第14話 帰ろう、セリナ
振り下ろされる棍棒の横へ、ボクは身体を滑り込ませた。
すぐに剣を振りたくなる。
でも、さっきはそこで反撃された。
ホブゴブリンの腕が動く。
地面を叩いた棍棒が持ち上がり、今度は横から迫ってきた。
「っ……!」
身を低くして避ける。
頭のすぐ上を棍棒が通り過ぎたところで、踏み込んだ。
狙うのは、さっき傷をつけた脚だ。
「やあっ!」
両手で握った剣を振り抜く。
今度は、手に確かな重みが伝わった。
ホブゴブリンの膝が折れる。
けれど、倒れない。
地面へ片手をつき、残った手で棍棒を振り回してきた。
「うわっ!」
後ろへ跳ぶと、靴の先を棍棒がかすめた。
危なかった……!
大きく息を吸い、剣を構え直す。
ホブゴブリンも、すぐには立ち上がらなかった。
傷ついた脚をかばい、棍棒を地面へ突いている。
ここで、立たせちゃ駄目だ。
ボクはもう一度、地面を蹴った。
相手が顔を上げる。
棍棒を持ち上げようとした腕の外側へ回り、両手で剣を振り下ろした。
刃が肩口へ深く入る。
「グオオオッ!」
ホブゴブリンが大きく吠え、腕を伸ばしてきた。
剣を引き抜き、その手を避ける。
そして、もう一度。
「これで……!」
横から振り抜いた剣が、首元へ届いた。
ホブゴブリンの身体が、ぐらりと傾く。
ボクは慌てて離れ、剣を構えたまま様子を窺った。
大きな身体が地面へ倒れ、土埃が舞い上がる。
棍棒が手から離れた。
……動かない。
それでも、まだ近づけなかった。
しばらく見つめていると、やがてホブゴブリンの身体が光の粒となって消えていった。
あとには、いくつかの素材が残されている。
「……倒せた」
ようやく剣を下ろした。
何度も攻撃を受けそうになったし、ダンを助けたときには左腕まで怪我をした。
回復薬がなかったら、どうなっていたんだろう。
……考えるのはやめよう。
ボクはポーチを開き、まずは倒した魔物の素材を集めることにした。
ゴブリンが五体。
地面に落ちている魔石(小)を拾い、ポーチへしまっていく。
ほかにも、鋭い爪や牙が残されていた。
確か、どちらも武器の素材になるんだったよね。
爪が二個に、牙が三個。
すべて拾い終えたところで、ホブゴブリンの素材へ向かった。
「……大きいな」
魔石はゴブリンのものよりもずっと大きく、色も少し濃かった。
隣には、大きな牙も落ちている。
持ち上げてみると、表面がわずかに青みを帯びていた。
先端も鋭く、うっかり触ったら怪我をしそうだ。
こんな牙で噛まれなくてよかった。
ボクは牙と皮もポーチへしまい、剣を鞘へ戻した。
「……ふぅ」
近くの岩へ腰を下ろすと、途端に身体が重く感じられた。
やっぱり、ゴブリンやホブゴブリンとの戦いは、思っていた以上に堪えていたみたいだ。
少し休んでから帰ろう。
「レイン!」
岩陰から、セリナが駆け寄ってきた。
ボクの前へ膝をつき、心配そうに顔を覗き込む。
「大丈夫? また怪我したの?」
「ううん。ちょっと、疲れちゃって……」
息を整えながら答える。
セリナはボクの腕を見て、それから胸元へ手を当てた。
「……よかった」
肩が小さく揺れた。
ボクが顔を見ると、セリナは俯いてしまった。
赤い髪の間から、涙が一滴落ちる。
「セリナ……」
「怖かった……。もう、帰れないかと思った……」
声が途中で途切れた。
ボクは少し迷ってから、そっと背中へ手を添えた。
「もう大丈夫だよ。帰ろう、セリナ」
「……うん」
「ルーカスさんも、待ってるよ」
セリナは何度か頷き、目元を拭った。
顔を上げたところで、ボクと目が合う。
「ありがとう、レイン。助けに来てくれて」
「間に合って、よかった」
そう答えると、セリナはボクを見つめたまま、また唇を結んだ。
「……どうしたの?」
「ううん。何でもない」
今度は、少しだけ横を向いてしまう。
けれど、ボクの袖をつかんだ手は離れなかった。
*
しばらく休んでいると、ようやく身体の重さが和らいできた。
セリナも落ち着いたようなので、一緒に立ち上がる。
「セリナ、歩けそう?」
「ええ。もう大丈夫よ」
「それなら、帰ろうか」
そう声を掛けたところで、木々の向こうから声が聞こえてきた。
「誰かいるか!」
ボクたちは顔を見合わせた。
「ここです!」
返事をすると、何人もの足音が近づいてくる。
現れたのは、武器を持った冒険者たちだった。
先頭の人がボクたちを見るなり、足を速めた。
「君がレインか? そちらは、セリナさんだな?」
「はい」
「ギルドから救助に来た。二人とも無事か?」
「はい。大丈夫です」
「そうか、よかった。魔物はどこだ?」
「もう倒しました。ゴブリンが五体と、ホブゴブリンが一体です」
「……倒した?」
「はい」
冒険者さんが周囲を見回した。
砕けた岩と、掘り返された地面。
それから、ボクの破れた袖へ目を向ける。
「その腕は?」
「戦っているときに怪我をしたんです。でも、回復薬を飲んだので、もう大丈夫です」
「そうか。だが、無理はするなよ」
「はい」
冒険者さんは頷くと、ほかの人たちへ声を掛けた。
「周囲の安全を確認してくれ。二人を連れて帰るぞ」
「了解!」
何人かが周囲を調べ始める。
ボクは、その様子を見ながら小さく息を吐いた。
これで、もう安心かな。
「それじゃあ、戻ろうか」
「はい。よろしくお願いします」
ボクがお礼を言うと、冒険者さんは軽く頷いた。
セリナも立ち上がり、ボクの隣へやってくる。
ようやく、王都へ帰れるんだ。
*
帰り道。
ボクたちは冒険者さんたちに付き添われながら、森の中を歩いていた。
途中で、セリナが落としていた背負い籠も見つかった。
「あっ、私の籠!」
「よかったね、セリナ」
「ええ。ありがとう」
籠を背負い直したセリナが、ボクの隣へ戻ってくる。
そして、さっきよりも近くを歩き始めた。
「セリナ、歩きにくくない?」
「……別に平気よ」
「疲れたら、つかまっててもいいからね」
「……じゃあ、少しだけ」
セリナが、ボクの腕へそっと手を添えた。
まだ、少し怖いのかもしれない。
ボクは歩く速さを落とし、足元に気をつけながら進んだ。
その途中、冒険者さんから声を掛けられた。
「そういえば、ほかに誰か来なかったか? 少年がもう一人、森へ向かったらしいんだが」
「あっ、ダンのことですか?」
「ダン?」
「はい。途中で来たんですけど、魔物に襲われて……。ボクが助けたあと、あっちへ逃げていきました」
ボクが指差すと、冒険者さんは眉をひそめた。
「そうか。分かった」
ほかの冒険者さんたちと短く相談し、そのうちの数人が森の奥へ向かっていった。
ダンも、無事に帰れるといいんだけど。
あのとき、かなり怖がっていたし……。
そんなことを考えていると、セリナがボクの腕をきゅっとつかんだ。
「……レイン」
「ん?」
「あなた、本当にお人好しね」
「……そうかな?」
「そうよ」
セリナはそれきり黙ってしまった。
何か言いたそうだったけれど、ボクからは聞かなかった。
やがて木々が途切れ、目の前に草原が広がった。
遠くには、王都の防壁が見えている。
セリナも足を止め、大きく息を吐いた。
「……帰ってこられた」
「うん」
ボクも王都を見つめる。
早く帰って、母さんに会いたい。
そう思いながら、セリナと一緒に歩き出した。
*
冒険者ギルドへ戻ると、扉を開けた途端に声が響いた。
「セリナ……!」
「お父さん!」
受付の前にいたルーカスさんが、こちらへ駆け寄ってきた。
セリナもボクの腕から手を離し、お父さんのもとへ走る。
「セリナ! ああ、よかった……!」
ルーカスさんが、セリナを強く抱き締めた。
「お父さん……!」
「怪我は? どこか痛いところはないか?」
「大丈夫よ。レインが助けてくれたの」
「そうか……そうか……!」
ルーカスさんの眼鏡の下から、涙がこぼれていた。
セリナもお父さんの服をつかみ、顔を埋めている。
……よかった。
二人の姿を見て、ようやく肩の力が抜けた。
そのときだった。
「レイン!」
「……え?」
聞き慣れた声に振り返る。
「母さん!?」
そこには、母さんがいた。
ボクを見つけるなり駆け寄ってきて、そのまま抱き締められる。
「レイン……!」
「母さん……」
いつもよりずっと強くて、少し苦しい。
けれど、ボクも母さんの背中へ腕を回した。
「……ただいま、母さん」
「……おかえりなさい」
母さんは、しばらく離れなかった。
ようやく身体を離すと、今度はボクの顔や腕を確かめ始める。
「怪我は? どこか痛いところはない?」
「大丈夫だよ。怪我はしたけど、もう治ってるから」
そう答えたところで、母さんの視線が左腕で止まった。
「……レイン。この血は?」
「あっ……」
そうだった。
袖が破れたままだったんだ。
「戦っているときに怪我をしたんだ。でも、回復薬を飲んだから、もう大丈夫だよ」
袖を持ち上げて見せると、母さんがそっと腕に触れた。
その指先が、小さく震えている。
「……母さん?」
「……本当に、無事でよかった」
母さんが、もう一度ボクを抱き締めた。
……心配をかけちゃったんだ。
「ごめんね、母さん……」
ボクも、そっと抱き締め返した。
そこへ、ルーカスさんがセリナと一緒にやってきた。
「レインくん……!」
「あっ、ルーカスさん」
ルーカスさんはボクの手を両手で握った。
「娘を助けてくれて、本当にありがとう……!」
「いえ、そんな……」
「君が来てくれなかったら、セリナはどうなっていたか……」
ルーカスさんの目から、また涙がこぼれる。
「君まで帰ってこなかったらと思うと、私は……」
「ルーカスさん。ボク、ちゃんと帰ってきましたから」
「……ああ。ありがとう。本当に、ありがとう」
何度も頭を下げるルーカスさんに、ボクも頭を下げた。
その隣で、セリナがボクを見つめていた。
「レイン」
「ん?」
「……また、お店に来てね」
「うん。もちろん」
「それと……今日はちゃんと休むのよ?」
「セリナもね」
「……分かってるわよ」
そう言って、セリナは小さく笑った。
*
そのあと、ボクは母さんと一緒にギルドの奥へ案内された。
部屋の中には、セシリアさんと、ギルドマスターのゼストさんが待っていた。
救助に来てくれた冒険者さんから紹介された人だ。
ボクは椅子に座り、森であったことを最初から話した。
セリナを見つけたこと。ゴブリンたちを倒したこと。そして、ホブゴブリンとの戦い。
途中でダンが来たことも、隠さずに伝えた。
話を終えると、ゼストさんが静かに頷いた。
「レインくん。まずは、セリナさんを助けてくれてありがとう」
「いえ……」
「君のおかげで、彼女は無事に戻ってこられた。それについては、礼を言わせてほしい」
「……はい」
けれど、ゼストさんはすぐに真剣な表情になった。
「ただし、一人で森へ向かったことについては、注意しなければならない」
「……はい」
「今回は二人とも無事だった。だが、君まで動けなくなっていたら、どうなっていたと思う?」
「…………」
ホブゴブリンの棍棒を思い出した。
ダンを助けたとき、左腕に受けた衝撃。
あれが、もう少しまともに当たっていたら……。
「……ごめんなさい」
ボクが頭を下げると、今度はセシリアさんが口を開いた。
「レインくん。私が呼び止めた声は聞こえていましたよね?」
「……はい」
「どうして、止まってくれなかったんですか?」
「それは……」
ボクは膝の上で両手を握った。
「セリナが連れていかれたって聞いて……早く助けに行かないとって、そればかり考えて……」
「……そうですか」
セシリアさんが、小さく息を吐いた。
「レインくんの気持ちは分かります。でも、だからこそ、ちゃんと相談してほしかったんです」
「……はい」
「救助に向かう人を探すこともできますし、一緒に行く方法だって考えられます。何も言わずに飛び出してしまったら、それもできませんから」
「……ごめんなさい」
そのとき、隣に座っていた母さんが、ボクの手を握った。
「……レイン」
「母さん……?」
「ギルドの人が知らせに来てくれたとき、本当に驚いたのよ」
母さんが、少しだけ俯く。
「急いでここへ来たけれど、あなたはもう森へ行ってしまっていて……」
「…………」
「扉が開くたびに、レインが帰ってきたんじゃないかって……ずっと見ていたわ」
母さんの目が赤くなっていた。
「セリナちゃんを助けたいって気持ちは、とても立派だと思う。でもね……」
握られた手に、少しだけ力がこもる。
「あなたも、母さんの大切な息子なのよ」
「……母さん」
「自分のことも、大切にしてちょうだい」
ボクは、母さんの手を握り返した。
「……うん」
そして、しっかり頷く。
「もう、黙って飛び出したりしない。ちゃんと相談するよ」
「……約束よ?」
「うん。約束する」
母さんが、ようやく少し笑ってくれた。
ゼストさんも頷く。
「分かってくれたならいい。今日はもう帰って、ゆっくり休みなさい」
「はい」
ボクは立ち上がり、セシリアさんとゼストさんへ頭を下げた。
*
受付へ戻ると、セシリアさんが素材の買い取りをしてくれた。
まずは草原で集めたスライムやアルミラージの素材。
それから、森で倒したゴブリンの素材を並べる。
「ゴブリンの魔石が五個、爪が二個、牙が三個ですね」
「はい」
「魔石(小)は一個銅貨一枚ですので、五個で銅貨五枚。爪は一個銅貨三枚、牙は一個銅貨二枚になります」
セシリアさんが手際よく計算していく。
「ゴブリンの素材は、全部で銀貨一枚と銅貨七枚ですね」
「ありがとうございます」
五体倒して、銀貨一枚と銅貨七枚。
森の魔物は、草原のスライムよりも素材の買取価格が高いみたいだ。
けれど、今日の戦いを思い出すと、簡単に稼げるとは思えなかった。
「それから、こちらがホブゴブリンの素材です」
ボクはポーチから魔石と牙、皮を取り出した。
「あら……ずいぶん立派ですね」
セシリアさんが、大きな牙を手に取った。
「魔石も、少し色が濃いですね」
「そうなんです。拾ったとき、少し変わっているなと思いました」
「そうですか。では、確認しますね」
セシリアさんが素材を一つずつ調べていく。
「魔石(中)が銅貨五枚。ホブゴブリンの牙が大銀貨二枚、皮が大銀貨四枚ですね」
「そんなにするんですか?」
「ええ。ホブゴブリンの牙や皮は、武具の素材として需要がありますから」
「そうなんですね……」
牙と皮だけで、大銀貨六枚。
かなりの金額だ。
でも、あんなに怖い思いをするなら、もう一度戦いたいとは思わなかった。
ほかの素材も買い取ってもらい、代金を受け取る。
「ありがとうございました」
「こちらこそ。レインくん、今日は本当にお疲れさまでした」
セシリアさんが、優しく微笑んだ。
「ゆっくり休んでくださいね」
「はい」
母さんと一緒にギルドを出る。
外では、通りの魔石ランプが灯り始めていた。
「母さん、帰ろう」
「ええ。帰りましょう」
ボクは母さんの隣を歩きながら、ようやく大きく息を吐いた。
今日は、本当にいろいろあった。
*
家へ帰ると、まずは汚れた服を着替えた。
破れた袖を見ると、さっきの戦いを思い出してしまう。
あの棍棒が、あと少し違うところに当たっていたら……。
ボクは小さく首を振り、服を畳んだ。
それを持って居間へ戻ると、母さんがソファーに座っていた。
「母さん、これ……」
「あら。ずいぶん破れちゃったわね」
母さんは服を受け取り、破れたところを確かめた。
ボクも、その隣へ腰を下ろす。
「……母さん」
「なあに?」
「やっぱり森は強い魔物がいるから、もっと強くなるまで森に行くのはやめるよ、母さん」
そう伝えると、母さんがボクを見つめた。
そして、ほっとしたように微笑む。
「ええ。そうしてちょうだい」
「うん」
母さんが、ボクの髪を優しく撫でてくれた。
ギルドではたくさん心配をかけてしまったけれど、こうして一緒に家へ帰ってこられた。
それが、何より嬉しかった。
「セリナちゃんも、今頃はお母さんに会えているかしら?」
「うん。きっと」
ルーカスさんに抱き締められていたセリナを思い出す。
エリナさんも、きっと心配しているだろうな。
明日は、家でゆっくり休めるといいんだけど。
「……ふわぁ」
思わずあくびが出た。
「あら、眠いの?」
「……少しだけ」
「ふふっ。夕飯まで、ここで休んでいていいわよ」
「ありがとう、母さん」
ボクはソファーの背もたれへ身体を預けた。
母さんが台所へ向かう足音が聞こえる。
目を閉じると、今日の疲れが一気に押し寄せてきた。
そのまま、ボクはゆっくりと眠りに落ちていった。
*
一方、その頃。
冒険者ギルドでは、セシリアが買い取った素材を整理していた。
「……あら?」
ホブゴブリンの牙を手に取り、首を傾げる。
先ほどは通常のホブゴブリンとして買い取ったが、改めて見ると気になる点があった。
別の冒険者が持ち込んだ牙と並べてみる。
明らかに大きさが違う。
それに、表面がわずかに青みを帯びていた。
「……やっぱり、少しおかしいわね」
魔石も確認する。
こちらも、通常のものより色が濃い。
セシリアは素材をまとめ、ゼストのもとへ向かった。
「ギルドマスター」
「どうした?」
「レインくんが持ち込んだホブゴブリンの素材なのですが、少し気になることがありまして」
「ほう?」
ゼストが牙を受け取った。
その瞬間、表情が変わる。
「……これは」
「やはり、普通のホブゴブリンとは違いますよね?」
「ああ。魔石も見せてくれ」
「はい」
セシリアが魔石と皮も差し出す。
ゼストはしばらく黙って眺めていたが、やがて口を開いた。
「……上位鑑定に回そう」
「分かりました」
セシリアはすぐに手続きを進めた。
そして、しばらくして。
届いた鑑定結果を確認したゼストが、目を見開いた。
「……まさか」
「ギルドマスター?」
ゼストは、もう一度鑑定結果へ目を落とす。
「蒼魔石(中)……。牙と皮も、間違いない」
「……何の素材だったんですか?」
セシリアが尋ねる。
ゼストは顔を上げ、低い声で答えた。
「ホブゴブリン・エースだ」
「……エース?」
「ああ。通常のホブゴブリンとは比べものにならない強さを持つ、Bランクの変異種だ」
「…………え?」
セシリアが言葉を失った。
Bランク。
それは、Eランクの新人冒険者が一人で相手にするような魔物ではない。
「そ、そんな魔物が、あの森に……?」
「護衛の冒険者たちが押し切られた理由も、これで分かったな」
ゼストが険しい表情で頷く。
その声を聞いた周囲の職員たちも、次々に顔を上げた。
「Bランクの魔物が出たんですか!?」
「ホブゴブリン・エースって……あの変異種ですか!?」
「そんなの、普通の護衛依頼で遭遇する魔物じゃ……!」
ギルドの奥が、にわかに騒がしくなった。
けれど、セシリアの頭に浮かんでいたのは、つい先ほどまで受付にいた少年の姿だった。
破れた袖。
母親の隣で、申し訳なさそうに頭を下げていたレイン。
そして、素材を並べていたときの、穏やかな表情。
「……ギルドマスター」
「なんだ?」
「そのホブゴブリン・エースを……レインくんが、一人で倒したんですよね?」
「…………」
ゼストはすぐには答えなかった。
ただ、机の上に置かれた大きな牙を見つめている。
やがて、ゆっくりと口を開いた。
「……森の警戒を強める必要があるな。それと、買い取り額も訂正しておけ」
「……はい」
セシリアは、改めて鑑定結果へ目を落とした。
蒼魔石(中)が金貨三枚。
ホブゴブリン・エースの牙が金貨四枚、皮が金貨六枚。
「……金貨十三枚」
思わず、声が漏れた。
通常のホブゴブリンとして買い取った金額とは、あまりにも違う。
「ギルドマスター、これは……」
「ああ。差額は後日、本人へ支払う必要があるな」
「分かりました。私から説明して、謝罪します」
セシリアが頷くと、ゼストは再び机の上の牙へ目を向けた。
「それにしても……」
ゼストが小さく呟く。
「Eランクの少年が、Bランクの変異種を討伐したのか……」
セシリアは、帳簿を開き直した。
通常のホブゴブリンとして記入したばかりの欄。
そこへ、もう一度目を落とす。
「……レインくん」
思わず、小さく名前を呟いた。
その事実に気づいた職員たちの間で、驚きの声が広がっていく。
そしてギルドの奥では、森の警戒を強めるため、慌ただしく職員たちが動き始めていた。




