好き好き大好き②
――久しぶりに訪れた旅館は、あの頃のままだった。
柱についた傷さえも…。
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
およそ二十年前。彼と泊まった旅館で迎えた夜のことだった。
その晩は不快な寝苦しさを感じ、なかなか寝つけなかった。
短く浅い眠りと覚醒を繰り返し、枕元の時計で2:00を確認すると、明日に備えて眠らなければとますます焦って眠れなくなった。
(この部屋何だか空気が重い気がする)
彼はお構いなしに隣の布団ですやすやと寝息を立てている。
もう一度眠ろうと試み、目を閉じようとしたらフロントからの電話が鳴った。
「こんな時間に何だろう…」
恐る恐る受話器を取る。
「……はい…何ですか?」
受話器からは、一瞬の静寂の後に聞こえた女性の金切り声をかき消すように、屋内とは思えない吹き荒ぶ風の音が聞こえた。
ザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザザ
荒涼とした大地を思わせる風の音だった。
慌てて電話を切り放心していると、いつの間にか起きた彼が私の隣に座っていた。
彼に今の出来事を説明しようとしたら、今度はバッグの中の私の携帯電話が鳴った。
着信画面に表示された電話の主は私の後輩だった。
さっきの事があったばかりなので電話に出るのは躊躇いがあった。
電話の主は本人なのだろうか。本人だったとしてもこんな時間に何で…。
逡巡していると、電話に出るよう彼に促された。
今は彼も起きているという多少の安心感がある。
通話ボタンを押すと後輩の声が聞こえてきた。
後輩なのは確かだが、その声色にはいつもより怯えと不安が含まれているように感じられた。
「どうしたの?こんな時間に…」
「先輩、大丈夫ですか?どうしたんですか?」
何だか話が噛み合わない。
詳しく訊いてみると、後輩がこんな時間に電話を掛けて来た理由というのが「さっき私から電話があったから」だった。
数分前に後輩の携帯に私からの着信があり、後輩が「先輩に何か大変なことがあったのかな」と思って電話に出ると、妙に明るい声の私がよく分からない事を喋っていたのだと言う。
「今日はとてモいい天気でしたかもね。それではそちらはどうですか?どこでらっしゃってますか?明日のアトは困ってキましたから、あなたはシんでおかしですか。それとも曲がって終わリですよとも」
私がそのような意味不明な事を言って、笑いながら電話を切った。
そんな呂律の回ってないような支離滅裂な内容だったので、「もしや脳の病気の症状なのでは」と心配して掛け直してくれて今に至る…らしい。
当然、私は後輩に電話などしていない。
おそらくその時間は、私がフロントからの電話に出ていたときだ。
私は後輩を心配させないように、また後で電話するとお礼を言って電話を切った。
恐怖で小刻みに震える私の手を、彼は携帯ごと両手で包んでくれた。
「こんな時間に着信があるなんて、浮気してるのかって疑うところだったよ」と、彼は軽口で私を和ませてくれようとした。
私も笑ったその時、三度…電話が鳴った。
今度は彼の携帯電話だった。
彼と私は顔を見合わせた。
彼の顔がどんどん青ざめていく。
「ねぇ、電話…出てみなよ…」
彼は頑なに電話に出ようとしなかった。
「ねぇ、何で出ないのよ」
++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++++
「――ほら見て。これがその時ママがパパのケータイを投げつけて出来た柱のキズよ」
「ふぅん」




