第14話 最強魔法剣士、迫る小さな脅威に対処する
夜明け前の空は、薄紫の空気をわずかに帯びていた。街の城壁に立つと、その色合いが余計に際立つように見える。先日の深淵熊騒ぎを経て、グラドールの雰囲気は大きく様変わりしていた。あちこちに兵士が立哨し、冒険者が交代制で巡回している。まるで戦時下の要塞みたいに物々しいが、これも仕方ないだろう。
俺は城壁の石段を昇っていき、風にそっと髪を揺らしながら外の景色を見下ろす。まだ薄暗い朝の光――うっすらとした紺色の空に、かすかに金の縁が射し始めている。視界の先には荒野が広がり、その奥にはまだ闇が残る木立が続いていた。
「おはようございます、リュオさん」
ふいに横から声がかかる。リーシャだ。狼耳をぴんと立て、眠たげな目をなんとか見開いている様子。近頃、彼女もずいぶん早起きになったものだ。
「よう、もう来てたのか」
「はい、私も今日は早めに……この城壁の見張りに入ろうと思って」
「そりゃ良い心構えだ。あのトカゲとやらが、いつどこに現れるかわからないし」
そう言いながら城壁の上から外を眺めると、兵士たちが数人、槍や弓矢を抱えて配置についている姿が見える。みんな、昨夜のうちに戦闘の想定を聞かされていたようで、あんまり眠れなかっただろう。表情はみな険しい。
「リュオさんは、全然眠そうじゃないですね……。もう慣れちゃったんですか?」
リーシャが呆れ気味に聞いてくるので、俺は肩をすくめる。
「そうだな。モンスターとやり合うのも、別に今に始まったことじゃない。むしろ久々に新鮮でいいんじゃないか?」
「も、もう……。ほんと怖いもの知らずですね」
彼女が軽く拗ねたように言いかけたときだった。遠くの見張り台のほうから、ふいに光のフラッシュが上がった。夜明けの薄暗さを払うように、白い光が一瞬ぱっと光る。光魔法によるシグナル――小隊が何かを発見した合図だ。
「あっ、合図だ……! 何か来たんですね!」
リーシャが息を呑む。その声を耳に、兵士の一人が「おい、合図だぞ! 準備しろ!」と吼え、周りの連中がざわざわし始める。俺は目を細めながら、森の辺りを凝視する。
(さて、トカゲってやつが本格的に動き出したのかね)
「リュオさん! 助けに行くって……どうします?」
「ああ、行こう。早速ひと暴れといくか」
「や、やる気満々ですね……でも……」
リーシャは戸惑いつつも、俺に続いて城壁を降りようとする。
俺は城壁の縁に軽く手をかけると、ひょいと身を翻して飛び降りた。
足元に着地すると、砂煙がわずかに巻き上がる。後ろから「リュオさん、無茶はやめてくださいよ!」とリーシャが声を上げたが、すぐに彼女も階段を駆け下りてくる姿が見えた。
「さてと、被害が拡大する前にさっさと倒そう」
「兵士さんたちがすでに下で構えてるみたいですから、連携したほうが……」
「そうだな……リーシャは援護メインで頼む」
そんな会話をしつつ、俺たちは森へ続く街道を少し進む。見張り台から光魔法の合図を出したらしい兵士が三人ほど集まっていた。みんな矢を番え、深刻そうな顔だ。森の影からゴソッ、ゴソッ、と小さな足音が聞こえる。薄暗がりの向こうで、何かが動いているのだろう。
「リュオさん……あれ!」
リーシャが声を潜めて指し示す。森の樹間から姿を現したのは、二、三匹の小さなトカゲ――全長1メートルほどか。だが、真っ当な生物って感じじゃない。黒紫の粘液じみた体が、朝日を受けてぬらりと光っている。まるでスライムと爬虫類を足したような不気味さがある。
「あれが例のトカゲか……!」
先にいた兵士が弓を番え、一斉に放つ。矢がヒュンと飛んで、的確にトカゲの胴を貫いた――と思ったが、それが当たった先で“ぐにゃり”と動き、矢が体内に呑み込まれるように消えてしまう。しかも穴があいた部分がみるみる再生していくのが目に見える。
「ほう……これは厄介だな」
俺は感心しながら首をかしげる。ミスリル製の矢でも、効かないかもしれん。本当にスライムか何かの異形だ。ここまでどろどろしてるとなると、斬撃も効果薄そうだが、とりあえず確かめてみるか。
「行くぞ、リーシャ」
「は、はい……やるしかないですね!」
リーシャはやや気後れしながらも、覚悟を決めた目をしている。兵士たちが「危ないぞ、お前ら!」と止めようとするのを尻目に、俺は体を低くして一気にトカゲへ踏み込む。
剣を抜き、素早い斬撃を繰り出すと――スパッという音とともに、トカゲの胴体を寸断してみせた。ところが、そこから切り離された半身が粘液を泡立てるようにして再結合を始める
「やっぱり斬っても再生しちゃうんですね……!」
「ああ、随分と面倒な生態だ。だが焼けば――どうなるかな!」
兵士が思わず「おい、あんた! 何をする気だ!」と声を上げるが、それを無視して剣を構える。火の魔力を剣に付与するべく、短い詠唱を頭でイメージし、掌に赤い熱量を集める。次の瞬間、刃先がメラメラと橙色に輝き、軽く空を焼くような感覚が走った。
「悪いが、消えてもらう――!」
トカゲの再合体している個体めがけて一直線に踏み込み、火の剣で横薙ぎに斬り払う。ボッという燃焼音が響き、体液が焼けるような異臭が鼻をつく。ぐちゃり、と粘液が散り、火が舌を出して舐め尽くすかのようにトカゲを炭化させていく。まるでスライム状のものがパチパチと音を立てて弾けるみたいだ。
「うわっ、すごい焼け方……」
リーシャが鼻を押さえて少し後ろに下がる。俺もそれなりに嫌な匂いを感じるが、背に腹は代えられない。すでに他のトカゲ二匹がジリジリと近づいてきていたので、兵士たちが弓を番え直す。
「弓を放っても……って感じだな。とりあえず火か水か、そういった魔法で対処しかなさそうだ」
「じゃあ私、やってみます!」
リーシャが意を決した顔で言う。
ざっと水の塊を発生させ、生まれた水流を高速でトカゲにぶつけると、その粘液じみた体表が一瞬の打撃で揺らいだ。
「ギュ、ギュルルッ……」
不気味な音を立てながらトカゲがバランスを崩す隙に、俺が火の剣を再び振るい、一気に焼く。うまく連携が決まって、あっという間にトカゲ二匹が燃え尽きていく。
「やった……! 意外といけましたね……!」
「こいつらが何匹いるか知らんが、こういうやり方で潰せば問題ないだろう」
その場にいた兵士が大きくため息をつき、「助かった……」と安堵を口にする。今回はわずか数体だけだったし、よほど本気の襲撃じゃないらしい。
「まだ、偵察って感じだな」
俺はそれだけ言って、焼き付けたトカゲの残骸を見下ろす。燃えかすが黒い塊を作っているが、一見はもう再生はしなさそうだ。魔力の流れも感じられないしな。
「よし、とりあえずここは一安心だな。兵士さん、あとは見張りを続けてくれ。いつ大群が来るかわからんしな」
「は、はいっ! ありがとうございます……助かりました!」
彼らは深く頭を下げる。リーシャも「い、いえ、こちらこそ……」と慌てた様子で愛想笑いを浮かべる。さっきまで緊張しきっていたが、さすがに小規模なら何とか対処できることがわかったんだろう。少し表情が和らいだみたいだ。
(しかし、こいつらがもっと大量に押し寄せてきたら、流石にまずいな)
そんな考えが頭をよぎる。深淵熊のときは一体だけだったからこそ対応できたけど、もしトカゲが何十匹、何百匹と来たら、兵士が数で負けてしまう可能性だってある。そうならない様に俺が頑張らなくては――
※※※
朝のうちに起きたこの小競り合いの話は、すぐにギルドへ伝わった。「トカゲが二、三体出たが火魔法で対処できた」といった内容が多くの冒険者を安心させる反面、「たった二、三体なら先遣隊かもしれない」という不安も同時に広がる。
ギルドに足を踏み入れると、すでに大勢の冒険者や市民が詰めかけていた。ざわざわとした人の声が反響して、入口の扉を開けた瞬間、熱気がわっとこちらを包む。
「おい、聞いたか? あのトカゲ、矢が効かねえんだってな」
「らしいな。火か水でなんとかするしかないって話だが、そんな芸当できるのは限られてるぞ……」
「ああ、もう……俺らじゃ無理だ」
あちこちで嘆息が漏れている。俺がちらっと見回すと、ダインが仲間と一緒にソファで頭を抱えて座っている姿があった。ロッツは「こんなの大部隊でも危険じゃないか」と弱気発言、メリルも「群れで来たら対処しきれないし、街を捨てるか……」などと言っている。ダインは最初、それを否定しかけて口をつぐむ。見た感じ、完全に腰が引けている。
「ふん……あいつら、ビビってるみたいだな」
「……怖いんだと思いますよ、やっぱり」
リーシャが俺の耳にひそっと言う。
まあ、本音を言えば普通の反応かもしれない。再生する粘液トカゲなんて、慣れてない人には恐怖でしかないだろう。
「おっ、来たね」
そう呼びかけたのは情報屋ノアだった。相変わらず猫めいた動きで近づいてきて、ニヤリと笑う。
「聞いたわ、トカゲたちを倒したんだってね。やるじゃない」
「ありがとう、そっちはなにか情報を掴んだか?」
「そうねぇ……遠くからトカゲの声が聞こえた、とか。トカゲは分裂するだとか、それくらいなもんよ」
その口ぶりからまだ確証は掴めきれていない感じだった。
ただ……今朝の襲撃を考えると、嫌でも信じざるを得ない。
「そんな……本当に大群だったら、私たちだけでどうにかなるのかな……」
「ふふ、どうかしらね? でも、期待してるわよ――リーシャさんと『元騎士』のリュオさん」
そう言うとノアはあくまで無表情で立ち去っていく。あの飄々さが有益なのか邪魔なのか、よくわからない。
「まぁ、焦ることはないさ。自分にできることを全力でやればいいんだ」
「うん……そうですね。ありがとうございます!」
その後、俺たちはセリグの呼びかけに応じて、簡単な作戦会議へと加わる。会議といっても、ほぼセリグが街の各所に防衛を敷くよう指示するだけに留まり、みんなはそれぞれ配置や準備を再確認する。それ以上のことは特になく、街は一層の備えを固めることになるのだった。
※※※
その後、俺とリーシャは兵士と一緒に街中を回りながら、様子を観察する。市民も「まさかまた魔物が攻めてくるなんて……」と怯える声が多く、リーシャが必死に「あ、大丈夫ですよ、火属性の魔法で倒せるみたいですし……」と声をかけて落ち着かせる。
「随分板についてきたんじゃないか?」
俺がニヤニヤしながら耳打ちすると、リーシャは「もう、からかわないでください」と頬をふくらませる。
「私だって必死なんです。皆さんを少しでも安心させたいから……」
「いやいや、いい心がけだと思うぞ?」
心底そう思う。彼女の変化は見ていて面白い。前の彼女ならこういう場面で言葉に詰まってしまっただろうし、そんな余裕すらなかったはずだ。今や、人々を落ち着かせるような振る舞いまでできるようになってる。随分と成長したじゃないか。
しかし、そのとき、後ろから聞こえる不快な声がまた耳に入った。
「リーシャ、お前なんかにできるわけねえじゃねえか。大人しく下がってろ」
振り返るとダインだった。腕を組んでこちらを睨むような目つきだが、どこか落ち着きがない。
リーシャは一瞬たじろぐが、すぐに目をそらさず真剣な表情で言葉を返す。
「そういうの、もう気にしませんから。私、逃げないって決めたんです。どんなに怖い敵でも……」
「ふ、ふん……勝手にしろよ。ただ、足引っ張るなよ」
ダインが吐き捨てるように言い残すとその場からそそくさと去っていった。
彼自身も気づいているのだろう、彼女が変わり始めていると――自分が見捨てた仲間が成長した姿を見て、彼は何を思うのか……俺には分からなかった。
※※※
見回りを終えた後、俺たちは防御策の準備や魔道具の整備に追われる。火炎放射器の簡易版を作り出す職人がいたり、「氷魔法の巻物」をどこからか取り寄せる商人が現れたりして、ギルド周辺は露店のようににぎわった。グラドール全体が一丸となって、分裂するトカゲ対策を進めている。
俺とリーシャも、火属性や水属性の魔法の使い手を数人集めて、実験的に「泥を練り込んで相手を動きを止める」とか「燃焼を補助する」とか、さまざまな組み合わせを話し合う。皆、深淵熊の時よりやる気満々だ。
そうして街全体が燃えるような熱気に包まれた頃、日が傾き始めた。何事もなく終わるに越したことはないが――そう願う人は多い。だが、その願いは通じないらしい。
「警報だぞ! 城壁付近で複数のトカゲがうろついてる!」
兵士の絶叫が上がったのは、夕方に差し掛かる時間帯だった。先ほどの二、三匹どころではない数が、森の手前まで進んでるという報告が瞬時にギルドへ伝わる。
「やっぱり偵察じゃなかったかも……もう本気で来るのかな……!」
リーシャが冷や汗をかきながら言う。俺は「さあ、どうだかな」と応じつつ、剣の柄に手をかけた。
見た感じまだ大規模襲撃というほどではないが、今朝より数は明らかに多い。城壁の上から弓を一斉射撃しても、再生を繰り返すトカゲに効果が薄いことが分かったらしく、兵士が「効いてない……!?」と叫んでいる。
遠くからは、まるで嘲笑うような鳴き声――キシャーッという、金属を擦るかのような耳障りな音が木霊してくる。子供や市民の悲鳴も交じり、混乱が増していく。
しかしトカゲたちは暫くすると、興味をなくしたのか攻めるのをやめて城塞都市から離れていった。
嫌らしい攻め方だ。こちらの反応を見るように、ちょこまか嫌がらせをしては森へ戻るなんて――本当に偵察がてら街を試してるとしか思えない。
「ちょっとだけ覗かれて、逃げられましたか……」
リーシャが城壁下で息を切らせながら言う。この動き、やはり指揮しているものがいると考えて間違いないだろう。間違いなく、親玉がいる。
「本体はまだ動かずに、こうして部下だけ送り込んで、こちらの様子を伺っているみたい……。もしかすると、本格的な大軍が来るのは近いんじゃないかしら」
戦闘の様子を見守っていたノアが俺の隣に来てささやく。
「やはり親玉がいるか」
「ええ、森の奥で巨大なトカゲの影をみたという情報が入ったわ。おそらく、ソイツよ」
そうなると……大規模な戦闘は避けられなさそうだ。
まあ、大勢攻めてきたのであれば。こっちだって容赦なく全部焼けばいい。
そう思いつつ、日が暮れるのを感じる。城壁の上では交代制の見張りが敷かれ、兵士が必死に準備する様子が見える。
「今夜は眠れそうにないですね、リュオさん……」
リーシャが、遠巻きに森を見つめながら呟く。俺は腕を組み、城壁の階段に腰かける。
「眠れるときに寝とけ。明日になれば、もっとデカいのが来るかもしれん。そしたら大忙しだぞ」
「うん……そうですね、眠れるかは分かりませんけど」
リーシャはわずかに震える声を取り繕うように言ったが、その瞳には決意が見える。あの日、深淵熊と戦ったことで得た自信が、彼女を支えているのだろう。
遠くの森からは、どこからか不気味な声がする。兵士たちが弓を構え、冒険者がざわつく。一筋縄ではいかない相手だと感じるが、俺の心はどこか冴え渡っている。
「さあ……今度はどんな戦いになるのか、楽しみだな」
「……たくさん被害が出る前に退治できればいいですね……」
「ああ、守ってやるさ――騎士の誇りにかけて」
俺は静かに紫色に染まるグラドールの夕景を見上げる。やるなら派手に来い。俺もリーシャも、もう逃げるつもりはないのだから。




