第11話 最強魔法剣士、深淵の大熊に挑む(2)
朝もやが揺れる北街道。
俺たちが宿を出て城門へ向かったのは、まだ太陽が昇りきる前だった。辺りにいる兵士や冒険者の顔には、いつもと違う緊張感が漂う。いくら大型魔物が珍しくない世界とはいえ、『深淵熊』とまで言われる代物がうろついてるとなれば、話は別だ。
「リュオさん、おはようございます!」
黒い狼耳を立てたリーシャが、小走りでやってくる。真面目な彼女は、こういう朝集合のときでも必ず余裕をもって来ているから、俺のほうが先に到着しているはずだったんだが、どうやら今日は互いに同じくらい早かったらしい。おかげで二人とも城門前の集合時間を待つ羽目になった。
「おう、おはよう。ちゃんと眠れたか?」
「正直、緊張であんまり寝付けませんでしたけど……なんとか大丈夫です!」
頬にほんのりクマができている気もするが、気持ちの部分で負けてないなら問題はないだろう。
すると、城門横に立っている指揮役らしい兵士が、こちらを手招きした。
「おーい、冒険者の方々だな? 俺はここの守備兵リーダーを任されてるダアトってもんだ。今回の深淵熊討伐、よろしく頼む」
彼は屈強そうな体つきで、威圧感こそあるものの、目は優しげだ。後ろには手練れの兵士が数名いて、既に簡単なブリーフィングを始めているようだった。
「こちらこそ。俺はリュオで、こっちがリーシャ。街道を中心に探索すればいいんですよね?」
「そうだ。街道沿いを北へと行くんだが、途中で大きく森が入り組んだ辺りが怪しいと聞いてる。俺たち兵士は右の密林を回るが、もしそっちに深淵熊が現れたら、すぐ合図する。あんたらも逆に発見したら信号弾で合図をくれよ?」
そう言ってダアトは、信号弾を発射する小型の使い捨て装置を手渡してきた。
俺たちは顔を見合わせて頷く。
「了解です。俺たちは街道を奥まで行ってみよう」
「はい……! 探知はわたしががんばってやってみます。嫌な臭いが混じったらすぐ知らせますから」
リーシャがふるふると尻尾を揺らしながら気合いを入れている。
※※※
グラドールの城門を出て北街道を進むと、やがて人工的な石畳は途切れ、土や草がむき出しの荒れた道が続くようになる。夜明けから一時間ほど歩いただろうか、空には澄んだ青が広がっているものの、よく見れば地平線の奥にほのかな紫が滲んでいる。やはり瘴気の季節は無視できない。
「……ここ、森と平地が混ざってて見通しが悪いですね」
リーシャが、草木をかき分けながら足元の倒木を乗り越えていく。その瞳には不安と警戒がうかがえた。
「深淵熊が昼間は姿を見せないかもしれんが……昼のうちに叩けるならそのほうがいい。夜に出てこられちゃ視界も悪いからな」
「そうですよね。よし……私、ちょっと集中してみます」
彼女は狼耳をピンと伸ばし、大きく鼻をひくつかせる。俺はその横で剣を構えずに歩くが、いつでも魔法を発動できるよう、頭の中で準備している。
しばらくすると、地面に異様な爪痕が見つかった。大きくえぐれた土が、まるで岩をも削るかのように荒らされている。明らかに普通の熊の仕業じゃない――というのが誰の目にもわかる代物だ。
「……これ、もしかして昨夜のうちに通ったのかも。土が乾いてない」
「ということは、この近辺に潜んでいる可能性が高いな」
急に緊張が高まり、会話が途切れた。そのとき、耳の奥で聞こえたのは木を踏み折るようなミシリ……という音。ごくかすかだが、静かな朝の森には異質すぎる。俺とリーシャは視線を交わし、こくりと無言で頷いた。ゆっくりと身を低くし、音の方へじわじわ近づいてみる。
森の木々が影を落とすエリアに足を踏み込むと、急に視界が暗くなる。まだ朝だというのに、瘴気に染まった紫の霞がかかったようで、不気味な匂いが鼻をつく。
「……いる、かもしれない」
リーシャが唾を飲む。
そしてしばらく森の茂みをかき分けた先で……見えた。
黒紫の毛並みを不規則に逆立たせ、圧倒的な体躯を持つ獣が、こちらに背を向ける形で何かを掘り返している。いや、ただ掘っているというよりは、大木の根元を思い切り引き倒そうとしているのか……。地響きがゴンゴンと伝わってくる。
「………で、でかい……」
リーシャの声はかすれ気味。
深淵熊と呼ばれる魔物は、見たところ人間の五倍を超える背丈。
圧倒的な筋肉量に瘴気がこびりつくように漂い、その血走った赤い瞳が、まるで破壊の権化を思わせる。
「へぇ、想像以上だな」
俺は内心、ワクワクが止まらなかった。だけど、こうしてじっと見ていても仕方ない。早めに先制しなきゃ逆に狩られる。
俺はそっと深呼吸すると信号弾を発射する装置を構えた。
「これが戦闘開始の合図だ……まずは俺が火魔法の剣で切り裂く。お前は風でサポートだ」
「は、はい……がんばります!」
そして俺はわずかに見える葉っぱの隙間を通るように、信号弾を空へと打ち上げる。
次の瞬間――装置を投げ捨てるとすばやく剣を抜き、火の魔力を呼び起こす。頭の中でイメージするのは、燃え上がる炎を剣先に纏わせる映像。
信号弾の音に深淵熊が気づいたのか、その大きな巨体を翻す。
目が合った瞬間、ゴウッと唸るような咆哮が鳴り響いた。森全体が振動するかのような重低音だ。
「まずは小手調べだ……!」
そう吐き捨て、思いきり剣を振り下ろす。炎をまとった斬撃が、地面から舞い上がった草を焼き払う。赤い閃光が熊の肩をかすめ、わずかに焦げた毛と焦臭い煙が立ち上る。
だが――そいつは予想以上に硬かった。
「ぐおおおおおおっ!」
ものすごい怒声が耳をつんざき、熊が逆立ちするように上体を持ち上げた。そのまま地面をえぐるように前脚を叩きつけると、衝撃で小さなクレーターが生まれ、土と石が宙を舞う。
「おー! すげぇ!!」
久しぶりの強敵に興奮しつつも間一髪で横へ跳びのき、土の破片を回避する。リーシャも低い姿勢でくぐり抜けたが、一瞬のモタつきで肩を少しかすったらしい。服の一部が破れているのが見えた。
「ちょっ、なんてパワー……!」
「ここからが本番だ、怯むなよ!」
一呼吸置くと、深淵熊は鋭い眼光をリーシャに向け、高く腕を振り上げる。リーシャは狼耳を張って弾かれたようにステップで回避するが、やつの一撃が地面を叩いた瞬間、まわりの木がバキバキとへし折れていく。
「うわわぁ……!」
リーシャが一瞬たじろぐ。だが、このまま引き下がっては勝ち目がない。彼女は必死に魔力を込め、風を呼び起こした。
「お願い、思いどおりに動いて……!」
大気がうねりを上げ、ゴオオッという流れが熊の足元に巻き起こる。砂埃や落ち葉を巻き上げ、熊の視界に吹きつける作戦だ。
「ぐるる……っ!」
熊は腕で顔まわりを払っているようだが、あれだけの体躯だと上手く相手を狙えない。俺はその隙を突いて剣を両手で握り直す。
今度は二属性を試してみるか。
「――じゃあ、これならどうだ!!」
一気に魔力を高め、剣先に褐色の輝きと赤い火炎が重なる。凝縮したエネルギーが刃に宿り、膨大なエネルギーがうねりをあげ始める。
だがここで熊は砂埃を強引に払いのけ、俺の姿を捉えて猛突進を繰り出してくる。
「正面からやり合おうって? 面白い!!」
俺はニヤリと笑ってみせると深淵熊と正面から思いっきりぶつかる。
刃と熊の腕がぶつかり――「ガキィンッ!」という金属音にも似た衝撃。まるで岩山に剣を当てたような感覚が腕に襲い、思わず顔をしかめる。
「硬っ! 硬すぎるだろ!」
視線の先で、熊の赤い瞳がぎらぎらと光っている。負傷しているようには見えない。俺は歯を食いしばって耐えつつ、力を込めて熊の腕を押し返そうとするが、とんでもない圧力がそれを許さない。
そこで、一条の水弾が斜め後方から飛んできた――リーシャが風と水を混ぜて生成した飛び道具だ。水滴の塊が熊の顔面に叩きつけられ、視界をかき乱す。
「ナイスだ、リーシャ!」
俺は一瞬の好機を感じ、後ろへと飛び退くと剣に魔力を集中させる。刃に赤褐色の光がメラメラと浮かびあがり、空気が熱を帯びる。
「もう一撃だ……喰らいやがれ!」
熊の胸部めがけて横薙ぎに斬り払う。ゴォオオオッという轟音が走り、俺の剣から放たれた衝撃波が火炎を伴って熊の身体を焼く。毛がはじけ飛び、熊はたまらず膝をつく。ぐおおおう……という苦しげな唸り声が聞こえ、瘴気の煙が立ち上る。
「や、やりました……?」
リーシャがそう言った刹那、熊は息を荒らしながら目をカッと見開き、なおも生きている。執念深いというか、馬鹿げたタフさだ。
「まだやるか? いいだろう、受けて立つ!」
熊は最後の力を振り絞るように大きな前脚を高々と振りかぶり、俺の目の前で下ろそうとする。このままでは成すすべもなくぺちゃんこになってしまうが……俺は引く選択を取らなかった。
魔力の流れを加速させていき、身体強化させると恐れることなく、その前脚を両手で握りしめた剣で受け止める。
「リュオさん!」
「来るな! お前はお前にできることを全力でやれ!」
リーシャが駆け寄ろうとするが、咄嗟に止める。
この戦いは彼女を成長させるきっかけになりうる。俺だけでこの熊を倒すのではない、俺と彼女で協力して倒すことに意味があるのだ。
(さぁ、この場面で何をすべきか……考えろ! リーシャ)
刹那――俺の思いを理解してくれたのか、リーシャは必死の形相で腕を前に出し、風の弾を発射する。凝縮された小さな空気の刃が熊の顔にぶつかる。
咄嗟の出来事に驚いたのか、熊は仰け反りに顔を前脚で抑えた。
「そうだ! それでいい!」
俺は懐に滑り込み、気合の詠唱を心中で走らせる。剣に宿る熱量がぐんと高まっていくのがわかる。火と土を合わせた衝撃波を叩き込む――まさに一瞬で勝負を決める大技。
刃と炎と砕けた岩の粒子が熊へ突き刺さり、どんっと激しい衝撃波が走る。まるで周囲の空間が真っ赤に染まるような錯覚を覚えた。
「ぐぁおおおおお……っ!」
すさまじい咆哮。熊の巨体がぐらりと揺れ、のけぞるようにして膝を突いた。黒紫の体毛が焼け焦げ、蒸気のように瘴気が立ち昇る。そこに再度息を吹き返して突撃する素振りを見せたが、リーシャが風で足元を崩し、最後の突進を逸らす。
「今です、リュオさん!」
彼女がそう叫ぶ。俺は剣を思い切り振り下ろし、火属性をもう一度だけ宿す。狙いは首筋――深淵熊の息の根を止める一撃。
「終わりだ、熊野郎……!」
斬撃が肩から首へ深く食い込み、血飛沫が噴き出す。やがてズシンという重たい音を立て、熊の巨体が地面に崩れ落ちる。轟音が止み、濁った瞳が光を失って動かなくなる。
「ふぃー、流石に強かったな」
俺は大きく息を吐き、リーシャもへたり込んだまま胸を押さえる。周りは倒木だらけで、土煙や硝煙の匂いが入り混じり、なんともいえない殺伐とした景色が広がっていた。
「や、やりましたね……リュオさん……」
「ああ! なかなかに楽しかったな」
「そんな余裕を見せられるのはリュオさんだけですよ……」
俺たちは互いの顔を見て微笑み合う。
二人で協力して掴み取った勝利の喜びを噛みしめるのは、やはり気持ちのいいものだ。
※※※
ほどなくして兵士たちが追いつき、俺たちのもとへ駆け寄る。深淵熊の死骸を見て驚愕しつつ、俺とリーシャに賞賛や感謝の言葉をくれた。
「おい、大丈夫か!? ……まさか本当に倒したのか? あの深淵熊を……!」 「いやぁ、思ったより強かったですね」
リーシャは肩が破れた服を気にしながら、「私、そんなに役に立てたか分からないですけど……」と照れ笑い。しかし、俺はわかっている――彼女のサポートがあったからこそ、被害なくしてあの熊を倒せたのだ。
「すごいな、お前たち……。街へ戻ってギルドに報告しないとな。死骸は……これ、どうすりゃいい? 瘴気がきつくて下手に燃やすと毒煙が出るかもしれん」
兵士同士が顔を見合わせる。俺は「聖職者を呼んで浄化するのがベストだろう。ギルドに頼んでくれ」と提案し、すぐにそれが採用される運びになった。
戦いは終わったが、瘴気の季節はまだ始まったばかり。それでも大敵を一つ排除できたのは大きいだろう。
「リーシャ、帰るぞ。体も限界だろう」
「はい、そうですね……ちょっと疲れすぎて、早くシャワー浴びたいです……」
そんな軽口が飛び出すくらい、彼女もどこか安堵しているのだろう。
強敵との戦闘の興奮が冷めない内に帰り、勝利の美酒を味わいたいものだ。
※※※
街へ戻ると、すでに噂を聞きつけた冒険者やギルド職員が入口近くで待ち構えていた。
「おかえりなさい! あれ、本当に仕留めたんですか?」
「深淵熊を……二人だけで?」
周囲のざわめきに、リーシャは「わ、私、一人じゃなかったですし……」とオロオロしている。俺は「まあ、なんとかなったよ」とだけ言ってギルドの中へと進む。
中に入ると、支部長のセリグが満面の笑みで待ち構えていた。
「聞いたぞ、あの深淵熊を倒したらしいな! おかげで街道も一息つけそうだ」
「なかなかの大物でした」
「報酬は多く出せねえが、こちらも最大限頑張って出すから、受付で受け取ってくれ」
そう言ったセリグは感謝の意を示すために頭を深々と下げる。リーシャはその様子を見てオロオロしているばかりだった。
「ここだけの話は深淵熊の危険度はレベル25以上に匹敵する、つまり君たちは冒険者レベル25に匹敵する力を持っていることになるだろうな」
「れ、れれれ……レベル25!?」
「ふむ、そのぐらいなのか……。今更なんだが、本当に俺達レベル1が受けてよかったのか?」
「ああ、お前たちと初めて会った時……なにか光るものを感じたんだ。支部長の勘ってやつだな!」
セリグはガハハと笑ってみせると、その場から去っていった。
その後、ギルドのほかの冒険者や兵士と簡単な状況共有をし、俺とリーシャは一旦解散。宿に戻って体を休めることにする。
「リュオさん……! 私、今回ので自信がついたきがします」
「ほう、いいじゃないか。こうして一戦交えた経験はデカいだろ」
「はい……もっと強くなりたいです。火と土みたいな、ああいう派手な技がいつか使えたら……うふふ、考えるだけでワクワクします」
彼女は狼耳をふりふり揺らしながら笑う。その姿は、出会った頃の萎縮した少女とまるで別人だ。深淵熊のような化物を相手に一歩も引かなかったんだから、リーシャの強さは本物だろう。
外を見ると、夕闇が紫に染まりかけている。深淵熊は倒せても、瘴気の季節はまだ終わらない。これから先も、どんな敵が出てくるやもしれない。
(だが、俺たちは負ける気がしない。そう、この街を守りながら、一歩ずつ自分たちの道を切り開いていく――)
そんな決意を胸に、俺は一人、宿のドアを押し開く。リーシャも笑顔で「頑張りましょう、次も!」と言ってくれた。追放された過去なんてもう関係ない。今の俺たちは、立派に冒険者として戦っている。
紫色の空を仰ぎ見ながら、俺は静かに剣を撫でた。この先も容赦のない試練が待っているかもしれないが――きっと乗り越えられるはずだ。そう信じられるだけの手応えが、今の俺たちにはあるのだから。




