おまけ 転結編 大きな彼女の木の下で
目の前が暗い。どうやら私は眠っているようです。海外のドラゴン・ゴリラドレイクとの戦いは熾烈を極めました。
私は水上歩行の魔法で海面からゴリラを攻撃。ネコドラゴンさんは空からの攻撃。それは海上と上空からの二面攻撃。それでも戦っているのはほとんどネコドラゴンさんでしたけど。
最後、ゴリラはウホウホ言いながら海底に沈んでいきました。じゃあ勝てたんだ。たしか私たちは力尽きて……
「アリスさん、アリスさん」
目を覚ませば、波打ち際で横たわっていました。見上げればボロボロのネコドラゴンさんがいます。良かった。生きてた。
「ここは?」
「どこかの島の砂浜のようですね。王都ではありません」
戦いのあと、二人とも力尽きて海面に倒れたんでしたっけ。海を漂って、この島に漂着したようです。
身体を起こそうとするも、うまく立ち上がれません。戦いで疲れているのはもちろんですが、なんだか熱っぽいような、だるいような。波が顔面にかかり、口の中に海水が入って来るのですが、潮の味がしないのです。
「ダメだ。立てません……」
どうしたんだ、私の身体。
「誰だい?」
そこへ空から何者かが降りてきました。顔を上げるのも苦痛で、それでも視線を向けてみれば。そこにいたのは眼鏡をかけたドラゴンだったのです。
★
「うん。目が覚めたみたいだね」
再び意識を失っていたようです。気がつけば大きな部屋の大きなゴザの上に寝かされていました。天井も窓も、何もかもが大きい。ここはどこ?
「よかった。アリスさん」
覗き込んできたのはネコドラゴンさんです。最初の声の主は眼鏡のドラゴンでした。海外のドラゴンの仲間? でもウホウホしてない。
「僕はこの島で医師をしているんだ。ここは名もない島だよ」
「このドラゴンさんが助けてくれたの」
彼女はそう言いました。するとここはドラゴン医院。彼女の身体には手当てが施されています。彼女もドラゴン医師に助けられたようです。
「キミはこの島のウイルスにやられたようだね。でも大丈夫。眠っているあいだにドラゴンの血を飲ませておいたからね。じきに元気になるよ」
「私、ドラゴンの血を飲んだんですか」
「大丈夫さ。まれに人間が漂流して来て、ウイルスに侵されるんだけど、僕らドラゴンの血を飲ませれば元気になった。キミが飲んでも平気さ」
ウイルスに侵されていたんですか。どうりで熱っぽかったわけだ。
「助けていただき、ありがとうございます。私はニューロッパ王国から来たアリスと言います」
「キミは人間だね。それにしてもネコドラゴンさんのほうは、その、僕らに似ているというか、似てないというか」
ドラゴン医師は彼女に視線を向けました。彼女のシルエットはドラゴンですが、ネコの要素も多分にあります。
「キミ、酷く衰弱しているね。どうしたんだい?」
「それは……」
医師はネコドラゴンさんの身体に気付いている。もしや、この医師なら彼女のことを救えるかもしれない。そのとき。
「いるか? 入るぞ」
外からしゃがれた声が聞こえてきます。
「僕が呼んだんだ。キミたちが島に来たことをドラゴン村長にも伝えたんだよ。どうぞ、入って来てください」
そうして、床まで届く暖簾を潜って入って来たのは、髭を生やした老ドラゴンでした。
「ドラゴン村長ようこそ。あれ? バケネコ村長も来たんですか」
「当然さね。この島の客人なんだろ。アタシにも紹介しな」
続いてやって来たのは大きな老猫でした。毛が長く、二足歩行です。雰囲気からしてお婆さんです。ドラゴン医師は私と彼女を紹介しました。
「海岸で倒れている二人を見つけたんだ。酷いケガをしていて。あれ? 二人とも?」
二人の村長はネコドラゴンさんに釘付けです。
「倅に似ている。オヌシは一体」
「うちの娘にそっくりだ。アンタは……」
彼女は困惑した様子で口を開きました。
「私の父はドラゴン、母はバケネコでした。二人は駆け落ちの末、私を産んだと言います」
「するとオヌシはワシの……」
「だったらアンタはアタシの……」
二人の村長の口から「孫」という言葉が出たのでした。
★
ここは名もなき島。島には東にドラゴン村、西にバケネコ村があり、それぞれの生物がそれぞれの村で暮らしています。
「だけど村の境界線を巡ってケンカしているんだよね」
ドラゴン医師いわく、境界線には杭が打たれていたものの、バケネコ村側に勝手にずらされたり、ドラゴン村側に誰かが移動してしまったり。そんなことが数百年続いたせいで、もう誰にも本来の境界線が分からないとのことです。
「昔は島の真ん中に杭があったんだろうね。でも岬が崩れたり、海岸線が侵食されたりして、島の中心も時代によって異なるからね」
そんな島に存在する、たった二つの村の村長の前にネコドラゴンさんが現れたのでした。
「私が生まれたのは人間の国・ニューロッパ王国です。物心ついたときには、両親とともに山で暮らしていました。両親からは遠い島から来た、とだけ聞かされていました」
ネコドラゴンさんは両親の死後、思い切って街に行き、少しずつ人間と仲良くなったのです。
ドラゴン村長は頷きました。
「村の境界を巡り、二つの村は対立していた。二つの村の交流は最低限。そんなとき、倅はバケネコの娘と恋をした。ワシは反対した。ある日、倅はバケネコの娘と駆け落ちした。行き先は恐らく人間の国。しかし当時のワシは倅の行動に怒りを覚えて追いかけようともしなかった」
「人間の国で子供をもうけていたなんて。ああ、娘たちは死んでしまった。でも、こうして孫が会いに来てくれた。嬉しいよ。さぁ、顔を近くで見せておくれ」
バケネコ村長は涙ぐみながら彼女に手を伸ばします。彼女は一歩踏み出すも、倒れてしまいました。ドラゴン村長は慌てます。
「大丈夫か。こらババァ、ワシの孫に無茶させおって。ケガしとるんだぞ」
「黙れジジィ、アンタが強面だからビビっちまったんだろうが」
「違うんです、二人とも。これは私の体質なんです」
最後に桜を食べてから、丸一日以上が経っているはずです。衰弱していてもおかしくありません。ドラゴン医師が彼女をゴザの上に寝かせます。
私は二人の村長に全て話して聞かせました。彼女が人間の国で英雄だったこと。流星から皆を守るために死んだこと。数日前に生き返ったこと。桜を食べないと死んでしまうこと。そんな状況でゴリラと戦わされたこと。
「ワシの孫が、そんな運命に」
「まったく人間ってヤツは……」
バケネコ村長が私を睨みつけます。仕方ないと思いました。
「やめて下さい。アリスさんは私のために泣いてくれました。一緒に戦ってくれました。死線に赴いたのは、いつだって私の意思です」
彼女の言葉に、バケネコ村長の逆立った毛は大人しくなっていきました。私は聞きました。
「皆さん、この島に桜はありませんか。なければ、彼女を助ける手段はありませんか。お願いです。教えて下さい」
二人の村長は視線を落とすばかりで答えてくれません。
「お医者さんは私をウイルスから救ってくれました。身体はすっかり楽になっています。彼女も救って下さい」
「そもそも死んだ生物を復活させるなんて」
ドラゴン医師は困った表情を作るだけです。
「いいんです。アリスさん」
彼女は立ち上がりました。
「まだ立てます。空も飛べます。最後に両親が育った島に来ることができて良かった。お爺さん、お婆さん。両親が見た景色を、私にも見せてくれませんか」
★
ドラゴン村長とバケネコ村長は、私とネコドラゴンさんを案内してくれました。彼女の父親が初めて空を飛んだ『試練の崖っぷち』。彼女の母親が通っていた『ネコじゃらしの花畑』。
彼女は衰弱した身体で、懸命に両親の足跡を辿っていきました。残り時間を素敵な思い出で満たすかのように。執念すら感じました。
事情を知ったドラゴン村、バケネコ村の住民たちは彼女を歓迎しました。それぞれの村で年配のドラゴンやバケネコから両親の話を聞く彼女。大きなお仲間に囲まれた大きな彼女を見ていたら、なんだかこちらまで嬉しくなってきました。よかったね。ここでの私の役割なんてありません。ニコニコしながらついていくだけです。
初日はドラゴン村に泊まりました。二日目はバケネコ村に泊まりました。彼女が寝たあと、私は外に出て思いきり泣くのでした。
三日目の朝。彼女は動けなくなっていました。何体かのドラゴンが彼女を空輸で医師の元に運びます。
「ネコドラゴンさん」
私が呼びかけると、彼女は目をつぶりながら、わずかに口を動かし「お父さん……お母さん……」とつぶやきました。
五日目。ドラゴン医師の処置も虚しく、彼女は衰弱していくばかり。
「こんなヤブ医者のもとじゃ治るもんも治らないよ。早くバケネコ村に運ぶんだ」
「バケネコ村の医療体制はネコ騙しだろうが。今どきインチキ祈祷師なんぞ」
ドラゴン村長とバケネコ村長はケンカを始めます。こんなときにケンカなんて。
二人の口論は、彼女の両親を駆け落ちさせたことの責任に発展し、さらに島の命名権、やがては村の境界線論争に発展しました。
「二人とも、ケンカはやめて下さい」
「ネコドラゴンさん!」
彼女は、これまでの昏睡状態が嘘のように立ち上がりました。けれど声には生気はありません。
「私、もうダメです。最後に行きたいところがあるんです」
「そんな身体じゃ無理だよ」
医師は言いましたが、彼女の強い眼差しと絞り出すような声を受けて、それ以上言いませんでした。
彼女はヨロヨロと外へ出ました。やはり、もうすぐ死んじゃうんだ。そう思わせる足取りだったため、私の心は締め付けられました。もう空も飛べません。
転びそうになると、二人の村長が両脇を支えました。それを見たドラゴン村の住民があとを追いかけます。話を聞きつけたバケネコ村の住民が駆けつけます。
多くの島民が見守る中、行きついたのは村の境界線を意味する杭のある場所でした。
杭の数十歩だけ東側にはロープが地面を走っております。西側にも数十歩先にロープが敷かれてありました。
「あれは何でしょうか」
島を案内してもらったときにも見かけました。どうやらロープは島の端から端まで張られているようです。
「村の境界の不確定域の印さ。ロープのあいだはどこの村のものでもないんだよ」
医師が説明してくれます。
「あまりに諍いが多いんでね。ネコドラゴンさんの両親が駆け落ちしたとき、その友人たちが作ったんだ。島民の中には関係なく作物を植える者もいるけどね」
グレーゾーンというワケですね。
「ふんっ。昔の杭はもっと東側にあったぜ」
「なんだとっ。オマエらが真夜中に杭を動かしていることくらい、分かってるぞ」
一部のドラゴンとバケネコが口論を始めました。こんなときに。
ネコドラゴンさんは杭の近くに横たわりました。
「ネコドラゴンさん」
「両親が育った村のあいだで最期を迎えたいんです」
彼女は二人の村長に目を向けました。
「お爺さん、お婆さん。最後に会えて良かった。ありがとう。もうケンカはしないでください」
「こちらこそ会いに来てくれてありがとう」
「この歳になってケンカの仲裁をされるなんてね」
二人は大粒の涙を流しました。私も涙で前が見えません。
「アリスさん……」
彼女が名前を呼んでいる。涙よ消えろ。彼女の顔をしっかり見るんだ。
「最後までお友達でいてくれて、ありがとう……」
「こちらこそ」
もっと気が効いた言葉を投げかけたかったけれど、胸がいっぱいで、喉から出てきたのは陳腐な返しでした。
私は彼女の大きな手を握りました。そして彼女は目をつぶり、小さな溜息を吐き、白い顔から、なにか大切なモノがふぅっと消えていき……
私は彼女の手をそっと地面に置き、涙がボロボロと、地面に落ちては吸い込まれていくのをひたすら眺めていました。
バケネコ村長の手が私の肩を叩きます。そのとき。
ネコドラゴンさんの亡骸に異変が起こりました。みるみるうちに毛が抜けて白い肌は樹皮のように硬くなっていきます。翼は何本にも裂けていき、大樹の枝のように広がっていきました。大きな四肢は根を張るように地面に埋もれて行きます。
そして……まるで彼女がピンと背を伸ばしたような、巨大な白い幹の、満開の桜へと変化したのでした。
それは純白な彼女が桜の冠を被ったような、誇らしい姿です。御神木の力で生き返った彼女。これも御神木の力でしょうか。
私は振り返って皆さんに言いました。
「ここは、村の境界の不確定域は、今からネコドラゴンさんの村になりました。ドラゴン村でもバケネコ村でもありません。彼女の村です。もう、二つの村で争うのはやめて下さい」
ドラゴン村長は頷きました。
「ケンカの末に倅を失い、倅の恋人も遠い地で死なせ、孫は死んで生き返り、また死んだ。そんな孫は最後にケンカの心配をしていた。させてしまった。ワシらは何をやっていたのだろうな」
バケネコ村長は涙を拭いました。
「村民に告げる。この場所はネコドラゴン村だ。ここで畑を作る予定だったヤツはアタシの所の畑をくれてやる。だからもう、ケンカは無しだよ」
こうして長いあいだ続いていた村の境界線論争は幕を下ろし、私の友達の短くて長かった第二の人生が終わったのです。
★
「人間の国に帰る方法? あるぞ」
「あるのですか」
ドラゴン村長宅でゴハンを頂いていたときのことです。ネコドラゴンさんは帰るべき場所に帰り、行くべき所へ行った。この島で私のやるべきことなんてありません。そろそろニューロッパへ帰らなければ。
しかし方法なんて。そんなことを口にしたら、ドラゴン村長が教えてくれました。
「まれに人間が島に漂着するのだ。人間には転移魔法陣を使って人間の国へ帰ってもらっておる」
「そんな話、聞いたことありませんが」
「当然じゃ。この島に来た者には記憶喪失になる酒を飲ませているからな。人間の国でこの島のことを吹聴するなんて無理なことだ」
しかし気の効いた魔法陣があるモノですね。詳しく聞けば、その魔法陣は白騎士と名乗る魔法使いが作成したモノだと言います。ここに漂着した人間のため、そして島が厄災に晒された際の島民の脱出手段のために作ったと言います。もう何十年も前のことだとか。
「では、私は魔法陣で国へ帰ろうと思います。これから案内して頂けますか」
「もう帰るのか。孫の友人にはもう少し居てほしかったが。む、良いことを思いついたぞ」
★
その日の夜のこと。私のお別れ会という名の宴会が催されました。場所はネコドラゴン村。大きな彼女の樹の下で。彼女の新たなお誕生日会も兼ねています。
ドラゴン村、バケネコ村、双方の住民が駆けつけてパーティーが開かれました。桜の木の下で宴会なんて、なんだか変な感じです。
みんな桜を見上げて、楽しそうにしています。こんな桜の見方も、良いかもしれません。
私は桜になった彼女を見上げ、もうお話できないこと、この先会えないこと。そんな事を考えていたら悲しみが込み上げてきて、どうにも抗えずに泣いてしまいました。すると桜の花びらが、私にばかり降って来るのです。それはまるで、もう泣くなと彼女が語っているみたいでした。
「そうだよね」
今は彼女が目の前にいるんだ。今日くらい笑って過ごし、明日から気が済むまで泣こう。そう決意してご馳走をほうばりました。
すると、お世話になったドラゴンさんやバケネコさんが次々とお酒を注ぎにやって来て、あっという間にほろ酔い気分になったのでした。
「もっとお酒が飲みたいなっ」
酒蔵へ行くと、酒壺に入った美味しそうな紫色のお酒がありました。イイ匂いです。
「無礼講というヤツです。飲んでしまいましょう」
あまりの美味しさに一本開けてしまいました。
そして宴会が終わり、村長たちが私を転移魔法陣へ案内してくれます。
私は桜の彼女にサヨナラと言い、村長たちのあとを追いかけました。
『さようならアリスさん。また来てね』
彼女の声。振り向けば、桜の枝が風に揺れて、手を振っているかのようでした。
「これが転移魔法陣」
両手を広げたほどの大きさの魔法円の中には、たくさんの魔法式が描かれていました。こんなすごいモノを作った魔法使いは何者なんでしょうか。
「この上に立って呪文を唱えれば転移できる」
「アンタは孫の友達だ。来年、桜の季節になったら、この魔法陣を使って遊びにおいで」
「はい。ネコドラゴンさんとも、そう約束しましたから」
二人の村長は不思議そうな顔をしました。私は魔法陣の上に立ちます。
「ところで私以外の人間は記憶喪失の状態で戻ったんですよね」
「そうさね」
「では、魔法陣そのものに記憶を操作する要因はないと」
「うむ。人間には記憶喪失の酒を飲ませておる。紫色のイイ匂いの酒だ。今宵、オヌシには飲ませていないから安心せい」
そうでしたか。……あれ? そのお酒って、どこかで見たような。
二人の村長は呪文を唱えます。魔法陣から光が溢れました。
「この呪文、忘れるでないぞ。再びこの島にくるとき、人間の国にある魔法陣に立って呪文を唱えるのじゃ。オヌシの身体にはドラゴンの血が流れておる。ワシらは仲間じゃ」
「孫を連れてきてくれて、ありがとうよ」
光が濃くなり、魔法陣の中心にいた私には、二人の顔が見えません。記憶喪失のお酒って……まさか……
★
ここはどこ? 私はだぁれ? ええ、アリス。
気がついたら王都の北東部にある山の中にいました。足下には魔法陣が描かれております。複雑な魔法式が描かれております。
「こんなモノを地面に描くなんて、随分と暇な人間がいたものです」
それにしても私、どうしてここにいるのでしょう。真夜中の山中で。
あちらには山桜が見えます。もう散ってしまったのか、花はつけておりません。
「なにか大事なことを忘れているような。とりあえず、自宅のある王都へ向かいますか」
そして山を降りて二日目の朝、ようやく王都の外壁が見えてきました。
それにしても山から王都まで、こんなに時間がかかりましたっけ。以前はビューンっと空を飛んで行ったような。でも私には飛行魔法は使えないし。そもそも重要な約束を忘れるような。ここ数日間何をしていたのか。全然思い出せません。
「まぁ、いいか。とにかく帰って来れたんだし」
王都の入口では、王都に用のある商人や旅人が通行止めをくらっています。
「現在、王都封鎖の状態だ。帰れ」
「オマエ、熱があるだろ。ここから離れろ」
「前の人間と十分距離を取って並べ」
騎士の皆さんが来訪者に罵声を浴びせています。ずいぶん物々しいですね。旅人や商人の顔を見れば、まるで熱があるのか疲れている様子でした。
私はここの住民です。住民票を見せれば、サラッと通過できます。はい住民票。
「待て。王都は立ち入り禁止だ」
入口の設けられた関所を越えようとすれば、数人の騎士が行く手を塞ぎます。全身フルプレートで顔には仮面を被っているのです。戦争でも始まるのでしょうか。
「私はここの住民です。危険な武器なんて持っていません」
「武器の話をしているんじゃない」
「じゃあ、どうして入れてくれないんですか」
「流行病が蔓延しているんだ。キサマ知らないのか。四日前から感染者が急増して」
「知りませんよ。私、自慢じゃないのですが、ここ数日どこで何をしていたかなんて記憶にございません!」
「怪しいヤツめ。捕えろ!」
私は関所にある地下牢に捕らわれてしまいました。
「どうしてこんなことに……うう」
そして丸一日経ったときでした。
「英雄アリスが帰還しただと。そして牢に押し込めた? 相手は英雄だぞ」
「酷い人たちだよ」
「すいません。しかし口に布をしていなかったもので」
騎士が謝りながら牢の前にやって来ました。さらにこの国の大臣までやって来たのです。見事な玉子体型です。あとは小柄な女性。二人とも布を頭巾のような形にして口元を覆っています。なんで?
「アリス、生きていたのか。よかった。海外のドラゴンとの戦い。報告してくれぬか」
大臣は心底ホッとしたように私を見ます。
「海外のドラゴン。はて、何を抜かしてらっしゃるのですか」
「え? ネコドラと共に国を救うために戦ってくれたのだろう」
「ネコドラ? 麻雀の新しいルールですか」
唖然とする大臣さんです。いいから早く牢から出して。
「もしかして記憶喪失なのかもしれないよ」
「錬金術師の白ウサギ(P.N)よ、どういうことだ」
「アリスさんは海外のドラゴンとの戦いで大好きなネコドラちゃんを失った。そのショックで一部の記憶が失われたんだよ」
「なんと。ではネコドラの最期も聞けぬというのか」
大臣と小柄な女性は、可哀相な人へ向ける瞳を私へと送りました。
「ええ、私は牢に入れられて可哀相なんです。早くここから出して」
「そうはいくか。オマエは感染している疑いがある」
「うるさい騎士ですよ。なんの感染ですか!」
私の言葉に女性が応えます。
「アリスさんとネコドラちゃんが戦いに出向いた翌日、強い流行病が国内で蔓延したの。すぐに王様は外出禁止命令を国民に下したんだよ。どうしても外出するときは布で口元を覆うの」
「商人や旅人の自由な行き来も禁止された。この国はどうなることやら」
それで二人とも布で口元を隠しているんですね。そして騎士は仮面をしている。盗賊の下っ端みたいで、なんだかダサい。
大臣は肩を落とします。
「ああ、この場にネコドラがいてくれれば、素晴らしい助言をしてくれただろうに」
「今回の流行病には、桜のエキスもエクストラポーションも効果がないんだ」
さっきから二人はネコドラとか桜とか言っていますが、なんなのでしょうか。ああ、気になる。どうして気になるのか、気になる。
女性と大臣は酷く落ち込んでいます。それはそうと。
「私は流行病ではありません。ここから出して」
「うるさい女だ。いまどき口元を布で覆わず、外を出歩いているヤツは感染者に決まっている! 白状しろ!」
「なんて偏見の強い騎士でしょうね。もし感染したら、どんな風になるんですか」
「高熱が続き、味覚が無くなり、倦怠感に支配されるのだ」
「倦怠感なんて生まれてからずっとあります。それ以外はありません。こう見えてもアナタが思うより健康です。ここから出して!」
「そう言えば、そうだよね」
女性が首を傾げます。
「騎士よ、アリスを閉じ込めてから、どのくらい経つのだ」
「はい大臣。丸一日です」
「丸一日も不衛生な牢に閉じ込められていて、元気だぞ」
だから元気だって。女性が聞いてきました。
「もしかしたらアリスさんは抗体を持っているのかも。ねぇアリスさん。どこかで流行病になってから秘薬を飲んだことはない?」
「分かりませんよ」
だって、ここ数日のこと、よく覚えてないんだもん。女性は続けます。
「絶対に抗体あるって。そうだ。アリスさんの血から薬を作ろう。それを国民に飲ませれば、流行病も怖くない」
「それは本当かね。英雄は帰って来ても英雄だったか。よしアリスよ。血を献上するのだ」
「冗談じゃありませんよ。国民に飲ませる? そんなに抜かれたら死ぬでしょうが」
「死なないよ。お鍋一杯ぶんだけもらったら、あとは培養しちゃうから」
「致命傷でしょうが!」
こうして私は半強制的に血を取られてしまいました。貧血はエクストラポーションで治りました。
驚いたことに私の血で作られた薬を飲んだ人たちは、流行病を克服してしまったのです。
★
私のお友達に大切な子がいました。それが誰だったのか、思い出せません。
一年後、再び春がやってきました。
桜は花をつけ、王都の桜の名所は人でいっぱいです。私も池のある公園で桜の樹を見上げております。
「アリスさーん」
友人になった錬金術師の白ウサギ(P.N)さんは、ご馳走を持って駆けつけてくれました。
「来てくれましたか」
「うん。それにしても桜の木の下でゴハンを食べたいなんて、変なの」
「変でしょうか。皆さんも、そうしていますよ」
王国民は皆、私の血で作られた薬を飲んで流行病を克服。もう口元に布なんて当てがっていません。
そして今年の桜のシーズンになった途端、皆こぞって桜の木の下で宴会を開くようになったのです。白ウサギ(P.N)さんも不思議そう。
「どうしてみんな、桜を見ながらゴハンを食べたり、お酒を飲んだりするんだろうね。アリスさんは何で桜を見ながら食べたいなんて言いだしたの?」
「なんだか桜に呼ばれているような気がするんです。どこかの誰かに『また来てね』と言われたような。どうも桜と一緒に宴会をしなければいけないような」
「どこかの誰かと桜に、どんな関係があるの?」
「どこかの誰か。……分かりません。分かりませんが、どうしても、そうしたいんです」
「そうなんだ」
「白ウサギ(P.N)さんも、桜に呼ばれている気がして、ソワソワしませんか」
「……ふふ。少しするかも」
今年の春。桜の樹に会いに行かねばと、開花前から心が疼いておりました。それは皆さんも同じだったようです。昨年まで桜の花の前で人々がやることといえば、祈願することだけだったのに。
皆さん桜を見上げて、愛でて、呑んで、とても楽しそうですね。
それにしても、ここの桜。たしかに綺麗ですが、私が求めているモノと、何かが違うような。
一緒にゴザを敷きながら、白ウサギ(P.N)さんは言います。
「アリスさん、せっかく英雄枠で新しい仕事に就けたのに、すぐに辞めちゃうんだもん」
そうです。私は今年も無職。溜息だって出てきます。
「英雄と、仕事が出来る・出来ないは関係ないと思い知らされました。私にも出来る良い仕事はないものでしょうか」
働くこと自体が向いていないような。
「仕事がないって?」
そこに声をかけてきたのは、偶然通りかかった公園の管理人のお爺さんです。
「キミはたしか公園の掃除に熱心だったお嬢さんだね。実は公園の管理人の後継者を探していたんだ。熱心に桜の花びらを拾っていたキミなら適任。さっそく明日から働いてくれ」
えぇっ。どうして私が。
「良かったねアリスさん。桜の樹が好きなんでしょう。公園の管理人になれて良かったじゃん」
白ウサギ(P.N)さんまで。たしかに桜の下で宴会しようにも、お金がないんで友人に食糧を買ってきてもらうような身分です。働かなければお金がない。働くしかない。こんなに人が多い公園で。
はぁ……。私は桜につぶやきました。
「生きづらい世界ですよ」
おわり
神奈川県のとある一軒家の子供部屋。ここに、自作のおまけ回を終了させた男がいた。作者である。
「今回で本当に完結。ここまで読んでくれた読者の皆さん、ありがとう。さて・・・次は何を書こうかな」
そう呟く作者の目の前に虹色に輝くカーテンが出現した。そこから現れたのは本作の主人公、アリスである!
「作者ぁぁぁ!」
「創作物! なにしに来た」
「完結って何ですか! 私はこの程度で終わるような女ではありません!」
「でもオマエの物語がないんだよ」
「そう来ると思って次回作のタイトルを考えてきました。これを見て新たな物語を作って下さい。目指せ! ランキング常連! では、サヨウナラ」
アリスは封筒を作者に投げつけると、虹色のカーテンをくぐって姿を消した。そして虹色のカーテンも消える。
残された作者は封筒を手にした。
「帰ったか。封の中には新作タイトルが書かれた手紙があるのか。どうせなら物語も書いてほしいぜ」
作者は封を開き、アリスが考えたというタイトルが書かれた手紙を目にした。
『帰ってきたアリスさん! あの聡明な主人公が帰ってきた! 連続王都殺人事件! 舞台はご存知ナーロッパ。空飛ぶ聖剣が貴族を殺す 20年前ダンジョンに置き去りにされた赤ん坊とは? 王都~伯爵領、馬車で5日間のアリバイを暴け! 未来の自分にボコボコにされた男!』
作者はうめく。
「こ、これを書けと・・・」
作者は手紙をくしゃくしゃに丸め、ゴミ箱に投げつけた。
「書けるかよ!」
そして作者は正座し、全方向へ頭を下げた。
「これにて本作は本当に完結です。ありがとうございました。またお会いできる日を楽しみにしています、それでは」




