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第10話 最強魔法剣士、深淵の大熊に挑む(1)

 朝日がまばゆく、草の上をきらりと照り返す。グラドール近郊の小高い原っぱに、リーシャと二人で立っていると、改めて澄んだ空気が肌に心地いい。まだ朝のうちは空気が清らかで、瘴気の気配も感じない。こういう時間帯を使って、俺たちは魔法の訓練をしているわけだ。


「よし、まずは風魔法の復習からだな。昨日の座学、思い出せるか?」


 俺がそう声をかけると、リーシャは少し緊張した面持ちで大きく深呼吸した。黒い狼耳がぴくりと動き、静かに両手を前に差し出す。その指先から、ほのかな風の流れが生まれた。


「……こんな感じ、ですよね?」

「悪くない。だいぶ安定してきたじゃないか。ほら、前は風が暴れて空中で乱流が起きてただろう?」

「そうでした……でも、まだ攻撃には使えそうにありません。どうやったら威力を高められるのか……」


 彼女の耳が垂れかけるのを見て、俺は苦笑する。リーシャは基本的に真面目だ。自分の未熟さを口にするたび、少し落ち込む癖がある。でも焦りは禁物。俺自身、昔は何度も失敗を重ねてきたからな。


「まぁ、イメージを固めることが最優先だ。相手を吹き飛ばす竜巻にしたいのか、それとも風の弾を敵にぶつけたいのか。『どうなってほしいのか』を明確にしないと力が拡散しやすい」

「はい……。分かってはいるんですけど、いざやろうとすると頭がぐちゃぐちゃになっちゃって」


 リーシャが額に汗を浮かべて、困ったように小さく笑う。

 気の毒だが、このステップを乗り越えれば彼女は一回り成長する。魔法は理論を知って終わりじゃない。実践で身体に染み込ませる必要があるんだ。


 俺も例として、火と土の属性付与を軽く見せてやる。腰の剣を抜き、刃に火をまとわせながら――地表に向けて小さな火球を飛ばす。もちろん、周囲の草を全部燃やすわけにはいかないから、着弾のタイミングで火を収束させ、地面をうっすら焦がす程度にとどめる。


「すごい……ほんの少しの加減なのに、あんなに温度が高くなるんですね」

「火と土を組み合わせれば、爆発的な威力を出せるけど、そのぶん制御が難しい。お前もいずれ扱えるようになるさ」


 つい俺は気取った風に言葉を返す。教える立場ってのも悪くない。

 ひと通り練習したあと、俺たちは適当な木陰を見つけて腰を下ろし、簡易の弁当を広げた。パンと干し肉、野菜の浅漬け――質素だがエネルギー源にはなる。リーシャは早速かぶりつきながら、「火と土がすごいなら、水と風も負けてないですよね。実は、昨日の夜中にイメージを膨らませてみたんです」と、目をきらきらさせて言う。


「お、相変わらず熱心だな」

「だって、私――もっと強くなって、みんなに認めてもらいたい……リュオさんに教わったことを物にしなくちゃ」


 聞いてると、俺までつい嬉しくなってくる。


「理論は言葉で済むが、体得は時間がかかる……まあ焦らずにな。今日だってまだ始まったばかりだろ」

「うん、そうですね……! 焦らない、焦らない……」


 そう自分に言い聞かせるように彼女は頬張り、次の訓練に向けて気合いを入れ直す。

 だが、気付けば日がずいぶん高くなっていた。そろそろグラドールに戻ってみるか――兵士が大きく動いてるってギルドで言ってたし、様子を見たほうがいいだろう。


 街へ戻る途中、見えてきた城門はやけに騒がしい。兵士がこぞって矢筒やら長槍を運び出している。遠目にも、ただ事ではなさそうだ。


「何だ? 戦争でも始まるのか?」


 俺が軽口を叩くと、城壁の上から誰かの怒声が飛んできた。


「もし『深淵熊』が街道に出没したら、弓隊を配備して足止めしろ!」


 どうやら大きな熊型の魔物が絡んでいるらしい……これは面倒な話だ。

 リーシャがこっそり耳打ちしてくる。


「深淵熊……ですか? 聞いたことないんですけど、普通の熊とどう違うんでしょう……」

「まぁ、俺も直接は見たことないが、噂じゃ瘴気に染まった化け物で、普通の熊より二回りはデカいらしい。しかも凶暴さも段違いだとか」

「た、ただでさえ熊って怖いのに、それが凶暴化って……」


 近くの守備兵がちらっとこちらを見て、声をかける。


「あんたら、冒険者か? 最近、街道沿いでやたら大きい熊が目撃されてるんだ。気をつけてくれ」

「珍しい話だな。街道付近まで来るとは……兵士総出で狩れないのか?」

「それがそうもいかないんだ。あまり追い詰めすぎると隣国に逃がしてしまう可能性があってだな……」


 兵士の深刻そうな顔に、俺もさすがに顔をしかめる。モンスター退治は日常茶飯事だけど、深淵熊級となると話が違う。リーシャが唾を飲んで小さく「怖そう……」と呟いた。


 街中へ進むと、ギルドの入り口が妙に人だかりになっていた。近づいてみると、受付のシェリルっぽい人と、ギルドの支部長らしき男が何やら書類を掲示しているところだった。

 俺はその支部長の姿を見て、この人が例の支部長かと内心思う。噂では、グラドール支部を取り仕切るベテランらしいが、まだ一度も面識がなかった。筋肉質で精悍な顔立ちをしていて、一目でただ者じゃないとわかる。


「すみません、通してもらえますか?」


 群がる冒険者たちをかき分けて進むと、シェリルが「リュオさん! ちょうどよかった……」と声を上げた。彼女の横で、支部長の男がこちらをちらりと見やる。


「お前らが……ええと、リュオと……リーシャ、か。最近、腕の立つ新人って噂は聞いてるぜ」


 どこかぶっきらぼうな口調だが、悪い印象はない。むしろ現場主義の堅実さを感じる。


「さっき騒ぎを見かけましたが、深淵熊の討伐依頼ですか?」


 俺が問うと、支部長らしき男――セリグが深く頷いた。


「その通り。兵士だけじゃ不安な部分がある。報酬は多く出せないが、街道の安全確保が第一だから、冒険者に協力してほしいと思ってな」


 脇でシェリルが緊張した面持ちでこくこく頷いている。こんな依頼を受ける人材は限られるだろうから、必死なのかもしれない。


 リーシャはぎょっとした顔だ。ここで「絶対やります!」とはさすがに言えないらしい。気持ちはわかる。相手は巨大な瘴気熊、しかも荷馬車を潰すほどのパワーを持っている。迂闊にやられたら命はない。

 ただ、ここで引くのは甘えだ。


「……もし可能なのであれば俺たちが受けましょうか?」


 横目でリーシャを見ると、彼女はハッとして「リ、リュオさん、本当に受けるんですか?」と半ば反射的に聞いてくる。


「受けるさ。ほら、お前だって『強くなりたい』って言ってたろ。大物相手こそ成長のチャンスだ」

「それは……そうですけど……」


 迷いの色が浮かぶリーシャ。けれど、彼女はしばらく唇を噛んだあと、意を決したように言い放った。


「わ、私もがんばります。恐ろしい魔物だけど、リュオさんが一緒なら……やってみたいです!」


 その言葉を聞いて、セリグは目を丸くして俺達ことを見つめるが……次の瞬間、大きく頷いた。


「いいだろう。本来、レベル1の冒険者にこんな依頼は任せられないが……君たちにはコボルドシャーマンを倒した実績があるからな、こちらからお願いしたいくらいだ」


 彼はそう言って、掲示板から依頼用紙を取ると俺達に渡してくる。初対面だけど、どこか信頼してくれているのが伝わってきて、それは悪い気分じゃない。


 討伐依頼を受領し、ギルドを後にしたころ、空は茜色になりかけていた。リーシャが「はぁ……本当に受けちゃいましたね」と小声で漏らす。今さら感ありありだが、まぁ不安なのは無理もない。


「やるって決めたんだ。明日以降、兵士と一緒に街道を捜索することになるだろう。その前に、もう少し魔力を整えたり、必要な道具を揃えたり、やることはいろいろあるさ」

「はい。……私、風属性と水属性の魔法を上手く組み合わせてサポートするのにチャレンジしたいです」

「いい心意気だ。相手は大型だろうし、一瞬の隙を突いて仕留めれば勝機はある。あとは俺も全力でカバーするから、そうビクビクすんなよ」


 笑い合っていると、突如、夕空の端に妙な紫色が混ざっているのが目に入った。リーシャは敏感に鼻をひくつかせる。


「……やっぱり、瘴気の臭いが少し強くなっている、気がします」


 俺はその空を眺めながら、やれやれと肩をすくめた。


「……深淵熊も瘴気に煽られてるんだろう。あまり長引くと街道の被害が増える」

「早めに片付けたほうがいい……ってことですね」

「そういうこったな」


 宿へ戻ろうと歩いていると、道すがら他の冒険者が「あの熊のうめき声、夜道で聞こえたんだってよ……」とか「誰か一撃で仕留めてくんねーかな」などと怯え混じりの雑談をしているのが耳に入る。噂だけで街が一気にピリついてる感じだ。


「ねえ、リュオさん……私、正直いま内心ドキドキしてます。勝てるのかな……」


 リーシャがぽつりと弱音を漏らす。俺は彼女の頭をくしゃっと撫でてやった。


「まぁ、簡単じゃないだろうが、俺とお前ならやれる。今まで特訓してきた成果を見せるときだぜ」

「……はい!」


 宿の前に着いたころ、空の紫はさらに濃くなっていた。陰影の深い雲が、夜の帳を引き寄せているかのようだ。リーシャは狼耳をそわそわ動かしながら、俺を振り返る。


「明日は早めに行動ですよね? 兵士さんたちが一緒に街道を回るって言ってました」

「ああ。なるべく昼のうちに決着をつけたい。夜になるとこちらの視界が悪くなるし、相手が闇に慣れてたら手強いからな」

「そうですね……やっぱり夜の荒野で熊と戦うなんて無謀すぎますし……」


 彼女が胸をなでおろすように息を吐いたとき、まるで地の底から鳴るような、ずしん……という低い音がどこか遠くで響いた気がした。


「……いまの、なんだろう。地鳴り、かな?」


  リーシャが震える声で言う。俺も耳を澄ますが、それ以上は聞こえない。かすかな残響だけが、夕闇に溶けていく。


「どっちにせよ、気にしすぎても眠れなくなるだけだ。明日は朝イチで出発する。しっかり休んで、体力を回復しておけ」

「……はい、わかりました!」


 宿のドアを開け、中に入ると明かりがぽんと灯っている。女将がにこやかに「いらっしゃい、今夜の夕飯はどうする?」と声をかけてくれた。俺たちは軽く腹を満たしてから部屋へ向かう。

 廊下でリーシャが足を止め、「お風呂、後で行こうかな……」と呟く。獣人は体臭に気を使うから風呂好きが多いと言うが、彼女も例外じゃない。


「じゃあ、俺は部屋に戻って作戦を整理しておくわ。後で合流な」

「はい! お風呂入ったら、私も打ち合わせに参加します!」


 嬉しそうに尻尾を振りながら、リーシャは浴場のほうへ駆けていった。早く不安を洗い流しておきたいのかもしれない。


 部屋に入ると、ライトをつけ、テーブルの上に小さな地図を広げる。北街道の沿線が怪しい……兵士が東回りを受け持つなら、俺たちはどのルートを取るのがベストか。相手が逃げ回ると探索時間が長くなるし、下手に奥へ入りすぎると瘴気も濃い。


(できるなら最初の遭遇で決着をつけたい。リーシャが相手の位置を察知してくれれば……早めに遭遇できるかもしれないな)


こうして考え込んでいるうちに、ノックの音が軽く響いた。


「リュオさん、失礼します……」


 さっきよりも髪がふわりと湿ったリーシャが顔をのぞかせる。まだ浴衣みたいなものを羽織っていて、ほのかに湯気が立っている。


「早かったな。じゃあ、明日の作戦を簡単にまとめるぞ」


 テーブルを挟んで地図を示す。北街道は森と平地が入り混じっていて、行商人が通るメインルートでもある。もし深淵熊が昼間に彷徨いているならすぐ見つかるだろうが、森の中に隠れていると厄介だ。


「見つけたら、まずは俺が接近しつつ火の剣で動きを封じる。そしてお前は、風か水で相手の動きをさらに阻害してくれ。大きい相手だから、一箇所に集中してもらえばいい。足元を滑らすとか、視界を奪うとか」

「はい、わかりました……でも、本当に私、熊相手に通用するかな……」

「やってみなきゃわからないだろ? それに実践で試す絶好の機会だ。俺がちゃんとフォローするから安心して挑め」


 俺がそう断言すると、彼女はやっと微笑む。


「ありがとうございます……。リュオさんがそう言ってくれると、自信が湧いてきます」

「ああ。大熊なんて滅多にない大物だが、乗り越えられればお前の糧になる」


 気づけば外は完全に夜で、窓の向こうには紫がかった闇が静かに広がっている。どこかで野犬の遠吠えか、魔物の唸りか、そんな不穏な音が微かに混じっているように感じる。

 ふとリーシャが窓辺に目をやり、「きれい……」と呟いた。なるほど、星空の微かな光が霞んで映えている。けれど、その裏には瘴気の影もあると考えると、綺麗だけでは済まされない、妙な緊張感だ。


「よし、早く寝るぞ。明日に備えて体力を温存しとくのも戦術のうちだ」

「はい! おやすみなさい、リュオさん」


 彼女は恭しく一礼して自室に戻っていく。見ていて、ちょっと大げさだなと思わなくもないが、そこがリーシャらしい。

 一人になった俺は、剣の手入れをしながら頭の中で繰り返す。

 ――深淵熊。どれほどの脅威か、未知な部分もある。だが、それを恐れていたら冒険者なんてやってられない。ましてや、ここグラドールで生きていくには戦いを避けるわけにはいかないんだ。


 剣を鞘に収め、ベッドに体を沈めると、まぶたがずしんと重くなる。窓の外から遠くに聞こえるような地鳴りが、どこか子守歌じみたリズムを刻んでいるようにも思えた。


(どうなるか分からんが――できることをやるだけだ。リーシャのためにも、俺自身のためにも)


 最後に深呼吸し、意識を手放す。紫の夜は不安を煽るけど、案外、そうした緊迫が冒険者の血を騒がせるのかもしれない。

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