第12章 パターンB 終わりの始まり~私の居場所~
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『ローファンタジー』『童話』『自殺未遂』『宝くじ』『アリとキリギリスとヤツラ』『ビターエンド』
私、死ぬことにしました。
生きていたってろくなことはありません。大学は出られたものの、このご時世どこの企業も私なんて必要とせず、大学卒業の二か月前にやっと内定の出た派遣会社に入社してみれば、派遣される先はブラック企業ばかり。
会社を辞め、仕事を転々としてきましたが、どこに行ったって生来の要領の悪さがたたり、上司・同僚から叱られ、叩かれ、蔑まれ、毎日を陰鬱な心で過ごしておりました。
実力がないのなら、そのぶん努力で補えば良い。私にも、そんな考えの時期がありました。残業はもちろんのこと、早朝出勤や休憩時間にも文句を言わず、遅れを取り戻そうとしたこともあります。誰よりも職場にいたと思います。
しかし私が遅れを取り戻そうと喘いでいる時間、同期の者たちはさらに自分を高め、周囲との絆を深め、そして恋人を作り家庭を築いていきました。
気がつけば社会に出て10年。周囲との実力の差は埋まらず、しかも一人ぼっち。
社会人には向いていない。やっと悟って仕事を辞めました。ではどうやってお金を得て生きていこうか。そう考えたとき思い浮かんだのが……。
宝くじだったのです!
普通に買ったところで当たるワケありません。そこで私は巷に溢れる宝くじ攻略本を買い漁り、ネットで宝くじ高額当選のコツというものを調べ尽くしました。
さいわいにして私は無職。時間ならいくらでもあります。世の人々が仕事に追われている時間も、ミリオンダラーへの道筋を模索することができたのです。
宝くじ攻略本の通り、トイレ掃除や玄関掃除を毎日し、運気を高めていきました。カーテンやお財布を黄色のものに変え、辛い物を食べて、星に願いを託しました。購入日や購入場所は占星術・今日の占いや動物占い、九星方位占術、奇門遁甲、月占いを駆使して決めました。
購入する宝くじはジャンボ宝くじに留まらず、地方くじ、ロト、ナンバーズ、スクラッチ、サッカーくじ……。
購入した宝くじは西の方角にある神棚(買いました)に置き、崇め奉りました。
金銭運が上がるという神社へお参りにも行きました。購入のため方位学でラッキー方向を知らべ上げ、新幹線に乗って100キロ以上離れた都市にまで赴いたことがあります。
そして五年の月日が去りました。
「どうして当たらない……」
20代の頃に歯を食いしばって働いて、たいして娯楽にも興じずに溜めこんだ預金が底を尽きました。
考えてみれば宝くじの高額当選者のレポートを読んでみれば、もともとシアワセそうな人間か、そもそも宝くじには興味ないような人間ばかりが当選しています。
お金が欲しくてたまらない、当たってくれないと生活が成り立たない、そんな人間が当選したという話は聞きません。
失敗した。
お金がない。では働くか。そこで思い出されるのは仕事漬けだった地獄の日々。体力は削られ、無能さが招くパワハラ・カスハラによって精神が死ぬ瞬間を毎日と味わう……。
五年も社会から離れていた。バイトを探したところで面接がある。五年も何をしていたのか。どう答えればいいのか。
もう働けない。
死のう。
それは、ある冬の夜でした。私が住んでいる土地では珍しく、三月下旬だというのに雪が激しく舞い積もる日でした。日中から降り始めた白の氷華はすでに膝下まで積り、目の前を横殴りに落ちていく銀の結晶は、現実を幻想的な景色へと変貌させていきます。
今が楽しい人生なら、隣に恋人や友人がいたのなら、目の前の珍景は、はしゃぐに値できたかも知れません。仕事人間になれるほど仕事に没頭していれば、明日の出勤を心配し、灰色の空に文句を言っていたのかもしれません。
しかし吹雪の中で自殺場所まで歩く私にとっては、すでに現世とあの世の境界で死に向かって行く者の目に映る景色として、何ら違和感のないものに見えたのです。
深夜一時。大雪警報が発令され、夜のニュースでは不要不急の外出は控えるようにとありました。ニュースでは帰宅ラッシュの駅が映し出され、サラリーマンが残業や吞み会をきりあげて帰宅するところをインタビューされていました。
かつての私が選んだ自殺場所。産業道路の高架橋。周囲には何もなく、下は田んぼのため、身投げしたとしても、私の死体は朝まで発見できない。
何度も下見をしました。いえ、下見なんかじゃない。飛び降りるために行ったにもかかわらず、できなかった。生と欄干を手放すことに躊躇して、いつも夜明けになってしまった。
でも今夜は雪。見慣れぬ景色が、きっと執着を麻痺させてくれる。
何度も通った高架への道。すれ違う人はおろか、車もありません。酔えば飛び降りることもできるはずだ。そう考えてウイスキーを購入したコンビニ。こんな雪の中、今晩も暗闇に煌々と光を放っています。 こんな吹雪では人も来ないだろうに。
坂を上り、長い長い高架橋に辿り着き、生と死を隔てる欄干に積もった雪に手を這わせます。この場所の下はアスファルトではない。かつて確実に死ぬためにも硬い地面に頭をぶつけたかった私は、その先にある高架の中央部、欄干がフェンスに代わったところに向かいます。この場所の下はアスファルトの道。舗装されたあぜ道が田んぼを網のように巡っています。
「この場所でフェンスを乗り越えて、何度も下を眺めていたっけ」
私が人生で最期に行きつく先。そこへ何度も飛びこもうとしたけれど、理由も分からず出来なかった。この先、生きていたって良いことないのに。お金が無いのだから生きてはいけないのに。そう分かっているのに、私を全てから解放してくれるはずの硬い固い終着点に頭を向けて落ちることができなかった。
何を考えているんだ。かつての私はアパートに戻り、いつもいつも死ねば良かったと後悔した。お金がない。これ以上生きられないのに。どうして死ななかったのか。
醤油を一気飲みしました。一瞬だけ心臓がバクバクと高鳴っただけでした。風邪薬を40錠飲みました。就寝中に心臓が高鳴って飛び起きてトイレへ。何度も嘔吐しそうになり、それでも何も食べていないので吐くことはできず。しばらく経って気を失い、それを一晩のうちに五回も繰り返し、気付けば朝になっていました。首を吊ろうとしました。部屋にロープをかけられる所はありませんでした。
どうすれば人は死ねるのか。そんな悩みも今日で終わり。この雪の夜、私は死にます。
私は何回も飛び降りることができなかった。そんな私でも死ぬことが出来る方法。それは、この雪の中で眠ること。それだけで死ぬことができるはず。この夜の寒さなら、私を生の世界から引き離してくれる。
雪の中で眠っても、誰かに発見される恐れがある。高架の下の田んぼ道ならば、少なくとも朝まで発見されることは無い。私は高架に設けられた階段を下りて、田んぼの雪道に降りたちました。膝まである雪道を掻き分け、出来るだけ人目につかないであろう場所まで逝きます。振り返れば私の、小さな、つまらない轍。
そして、ここなら存分に死ねると思しき場所に辿り着き、身を投げだしました。睡眠薬は一箱分飲んでおります。
ああ、眠くなってきた。雪の冷たさが皮膚を通して、心に染みいってきました。天から降り注ぐ天使の羽根のような白銀が、死にゆく私を包みこんでいきます。汚ない身体を覆い、周囲の目に触れぬよう隠してくれるのです。それはまるで、虫の死骸を紙に包み込み、ゴミ箱に捨てるように。
これで死ねる。もう辛い想いはしなくて良いんだ。そう思うと、とても救われた気持ちになるのでした。これで、もう、傷つかない。怖いことは、もう、ない。良かった。良かった……。
…………身体がジンジンしてきた。雪って冷たいな。それにしても冷たすぎない? そもそも手が痛い。痛烈に痛い。きっと手の毛細血管が収縮して血のめぐりが悪くなっているんだ。手が痛い。まるで手をナイフで格子状に切り裂かれたみたい。痛すぎて、こんな手はいらない。これでは……!
「死ねないじゃないかぁぁぁ!」
痛くて眠れません。痛烈すぎて死ねません。寒さを通り越すと激痛が走るのですね。誰だよ、雪の中なら眠くなって死ねるって言ったヤツ。手が痛いだけじゃん。よく考えたら全身が痛いよ。顔が腫れぼったくて、靴が湿って不快感全開ですよ。
それに隣を見てみればキリギリスみたいなオッサンが横たわっているし。これじゃあ私がオッサンと心中したみたいじゃないですか。だいたい睡眠薬、全然効かないじゃありませんか!
私は再び叫びました。
「これじゃあ死ねない!」
やはり高架から飛び降りるか。でもこの積雪量では雪がクッションになって死ねない。アパートに戻ろうか。戻ったところで根本的な解決にはならない。どうすれば……。
「あの、大丈夫ですか?」
白の中、寒さで痛む手を、痛む手で包み込みながら苦悶に紛れて転げ回る私に話しかけてきたのは、一人の女性。黒い傘をさした蟻のような顔の色黒の女性でした。
★
「私なんて、生きていても何の価値もない人間なのです」
私は差し出された熱いコーヒーに口をつけました。熱いものなんて、いつぶりだろう。自殺を覚悟してからというもの、ろくに食べず、飲み物は全て水だったので。
「苦労なされたんですね」
正面の椅子に座る女性アリムラさんは、そう言いました。アリムラさんは雪の中で生にもがく私を、自身が住みこみで働いているという地下工場の休憩室まで連れてきてくれたのです。
「俺はろくでもない人生を送っていた。どうして皆が上手くやれるのに、俺だけ出来ないことが多いんだ」
隣で横たわっていたキリギリスのオッサンも、ここに連れてこられていました。聞けば恵まれない人生だった模様。仲間の裏切り、借金、ホームレス。ついに心が弱り切り、この雪の夜に死のうと覚悟し、なけなしの金で手に入れたウイスキーで酩酊状態になって眠ったまま死のうとしたそうです。同情します。
「どうしたら簡単に死ねるのでしょうね」
「まったくだ」
溜息が同時に漏れました。
「あの……」
アリムラさんです。
「よかったら、私たちと一緒に働きませんか」
「え?」
私とキリギリスの声が重なりました。彼女は続けます。
「お二人とも仕事で苦労なさったんですよね。だから働けない。お金がない。死のうとした。でも仕事なんて世の中にはたくさんあります。苦労しない仕事だってあるはずです」
「そんな仕事あるワケが」
私が視線を落とすと、アリムラさんは優しいトーンで続けます。
「たとえば、この地下工場で働いてみてはいかがですか。今は操業を停止していますが、春になれば再開します。常に人手が足りなくて困っているんです。試しに働いてみませんか」
「でも私、なにをやっても」
隣のキリギリスも涙を堪えて頷きました。アリムラさんは言います。
「仕事って相性だと思うんです。どこかに相性のいい仕事が必ずある。もちろん、ここの仕事とあなたがたと相性が良いなんて、まだ言えません。合わないと思ったら突然辞めても構いません。辛い、そう思う日まで私と一緒に働きませんか」
★
春になり、私は勧められるままに働くことにしました。
どういう心変わりが起きたのかと問われても、自分でもよく分かりません。自殺を考えるくらい人生どうでも良くなったから、誰かの意見に流されてみたくなったのかもしれません。
住みこみのお仕事でしたが、家賃を払うお金もなかったので丁度良かったです。説明会はありましたが、生い立ちや志望動機、特技などを聞かれることもありませんでした。
アリムラさんが働く工場は物流倉庫のような外観で、一面にシャッター扉がいくつも設けられております。トラックがバックで停車すれば、シャッターを開けて製品を積みこむことができます。
しかしそれは地表から見える、ほんの一部分。工場のほとんどが地下に埋まっていて、蟻の巣のようにいくつもの大きな部屋があるのです。大きな部屋は学校の体育館の四つ分でしょうか。
では工場で何をするのかといえば。
「狩り、ですか」
「まずは狩りです」
アリムラさんは説明します。
「まず山で獣を狩って、素材を確保します。獣の素材を使って、ここでカバンやコートを作るんです」
「作るんですか」
「はい。作業場があるので」
「それが、あの大きな部屋」
「さぁ準備しましょう」
言われるがまま耐熱服や安全靴、ヘルメットを手渡されました。アリムラさんたちも同じ格好。手には弓、背中には筒に収められた幾本もの矢。男性陣は槍や大剣を装備しています。
「アリスさんは初心者だから、これをどうぞ」
ジェラルミン製の楯を渡されました。結構重いですね。
「それでは行きましょう」
みんなで整列して工場の外へ向かいます。行き先は山と言っていましたね。
それにしても皆さん、色黒で蟻のような顔をしています。耐熱服の背中にはアリヅカとかアリヨシ、アリサワといった名前が刺繍されています。たしか私の背中には『備品』と書かれてありました。あ、私のほかにも『備品』がいる。よく見たらキリギリスでした。
山に到着。特別なお香を焚いて獣がやって来るのを待ちます。
「でたぞ。ジャバウォックだ」
飛んできたのは大きなコウモリ? 違う、顔は恐竜みたい。太ももが太ましい。脇腹から手首にかけて広がる皮膜を羽ばたかせ、こちらに飛んでくるではありませんか。
「アリムラさん、あれは」
「ジャバウォックです」
「ここは日本の山ですよね」
「お香に引き寄せられたんです」
「引き寄せられて来るものなんですか」
「降りてきます。気をつけて」
ジャバウォックは轟音と共に着地。周囲をクンクンと嗅ぐと雄叫びをあげました。
「怒っていませんか」
「いい匂いにつられて来てみれば、エサがない。それで怒っているんだと」
ええ~。
「攻撃開始!」
隊長格のアリゾノさんが叫ぶと、皆一斉に斬りかかります。
アリムラさんも矢を放って攻撃します。私は呆然とするばかり。
「アリスさんの今日の仕事は雰囲気を掴むこと。岩や火の玉が飛んできたら楯で防いで下さい。私たちは避けるので精いっぱいなので面倒見られません」
火の玉? ジャバウォックに目を向ければ、口元が陽炎のように揺らめいて見えます。あそこだけ気温が高いのかな。するとジャバウォックはクワっと口を開け、火の玉を放出させました。
アリムラさんたちは慣れた様子で散開していきます。逃げ遅れた私は楯を構えました。火の玉は前方数メートルに着弾。弾ける土と石、熱風を楯で防ぎます。楯、重くて良かった。軽かったら爆風で飛んでいったところでしたよ。
あっちではキリギリスが震えていました。足下には楯。パニックになっているのでしょうか。私は彼の元へ走ります。
「楯、ちゃんと持って下さい。これさえあれば生命は守れます」
「あ……ああ」
そのとき
「きゃあっ」
向こうではアリムラさんが転倒。すぐに起き上がるも、一歩踏み出した途端、蹲ってしまいました。足を挫いた様子です。
ジャバウォックの口が再び揺らめきます。悪い予感しかしません。
「キリギリスさん、楯を手にして走りましょう。アリムラさんを助けるんです」
「あ……」
キリギリスと私はアリムラさんの元へ急行。火の玉が放たれる寸前、駆けつけに成功したのです。二人して楯を構えます。今度は楯に直撃。
「ぬぅぅぅはぁぁいぃぃ」
うめき声が漏れるほど踏ん張りました。
「アリスさん。キリギリスさん」
「こういうときのための楯役です。さぁ、ジャバウォックなんてやっつけちゃいましょう」
驚いていたアリムラさんでしたが、立ち上がってワイバーンめがけて矢を発射。これが喉笛に直撃して戦局が傾きました。
一気にこちらの有利になり、数分後にはジャバウォックを倒したのです。
★
このあとは倒したジャバウォックを工場へ持って帰る。そんなことくらい想像していた私でしたが、まさか皆で担いで持って帰るとは思いませんでした。解体してトラックで運ぶものかと思っていたんですけどね。皆さん力持ちです。
工場へ持ち帰り、一階のエレベーターで地下へ搬入します。地下の大きな作業場で待ち構えていた作業員に受け渡すと、作業員はホースのような物をジャバウォックに射しました。
「アリムラさん。あれは?」
「血抜き用のホースです。血は乾かして粉末状にして漢方薬として用いられる。貧血に効くんです」
「血も貴重品ですか。それで現場で解体しなかったんですね」
「そういうことです」
血抜きが終わり、大型器具でジャバウォックを解体していきます。私たちも解体に参加。ただし皮を剥ぐ仕事は専門員が行っていました。皮はバックや腕時計のバンドに使うので慎重さが求められるんだそうです。
解体した肉はブランド品として出荷。骨は粉々にして肥料にします。歯や余った骨はアリムラさんが使う矢の鏃に使われます。
そして夜になりました。私とアリムラさん、キリギリスが所属する狩り部隊は、夜になれば翌朝まで自由時間となります。勝手に食事してもよし。自分のワンルームでテレビを見ていても良し。
しかし今日は仕事始めの日。食堂では盛大なパーティが行われます。テーブルの上には私たちが狩ったジャバウォックのお肉がありました。
「今日は助けてくれてアリガトウ」
話しかけてきたのは普段着に着替えたアリムラさんでした。
「二人をスカウトして本当に良かったわ」
「助けられたのは、こちらです。あの夜、声をかけられていなければ路頭に迷っているところでした」
「それは俺も同じだ」
居合わせたキリギリスも同意します。
「フフ。さぁ、食べましょう」
周囲の人にお酒を勧められました。よく見れば隊長格のアリゾノさんです。コップに注がれたのはウイスキーのストレート。一口飲むと、あまりのアルコール分にむせ返ります。このお酒って、こんなに濃かったんだ。死の恐怖を紛らわせるために大量に飲んでいたウイスキー。でも、死の前ではなんの役にも立たなかった。そんなウイスキーは今の私では濃すぎて喉が焼ける。
五年間、ずっと働けなかった。今日は一日、働けた。そんなことが、急に心を動揺させポロポロと涙を溢れさせました。薬をたくさん飲んで辛かった夜だって涙は出なかったのに。
ウイスキーを飲みます。ああ、美味しくないなぁ。
そんな私を見ていたアリムラさんが微笑みました。
「これからもよろしくね。アリスさん」
★
ここでの生活は実に快適でした。威張って来る人間、過去の失敗をネチネチと言ってくる人間、マウントを取って来る人間……そんな人はいませんでした。全員が友達のように接してくれる。ハラスメントとは無縁。もしや人間ではないのでは、そんなふうに錯覚してしまうくらいです。
友達のように接してくれると表現しましたが、ベタベタしているわけでもありません。仕事終わりはワンルームに引きこもり、お腹がすいたら食堂で食事をし、人が恋しくなれば大広間に行って皆でテレビを見ます。
ヒエラルギーも派閥もありません。たまに大広間に行っても、疎外感を感じることもありません。みなさんが皆さんのことを嫌うことなく、かといって極端に距離を縮めてくることもありませんでした。
職場を変えただけで、こうも生きやすいのか。これまでの職場では、自分を殺して歯を食いしばり、それでも周囲に追いつけず、だから『いらない者』として扱われていた。けれど、ここでは一生懸命仕事すれば結果が出て、周りから『アリガトウ』と言われる。
「まさか世の中に私に向いていた仕事があったなんて」
明日が怖くない。それは幼少期から味わっていない居心地の良さでした。
私の仕事は狩りをして素材を得ること。一ヶ月も経つと楯から剣に持ち替え、前衛として戦っていました。ブラックライオン、スモーキングキャタピラ、ハッピーオイスター、ジャバウォック……いっぱい倒して工場へ持ち帰り、素材となる肉や骨、皮を剥ぎとり加工して出荷します。それらで得たお金が工場の維持費になるのです。
それにしてもお香を焚いただけで様々なモンスターがやって来るとは驚きでした。山は生物の宝庫であることは知っていましたが、手足の生えた玉子まで出現するとは驚きです。
狩り部隊のほかに工場に常駐する製品加工部隊がいます。獣の皮や骨で製品を作るのは彼らです。雨で狩りに出られない日は、私たち狩り部隊は彼らのお手伝いをしていました。
そして三ヶ月が過ぎた日のこと。
いつものように山でお香を焚いていたときでした。これまで見たこともないような獣が空から舞い降りてきます。それは恐怖を形容したとしか言いようのない異形でした。
「アリムラさん、あの獣は一体なんですか」
「バンダースナッチ。まさかアイツがやってくるなんて。例年より一ヶ月も早いわ」
「なんだか説明しようにも全貌がつかめないモヤッとした風体なのですが」
「それがバンダースナッチです」
バンダースナッチは強敵でした。矢を跳ね返す表皮、剣技と渡り合えるだけの鋭い爪、変幻自在の鎖鉄球術を避けるだけの俊敏性。まるでこちらの動きを読んでいるかのような身のこなしでした。
私が挑むも、やはり剣は通用しません。キリギリスは槍を四本も持ち、すでに戦闘の中核を担っていましたが、そんな彼の槍術でもバンダースナッチには及びませんでした。
「なんだか一太刀も浴びせられないのですが」
「さすがバンダースナッチ。一個小隊では厳しいですね」
「そもそもアイツって大きいんだか小さいんだか。外見も鳴き声も雰囲気も、説明するとき苦労しそうな存在であるのは、どうしてなのでしょうか」
「それがバンダースナッチなんです」
そうこう言っている間にケガ人が十人を越えてしまいました。こちらの軍勢が三十人規模なので三分の一が戦えない状況です。
「こうなったら撤退しましょう」
私は隊長格のアリゾノさんに進言します。
「しかし又とない機会だ。バンダースナッチを倒せる機会はワンシーズンにあるか、ないかなんだ!」
どういうことですか。アリゾノ隊長はもちろん、ほかの皆さんも退く素振りは見せません。
「アリムラさん、どうして皆さんは」
「それがバンダースナッチよ」
「はぁ?」
「アリスさん、再生可能エネルギーって知ってる?」
「ええ。新聞やニュースで見かけます」
「説明して」
え? 再生可能エネルギーって言うからには、再生が可能なエネルギーなんでしょ。つまり。
「再生が可能なエネルギーです」
「それって何」
「環境に良いとか」
「なんのエネルギーなの?」
なんのエネルギーだっけ。アリムラさんは弓を引きながら答えます。
「再生可能エネルギーの正体はバンダースナッチの心臓部・魔石から生み出されるエネルギーのことなの。再生可能エネルギー。それはモヤッとした名称。モヤッとしたモノには必ずと言っていいほどバンダースナッチが関係するわ」
「たとえば学校でいじめの隠ぺいとか、教師のわいせつ事件が起きるたびに教育委員会が世間にモヤッとした返答をしていますが、もしかして」
「バンダースナッチが関係しているわ」
「驚愕の事実!」
「魔石は国が高値で買い取ってくれる。それも工場の維持、みんなの生活を一年以上も賄える金額で。だから皆、ここでバンダースナッチを倒してしまいたいのよ」
つまりマグロ漁船の船員からして見れば、一匹一億円の競値がつく大物に出会ったようなものなのですね。
「だから皆さん退かないと。それにしたって」
四本の槍を同時に操るキリギリスのイリュージョンな槍術が効かず、特攻隊長の異名を持つ格闘家アリヤナギさんも吹き飛ばされて、血と歯を撒き散らしながら地面を何度も転がります。
負傷者も全体の半数を越えてしまいました。
「アリゾノ隊長。撤退しましょう。これはもう狩りとは呼べません。これでは消耗戦、あるいは散り際です」
「しかし相手はバンダースナッチだ。ここで退いたらいつ巡り合えるか。ここで倒さないと」
「ケガ人が出ています。こんな強敵、今までいませんでした」
「それがバンダースナッチだ。倒せばケガ人の治療費を越えるほどの収益が得られる。ここで帰ったら治療費が嵩むだけだ。戻れるか!」
前衛担当者は無謀にもバンダースナッチに特攻していきます。バンダースナッチはゴミ虫を腕で振り払うように、苦もせずに仲間たちを蹴散らしていきます。ケガ人は二十人に迫りました。
吹き飛ばされ、肩から落下したアリゾノ隊長に駆け寄りました。
「戦力差が著し過ぎます。ここは撤退を」
「ダメだ。バンダースナッチを倒せばこの先、数年は安泰だ」
「いけません。このままでは負けます。皆さん、家族がお有りでしょう」
私はいませんが。
「アリサカさんは家族で工場にお住まいです。お子さんは工場から小学校に通っている。アリバヤシさんは奥さんが製品加工担当で、一歳の子は皆で面倒見ている。ほかにも家族ともども住みこみで働いている人たちがたくさんいます。ここでケガしたら、ご家族が悲しみますよ」
「家族のためにも、ここでバンダースナッチを倒すべきなんだ」
「逆です! 家族のためにも逃げるべきです。帰れる場所があるのなら帰るべきです」
「しかし」
「バンダースナッチを倒さなくても生きていけるのでしょう。ワンシーズンに一度会うか会わないかと仰っていましたよね。出会わないときもあるのでしょう。それでも生きてこれた。ハズレのシーズンは貧乏で死人が出たのですか」
「いや」
「でしたら逃げましょう。また今度戦いましょう。人員がたくさんいるときに。こんなに戦力差があるのなら、もう私たちは戦士とは呼べません。想定外の出会いは戦いとは呼べません。私たちは被害者です。戦う必要はないんです」
「…………」
「かつて私は死のうとしていました。でも今はそんな気は起きません。皆さんは死にたいんですか。どうしてバンダースナッチを倒したいんですか。魔石が欲しいんですか。生きて楽しい想いをしたいからでしょう。死を覚悟していい人間はこの世界に楽しいことがない人間だけです。明日頑張りましょう。もう帰りましょう。バンダースナッチには、また会えます」
「キミ、わけアリのようだな」
「隊長、進言します」
アリムラさんでした。
「撤退を。今ならケガ人を担いで逃げられる最低限の人員がいます。今日の稼ぎは無い。けれど、明日に想いを託すのもアリだと思います。私にはアリスさんが生きようとしているように思える」
アリゾノ隊長はしばし考え込むと、ケガ人を担ぎ出しました。
「動ける者はバンダースナッチめがけて発炎筒を投げろ。目をくらませた隙に撤退だ」
「アリゾノさん」
「故郷の家族を思い出した」
撤退開始。男性陣はケガ人を二人も担ぎ、私とアリムラさんは発炎筒、煙玉、閃光弾で撤退の隙を作ります。
たじろくバンダースナッチ。私たちはケガ人を担いで山を駆け抜けます。
しかし一度始めた戦い。そうは逃がしてくれません。相手は木々をなぎ倒して追い迫ってきます。
私たちは岩陰に身を寄せました。バンダースナッチは殺気に満ちた視線をあらゆる方向に向け、私たちを探しております。
このままでは全滅か。誰かが囮として出ていくしか。
剣を握りしめ、岩陰から一歩踏み出したときでした。
「本部から連絡アリ」
通信員のアリストテレスさんが、背中の通信機から伸びた受話器を片手に叫びます。
「本部からの援護射撃、来ます」
「むっ。地対地ミサイル、間にあったか」
隊長が言うと、みんな安堵の表情を作ります。
えっとミサイル? どういうこと。私の視線を受けたアリムラさんが頷きました。
「工場にはミサイルがあります。それが発射されたんです」
「つまり私たちはミサイルを保有していたと」
「ええ。あ、来ます」
見上げれば巨大な円筒形の構造物が音を立てながら飛来、バンダースナッチに着弾しました。爆音・爆風と共にバンダースナッチが悲鳴を上げます。
スゴイ。効いてる。弱ってる。
「今なら勝てる?」
「ウム。動ける者だけでいい。再度攻撃だ」
私は全力で駆け、バンダースナッチの首元に全力の剣を閃かせました。
★
バンダースナッチ激破! そもそもあの獣はミサイル攻撃をしてから倒すのが常套手段だったそうです。
聞いたところによると、バンダースナッチが出てくるのは、通例では一カ月後。それまでにミサイルの準備を整えておくものの、予想より早く遭遇してしまい、かつ千載一遇のチャンスだったので、我を忘れてケガもいとわず戦いだしてしまったとのことです。
かねてより設備の充実した工場だと思っていましたが、まさかミサイル設備まであるとは驚きでした。工場裏の空き地。地面が蓋のように開いてミサイルが発射される仕組みなんだそう。
皆さんのケガも思ったより酷いものではありませんでした。歯が抜けてしまったアリヤナギさん、以前から差し歯だと、歯のない顔で笑っていました。
バンダースナッチを持って帰ると、工場の皆はお祭り騒ぎで出迎えてくれました。バンダースナッチの魔石は数億円。そりゃ嬉しいですよね。
「最近のキミの成長は目まぐるしいな」
仕事終わりの大広間で隊長格のアリゾノさんが話しかけてきました。大広間は体育館のように大きく、テレビがありソファもあり、片隅には自販機が置いてあります。本棚や週刊誌も置いてあるので、最新の図書館といった感じです。
「ミサイル攻撃のあと、バンダースナッチに最初に深手を負わせたのはキミだ。キミのおかげで十人程度の攻撃でも倒せたと思っている。それに」
「それに?」
「キミが撤退を進言してくれなかったら、あの場で全滅していたかもしれない。撤退したからこそ、ミサイルが来るまでのあいだ生きていられた。あのときの私たちは目の前の報酬に目がくらんでいたんだ。アリガトウ」
「私が働けるのも皆さんのおかげです。ほかの仕事が出来なくて苦労してきたんです。この職場に置かせてもらい、とても感謝しています」
「外部の人に気に入ってもらえて嬉しいよ。我々もキミには感謝している。そこで今日は、これを受けとってもらいたい」
そう言うと、待ってましたとばかりにアリムラさんが何かを持ってきました。これは。
「アリスさん、私たちからの贈り物よ。受け取って」
それは『アリス』という刺繍がほどこされた耐熱服だったのです。ほかにも私の名前の入ったヘルメット、安全靴、剣がありました。
「アリスさんが来て三ヶ月。もう新人ではないわ。立派な仲間。これからもよろしくね」
ポロポロと涙がこぼれてきました。急いで拭っても、とめどなく溢れてきます。
「アリスさん、また泣いてる。泣き虫だな」
「だって嬉しくて」
「フフ。今晩はパーティーよ。普段なら、この工場で働く人間の全員が主役だけれど、バンダースナッチを倒した日だけは、狩り部隊が称えられるの。アリスさんもよ。さぁ、行きましょう」
その晩、宴は夜遅くまで続くのでした。
★
この工場のお給料は、工場指定の口座に振り込まれます。工場内の飲食や買い物はマネーカード『アリカ』を使って決済します。アリカで買い物した分、口座から引き抜かれます。
工場内では喫茶スペースや売店も充実していて、とっても便利。Wi-Fiもあって快適です。
それから……夏か来て、納涼祭があって、秋が来て、ハロウィンがあって……
そして、冬がやってきました。
冬のあいだは狩りができません。獣が南へ移動してしまうからです。私たちは工場内に貯めてあった素材で製品を作ります。けれど、それも年末まで。年が明けると、みんなやることもなく、工場内の喫茶スペースや娯楽施設、図書室でおもいおもいに過ごすのです。
二月の初め。朝の天気予報は夕方から三日間、大雪の恐れがあると告げてきました。不要不急の外出は控えるようにと。
夜、私は人気のない工場の一階まで上り、窓から外の様子を伺いました。建物から正門にかけて、黒かったアスファルトが白に塗りつぶされております。
「今年も大雪警報ですか」
すでに雪は膝の高さまで積もっていました。私たちは外に出ることはありません。ここに住む子供たちは学校に行かねばなりませんが、この雪なら休校でしょうか。
空から暴力のように降り注ぐ白銀を目にしていたら、なんだか悲しくなってきました。昨年の今ごろは、死のう死のうと、もがいていた。
「やめよう。気が沈む」
地階へ続く階段へ足を進めると、皆の笑い声が聞こえてきます。誰か歌ってる。あの声はキリギリスだな。あの人、歌は上手いんですよね。あと漫談も。新年会では大いに笑わせてもらいました。
「今の私には帰るところがあるんだ」
私は冷えきった空気を振り払うように、飛び降りるように階段を下ったのでした。
★
朝になっても雪は断続的に降り続けました。三日目になっても止む気配はありません。この土地にしては珍しい事でした。
それは三日目の夜のことでした。工場内に警報が響き渡ったのです。一分ほどで警報は鳴り止みましたが、それでも皆さん、不安の表情を隠しきれません。
一部の人間が素早く廊下をかけていきます。彼らを追いかけると、そこは警備室でした。
アリゾノ隊長、アリヨシさん、アリノコウジさん……狩り部隊の面々が複雑な表情で監視モニターを見つめていました。
「アリスさん」
「アリムラさん、どうしたんですか」
「敷地内に侵入者がいるのよ」
モニターでは外の様子を見ることができます。そこには吹雪の中、五十人を越える人たちが正門を越えて、工場のシャッターを叩いている様子が映し出されておりました。
「門を越えて入って来ちゃったんですか」
「そうみたいね」
「なんなんですか、あの人たち」
普通の人には見えません。監視モニターの前の椅子に座っていたアリストテレスさんが振り返りました。
「彼らは『スマホを持った原始人』だ」
「なんですか、それ」
「スマホを持っているだけの原始人よ」
アリムラさんが続けます。
「スマホを持っているだけで、人間気取りの厄介者。ついにここにも来たんだわ」
そんな輩が何しに来たんでしょうか。
「俺が話してくる」
アリゾノ隊長が一階へ向かいます。一人では危険だと思い、狩り部隊は全員で追いかけました。
一階のシャッターの前まで行くと、シャッターは内側に向かってベコベコに変形しています。外から何度も叩かれた結果でしょう。今もドンドンと叩かれております。そして、ついにシャッターが破かれ、スマホを持った原始人とやらが中に入ってきました。
「どうしてシャッターを壊すんですか!」
私はキレました。キレていいところだと思いました。すると。
「これだけ呼んでいるのに誰も出てこないからだ。一体なにを考えているんだぁ」
キレ返されました。なんでキレてんだ、こいつら。
「何の御用ですか」
アリゾノ隊長が毅然とした態度で臨みます。
「私たちは困っている。外は大雪。食べ物もない。このままでは死んでしまう」
「アンタたちは恵まれているんだろ。工場の設備を見れば分かる。助けてくれ」
「持っている者が持たざる者を助けるのは当然だ。困っている人を助けるのが、人として当然の姿だ」
スマホを持った原始人たちは口々にまくし立てます。奥からは「食事はないのか」「ここ、全然あったかくないんだけど」「案内早くしろ」という声も聞こえてきました。
とりあえず、スマホを持った原始人を、今は使われていない作業場に案内しました。総勢52人。この部屋ならば、それだけの原始人でも収容できます。
「それにしても隊長、良かったんですか」
私はアリゾノ隊長に聞きました。隊長は答えます。
「困っていた様子だからな。保護するのは、悪いことじゃない」
そう言いつつも、渋い顔をしています。
困った様子、ですか。
「毛布は無いのか」「食事はまだか」「こんな硬い床では眠れない。布団を持ってこいよ」「プライベートのない所だな。仕切りくらい用意しとけ」「こっちは困っているんだ。それくらいのこと、しろ!」
原始人どもは口々にまくし立てます。食事は用意しました。トイレの場所も案内札を作って対応。毛布やマットレスを支給し、作業場に相談員を常駐。数時間のあいだに我々は良くやったと思います。
しかし原始人の要望は止まりません。それでも工場の一部の女性陣は、どこからか避難してきた原始人を可哀相に思い、要望に応えていきましたが、日付が変わる頃、ついに全員がキレて自室に戻ってしまいました。
★
翌日も原始人の対応に追われました。彼らの朝ごはんを食堂から作業場……改め避難所に運び、プライベートの仕切りだの、ティッシュや歯ブラシの用意だのをしていたら、もう昼ごはんの用意をしてあげなきゃならず……。
昼過ぎ、疲れて大広間に行けば大型テレビがなくなっているではありませんか。
「避難所には娯楽がないってクレームを受けて、避難所に移動させたわ」
唖然とする私を見つけた、通りすがりのアリムラさんが教えてくれました。
「クレームって。なんのクレームですか」
「さぁ……」
アリムラさんも疲れていました。これ以上言わないことにしました。
★
「我々は長旅で疲れている。もう少しこの場所に居させてくれないだろうか。恵まれている者が不シアワセな者の面倒をみる。それが人としての正しい在り方。むしろ恵まれている者の義務だ。我々は疲れているんだぞ。キミたちよりも疲れているのだ。それくらい許してくれたって良いだろう。助けあいの絆だ!」
雪がやむと、スマホを持った原始人の代表者は私たちに言いました。そこまで言われてしまうと、彼らを追い出すわけにはいきません。
春が来るまで彼らを工場に住まわせることにしました。
喫茶スペースに行くと、原始人が喫茶スペースの管理人に詰め寄っていました。
「俺たちに酒やコーヒーを出せないなんて、どういうことだ」
ここ数日、原始人は避難所から出ては、私たちが使っている大広間や娯楽スペースを徘徊するようになりました。この喫茶スペースに現れてもおかしくありません。
「俺たちにも酒を飲ませろ! タピオカ飲ませろ! それくらいの自由はあっていいはずだ」
原始人は喫茶スペースの管理人の胸倉を掴みました。管理人は怯えきっています。アリサカさんの奥さんでした。
「暴力はやめて下さい」
アリムラさんが割って入って言います。
「ここでは飲み物や食べ物を買うときはアリカで決済を済ませるんです。私たちが働いて得たお金が口座に振り込まれ、買い物をするたびに、代金分が口座から引き抜かれる仕組みのカード、それがアリカ。それがないと、ここでは買い物できません」
「私もさっきから、そう説明しているのに……」
原始人から胸倉を離されたアリサカさんの奥さんは、涙目で訴えてきました。
原始人は収まりません。
「なんだと。働いていない人間は酒を飲んではいけないのか。金のない人間はピスタチオを食べてはいけないというのか」
「そうは言っていません」
私は堪らず声を張り上げました。
「避難所にはウォーターサーバーや電気ポッドを置きました。紅茶やお茶だって用意しています。健康相談だって受け付けています。何が不満なんですか」
「そんなことは当り前だ。我々は避難してきたんだぞ。娯楽くらいないと生きていけないんだ。それなのにオマエたちは我々を避難所に押し込めて、お茶や紅茶で黙っていろっていうのか。嗜好品を寄こせ。我々は可哀相なんだぞ。金もないんだぁ」
お金がないから私は死のうとしていた。お金がない事は悪いことだと思っていた。それなのに、コイツらときたら。飛び掛かろうとした、そのときでした。
「だからって暴力はやめて下さい」
アリムラさんが叫びます。
「工場の責任者にかけ合ってきます。アナタがたが喫茶スペースでも買い物できるように。だから一旦、避難所に戻ってくれませんか」
原始人たちは「早くしろ」と言い残して去っていきました。
★
その日の夕方、原始人たちに複数枚のアリカが配られました。これさえあれば原始人でも喫茶スペースはもちろん、ゲームセンターのある娯楽スペース、ネットができるマンガ喫茶スペースを利用することができます。
「我々も好きで揉め事を起こしたいワケじゃない。しっかりとしたケアを用意してくれるのであれば、腕は振り上げんよ。多少、対応が優れない点もあったが、ここまで施してくれるのであれば不問としよう。持ちつ待たれず、だ」
原始人たちはアリカを使い、酒を買い、工場のあらゆるところでバカ騒ぎを始めました。
ところで、原始人に配られたアリカ。アリカが使われるということは誰かの口座からお金が引き抜かれるということです。一体誰の口座から?
「工場の法人口座からだ。今年はアリスさんとキリギリスさんが来てくれたおかげで昨年よりも多くの獣が狩れた。法人口座には多少なりと金があるのさ」
アリゾノ隊長の言葉に、私は聞きかえしました。
「そのお金は本来、工場の発展や労働者に還元されるのでは」
「お互いさまってことだな」
「私たちは原始人に助けられた覚えは無いんですが」
そう考えてしまう私は、いけない人間なのでしょうか。
★
翌日。ついに事件が発生しました。食堂で狩り部隊の同僚アリヤナギさんが原始人に殴られたのです。騒ぎを聞いて駆けつけたとき、アリヤナギさんは鼻血を垂らして床に倒れていました。
「何があったんですか」
私はアリヤナギさんを殴ったと思しき原始人を追求しました。
「コイツが焼肉定食を俺に食わせようとしたんだ。だから俺はムカッときて」
話が読めません。原始人は焼き肉定食だの焼き魚定食だの連呼するばかりです。
そこへ一部始終を見ていたという食堂のオババ、アリヤマさんが声をかけてくれました。
どうやらアリヤナギさんは仲良くなった原始人に昼食を奢ってあげようとしたようです。原始人には黙っていても昼食が振る舞われるのですが、アリヤマさんは仲良くなった原始人に昼食を奢ってあげようとしたそうです。
アリヤマさんは自身のアリカを使い、焼き魚定食(700円)を注文、原始人には焼き肉定食(1000円)を注文したそうです。しかし原始人は抗議しました。食堂のメニューにはジャバウォック肉定食(2500円)があったのです。
「どうして自分にジャバウォック肉定食を振り舞わないのか。友人が自分に食事をおごるときは、いつも三千円以上の食事代を持つというのに。オマエは俺をバカにしているのか」
激昂した原始人はアリヤマさんを殴りつけたと言います。
「最高の定食があるというのに、コイツは底辺定食を食わせようとした。俺はバカにされた。バカにされたんだ。バカにされたら怒るだろう」
原始人は額に青筋を立てて、床に伏せたアリヤナギさんを見下ろします。周囲の原始人は深く頷いていました。アリヤナギさんに意識はありません。
私はアリヤナギさんを抱え、人生で一番大きな声で叫びます。
「どうして。どうしてこんなことにぃぃぃぃ!」
★
「もう我慢できません。原始人を追い出しましょう」
三月。いつまで経っても工場内に設けた避難所から出ようとせず、あろうことか、私たちの生活圏まで勢力を拡大させた原始人。今や映画上映スペースでリクライニングシートを独占しながらタピオカを飲みつつ、『ウ○娘』をやりながら『シン・○ヴァ』を観て分かった気になって文句を言っているのは原始人だけなのです。
「困ったときは、お互いさまなのだ」
「お互いさまとは言いますが、助けているのはこちら側です。私たちは原始人に助けられた覚えはありませんよ。どうして助けられる側の人間は」
私はアリゾノ隊長に抗議します。そんな私の肩を叩いたのはアリムラさんでした。
「原始人が発明した唯一の発明、それは『文句を言えない空気』よ。原始人は困っている。困っている人間に『頑張れ』とも言えないし『お前よりもっと大変な人間がいるんだ』なんて言えないのよ。原始人が世の中でもっとも不シアワセだと主張するのなら、私たちは彼らの頭を撫でるしかないの」
私は腑に落ちませんでした。
★
「なんだか原始人の数、多くなっていませんか」
「どうも仲間を呼んだようだわ」
原始人の代表を問い詰めれば、原始人が他の原始人を工場に呼び、総勢151名に。なぜ呼んだんだ。自分の家でもないのに。151名もいたら、工場の従業員よりも多いではないですか。
三月中旬。今や原始人の数は、代表に尋ねても把握できない状態になっておりました。当初の原始人に呼ばれた原始人が、誰に相談したわけでもなく別の原始人を呼び寄せたようです。
この工場は清掃係なんて決まっておりません。ゴミが落ちているのを気付いた人間が、ゴミ掃除をしていくカタチです。しかし最近は原始人が来てからというもの、床や食堂にゴミが溢れています。トイレなんて凄惨たるものです。女子トイレでヤバいんですから、男子トイレは地獄たるものでしょう。
「原始人を追い出しましょう。さもなければブッ殺しましょう。このままでは私たちは潰されて死んでしまいます」
私はアリゾノ隊長に抗議しました。
「原始人が私たちに何をしてくれましたか。雪はもう止んでいます。もう帰ってもらっていいはずです。原始人を説得して工場から出て行ってもらいましょう」
「俺も原始人代表に言ったのだ。しかし返答は、原始人は困っている。その一言だった」
「どこが困っているんですか。避難所を拠点として喫茶スペース、食堂、娯楽スペース、浴場でやりたい放題。うちの女性陣に手をかけようとするし。本当に困っているんですか。そもそも原始人は、どこから避難してきたっていうんですか!」
「そんなこと言ってはいけないわ」
言葉を挟んできたのはアリムラさんでいた。
「原始人は困っている。困っていると主張しているのだから困っているのよ。そんな困っている人たちを救わない行為なんて悪の極みだと言われてしまうわ」
ムムム……これが『文句を言えない空気』の力か。私は声を抽出しました。
「戦いましょう。原始人と。ヤツらを追い出して、私たちの世界を取り戻すのです」
「それはダメだな」
「それはダメ」
隊長もアリサカさんも周囲の仲間も頷きました。そうか……原始人を受け入れて、なお戦わない人たちだからこそ、私を受け入れてくれたんだ。そう思うと、私はそれ以上言えないのでした。
★
原始人と見慣れない原始人によって私たちの生活は激変しました。住環境にはゴミが溢れ、共有スペースは早い者勝ちとなり、殺伐な雰囲気が溢れます。
「おい、邪魔だ」
通路を歩いていると、振り向けば原始人たち。
「さっきのヤツ、なんなんだよ」
「住みやすいところがあるって言われて来てみれば、変なヤツらがいるし。出て行けよ」
「ここのスタッフなんだろ。接客っていう言葉知らないのかよ」
原始人たちがすれ違って行きました。
夜になれば、どこかの部屋で原始人が騒いでいます。私たちは自警団を結成して、夜は工場内の見回りをし、騒いでいる者がいれば注意を促しました。ところが彼らは、自分たちは楽しんでいるだけで悪い事はしていないと反論。効果はありませんでした。
★
「もう許せません。原始人と戦いましょう」
アリムラさんたちに抗議します。ところが。
「暴力はいけないわ。ここはもう終わり」
「暴力が何だというんですか。そんなにいけませんか。私たちの住処を取り戻すだけです」
「私たち、ここを放棄することにしたの」
「え? そんな。戦えば勝てると思います。私たちは多くの獣と戦い、勝利してきたのですから」
アリムラさんは首を振りました。
「私たちは故郷に帰ることにしたの。この場所は捨てる」
そんな。やっと見つけた安息の地だというのに。やっと働ける場所を見つけたというのに。
「アリスさん、一緒に故郷へ来ない?」
★
「上野発の夜行列車で私たちは故郷のアリ世界に帰る。きっとアリスさんも歓迎されるわ。仕事はしばらく見つけられないかもしれないけれど、きっと見つかる。私たちと一緒に行きましょう」
私は首を横に振りました。
「戦って居場所を守りましょう。勝ち取りましょう。そして、これまでどおりの日常を取り戻すんです」
「スマホを持った原始人と戦ってはいけないわ。彼らは自分たちを被害者だと思っている。被害者だと思っているのだから。私たちが去る。それは決まったことなの。一緒に行きましょう」
これ以上アリムラさんの迷惑になってはならない。それに……私には、やるべきことがある。
「アリムラさんたちのことが嫌いになったワケではありません。アリムラさんの故郷なら、きっと素敵な所なんでしょう。でも……」
アリムラさんは笑顔で、寂しそうに頷きました。
「急な話だものね。今晩の上野駅。私はアリスさんを待っています」
アリムラさん、アリゾノ隊長、みんな。荷物をまとめて姿を消しました。私は工場に留まりました。皆さんが消えたというのに、原始人たちには混乱はありません。
皆で過ごした大広間。ジャバウォックを加工した作業場、初めて「アリガトウ」と言われた食堂。すべて、全部、良い思い出。今は原始人で溢れ返り、ゴミが散乱しています。
私に残された使命。それは原始人に一矢報いること。獣との戦いでレベルアップした剣術でなら、半分の命は取れるでしょう。
「しかし、そんなモノは生易しい」
私は原始人、そして奪われた安息の地を一網打尽とする手段で報復することにしました。この工場には地対地ミサイルがあります。数基残されていることは分かっています。これらを自爆させて、ヤツらのシアワセを塵芥と化してやるんです。
ミサイル保管庫へ行く私は何人かの原始人とすれ違いました。彼らは私に目もくれません。
ミサイル保管室へ行き、ミサイルの外装の一部を取り外しました。そこに見える制御盤と専用PCをケーブルでつなぎ、自爆コードを入力します。もしもバンダースナッチとの戦闘で飛んできたミサイルが爆発しなかったときに備え、アリゾノ隊長から教わった知識が役に立った瞬間でした。
爆発は三十分後にセット。ミサイルの各所にあるLEDが赤に点滅します。私は保管室から出て扉を閉め、扉に背中を預けました。
どうせ捨てようとした命です。死を選んだ人生です。外の世界は私を許容しない。私が成長したんじゃない。ここが特別だった。そんなことくらい自分でも分かっている。どうせ他の仕事では続かない。生きづらい世界。死ぬしかない。だったら、ここで死んでやる。
私は着ていた耐熱服を脱ぎました。仕事中、ずっと着ていた耐熱服。背中には『アリス』という刺繍があります。私はそれを、そっと撫でました。
「受け入れてくれてアリガトウ。みんなアリガトウ」
アリムラさんは今ごろ上野駅に着いたでしょうか。私を待ってくれているのでしょうか。そんな恩人から居場所を奪った連中を私は許しておけなかった。
「バンダースナッチに深手を負わせるほどのミサイルが、複数基の同時爆発。あっという間に死ねるでしょうね」
最後の一年、楽しかったな。ああ、さようなら。
「おいっ」
不意に声をかけられました。原始人に見つかった? 違う。
「キリギリス、さん」
「やっぱりここにいたのか」
声をかけて来たのはキリギリスだったのです。
「皆さんと一緒にアリの国に行かれたのでは」
「そこまで迷惑はかけられない。それに俺にはやることがある。考えていることは同じだったみたいだな」
私の質問に答えたキリギリスはミサイル保管室の扉を開け、中の様子を伺いました。
「自爆コードは入力したんだな。どうして、ここにいるんだ」
「私は……私なんて……」
「逃げるぞ」
「…………」
「ほら、早く!」
キリギリスは私の手を取って廊下を走り抜けました。通路、階段をグングン進みます。
一階への階段には原始人がたむろしていました。
「どいてくれ」
キリギリスが私を引っ張って走って近寄るものの、原始人は自分以外の者をなんだと思っているのか、道を開けてくれません。私たちは真ん中を突っ切りました。
「あ、ぶつかったぞ。テメぇ」
原始人の一人が追ってきました。
「原始人、ほんとウザい!」
私は握りしめていた耐熱服を投げつけました。
外に出たキリギリスは私の手を握ったまま、背中の翅を展開させ飛翔しました。初めて見下ろす工場。月明りに照らされ、どんどん小さくなっていく安息の地は、すでに、とっくに私の居場所ではありません。
工場が小さくなり、私がそこにいたことなんて夢だったのではないか、そう思い始めた頃、大きな火柱が工場から立ちのぼり、恐ろしい雲のような煙がそびえ立ちました。
周囲は炎に照らされて、まるで不気味な昼間のよう。耳を済ませれば、愚か者たちの悲鳴と共に、罪悪感が心に迫って来たのかもしれませんが、まるで私はつまらない映画の一幕を見ているようで、実に、どうでもいい気分でした。心ない、その一言が正しいかもしれません。
「もう皆は列車に乗った頃だろうな」
私の手を掴んで飛んでいるキリギリスが、爆発があったことを歯牙にもかけずに言います。
「俺は稼いだ金で、また生きるさ。金がなくなるまで。死にたくなるまで。アリスさん、キミはどうする」
どうしようか。ほんの三十分前まで死のうとしていたのだから、何の予定もありません。あ、お金があるのか。だったら。
「だったら最寄りの宝くじ売り場まで連れて行って下さい」
おわり
『今日もヤベェよ! アリスさん!』今回で最終回です。
コメディーって難しい! 別のタイトルで書くときは一万文字以内でオチをつけようと思います。
ここまで読んでくれた読者の皆様。ありがとうございました。
もしも拙作が面白いと思ってくれた皆様へ。ここから下へスクロールすると
☆☆☆☆☆
星が五つあります。
さらにその下へスクロールすれば『作者マイページ』なる欄があります。作者はほかにも物語を書いているので、よろしければ『作者マイページ』で調べてみて下さい。
以上、錯乱坊☆ちぇりぃ丸でした。




