016 陰陽の姫と桜の国
桜の国。とても小さな西の端の島国は、都を中心とした貴族の社会、貿易港を中心とした商人の社会、西の端の大都市を中心とした武家の社会の3つで構成されていた。
その内の貴族の社会の中心地、山の都と称されるその場所、中枢部にある朝廷へ向かう一団の中に彼は居た。
「朝も早くにご苦労な事です」
玲鵬柑。桜の国風に改めて天鼓柑夜。彼は認識阻害と空き枠を利用し陰陽寮の中、各博士の元で担当を治める陰陽生の地位に1ケ月前に納まった。いわゆる陰陽師を目指す学生たちの中、柑は事前知識も使い付いて行っていた。
「柑夜」
「あぁ、楓音、篠江も」
「おはよ」
同じ陰陽寮の陰陽学生の身分にある白雪楓音と雪風篠江。桜の国の貴族達の名字に置いて『雪』の字が入っているかどうかで出世の道が決まる。だがそんな『雪』の字を持つ2人が選んだのは占いや暦、時刻を主る陰陽寮。若干変わり者なのだと柑夜として笑う。
「今日も仕事して、勉強しましょうかね」
「あぁ。そうだな」
「程々にな。お前等占いの事で夕方まで議論して博士様に怒られたろ」
「うっ」
「ぐっ……あ、あれは仕方が無いと言いますか……中々に議論の余地のある宿題を出した博士様が悪いと言いますか」
陰陽寮に入り、様々な書物を紐解き占いや呪術に付いて研鑽していく。1人でやっているのがもったいないなと思うほど、柑は楽しんでいた。
太鼓が鳴る。正午、仕事終わりである。陰陽寮の時刻はとても正確で、日の長さにまで対応しているので柑は最初内心で驚いていた。
「柑夜。今日はどうするんだ?」
「今日は家に帰ります」
「そっか。俺等市に寄るから。じゃあまた明日」
「はい、また明日」
楓音と篠江を見送る柑。この2人のどちらかが、目的の人、陰陽の力を行使する姫君の、はずだった。
最初に彼らに接触したその後の事となる。異常事態に通信を立ち上げれば深皇は縮こまり謝り倒した。
「えっ」
『はい、あの、本当にごめんなさい。陰陽の力が強すぎて、加えて常に2人一緒、家も隣の幼馴染だからわからなくなっちゃって……男装しているのは確かなのだろうけれども』
「まぁ、良いでしょう。どちらかはその強すぎる力を使って認識阻害しているはず。引っぺがしてやりますよ」
『程々に』
過激発言もあったが柑は冷静に2人を観察していた。そして人々の口端に乗る噂話も精査していく。そうすれば2人の関係性が見えてきた。
篠江の家と楓音の家は家が隣の幼馴染同士。家族ぐるみで仲が良く、妹姫同士も仲が良かった。だが1年前、楓音の妹姫が南の別邸付近で行方知れずとなる。悲しんだ篠江の妹姫は臥せっていて、楓音の家は今も妹姫を探し続けている。
妹姫の生死はこの際柑には関係ない。問題なのは居なくなった妹姫と臥せっている妹姫の存在。どちらかが兄のどちらかに成り代わっていたとしてもおかしくはなかった。
てこてこと歩き、家に帰り着く。家は妖が出ると噂になり空き家になっていた小さな邸宅を物理的にすべて綺麗にし、認識阻害も兼ねて使わせてもらっていた。
「……くじで負けなければよかった……疲れます」
今頃商人の町で任務に当たっている相棒を思い、とりあえず寝ようと出勤着から普段着へ着替え、眠りにつく柑。本番は、夜からだった。
桜の国の都には妖が出る。陰陽寮の陰陽師以上の位の者は日々警邏を続け、呪術を使い妖を討伐していく。それ以外、お役所仕事の陰陽師以外にも野良陰陽師のような存在は居た。公然の秘密のその存在達も日々妖と戦っていく。
そんな野良陰陽師の一員が楓音と篠江だった。2人で組んで約1年。実力は野良の中では中堅に入っていた。
「篠江っ」
「はいよっと」
妖を術で倒す。綺麗になった路地を見て楓音は息を吐いた。そろそろもう少し大物をと考えていると篠江が覗き込んできた。
「楓音、噂知ってるか?」
「噂?」
「最近悪鬼羅刹の如く強い野良陰陽師が現れたんだってさ」
「まさか。あの笠井治永様が野良陰陽師になったんじゃないだろうな?」
「いやソレは無い。でも居るって噂だ。陰陽寮の方々でも避ける鬼門の道を掃除したとかしないとか」
「……鬼門って、笠井様の邸宅がある辺りじゃないか。単純に治永様が掃除しただけじゃないのか?」
「ん~それでこんなに噂になるか?」
「まぁ、それは確かに」
悩みながらも楓音と篠江は家に向かう。その2人の背を、追う黒い影。隠ぺい能力が高い妖がそっと2人を追おうとした。
「誰が悪鬼羅刹ですか、失礼な」
ザクリと、妖は一撃で消し去られる。本当に何も居なくなった路地、そこに立っているのは柑だった。もちろん、鬼門付近に居た妖、鬼、百鬼夜行を鬼門の舘の主の依頼で駆逐したのは柑だった。舘の主は楽をしたかったと供述をしている。
「まったく。毎日こんな調子じゃキリがありませんよ」
別の路地に入り込む。そこに居たのは隠ぺい能力の高い妖達。柑を見て、立ち向かってきたのが、敵対の合図。
「レイならどうしますかねぇ……」
いつもの2刀ではなく太刀で斬り続ける。そして路地が1つ、綺麗になった。そこへ人がやってくる。
「治永殿」
「コレは柑夜殿。今日も艶やかな刀捌きで」
笠井治永。陰陽寮の重役では無いものの陰陽寮では有名人。一族は何人も陰陽師を輩出している。そんな彼は柑が降りてきた初日、鬼門の百鬼夜行掃除に来た柑を天の御使いと呼び、正式陰陽師、野良陰陽師の両者が手に負えない隠ぺい能力の高い妖達を倒してほしいと願い出た。もちろん柑は良い笑顔で是とし、日々刈り取り続けている。
「そう言えば、楓音殿と篠江殿の事を熱心にご覧になっていたようで」
「……治永殿は、彼らの事は」
「…………陰陽の力が強すぎますな。柑夜殿で無理ならば」
「そうですか……」
「天の御使い殿の目的は」
「えぇ、彼らのどちらかです」
「そうでしたか。日々の御礼を兼ねて私からも調べてみます」
「ありがとうございます」
現地協力人の力はありがたいと思いながら柑は帰宅の途につく。とりあえず眠らなければ朝の支度に間に合わないと、眠りについた。
好機が訪れたのは柑が朝廷に潜入して3ケ月が経ったころの事。楓音が物忌みと称して休んだ。もちろん物忌みの休みはよくある事だが、つまり篠江が1人になるという事。これ幸いと柑は篠江に話しかけに行った。
「篠江。今日楓音お休みだそうですね」
「物忌みでな。なんかここ1年ちょいずっと一緒だったから落ち着かない」
「そうですか」
柑は確信した。2人を包んでいたあのあふれ出る陰陽の力が篠江単品からは感じられないのだ。ならばと、柑は迷わず彼を情報源扱いにした。恨むなら公平にと深皇に作らせたくじを恨んでほしい。
「妹さん、長らく臥せっていると伺いましたが」
「あぁ。楓音の妹と仲良かったからな……」
「篠江さん?」
「柑夜になら話してもいいかな……楓音の妹、俺達の目の前で闇に攫われたんだ」
「闇……ですか」
「南の別邸に両親と兄妹揃って向かったんだ。そこで、闇に逢って……」
「そうでしたか」
闇、妖とは違うのか同じなのか、柑には分からない。わからないが、倒すべき存在ではあろう。
「柑夜、そう言えばこの前料紙買っていたけれどもどこかに文でも送るのか?」
「まさか、逆ですよ。文が来るのでお断りの返事をしている所です」
「……結構な量買ってたけど」
「また買いに行かねばならないという話です」
「さっすが……」
「篠江と楓音こそ、文は来るのでは?」
「文は来るけどお断り。楓音の許嫁は家の妹だし……俺は楓音の妹しか娶らないよ」
「おや、家同士のお約束ですか?」
「そ。でも、楓音も本気だし、俺もわりと真剣」
「……そうですか」
篠江は1人帰っていく。柑も予告通り市に行って紙と食材を買い家に帰り、情報を整理する。
まず、陰陽の力の強さからいって招かなければならないのは楓音の方。おそらく消えたという妹姫、それが本来の楓音の位置なのだろう。ならば楓音と言う存在は何か。コレは篠江が攫われたという記憶を持っている事から楓音の兄で篠江の幼馴染の青年なのだろう。つまり篠江の妹姫は親友の妹姫を失って臥せっているわけでは無く、許嫁の青年を失って臥せっていることになる。こちらの方がずっと自然だった。
「ん~……後は、楓音に接触する機会を作りませんと……」
手段は幾らでもある、手法も幾らでもある。だが、あの優しい最高神や本当は優しい相棒に怒られたくない。安全で正道な手段を取ることにする柑だった。
翌日、出仕した楓音、その机の上の書物の中に手紙を見つけ、開き、すぐに閉じた。用が済んだと言わんばかりに手紙は楓音の手の中から消える。
「楓音?」
「何でもない」
そして、夜。楓音は篠江を先に行かせ、自分は指定された小路へ入る。そこに合ったのは廃屋敷。その縁側に、彼は居た。
「こんばんは、楓音さん」
「柑夜……君か……どういうつもりだ?」
「コレは失礼……その、人2人覆る量を誇る陰陽の力が、気になってしまいまして」
「ふざけるなっ」
「こう見えて、ふざけていないのですよ」
投げ渡されたのは太刀。柑も太刀を履いていた。
「楓音、四半刻耐えきったのならば一旦は引きましょう……耐え切れなければ貴方が隠している一切合切喋って貰いますよ」
「……貴殿を、倒したのならば?」
「……出来るものならやってごらんなさい」
楓音が太刀で斬りかかる。だがそれはひらりと躱された。獲物に慣れていないとはいえ武芸は期待できない、そう判断する柑。攻勢を強める。しかし、楓音は粘った。慣れるまでと称して鍛え上げた柑の太刀筋は武家の社会でもやっていける技量。それに何とか食らいついていた。太刀でダメならば何か良い武器は無いかと考えながら戦い、そして太刀を叩き折った。
「なっ」
「……残念。四半刻丁度ですね。今回は一旦引きましょ……おや」
廃屋敷を妖が囲んでいる。一番大きい妖は百足に似た妖。あまりの大きさに楓音の足がすくんだ。だが、立ってはいた。腰を抜かすことなく、立ってはいた。
「……ま、合格点は差し上げられませんが不合格ではないのでご安心を」
トンっと柑が跳ぶ。百足に似た妖を切り刻み、他の妖も塵と化す。都の妖は柑の判断によるとそこまで強くない。天魔大戦の時の魔物の半分の硬さだという。そんな妖だからこそ、柑はサクサクと斬り進め、やがて廃屋敷の周りは綺麗になった。
「……君が、悪鬼羅刹の如く強い野良陰陽師だったのか」
「その悪鬼羅刹という冠詞、止めてほしいものです。宮仕え陰陽師の皆さんの間でも定着してしまいまして」
「この実力を見ればさもありなん、だな……どうしても、私達の事情に介入するというのか」
「えぇ、此方にも思惑があります。是が非でも、と言う奴でね」
「思惑?」
「……貴方を、概念的に、殺す事」
「っ」
アスディルの時は自ら自分の痕跡を消し上がってきた。柑自身の時はそもそも生きている人間が誰も居ない状況で上がってきた。人間界においては死する。天界に連れてくるという事はそう言う事だった。
「物理的にはやりませんので安心してください。貴方の意思で、この世から居なくなると、そう思った時が僕の本当の仕事です」
「……君は……死を司る……冥府の使者なのか?」
「まさか。そんな大層なモノになった記憶は……でもまぁ似たようなモノですかね」
思想大系が実際とは違うので何とも言えないが冥界と言う所は存在している。魔王だった秋央が冥王の座に就いて早10年。そこに連れて行くわけでは無いが、天界も冥府もあまり変わりないだろうと思った。そんな大雑把な思考をしている柑をよそに、楓音は考える。冥府に行く、自分の意思で。そんなことを、今、やれるわけがなかった。
「……今は、そんなことは考えられない」
「でしょうね。では、約束ですので僕はこれにて。篠江さんを認識阻害で待たせるのも疲れるでしょう?」
「そこも見破るとはな……君は、何者なんだ」
「天鼓柑夜。今はそれだけです」
にこりと笑うと柑は闇夜に消える。楓音は一息つくと柑の指摘通り認識阻害で待たせている篠江の元に向かっていった。
ある日の夜。柑はいつもの通り綺麗にした路地で治永の報告を受けていた。柑は優雅に塀の上、治永は自分が乗ってきた牛車の天井部分に乗っての会議だった。
「えっでは仕組みはわかりませんがその妹姫改めお兄さん、御存命なのですか?」
「貴族が多く別荘を作る南の別邸街には鬼が出ますからな。式で調査いたしましたが間違いありません」
「……ならば早い方が良いですよね……そうしたら手段選ばない方が良いかなぁ……後で怒られても」
「ほほっ柑夜様を怒るとは。豪胆な御仁も居たものですな」
「えぇ。唯一無二の相棒と、現在の上司です」
妖を駆逐し、家に帰る。シャンっと音が鳴り、水鏡の通信機が立ち上がった。
『一応、何をやるつもりか、聞いても良いよね?』
「おや、聞こえていましたか」
『ちょうど見ていた所。と言うかレイエルだけじゃなく僕にまで怒られる方法って?』
「……楓音は、僕を現在敵として認識しています。その認識をさらに強めてやるだけですよ」
『えぇ……』
「ご安心を。後始末は得意なので」
そして柑は動き出す。まずは必要な材料を揃えるところからだった。
雪風の家は上へ下への大騒動になった。篠江の妹で長らく臥せっている、という事にしている紗の元に文が届いたからだ。その文字、歌の内容、文香の中身まで完璧なその文に紗は惚れこんでしまった。
「ったく、いったいどこから投げ入れた?紗の部屋は塀から離れているって言うのに」
「そうだな……」
楓音は篠江が紗から没収した文を見ていた。見たことのない筆跡。文香はかなりの高品質。歌の内容も流暢。こんなことを書ける貴公子は都にも数人しか居ないだろう。だが、楓音の頭には1人の青年が過っていた。
「しっ篠江様っあぁ楓音様もっ」
「どうした?」
「ほんの一時目を離した隙に2通目がっ」
「なにっ」
篠江が家に駆けこんでいく。ほんの少し目を離した隙に文を置く。とびきり高度な陰陽師が式を使えば可能だろう。陰陽の力が強い自分以外ならば、笠井治永か、天鼓柑夜しか居ない。
「楓音、来てくれっ」
「あ、あぁ」
案内された屋敷、その御簾の中で攻防は続けられていた。篠江の父が必死に文を没収しようとしている。だが紗は絶対離さないと抵抗していた。一応まだ許嫁と言う家同士の約束の身。楓音は御簾の中に入れない。
「紗~っ楓音来てるぞ?」
「いやぁぁっ桜桃の君様からの文なのぉぉっ」
「桜桃の君?」
「最初の句」
「あぁ、桃が入っていたな」
転げる勢いで抵抗する紗。一応の許嫁である楓音が来ても改善されない。仕方がないなと楓音は術を行使する。人避けの術を行使すればそれは効力を発揮する。女房達も篠江も、篠江の父も、皆用事を思い出したかのように離れていく。
「後で必ず没収に来るからなっ」
「楓音、説得頼む」
「あぁ、任せておけ」
人が居なくなった頃、寝転がっていた紗が起き上がる。開いて、首を読み心躍らせていた。そんな、妹分に、楓音は溜息と共に声をかけた。
「……あのね?紗」
「なによ、楓」
強すぎる陰陽の力。認識阻害で行方不明になったのを兄と妹で入れ替えた彼女、だが、それは何故か紗にだけは効かなかった。錯乱した紗は気が触れたとこの部屋に軟禁。楓音は必死に説得し、兄を連れ帰るからと約束していた。
「それぜぇったい罠だから。言ったでしょ?私、なんか冥府の使者みたいな人に狙われてるって」
「う~……でも、でも罠でも良いぐらい筆の手は綺麗だし、歌もお上手だし、文香だって素敵なんだもの……風音様、歌送ってくださったことが無いから」
「……家、隣だものね……は~……」
彼女は紗の前だけは素をさらす。烏帽子の中にしまい込んでいるのは紗より少し短いが十分に長い髪。認識阻害を解けば、そこに居るのは紗より3つ上の、白雪楓と言う名の姫君だった。
「確かに完璧。うん、私も貰ったら揺らぐかもしれない」
「でしょう!?」
「でもわかる。この文の差出人はかなりの女を泣かせている手合いよ」
「冥府の使者様は楓と会ったのよね?どんな方?」
「ん~……笑顔の下に全部の感情を隠してしまう、そんな人かな。勉学は陰陽生で一番」
「あら。益々素敵じゃない。一度ぐらいお返事書いてみようかしら」
「篠江に怒られるよぉ?」
「お父様にもお兄様にも散々怒られたから今更よっ」
「はいはい。一応、見せて」
見せられた文。同じ筆跡、歌も丁寧、そして文香。自分を冥府だかどこかに連れて行きたいと考えていると言っていたがその為にどれほどの労力を使う気だろうと楓は笑った。
「はい没収」
「じゃあ1通目返して~っ」
「はい取引。じゃあ認識阻害解くわよ」
「うん。またね、楓」
「……またね。紗」
そうして楓は楓音に戻る。没収した2通目を篠江の父に預け、表に出れば篠江が拗ねていた。
「屋敷中に見張り立ててやろうかぁ」
「止めておけ労力の無駄だ」
「やっぱり?」
「あぁ。術の残滓を確認した。相当な技巧を持つ人物が文を置いたには違いない。文を書いた人物と同一人物かどうかは知らないがな」
「そうか……」
今は幼馴染の2人が門の前で悩む中、柑は優雅に自宅に居た。自宅から雪風の邸宅迄離れているがそんな事柑には関係ない。今日も食材から香り成分を抽出する実験をこっそり行っていた。何せオーバーテクノロジーの坩堝たる天界図書館及び仙境の知識を使うので。そこは流石に極秘だった。
「ん~……桃はうまく行きましたが柿は……これじゃない」
最初は桃にした。破邪の役割を担う桃だが翻れば桃は冥府に近い。間接的に殺す発言をしている自分に少しでも気付いてほしくてわざわざ香りは桃にし、歌にも桃を組み込んだ。その気遣いが紗の心を掴んだのは言うまでもない。一番難航したのは歌。柑は漢字で詩を書く漢詩の文化圏出身。勿論漢詩の文化はこの国にも入っているが女性に送るのは仮名文字で綴る歌が主流。慣れない歌、さらに恋歌となれば流石の柑でも準備に10日掛かった。
「……さて。3通目からが本番ですね」
コレは楓音が危惧した通り罠。臥せっている妹姫から情報を引き出すための。その為に手段は厭わず、怒られるのも覚悟の上だった。
文は5通に増えた。流石に楓音も見逃せず、就業中ではあったモノの、通じるかどうかわからないが念話を試みた。
『聞こえているか、柑夜』
『えぇ、聞こえていますよ楓音さん』
『文、お前だろう。どういうつもりだ』
『さぁ、どういうつもりでしょうね?僕は比較的手段を選ばない人間なので』
『言ってろ。とにかく、紗に余計な事をするな』
『善処、いたしましょう』
前々からこうだった。天鼓柑夜はのらりくらりと躱すのが上手い。処世術と言ってしまえばそこまでなのだが、反感も買わず、好感も持たれず、篠江と楓音が話しかけない限り1人で書物を読んでいた。
冥府からの使者、楓音は彼をそう判断していたが、その背は独りに慣れ過ぎていて、だが傍に置いている誰かが居ない空虚を抱えているように見えた。
夜闇の中、明かりの下で紗は慣れないながらにもその文に返事を書いていた。歌で問われた内容、その返事を。
「……ごめんね、楓」
そっと縁側に置けば瞬きの間に文は消える。少しだけ、泣いた。
最後の文をそっと送る。柑はようやく終わった文通作業に脱力した。手段を選ばないとはいえ慣れないことはやるモノではない。
『お疲れかな?』
「えぇ。恋文なんて慣れない事するモノではありませんね」
『流石の柑でも苦戦するか』
「垣間見る、と言う文化でなければレイ辺りはその顔だけで行けるんですけれどもねぇ」
『その発言の方が怒られるよ』
「おや、では内緒でお願いします」
『順調、ではなさそうだね』
「……いえ。ある種順調です。僕がレイの為、楓音を見極めるのに時間が掛かっているだけで。半年は掛けませんよ」
『うん、わかった。レイエルとアスディルの方も同じぐらいに終わりそうだから』
「愉快な報告、楽しみにしています」
『だね』
そう、事態を収拾するのにこんなに時間と労力をかける柑ではない。全てはレイエルの為。相棒と呼んだ彼が欲した仲間と言う存在の頂に手を掛けられるか、それを見定めるのも、相棒の務めだった。
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