎は、どちらも甘かった。

 最後の一切れを母さんに差し出し、ボクは背もたれへ身体を預けた。

 次にあの窓口へ行くときは、今日畳んだ袋に、またお金を入れて持っていこう。

 そう思いながら、母さんとゆっくり林檎を食べた。


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