第2話 実戦のち購入
翌朝、ボクは父さんが残してくれた革鎧を身につけていた。
身体に合わせて紐を締め、腰に短剣を下げる。
使い込まれた鉄の短剣だ。
鞘がしっかり固定されていることを確かめてから、鏡の前で自分の姿を眺めてみた。
少しだけ、冒険者らしく見える気がする。
「……よし!」
準備を終えて食卓へ向かうと、母さんがちょうどスープをよそっているところだった。
「おはよう、レイン。準備はできた?」
「うん! あとは荷物を持つだけだよ」
「それなら、先に朝ご飯を食べましょう」
椅子へ座ると、目の前に温かなスープが置かれた。
今日の具は、じゃが芋と玉ねぎだ。
パンを小さくちぎってスープに浸し、柔らかくなったところを口へ運ぶ。
うん。美味しい!
母さんも向かいの席へ座り、パンを手に取った。
「そういえば、レイン。昨日のスキル鑑定はどうだったの?」
「あっ! そうだった!」
昨日は自分のスキルを調べるのに夢中で、母さんに話すのをすっかり忘れていた。
「えっとね。『こうしきすとあ』っていうスキルだったよ」
「こうしきすとあ?」
母さんが不思議そうに首を傾げた。
「うん。ボクも初めて聞いた名前なんだ」
「どんなことができるの?」
「それがね、いろんな物を買えるみたいなんだよ」
「物を買えるの?」
「うん! でも、まだ買ったことはないんだ。だから、今日は冒険者になって、お金を稼いでこようと思ってる!」
母さんは少し驚いた顔をしたあと、柔らかく微笑んだ。
「そうなのね。じゃあ、帰ってきたら、どんな物が買えるのか教えてちょうだい」
「うん! 楽しみにしててね!」
そう答えてから、残っていたパンをスープへ浸す。
昨日見つけたスターターパックは、銅貨五枚。
今のボクには一枚もないけれど、今日から冒険者になれば、自分でお金を稼げるようになる。
まずは、スライムを倒してみよう。
朝食を食べ終えると、母さんが昼食用のパンを布で包んでくれた。
「はい。お昼の分ね」
「ありがとう、母さん!」
パンを受け取り、袋へ入れる。
水の入った瓶と、小さな袋。それから、家にあった空き瓶も二つ用意した。
瓶同士がぶつからないように布で包み、肩へ掛けてみる。
「……うん。これで大丈夫かな」
「忘れ物はない?」
「たぶん大丈夫!」
「ふふっ。たぶんなのね」
「あはは……」
母さんに笑われてしまった。
もう一度荷物を確かめてから、ボクは玄関へ向かった。
「レイン」
靴を履いていると、母さんが声を掛けてきた。
「初めての魔物討伐なんだから、無理はしないでね」
「うん。危ないと思ったら、ちゃんと逃げるよ」
「それならいいわ。気をつけて行ってらっしゃい」
「行ってきます!」
玄関を出ると、朝の風が頬を撫でた。
腰に下げた短剣へそっと手を添える。
初めての魔物討伐。
少し緊張するけれど、それ以上に、冒険者になれることが嬉しかった。
ボクは大通りへ向かって歩き始めた。
*
朝の大通りは、今日も人と荷車で賑わっていた。
店先には野菜や果物が並び、焼きたてのパンの香りが漂ってくる。
いつもなら少し足を止めて眺めるところだけれど、今日は寄り道をせずにギルドへ向かった。
大きな扉を押し開けると、中には既に何人もの冒険者が集まっていた。
依頼の貼られた掲示板を眺める人や、受付で職員と話している人。
ボクも今日から、ここへ通うことになるんだ。
「あの、冒険者登録をお願いします」
受付へ声を掛けると、女性の職員が顔を上げた。
「はい。お名前を教えていただけますか?」
「レインです。昨日、こちらでスキル鑑定を受けました」
「レインさんですね。それでは、こちらの用紙に記入をお願いします」
差し出された紙を受け取り、名前を書いていく。
必要な項目を埋めて職員へ渡すと、内容を確かめたあと、青いカードをボクの前へ置いてくれた。
「こちらが冒険者カードです」
「これが……!」
そっと持ち上げてみる。
青い表面には、ボクの名前とEの文字が刻まれていた。
「冒険者ランクはEから始まり、D、C、B、A、Sの順に上がります。レインさんは、まずEランクからですね」
「はい!」
カードを裏返してみて、それからもう一度、表へ戻す。
そこには、間違いなくボクの名前が書かれていた。
思わず頬が緩んでしまう。
「ふふっ。嬉しそうですね」
「はい! ずっと冒険者になりたかったので!」
「そうでしたか。それでは、これから頑張ってくださいね」
「ありがとうございます!」
ボクはカードを大切にしまった。
「ところで、今日はもう王都の外へ出る予定ですか?」
「はい。近くの草原で、スライムを倒してみようと思っています」
「初めての魔物討伐ですね」
「そうです。あの、何か気をつけた方がいいことってありますか?」
「そうですね……」
職員は少し考えてから、ボクの腰に下げた短剣へ目を向けた。
「まずは王都から離れすぎないようにしてください。草の低い場所なら魔物を見つけやすいので、初めての方にはおすすめですよ」
「草の低い場所ですね」
「はい。それから、魔物を見つけても、すぐに近づかないこと。周りにほかの魔物がいないか、必ず確認してください」
「分かりました!」
一匹だけだと思って近づいたら、ほかにも魔物がいた、なんてことになったら大変だ。
ちゃんと気をつけよう。
「あの、倒した魔物の素材は、こちらで買い取ってもらえるんですよね?」
「もちろんです。スライムなら、必ず『魔石(極小)』が手に入ります。五個で銅貨一枚ですね」
「五個で銅貨一枚……」
ということは、魔石だけで銅貨五枚を稼ごうと思ったら、二十五匹も倒さないといけない。
……うーん。
初めての魔物討伐で、そんなに倒せるかなあ。
「それから、『スライムの粘液』も買い取っていますよ。こちらは一つで銅貨二枚です」
「えっ! 粘液の方が高いんですか?」
「ええ。防水剤や防腐剤の材料として需要があるんです。ただ、手に入るのは三匹に一匹くらいですね」
「なるほど……。空き瓶に入れて持ち帰ればいいですか?」
「はい。なるべく土や草が混ざらないようにしてくださいね」
空き瓶を用意しておいてよかった。
粘液が二つ手に入れば、それだけで銅貨四枚。
魔石も合わせれば、思ったより早く五枚を貯められるかもしれない。
「ああ、それと、草原にはアルミラージもいますから、気をつけてくださいね」
「アルミラージ……角のある魔物ですよね?」
「そうです。スライムより動きが速いので、同じつもりで近づくと危険ですよ」
「分かりました。まずはスライムを探してみます!」
職員へお礼を言い、受付を離れる。
扉へ向かう途中、ボクはもう一度、冒険者カードを取り出した。
青いカードに刻まれた、自分の名前。
何度見ても嬉しくなってしまう。
「……よしっ!」
カードを大切にしまい、ギルドの扉を押し開けた。
*
王都の門を抜けると、目の前には広い草原が広がっていた。
青々とした草が風に揺れ、遠くから鳥の鳴き声が聞こえてくる。
道を行く荷車を見送ってから、ボクは草地へ足を踏み入れた。
柔らかな土を踏みしめながら、周囲を見回す。
振り返れば、王都の城壁も門もよく見えた。
まだ、それほど離れていない。
「……スライム、どこにいるのかな」
草の間へ目を凝らしながら歩いていく。
けれど、なかなか魔物は見つからなかった。
風で草が揺れるたびに、そちらへ顔を向けてしまう。
そうしてしばらく歩いていると、少し先の草むらで、何かがぷるりと揺れた。
「……あっ!」
いた!
日の光を透かす丸い身体。
間違いない。スライムだ!
ボクは足を止め、まず周囲を見回した。
近くに、ほかの魔物はいないようだ。
肩に掛けていた袋を下ろし、腰の短剣を引き抜く。
朝日を受けて、鉄の刃がきらりと光った。
柄を握る手に、少しだけ力が入る。
「……よし」
短剣を構え、ゆっくり近づいた。
すると、スライムの身体がぐっと低く縮んだ。
「……えっ?」
次の瞬間、丸い身体が勢いよく跳ね上がった。
こっちに来る!
慌てて横へ飛び退くと、さっきまで立っていた場所へスライムが落ちた。
どさり、と草の潰れる音が響く。
「あ、危なかった……!」
思っていたよりも、ずっと速い。
ボクは短剣を振り上げ、スライムへ向かって振り下ろした。
けれど、力を入れすぎたせいか、刃はスライムの横を通り過ぎ、そのまま地面へ突き刺さってしまった。
「わっ!?」
手に硬い衝撃が返ってくる。
し、しまった!
慌てて短剣を引き抜くと、スライムがまた身体を縮めていた。
今度は、跳んでくる前に横へ下がる。
丸い身体が、さっきまでボクのいた場所へ落ちた。
「……落ち着いて」
小さく呟き、短剣を構え直す。
早く倒そうとして、相手の動きをよく見ていなかった。
スライムが再び身体を縮める。
ボクはその動きを見ながら、足の位置を確かめた。
そして、スライムが跳び上がった瞬間、横へ一歩踏み出す。
目の前に落ちてきた丸い身体へ、短剣を振り下ろした。
今度は、刃が当たった。
スライムの身体が大きく揺れ、裂けたところから形を崩していく。
ボクは短剣を構えたまま、じっと見つめた。
まだ動くかもしれない。
けれど、スライムはもう跳ねなかった。
やがて、その身体が薄れて消え、草の間に小さな石が一つ残った。
「……倒せた」
声に出した途端、詰めていた息がゆっくりと漏れた。
短剣を下ろすと、肩に入っていた力も抜けていく。
「本当に……倒せたんだ!」
嬉しくなって、思わず笑ってしまう。
ボクはしゃがみ込み、草の間に落ちていた石を拾い上げた。
指先に載るくらいの、小さな魔石だ。
日にかざすと、表面がきらりと光った。
「これが、『魔石(極小)』かあ」
初めて自分で手に入れた魔物の素材。
しばらく眺めてから、用意していた小さな袋へ入れた。
落とさないように口を結び、立ち上がる。
すると、膝が少し震えていることに気がついた。
「……あはは。緊張しちゃったなあ」
それでも、初めての魔物討伐は成功だ。
ボクは短剣についた土を布で拭い、袋を拾い上げた。
「よし! 次も頑張ろう!」
*
二匹目のスライムは、最初の場所から少し歩いたところにいた。
今度は近づく前に、足元をよく確かめる。
袋を下ろし、短剣を構えた。
スライムが身体を縮める。
それを見て、ボクは横へ動いた。
けれど、避けたつもりの足へ、丸い身体がかすめた。
「わっ!」
よろけながら、どうにか踏ん張る。
間に合ったと思ったのに!
さっきと同じように動いたつもりでも、近づきすぎていたみたいだ。
ボクは少し距離を取り、短剣を構え直した。
次に跳んできた時には、ちゃんと避けられた。
けれど、今度は離れすぎてしまい、刃が届かない。
慌てて追いかけず、スライムが動くのを待つ。
そうして何度か位置を変えながら、ようやく刃を当てることができた。
二つ目の魔石を拾い上げた時には、額に汗が浮いていた。
「……一匹目と同じ、とはいかないんだね」
袖で額を拭い、苦笑する。
スライム一匹を倒すだけでも、こんなに大変なんだ。
ボクは水を一口飲み、短剣の柄を握り直した。
草原を見渡すと、少し先でまた丸い身体が動いている。
今度は、もう少し上手く戦えるかな。
ボクは足元を確かめながら、そちらへ歩き始めた。
*
三匹目のスライムを倒したあと、ボクは魔石を拾おうとして手を止めた。
草の上に、もう一つ何かが残っている。
透き通った、とろりとした塊だった。
スライムの身体はもう消えているのに、それだけは葉の上で小さく揺れている。
「……あっ! これって、もしかして!」
受付で教えてもらった、スライムの粘液だ!
ボクは急いで袋から空き瓶を取り出した。
けれど、そこで少し困ってしまう。
魔石みたいにつまんで入れるわけにはいかない。
それに、土や草が混ざらないようにと言われたばかりだ。
「……どうしようかな」
辺りを見回し、大きめの葉を一枚取った。
そっと粘液の下へ差し込み、瓶の口まで運ぶ。
そのまま傾けてみたけれど、粘液は葉に張り付いたままだった。
「……あれ? 落ちない?」
もう少し傾けてみる。
すると、粘液がゆっくりと伸びて、ようやく瓶の中へ滑り落ちた。
「よしっ!」
最後の一滴が落ちるのを待って、蓋を閉める。
瓶を目の高さまで持ち上げると、中の粘液がぷるぷると揺れていた。
「これが、銅貨二枚になるんだ……!」
魔石なら十個分。
そう考えると、なんだか凄く貴重なものに思えてくる。
ボクは瓶を布で包み、袋へ大切にしまった。
そのあとも、草の短い場所を選びながら歩いていく。
ただ、見つかるスライムが全部、一匹ずついるとは限らなかった。
二匹が近くにいた時は、少し迷ってから別の方へ向かう。
今のボクでは、一匹を相手にするだけでも精一杯だ。
無理はしない。
そうしているうちに、だんだんお腹がすいてきた。
空を見上げると、日が随分高くなっている。
「……そろそろ、お昼かな」
ボクは草の上へ荷物を下ろし、短剣を鞘へ収めた。
座ってから水を飲む。
喉を通っていく冷たさが気持ちよくて、つい、もう一口飲んでしまった。
それから、母さんが持たせてくれたパンの包みを開く。
ちぎって口へ入れると、噛むほどに甘さが広がった。
「……美味しい」
家でも食べているパンなのに、今日はいつもより美味しく感じる。
母さんは、もう仕事へ行っただろうか。
帰ったら、一匹目を倒せたことから話そう。
短剣を地面に刺してしまったことは、少し恥ずかしいけれど。
……でも、たぶん話してしまうと思う。
パンを持つ手へ目を落とすと、指の付け根が赤くなっていた。
空いている手を握ったり開いたりしてみる。
少し突っ張るけれど、痛くて動かせないほどではない。
短剣を何度も振るのは、思っていたより大変だった。
残りのパンを食べながら、素材の袋を確かめる。
魔石が三つと、粘液が一つ。
粘液が銅貨二枚だから、今のところは……。
「……あと少しかな」
せめて魔石を五つにできたら、まとめて買い取ってもらえる。
そんなことを考えていると、少し先の草が、がさりと揺れた。
ボクはパンを持つ手を止める。
草の間から、長い耳が二本突き出していた。
続いて姿を見せた小さな魔物の額には、一本の角が生えている。
「……アルミラージだ」
思わず声が漏れた。
幸い、こちらには気づいていないらしく、アルミラージは草の間へ顔を下げている。
ボクは食べかけのパンをそっと包み直した。
今朝、ギルドの受付で注意されたばかりだ。
スライムよりも動きが速い魔物。
今のボクが相手にするには、少し危険かもしれない。
アルミラージが顔を上げる。
ボクは慌てて身を低くした。
しばらくすると、アルミラージは再び草の間へ顔を下げた。
「……よかった」
小さく息を吐く。
今のうちに離れよう。
ボクは荷物を持ち上げ、音を立てないようにゆっくりと後ずさった。
一歩、二歩。
アルミラージは、まだこちらに気づいていない。
十分に距離を取ってから、ボクは進む方向を変えた。
いつかは、あの魔物とも戦えるようになりたい。
でも、今はスライムを倒すことに集中しよう。
*
四匹目と五匹目を倒した頃には、短剣を持ち上げる腕が、はっきりと重くなっていた。
スライムが跳ぶ前に身体を縮めることは、少しずつ分かってきた。
けれど、避けてから上手く刃を当てられるかは、また別の話だ。
五匹目の時には、振り下ろした刃が届かず、もう一度構え直すことになった。
ようやく倒して、短剣を下ろす。
草の上には魔石と、それから、見覚えのある塊が残っていた。
「あっ! また出た!」
二つ目のスライムの粘液だ!
ボクは空いていた瓶を取り出した。
今度は、すぐに大きな葉を探す。
一度やってみたおかげで、さっきよりは上手に瓶へ移すことができた。
蓋を閉め、魔石も拾う。
小さな袋の中へ並べてみると、ちゃんと五つあった。
粘液の瓶は二つ。
受付で聞いた値段を思い出し、ボクは指を折って数えてみた。
「魔石が五つで銅貨一枚。粘液が二つで銅貨四枚だから……」
合わせて、銅貨五枚!
「……やったあ!」
思わず声が出てしまった。
これで、あのスターターパックが買える!
嬉しくなって袋を握りしめた途端、指の付け根がひりりとした。
「いたた……」
慌てて力を抜く。
少し離れた草の間にも、スライムらしいものが見えた。
もう一匹くらい、と考えてから、ボクは自分の手を見下ろす。
今、慌てて短剣を振っても、上手く当てられない気がした。
「……うん。今日は帰ろう!」
魔石の袋を結び、二つの瓶を布で包む。
肩へ掛け直すと、瓶の中身がゆっくり揺れた。
短剣を鞘へ収め、王都へ向かって歩き始める。
行きにはあんなに気になっていた腰の重さが、今は少し馴染んでいた。
それでも、歩くたびに腕がだるい。
ボクは袋を大切に抱えながら、王都の門を目指した。
*
ギルドへ戻り、買取の窓口に並ぶ。
順番を待つ間、ボクは肩の袋を抱え直した。
瓶は割れていないし、蓋もちゃんと閉まっている。
それでも、窓口へ出すまでは何となく落ち着かなかった。
「次の方、どうぞ」
「あ、はい! 買取をお願いします!」
小さな袋から魔石を出し、二つの瓶も並べる。
窓口の職員が、一つずつ確かめていった。
粘液の瓶を持ち上げたところで、ボクは思わず身を乗り出した。
「あの、それ……草とか、混ざっていませんか?」
「大丈夫ですよ。きれいに取れています」
「よかったあ……!」
ほっと息が漏れた。
魔石は拾えばよかったけれど、粘液を入れる時は、ずっと気になっていたんだ。
職員が中身を移して瓶を返し、手元で代金を数える。
「魔石が五つに、粘液が二つ。合わせて銅貨五枚です」
「五枚……!」
窓口へ置かれた銅貨を見つめる。
一枚ずつ、指先で手元へ寄せた。
一、二、三、四、五。
本当に、五枚ある!
「ありがとうございます!」
受け取った銅貨を、掌に載せる。
露店で何度も見ていたものと同じなのに、今日は少し違って見えた。
ボクが歩いて、魔物を探して、自分の短剣で倒して手に入れたお金だ。
後ろに人が待っていることを思い出し、慌てて窓口を離れる。
少し脇へ寄ってから、銅貨を袋へしまった。
その上から、そっと押さえる。
「……買えるんだ」
初回限定初心者応援スターターパック。
昨日は眺めるだけだった品物を、今度は買える。
早く帰って、試してみたい!
そう思って歩き出したところで、ふと母さんの顔が浮かんだ。
この五枚を見たら、何て言うだろう。
ボクは少し考えて、それから笑った。
「……先に、見てもらおうかな」
買ってしまったら、銅貨はなくなってしまう。
せっかくだから、母さんにも今日の稼ぎを見てもらいたかった。
*
家へ戻ると、ボクはまず革鎧を脱いだ。
肩が軽くなって、思わず大きく息をつく。
短剣の刃には、ところどころ土が残っていた。
布で丁寧に拭ってから、鞘へ収める。
明日も使うかもしれないんだから、ちゃんときれいにしておかないと。
空き瓶を洗い、残っていた水を飲む。
手を洗っていると、指の赤くなったところが少ししみた。
それから食卓の椅子へ座ったところで、ようやく足まで疲れていることに気がついた。
「……よく歩いたなあ」
伸ばした足を眺める。
靴は昨日よりも土だらけだった。
でも、まだ穴は開いていない。
今日一日、ちゃんと頑張ってくれたらしい。
母さんが帰ってきた時、ボクは食卓に銅貨を並べて待っていた。
「ただいま。レイン、帰っていたのね」
「おかえり、母さん!」
「どうだった? 怪我はしていない?」
「大丈夫だよ。手が少し赤くなったくらいで……それより、見て!」
ボクが食卓を指さすと、母さんの目が銅貨へ向いた。
仕事の荷物を下ろし、椅子の横へやってくる。
「これ、今日のお金?」
「うん! スライムの素材を買い取ってもらったんだ」
「まあ……!」
母さんは五枚の銅貨を見つめ、それからボクへ顔を向けた。
「よく頑張ったわね、レイン」
そう言われると、急に照れくさくなった。
さっきまで、帰ってきたらすぐ見せようと思っていたのに。
「最初は、剣を外しちゃったんだけどね」
「あら」
「地面に刺さっちゃって。でも、その次はちゃんと当たったよ!」
母さんに手を見せながら、草原であったことを話す。
スライムが思っていたより速かったこと。
粘液を瓶へ入れるのに苦労したこと。
それから、アルミラージを見かけたことも。
聞いているうちに、母さんの眉が少し下がった。
「……怖くなかった?」
「ちょっとだけ。でも、ちゃんと離れたから大丈夫だよ」
「そう。無理をしなかったのね」
「うん!」
そう答えると、母さんは安心したように微笑んだ。
「それならよかったわ。でも、今日は疲れたでしょう?」
「うん。思っていたより、ずっと歩いた」
「夕ご飯を食べたら、ゆっくり休むのよ」
「分かってるよ!」
頷いてから、ボクは銅貨へ目を戻した。
「それでね。朝に話したスキル、覚えてる?」
「ええ。『こうしきすとあ』だったわね」
「うん! 実はね、銅貨五枚で買えるものがあるんだ」
「あら、ちょうど今日稼いだお金ね」
「そうなんだ! だから、買ってみようと思って」
母さんは少し考えてから、ボクの隣へ椅子を引いた。
「私も見ていていいかしら?」
「もちろん!」
ボクは銅貨を手元へ寄せ、スキルを呼び出した。
「『こうしきすとあ』!」
目の前に半透明の板が現れる。
「まあ……!」
母さんが驚いた声を上げた。
「これがレインのスキルなの?」
「うん! この中に、いろんな商品があるんだよ!」
ボクは昨日見つけたスターターパックを選び、購入画面を開いた。
____________________
初回限定初心者応援スターターパック
価格:銅貨五枚
購入しますか?
はい / いいえ
____________________
「……よしっ!」
ボクは食卓の銅貨を見下ろした。
朝には、一枚も持っていなかったお金。
今日、初めて魔物を倒して手に入れた、ボクのお金だ。
少しだけ名残惜しい気もしたけれど、それ以上に、早く商品を手に取ってみたかった。
ボクは『はい』の文字へ触れた。
すると、食卓に並べた五枚の銅貨が淡く光り始める。
「……あっ!」
次の瞬間、銅貨が消えてしまった。
代わりに、食卓の上へ光が集まっていく。
ボクは思わず手を引いた。
母さんも驚いたように目を丸くしている。
やがて光が収まると、そこには、いくつもの品物が並んでいた。
鉄剣と、革当てと、靴。
その横には指輪と、小さなポーチもある。
回復薬と魔力回復薬の瓶は、それぞれ五本ずつ。
昨日、何度も画面で眺めた品物だ。
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お買い上げありがとうございます!
____________________
「……本当に、買えた!」
そっと鉄剣へ手を伸ばす。
指先が柄に触れた。
画面で見ていた品物が、今は目の前にある。
「まあ……本当に不思議なお店ねえ」
隣で母さんが呟いた。
ボクも大きく頷き、今度は靴を手に取る。
軽い!
今履いている靴とは、随分違う気がする。
それから指輪とポーチへ目を移した。
どれから試そうか、迷ってしまう。
「……ねえ、母さん。夕ご飯の前に、少しだけ見てもいい?」
「ええ。でも、あまり遅くならないようにね」
「うん! すぐに片付けるよ!」
そう答えてから、もう一度食卓の上を見回した。
……すぐ、は少し難しいかもしれない。
母さんもそう思ったのか、ボクの顔を見てくすりと笑った。
ボクは照れ笑いを返し、疾風の鉄剣をそっと持ち上げる。
父さんの短剣とは、重さも握り心地も少し違う。
明日、これを持って草原へ行くのが楽しみだ。
「母さん。ご飯の時、もう少し今日の話をしてもいい?」
「もちろんよ。ゆっくり聞かせてちょうだい」
「うん!」
ボクは笑って頷いた。
草原では、もう腕が重たくて仕方がなかったのに。
今は、明日の朝が少し待ち遠しかった。




