第12話 最強魔法剣士、不穏な噂を耳にする
朝の澄んだ風が、グラドールの街並みに微かな爽快感をもたらしている。深淵熊を倒してから、まだそう日が経ったわけじゃないが、街全体はようやく一息ついたような空気を醸し出していた。俺はリーシャとともに、冒険者ギルドの扉を開き、かちりと鳴る音に耳を傾けながら中へ入る。
「おはようございまーす!」
リーシャが元気よく挨拶すると、受付カウンターにいたシェリルがぱっと笑顔になって手を振ってくる。深淵熊の件で、俺たちはギルドの注目株というわけだ。もっとも、それに浮かれたりする柄じゃないけどな。
「お二人とも、お疲れ様です。深淵熊を倒してくださって、本当にありがとうございました。街の人たちもまだ警戒してますけど、かなり安心しているみたいですよ」 「そりゃ良かった、街を守れたようでなによりだよ」
俺はあくまでクールに応じる。横のリーシャは頬をかすかに赤らめながら、「えへへ……リュオさんがほとんどやっちゃいましたけど……」と照れた様子だ。
ギルドのロビーでは数人の冒険者が雑談に興じているらしく、「深淵熊が出たときはどうなるかと思ったけどな」「まさか二人で仕留めるとは」などと控えめに話している声が聞こえる。リュオ様々だ、なんて言われても気分が上がるわけじゃない。俺としては予定調和って感じだ。
ただ――騒ぎがひと段落したはずのギルド内で、新たな小さなどよめきがあるようだ。ロビーの隅っこでは、やけに神妙な顔つきの冒険者が二、三人で噂話をしているらしい。
「なあ、やっぱりあの話マジなのか……?」
「確証はないけど、もし本当なら深淵熊よりヤバいだろ」
「荒野の奥にいるとかいないとか……怖くて近づきたくねえな」
ふと耳に入ってきたその言葉に、リーシャが反応する。
「リュオさん……深淵熊よりも恐ろしい魔物がいるかもしれないって」
「へえ、そりゃ面白いじゃないか」
俺は肩をすくめる。深淵熊以上なんて滅多にいないだろうが、噂はいつも大げさだ。もし本当でも、来るなら来いという話だし、そこまで驚きはしない。
シェリルが苦笑して言葉を継ぐ。
「私もちらほら聞くんですけど、詳しいことはまだ何もわかっていないんです。なんか増殖して群れを作っている……らしいですね」
「怖いですね……街に被害が出そうで」
リーシャの声にわずかな震えが混じる。
俺は隣で彼女の狼耳がしゅん、と垂れかけるのを見て、「まあ、そんなに怖がるなよ」と言ってやる。深淵熊のときだってそうだった。話を聞けば聞くほど大きく聞こえるもんだ。実際には、相手がどんな怪物でも倒せりゃ同じだ。
「実際に目撃した人はいないんですか?」
とリーシャが尋ねると、シェリルは首を横に振る。
「まだはっきりした情報はありません。被害報告もないですし……。もしかすると、ただのデマかもしれないですし」
「ふうん。じゃあ本気にするのはまだ早いってわけだな」
俺は納得し、やれやれと息をつく。ここで終わりなら拍子抜けだが、まあ実在しないならしないでいい。
一方のリーシャは複雑そうだ。深淵熊を倒してから、多少の自信はついただろうが、早くも更に凶悪な怪物なんて話を聞かされれば不安にもなるだろう。今は何も言わないが、その瞳にはどこか緊張が見える。
「ありがとう、シェリル。新しい依頼が出たら教えてくれ」
「もちろんです。今のところ、正式な依頼にはなっていませんが、もし真相がわかったらすぐお知らせしますね」
そんな会話をしていたとき――突然後ろから声がかかった。
「へーえ、あんたらがウワサの深淵熊を仕留めたコンビってやつ?」
くぐもったような低い女性の声。振り返ると、猫獣人らしい薄金色の耳と尻尾を持った女性が、腕を組んでこちらを眺めていた。見覚えが……ないな。初対面か。
リーシャは一瞬警戒して狼耳をぴくんと動かす。
「あ、えっと……どちらさま……?」
「ノア、情報屋よ。はじめまして、ってとこね」
ノアと名乗る彼女は、ふっと笑みを漏らすと小首をかしげる。
「リュオにリーシャ、だっけ? すごい活躍だったみたいじゃない。大したもんねえ、深淵熊なんてそうそう倒せるもんじゃないでしょ」
「……それほどでも」
俺は軽い調子で返す。事実、俺にとってはそこまで際どい戦いでもなかったが、周りに大袈裟に褒め立てられると微妙な気分だ。ノアは興味深げにこちらを観察している。
「ところでさ、あんたら、次の強敵の噂はもう聞いた? ほら、何だか妙にデカいヤツが荒野の奥で巣を作ってるって話」
「え……やっぱりあるんですか? 真実なんですか?」
リーシャが身を乗り出すと、ノアは肩をすくめてみせる。
「それがまだ裏どりができてなくてね。正直、私が見たわけでもないし。詳しいことは不明よ。でも、相当ヤバいって噂だけは耳にするわ」
俺は腕を組みながら「ふうん」と相槌を打つ。ノアはいかにも気まぐれそうな猫の目を細め、続けた。
「何でも、小型の魔物を生み出してるらしいわ。巣があるのか、分体なのか……あんまり信じがたい話だけど、火のない所に煙は立たないし」
「分体……? 一匹で増えるってことですか?」
「さあね。でも、もし本当なら深淵熊より厄介かもしれないわ。……ま、あんたらには関係ないかもだけど、念のためね」
そう言いながらノアはにやっと笑う。どこか飄々としていて、俺に通じるクールさを感じるが、初対面ゆえに正体は読めない。リーシャは若干落ち着かない様子だ。
「余計なお世話かもしれないけど、一応知っておいたら? あんたら、今、ギルドの注目株だし」
「まぁ、どんな化物でも出てきたら倒すだけだ」
俺が口を開くと、ノアは「へぇ、強気なのねぇ」と興味津々な目つきをする。
「でも確証がない情報だから、ガセかもよ? 本当に危険なのか、誰にもわからない。だけど何か分かったら連絡するわ。じゃ、よろしくね」
ノアはあっさり言って踵を返すと、ギルドの出口へ消えていった。振り返りもせず、猫耳としなやかな尻尾を揺らして去っていく姿が印象的。
「初めて会いましたけど……本当に情報屋なんでしょうか」
リーシャが小さく首をかしげる。俺だって詳しくは知らないが、行動力と察知力はありそうだ。警戒半分、利用半分ってところか。
「まあ……情報を仕入れるには便利かもな。信用しすぎるのもよくないが」
「ですよね……。でも、もし本当なら……また、すごいのが出るってこと……?」
リーシャは深いため息をつき、どこか暗い表情を浮かべる。深淵熊に続く大物というだけで胃が痛いのだろう。俺はそんな彼女の肩を軽く叩いてやる。
「おい、そんな顔するな。お前も深淵熊を仕留めた一員だろう? 強くなったじゃないか。ここで怖気づくのはもったいないぞ」
「で、でも……あれ以上の敵が出るとか、想像もつかなくて……」
ま、リーシャの気持ちもわかる。深淵熊は俺の中でもそこそこタフな相手だったからな。もしそれを上回るとなると、普通の冒険者は震え上がるに決まっている。けれど、俺はそれをむしろ楽しんでいるんだから、相当な変わり者かもしれない。
「ま、来るなら来いって話だ。ついでにお前の成長を見るいい機会だろ。深淵熊だって二人で倒せたんだ。そう難しくはないさ」
「……リュオさん、ほんとに余裕ですね」
呆れ声を漏らしながらも、リーシャの目には一抹の安堵が浮かぶ。俺が落ち着いていると、彼女も「何とかなるかも」と思えるらしい。そういう意味じゃ、俺は仲間として良い存在なのかもしれないと、少しだけ思う。
※※※
ギルドを出て、街の通りを歩く。深淵熊騒ぎが収まったとはいえ、まだ兵士たちが警戒を解いてはいない。見張りを続け、城壁の補修も続行中。とはいえ皆、どこか表情がやわらかい。まるで長い嵐が過ぎた直後って感じだ。
「はぁ……落ち着いたと思ったら、また次の怪物の噂……。街のみんな、もう勘弁してって思ってそうですよね……」
リーシャが肩を落とし気味に言う。俺は空を見上げて小さく息をつく。そもそも灰滅の刻の影響で、この世界じゃモンスター被害は日常茶飯事だ。どれだけ倒してもまた出てくる。嫌な生業かもしれんが、だから冒険者が必要とされるわけだ。
「どうせ危険なモンスターは尽きない。強くなるしかないだろ。お前も深淵熊戦で腕が上がった実感はあるんじゃないか?」
「そ、それは……そうかもしれないけど、まだ足りない気がして……」
「焦るもんじゃない、コツコツと積み重ねていけばきっと強くなれるさ」
「……そう、ですね。私もっともっと頑張ります!」
彼女の頬にわずかな赤みが差すのを見て、俺は微笑む。内心、お前はもう充分強くなってるだろと言いたいが、口には出さない。これからも成長するだろうし、早めに満足してもらうのもつまらない。限界を決めずに伸びてくれたほうが、俺も刺激がある。
※※※
訓練が終わった頃には、日が西に傾きはじめる。
俺たちは宿への帰路をたどる。頭上には薄紫の雲が漂い、夕焼けをかすかに侵食している。
「相変わらず濃いですね……瘴気が」
リーシャが空を見上げ、ぼそりと呟く。俺も軽く瞼を閉じ、かすかな湿度を感じ取る。たしかに空気がざわついているようだ。
「もし本当にヤバい奴が出るなら、俺は逃げない。お前はどうする?」
「……戦います! もう逃げませんから!」
「言ったなー? それなら、期待しちゃおっかな」
そう言い合いながら、宿の扉を開ける。いつもの女将が「いらっしゃい」と温かく迎えてくれて、ロビーには軽い食事の香りが漂っている。平和といえば平和だが、その裏で不穏な噂が渦巻いているのを思うと、妙に落ち着かない。
リーシャが足を止め、真剣な表情で俺を見上げる。
「リュオさん、私……もう追放者なんて言われたくないから、どんな敵でも立ち向かいますね」
「ふっ、頼もしいじゃん。俺も、お前がいれば多少手間が省けるかもしれん」 「も、もう……! そういう言い方、ちょっと失礼ですよ!」
「はは、悪い悪い」
そんな軽口を交わしていると、自然と肩の力も抜けていく。
もし近いうちに正体不明の魔物が本当に現れたら、その時は守りたいものを守るために戦うだけだ。
そして――宿の窓から見える空は、やはり紫がかっている。リーシャが微かに身をすくめ、「もう大騒ぎはこりごりですけど……来るなら仕方ないですよね」と、どこか決意めいた笑みを浮かべる。
俺はそんな彼女に「おう、怖がってても始まらん」と笑みを返したのだった。




