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今日もヤベェよ! アリスさん!  作者: 錯乱坊☆ちぇりぃ丸
第12章 最終回
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第12章 パターンA 始まりの終わり~宝くじが当たったら~

最終回パターンAのタグ


『宝くじ』『お仕事』『仕事やめた』『宝くじ当選』『ヒューマンドラマ』『最終回でもゴリラ』『ベターエンド』

 皆さんこんにちは。毎日を日雇いバイトで生きているアリスです。

 なぜ日雇いバイトかって? 大きな失敗ばかりやらかすので、職場の人間に一生恨まれる可能性があるからですよ。日雇いバイトなら、失敗しても二度と行かなければいいワケなので都合が良いんです。


 しかしながら、そんなことを繰り返していたら、どこでも失敗を繰り返し、日雇いバイトでも行ける職場がなくなってしまいました。日雇いバイトを紹介してくれる複数の派遣会社に登録しているものの、残された職場はバイトするにはあまりにも遠方。交通費は出ませんし。

 新たに無名の派遣会社を探して登録してみたものの、紹介されるバイトは条件が悪いものばかりです。考えてみれば既に登録している派遣会社は大手であって、そこが紹介するバイトですら都合が悪いのですから、新たに探しだした無名の会社が紹介するバイトが、良いモノでない事は当然なのですよね。

 さらに日雇いバイトは二月から三月あたりが閑散期なのです。前代未聞の予期せぬ五連休に見舞われる私。どうしてこうなった。春休みの大学生が日雇いバイト界にやって来たのでしょうか。それとも第4次緊急事態宣言の影響なのか。そんなことより、どうなる今月の生活費。

 短期のバイトすら見つかりません。


 そんなわけで覚悟を決めて、日雇いバイトではない長期のバイトをせざるを得ない状況になりました。

 でもね、事務所勤めは上司が怖い。手が荒れやすくてボロボロなので食品工場も無理。接客なんて客が怖い。不器用な私には警備員の交通整理なんて無理……。

 そうして消去法で仕事を探していき、そうしたら全て無くなってしまい、もう一度選び直して、最後に残ったものは清掃業でした。清掃業なら出来るとは思いません。最後に残った仕事が清掃業だったのです。



 駅前の大型スーパー。三階建てで総面積も広大。私はここで清掃員として働いています。

 失敗に怯える日々。失敗したら怒られる。怒った相手に明日も顔を合わさなければいけない恐怖。職場というものはまるで刑務所です。服役したことはありませんが。

 掃除だけしていれば良いってものではありません。お客さんから質問されれば案内だってします。催事会場の場所や紳士服売り場、レストランの営業時間まで聞かれます。「まだやってる?」そんなこと私に聞かれてもね。レストランに聞いてよ。スマホ持っているでしょう。検索してよ。「鬼○の刃の最終巻、残ってる?」本売り場の店員に聞け。私に聞いていいのはトイレの場所くらいです。だいたいマスクでモゴモゴと尋ねられても聞き取れないんですよ。

 初日のこと。管理職から渡された店内の見取り図。その日のうちに売り場やテナント名の完全暗記を強要されるとは思いませんでした。


「まさか男性用の下着売り場まで記憶させられるとは」


 お客さんにぶつからず、エスカレーターのベルトを拭く方法って、どうするの? このスーパーにはひっくり返しても水がこぼれないバケツは売っていないんでしょうか。


「ちょっとアンタ、何してるの?」


 男性用トイレの入り口で清掃中の看板を出していた私に話しかけてきたのは、清掃チームを牛耳る女帝・鳩野さん(60代)でした。何してるのって、仕事に決まっているでしょうが。趣味でスーパーの掃除なんてしませんよ。それにしても男子トイレで仕事をする日が来るとは。


「トイレ掃除を……」

「そこは白井さんがもうやったわ。掃除確認票にハンコだって押されているでしょう」

 掃除確認票……トイレの洗面台の壁に目を向ければ、清掃したあとに判を押すための表があり、たしかに今日の午前のぶんは白井さんのハンコが押されていました。

「この時間のアンタの担当は、外周りでしょう。もう二週間目なんだから覚えてちょうだい」

「はい……」


 ああ、私は何のために生まれてきたんだろう。そう考えながら、掃除道具が詰まったワゴンを押して、外周りに出ました。駐輪場や生け垣に捨てられた週刊誌、煙草の吸殻、缶・瓶・ペットボトルを回収していきます。

 駐輪場の横には宝くじ売り場がありました。何の宝くじなのか、一等10億円と書かれた旗がひらめいています。


「いいなぁ。10億円。欲しいなぁ。でも買っても当たらないんだろうなぁ」


 10億円あったら仕事辞めますね。そして遊ぶのです。節約生活ともおさらばして人生を謳歌しましょう。


「買ったところで、当たらないんでしょうけど」


 宝くじ売り場に一人のお爺さんがやってきました。どうせ当たりっこないのに。

 私はせっせとゴミ拾いを続けます。

 そんな私を、お爺さんが追い越していきました。何気なくお爺さんのうしろ姿が目に入ります。十メートルほど先を歩くお爺さんのポッケから、紙きれのようなものがポロリと落ちました。ポケットティッシュ? それとも小さく折り畳まれたチラシのように見えました。


「ゴミ増やしやがって」


 目の前のゴミから順に拾いあげ、お爺さんが落としたモノのところに到着。見てみれば、それは。


「宝くじ!」


 ゴミではない。落し物だったのです。


「あ、さっき宝くじを買っていたお爺さんだったんだ」


 お爺さんを目で追ってみれば、すでにスーパーの敷地から出て、バス通りの横断歩道を渡ってしまったところでした。

 追いかけようか、いや、仕事中に敷地から出ることは許されない。どこかの従業員に見られてしまって、管理職に報告されたら。たとえ落し物を届けたんだと言っても、面倒な事になるだけ。なにより女帝・鳩野に何を言われるか分からない……。

 こうなったら、お爺さんが落とした所を見ていなかったことにしましょう。純粋に落とし物を拾っただけなのです。あとで拾得物として警備室に届けようと思いました。



「しまったぁぁぁ!」


 翌日、自分用の掃除ワゴンの前に立ったときでした。ワゴンの収納ケースには昨日の宝くじが入っていたのです。昨日、警備室に届けようと思っていたのに、収納ケースに入れたまま忘れていたのです。

 どうしよう。警備室で事情を話して受け取ってもらおうか。でも昨日の落し物を今日届けに来ましたなんて、自分で怒られる種を撒いてしまうようなモノ。では今日拾ったことにしましょうか。いえ、すでにお爺さんが遺失物届を出していたら? タイムパラドックス的なことが発生してしまう……。


「アンタ、どうしたの?」

「うわぁっ。鳩野さん、何でもありません! 今すぐフードコートの掃除をしてきますっ」

「この時間のアンタの仕事は階段掃除でしょうが。まったく、いつになったら覚えるの」

「精進します。そ、それでは……」



「持って帰ってきてしまった」


 犯罪の証拠を職場に置いたままなんて、狂気の沙汰ですからね。その日の夜、アパートの自室で宝くじを眺めます。

 袋の中には10枚の宝くじ。袋の一部は透明なフィルムになっていて、中の宝くじが覗けます。宝くじにはキャラクターが描かれ、少年マンガの表紙のような雰囲気です。楽しそうですね。私は迷惑しているっていうのに。

 一枚が300円。十枚で3000円。どうせ外れるんだから、いずれはただのゴミ。十枚セットなら一枚は末等の300円に化けると考えても、300円の価値ですね。


「あのお爺さんは300円とゴミを落としたのです。構成要素の9割はゴミ。そうですよ。罪悪感なんてありません」


 今さら警備室に届けても、警備員の仕事が増えるだけです。私は黙っていることに決めました。



 それから二ヶ月たった、ある日のこと。エスカレーターの近くにあるゴミ箱のゴミを回収していたときのことです。大きな音がしてエスカレーターを見てみれば、複数人のヤンキーなガキが、下りエスカレーターの下段の五段目辺りから、床に向かって飛び降りているところでした。普通に乗って降りれば良いのに。三人目が飛び降りたとき、エスカレーターが止まってしまったのです。震動を感知したのでしょうか。緊急停止したのです。

 エスカレーターに乗っていたお客さんらは不満そうに歩いて降りてきました。杖をついたお爺さんが降りてきて私を見つけて詰め寄ります。


「エスカレーターが止まったぞ。ワシは足が悪いんだ。どうして止まるんだ」


 それ、私に聞きますか。突然のことで口が回りません。それでも。


「す、すいません。震動を感知したんだと思います。もうすぐ警備員が来て復旧させますから」

「オマエが動かせばいいだろう」


 エスカレーターの起動キーを持っているのは警備員なのです。清掃員は持っていないのです。そう言っても。


「どうしてだ!」


 どうしてと言われても……。一分も経つと警備員がやってきて、ケガ人の有無の確認、安全点検をし、エスカレーターを動かしました。その間、お爺さんは私を責め続けました。杖で足を叩かれました。


「どうかしましたか」


 手が空いた警備員はお爺さんに声をかけます。お爺さんは無言で立ち去って行きました。




「アンタ、お客さんと何かあったの?」


 スタッフルームに戻ると、鳩野が聞いてきます。


「エスカレーターが止まったんです。そのクレームを受け付けていました」

「そう」


 そうって。


「あの、警備員さんから聞いたんですか」

「違うわよ。エスカレーターの前にある金物売り場のスタッフが見てたの」


 見ていたのなら助けてよ。



 どうして私はお爺さんに怒られたのだろうか。答えなんて出ないまま、アパートに帰りました。

夜、布団に入ってもモヤモヤして眠れません。明日も仕事だというのに。嫌な思いまでして、どうして仕事をするんだろうか。仕事しなければお金を得られない。お金がなければ生活できない。死んでしまうから、死ぬのが嫌だから、人間は仕事で嫌な思いをする……。

 これでは悪いことをして服役しているのと変わらないではないか。眠れない。

 布団から出た私は、なにか気を紛らわすものはないかと右往左往しました。テレビを見ても面白くなく、お酒を飲んでも暗い気持ちのまま。マンガを読んでも楽しくない……。マンガを本棚に戻したとき、 ふと、本棚の隅に置いていた宝くじが目に止まりました。

 宝くじの袋には、抽選日と支払期間が表記されています。


「抽選日、とっくに過ぎていたんですね」


 支払は既に始まっているようです。どうせ外れているんでしょうけど、気を紛らわす手段を探していた私は、スマホで宝くじの抽選番号が分かるサイトを表示し、手元の宝くじの抽選番号と見比べました。


「当たってる……」


 そのうちの一枚が、一等10億円に当選していたのです。



 数日後のこと。私が清掃の仕事を辞めることが、管理職から現場の人間に伝わったようです。

あの日の夜、私は何度も当選番号と組番号を確認しておりました。抽選番号がわかる別のウェブサイトでも確認しました。

 本当に一等が当選した。それが揺るぎない事実として受け止められたのが、陽が昇ってからでした。

 どうする。お爺さんが落とした宝くじは紙きれでなく10億円だった。今からお爺さんを探すべきか。今から職場に届けようか。ダメだ、怒られる。では自力で探そうか。どうやって。お爺さん、どこにいるの、お爺さん。

 そんなとき、宝くじを落としたお爺さんと共に思い出されたのが、杖をつくクレーマーのお爺さんでした。二人のお爺さんの顔がオーバーラップしたのです。

 お爺さん……お爺さん世代は年金をもらい、どうせバブル時の給料をため込んでいる世代です。この先、お金なんて持っていても特殊詐欺に引っ掛かって、あっという間に全財産をなくしてしまうんです。10億円を返したとしても、善意が水の泡。


「だったら、私がもらっても良いですよね」


 お爺さんの世代に比べ、私の世代、特に私は時代の恩恵というものを貰っていないのですから。

私はその日のうちに職場の管理職に退職願いを出したのでした。



「アンタ、この仕事辞めるって本当かい」

「はい。短い間でしたがお世話になりました」


 私にはお金がある。仕事を辞めることができる。余裕が出来たからか、話しかけてきた鳩野に思いきり笑顔を作ることができます。


「アンタ、次は何の仕事をするの?」

「特に決めていません」

「そうなのかい。なんだかアンタのこと、心配だわ」

「そうなんですかぁ。仕事を覚えられない人間がいなくなるっていうのにぃ」

「…………」


 喜んでいいんですよぉ。

 そして私は、三日後に仕事を辞めたのでした。



 宝くじを銀行に持っていき、応接室に通され、長い時間待たされ、担当者がやって来てオメデトウゴザイマスと言われ、そこの銀行の口座を作ることを勧められ、高額当選者が貰えるという噂の冊子を渡され……口座に10億円が振り込まれたのは、さらに数日後のことでした。


「本当に10億円だ」


 通帳に記載されたゼロの数を何度も確認しました。1億ではなく100億でもなく、10億です。正確には末等300円も当たっていたので、10億300円です。


「やった。10億円だ。もう働かなくて良いんだ。イヤな思いはしなくていい。解放された。よかった。よかったぁぁぁ」


 私はアパートで泣きました。これで、もう、辛い気持ちにならなくて済む。本当の人生はこれから始まるんだ。自由なんだっっっっ!

 まずは何をしよう。何してもいいんだ。

 そして私は……その日はベランダに出て、時おり深呼吸をしながら、ずっと空を眺めていました。



「おはよう、新しい生活。本当の私!」


 翌日の起床時間は11時でした。特に夜更かしをしたわけではないのですが、思いきり寝ていました。朝ご飯は何にしよう。冷蔵庫に向かって、ふと足を止めます。

 今の私はお金持ち……そうだ。

 クローゼットを開けて、紙袋に手を突っ込みます。ポストに投函されたチラシは資源ごみに当たるので、とりあえず紙袋に入れているのです。


「あった」


 取り出したるはお寿司屋さんのチラシです。美味しそうなお寿司の写真が、レストランのメニュー表の如く載っております。お腹すいたとき、眺めていたんですよね、これ。実際に注文したことは無いのですが。

 しかし、今の私にはお金がある。さっそくお寿司屋さんに電話しました。


「一番高いお寿司、五人前お願いします」


 この際、一人でどれだけ食べられるかチャレンジしてやろう。すると電話の向こうの店員が、こう言います。


『一番高いお寿司となると、【松】の上の【影月】の上の【太陽神】の上の【次元】でよろしいでしょうか』

「よろしいんです!」

『一緒にサイドメニューのお吸い物や、デザートに黒蜜アイスはいかがでしょうか』


 そんなモノもあるの? チラシのサイドメニューの欄を見れば、たしかに載っています。特大アナゴ・580円なんてのもあります。一貫で580円。こんなもの誰が食べるんだ。金持ちか。それって私じゃん!


「もちろんお吸い物とアイスも付けて下さい。特大アナゴも。ついでに、やたらと高値ないなり寿司も。茶碗蒸しも。なぜか380円もする缶ビールも。全て五人前で!」


 こうしてオンボロアパートに高級なお寿司が五人前も届いたのでした。昼間っから二時間ドラマの再放送を見ながら、酒を飲んで寿司を喰らう贅沢よ。ああ、酒美味い。寿司旨い。人生は素晴らしい。私はベランダに出て叫びました。


「人生は楽しいぞぉーっ」


 道ゆく主婦が不思議そうに、こっちを見ていました。



 そして私は……翌日はピザを好きなだけ注文し、また翌日はレストランのデリバリーを初めて注文してみました。当然、全ては食べきれません。翌日の朝ごはんに持ち越しです。

 注文に飽きた私はスーパーへ行きました。普段は値下げシールのない商品や100円以上の商品には、視界にモザイクがかかって視認すらできませんでしたが、今なら目に止まり、気に入ったものをカゴに入れていけます。

 普段はスーパーで100円以下の菓子パンを買っていたのですが、これからはパン屋の美味しそうなパンを買うことにしましょう。クロワッサンがひとつ180円? ふっ。安い。

 駅前のスーパーへ。店員さんが特設コーナーで叫んでおります。


「ザンギ100グラムで150円です! いかがですか~」


 店員さんが頑張っております。特に食べたいわけではありませんが、その熱意を買いましょう。


「ザンギ2キロください」

「そんなに! ありがとうございます!」


 ふふ……頑張る人への勤労感謝状ですよ。

 散歩中にお腹が空けば、目に入った飲食店へ突っ込み、一番高いメニューを注文しました。ドラッグストアに行けばポイントデーでもないのに爆買いしてやりました。新たな洋服屋がオープンすれば、アホみたいに高価な服を買ってやりました。ネットで新店舗オープンの飲食店・パン屋を調べ上げ、開店祝いとばかりに一番高いモノを注文してやりました。

 映画館、週に一度はいきます。本屋、ポップがあるものは買い漁ります。県内全ての観光スポットに行きました。数年ぶりにタクシーに乗りました。バスの代わりに乗ってみたのです。


「目的地に到着しました。お客さん。1650円です」

「はい一万円。釣りはいらんぜよ」

「え? お客さん?」


 シュバッと車外へ出ていく私なのでした。



 10億円キャリアーな私。あれから半年が過ぎました。近所の飲食店は制覇。朝ご飯はケーキ。もちろんスーパーの値引きケーキではなく、専門店の季節のケーキと御紅茶が朝食であります。

 それでも、驚いたことに半年経っても100万円も消費していませんでした。


「これでは経済は回りませんね。う~ん、くまった、くまった」


 金持ちの義務。それは接客業従事者の勤労に応えて、お金を浪費することだと思うのです。持つべき者が市井の者へ配給できる恩恵。それは消費ぃ。私、たいして皆さんの役に立っていませんね。10億円ユーザーなのに。あ、今は9億9942万円ユーザーか。見栄を張ってしまいました。失敬。

 私はお金持ち。どうやって皆さんにシアワセを振りまいたら良いものか。


「あ、いいこと思いつきました」


「あの、すいません」


 私が赴いたのは交番です。待機していた疲れ気味の巡査が応えます。


「どうかしましたか?」

「妙なモノを拾ったのですが」

「妙なモノ?」

「これです。どっこいしょ」


 私が交番内の机に置いたのはアタッシュケースです。


「本物かどうかわからないのですが」


 私がアタッシュケースを開けると、中から出てきたのは大量の札束でした。


「な! こ、これは。どこで拾われたのですか」


 巡査は血相変えて聞いてきます。


「あっちのほうにある竹藪たけやぶです」

「そ、そうなんですか。ちょっと先輩、センパーイ!」


 巡査は交番の奥へと声をかけます。その後、地図を用意され、拾った場所を詳しく聞かれ、そのあいだにも、ぞくぞくと応援の警官がパトカーに乗って到着しました。


「アリスさん……と言いましたね。ケースの中には2000万円もあります」

「そうですか」


 知っていましたよ。だって、お金もアタッシュケースも、全部私が用意したものだもの。竹藪で拾ったということも、ウソなのです。


「アリスさん、これらのお金、権利を主張しますか」

「はい。もし落とし主が現れたら、是非お話ししたいと思います」


 ……『どこかの誰かが2000万円を拾った』それがニュースになれば、何人かの人間が自分のモノだと主張するでしょう。自分が落としたモノだと。自分の2000万円だと。繰り返しますが、これらのお金は私が用意したモノ。ほかの誰かが落としたモノであることは無いのです。それなのに、自分のモノだと主張する輩はどんな者なのか。気になります。


「たとえ2000万円を失ったとしても、それは10億円中の、わずか2パーセントです。拾った権利を主張して1割取り返せば、200万円は取り戻せます。損失額よりも、どんな人間が釣られるか……それが楽しみでなりません」

「アリスさん、何か言われましたか」

「いいえ。巡査さん、この事件は落とした人のために広報するべきだと思いますよ」

「はぁ」



 ここは駅前にあるスナック・アマビエ。清流のようなロングヘアーのママが、今宵も疲れた男女の心を癒します。


「ママ、ご存知ですか。この界隈で2000万円が拾われた事件を」

「ええ。ネットのローカル記事で読みました」


 私はカウンターでグラスをくゆらせながら言うと、妙に鳥顔のママは頷きました。


「在るところには在るのですね。お金って」

「実は、拾ったのは私なのです」

「まぁっ」


 正確には、でっち上げた、なのですがね。全身鱗のママは驚嘆に暮れます。


「本当なのですか」

「はい! 2000万円を拾ったのは私なのです! 大事なことなので、三回ほど繰り返します。『2000万円を拾ったのは私なのです!(※)』……(※)リフレイン……(※)リフレイン……」


 大きな声で、店内に響くように答えてやりました。全てのお客と従業員の視線が私に集中します。


「お客さん、あまりそう言うことは大声で言わないほうが」

「フ……このことを多くの人に伝播してください。私は来週も、この店に来ます。ママ、グレープフルーツサワーご馳走様でした。はい1万円。お釣りは取っときな」

「そうはいきません。残り9160円は次回の来店時にお返ししますね」


 私は店をあとにしました。



 翌週、再びスナックを訪れた私は、前回と同じようにグラスを傾けていました。そこへ。

 カランカラン。扉につけられたベルが新たな来客を告げたのです。

 やって来たのはマゼンダとピンクの縞柄のネクタイをした、野良猫のような顔をした若い男でした。

 その男は私の隣に座ります。


「僕もここのグレープフルーツサワーが大好きでしてね。特に苦味が舌に心地いい。なんら刺激のない御時世にピッタリだ」

「フ……さらにプリン体ゼロとあれば大人の夜によくあう。グラスの中の煌びやかな世界は、この街に唯一残されたユートピア。ママは本当に良い酒蔵を御存知だ」


 私が男に応えると、ママは「コンビニで買ったモノを、そのまま注いだだけですが」と唄いました。

 猫顔の男は続けます。


「僕はローカル新聞社のしがない記者なんですがね。最近、この街で2000万円が拾われたという事件が話題になっているのです。こんな貧相な街で2000万円ですよ。どうも拾われた女性が、このスナックに来店しているという噂を耳に挟みました」

「ほう……」


 私はサワーを飲みほします。柑橘系の香料が鼻孔を満たしました。


「そんな話を、なぜ私に」

「単刀直入に聞きましょう。ずばり貴女が拾ったのでしょう!」

「ストレートにアンサします。2000万円を拾った美女は誰? そう、私です!」

「僕の目に狂いはなかった。是非、取材をさせてくれませんか」


 男は拾ったときの詳しい状況、アタッシュケースの形状などを聞いてきました。


「アタッシュケースはピンクとマゼンダの縞模様でした。ケースの半分は地面に埋まっていたので、土埃がついていましたよ」

「なるほど」

「ケースの取手は黒です。あ、ケースには『Iam crazy』というステッカーが貼ってありました」

「なるほど」


 男はまじめに頷きます。その真剣な表情は、大きな秘密を知ったことから湧き上がる喜びを隠しているかのようでした。

だけど、そんなケースがあるわけないでしょうが。私が警察に届けた際のケースは、ホームセンターで売っているシルバーの安物なのです。

デキストリンを注文する男に私は問いかけます。


「一体何人の者が名乗りを上げたものか」


 すると男は口端を釣り上げます。


「知り合いに警察の従僕がいましてね。その者の話では、五人ほどが名乗りを上げていると」


 それが聞きたかった。交番に行き、あの日に対応してくれた巡査に現状を聞いても微笑むばかりで詳細を教えてくれなかったのです。


「大金に群がる虫が五人も。ヒヒヒ……」


 2000万円は竹藪で拾った。そのことはネットの記事に取り上げられたことでしょう。落とし主を名乗った人間は、なにゆえ竹藪で大金を落としたのか。なぜ竹藪に大金を? どうして大金を落とす? キャッシュレス時代にどうして2000万円を持ち歩いていた? 想像すればするほど笑いが込み上げてきます。


「アヒヒャリャヒィィっ」

「どうしたのです」

「ちょっと酔っぱらっただけです。その五人に会うことはできますか」

「彼らの連絡先までは……」


 男は掴みどころのない笑顔で答えました。それにしても五人ですか。もう少し多いと思いましたが。その五人とやらは、どうやって大金が自分の物であると警察に説明したのでしょう。ああ、酒が美味い。


「今宵はそれなりに楽しめましたよ。ママ、ご馳走さま。良い酒でした」


 酒のツマミもな。一万円を懐から出します。


「素敵な出会いの仲人代ですよ。では」

「そうはいきません。残り1万8320円は次回にお返ししますね」



 数カ月後。2000万円は戻って来たのです。警察署でアタッシュケースを受けとりながら、担当職員に聞きます。


「何人か自分のモノだと名乗りを上げたと思いますが」

「はい。しかしケースの形状を説明できる人は一人もいなかったのです。ケースの形は忘れただの、他人に預けていたから知らないだの。こっちがケースの詳細を聞けばうろたえる者、紙袋に入れていただとか、中にはピンクとマゼンダのケースだと言い張る人もいて大変でしたよ」


 あの記者だな。まぁ、現実に2000万円を落としたら、こんなモノなのかもしれませんね。それでは警察の皆さん、御苦労さまでした。


「私はそれなりに楽しめましたよ。それでは」

「はい……」

 私は担当職員に手を振って帰路につきました。



 続いての作戦。人間は大金を拾ったとき、素直に警察に届けるでしょうか。

 十枚の封筒を用意し、100万円ずつ入れていきます。それらを道端に落とします。十人中、一体何人の人間が交番に届けるか見張っておきましょう。

 落ちていたお金の持ち主が現れず、かつ拾った人間が権利を放棄した場合、そのお金は国のモノになります。国庫支出金になるのでしたっけ。

 今回の『100万円×10』……私は国に寄付する所存で観察に望みます。拾った人間が警察に届け出ても、私は警察に遺失物の届け出は致しません。拾った人間が権利を主張したら? そのときは拾い主へのボーナスです。人生、100万円を得るくらいの良いことがないとね。


 歩道に意図的に置かれた封筒。中身は100万円。電柱の陰に隠れながら様子を伺います。拾いあげた人間は皆、動揺し、辺りを見回します。

 ククク……驚いている、驚いている。なんせ一般人の月収5ヶ月分でしょう。皆、中身を何度も確認し、何回もお札の枚数を数えております。

 子連れの女性は真っ直ぐ交番に。青年はしばらくスマホを眺め、交番へ行きました。スマホで交番を検索していたのでしょうか。サラリーマンはあたりに人がいないことを確認すると、カバンへ仕舞い込みました。


 交番へ行った人間。行かなかった人間。見事に5:5でしたね。交番へ行かなかった人間は交番の場所がわからなかったのか。急いでいて、届け出は後回しにしたのか。中には小学生もいたので、とりあえず家に持ちかえり親に相談したのでしょうか。

 その後、もう十枚の封筒を用意し、それぞれに100万円を封入しました。今回は最寄りの交番、もしくは警察署の地図も同封しておきました。結果、六人が交番へ直行。ほかの四人の理由は分かりませんが、別のところ(自宅? や駅に行きました。ええ、尾行しました)へ行きました。

 どうやらすぐに交番へ届ける人間は6割ほど。4割ほどは何らかの事情で交番に行く時間が取れない者、あるいはネコババする悪人。つまり6割の人間が自分の都合を顧みず、善意に則って行動できる人間である……。


 この実験で2000万円を使いました。最終的に何件交番に届けられたのか分かりませんが、貴重な暇つぶしにはなったのでした。



「意外と減りませんね」


 10億円が当選してから一年が過ぎました。残りは9億7804万円。食生活はほぼ当選前に戻っております。なぜなら高級寿司やステーキ肉に飽きてしまったのです。寿司やステーキと言っても近所にはチェーン店しかなく、大金を使うような環境にはないのでした。

 お寿司は週に三回食べたら飽きてしまい、フランス料理のフルコースは一度食べれば十分。西麻布の焼き肉店は堅苦しくて遠い。ホストクラブにも行ってみましたが、あのノリが楽しくない。ホストにイヤな思い出が? タクシーに毎日乗って気付いてことは、タクシーは所詮、乗り物だということ。


「お寿司は美味しいのですが……一番美味しいお寿司はスーパーの閉店間際にある値下げされたお寿司なのです」


 貧乏生活が染みついているせいか、高価なモノを食べることよりも、特価品を偶然見つけたときの喜びのほうが強いのです。

服なんて破けなければ、それで良い。ブーツは穴があかなければ履き続けられる。高価な化粧品を使ったって、男は寄って来ない。


「10億円も、妙な人間のところに来てしまいましたね」


 男にもクルマにもグルメにも興味が湧きません。あ、この一年でご近所の飲食店を制覇し、普段は入らないような昔ながらの食堂にも行ってみました。今でもその店の焼き魚定食は週に一度は食べています。美味しかったのです。マンガも置いてあるしね。

 好きな時間に起きて、好きな時間に寝る。起床時間は常に2~3時間ずれていき、朝に寝て夜に起きる生活が続き、数日経ったら朝に起き、また数日経つと夜に起き出す。そんな生活が続きました。

 宝くじが当たったというのに、変な宗教の勧誘は来ませんでした。誰にも話していないから当然ですか。

 当選した際に口座を作った銀行からは、一度だけ投資のお話を受けました。そのときは面倒くさかったので、「冷静になるためにも二年ほど当選金には手をつけたくない」と答えましたけど。


「お金も、人生もまだまだある……」


 小説でも書いてみようか。『書店員おススメの小説』上位10位くらいの長所をうまくまとめれば、人気作家になれるだろうか。

 パソコンに向かって文章を書き殴ろうとしたところ……


「ダメですね。何にも書けません」


 働いていて、それでも貧しかった頃なんて妄想が湧いて噴き出していたというのに。

 そうだ。こういうときは海に行こう。絶対ネタがあるはず。さらに歩いていけば、きっと新たな発見が私を歓迎してくれる。

翌日、朝から歩いて五時間。海に到着。


「…………」


 何も思いつかない。波が語りかけてこない。浜辺に腰かけ、水平線の彼方を見ていると、カップルが前を横切っていきます。カップルを見ても嫉妬も湧かない。


「今日は疲れているのかもしれません」


 五時間も歩いたんだもん。きっと疲れているんです。

 海岸沿いには聞いたこともないハンバーガーショップが。入店しメニューを見れば、どれも1000円以上。たしかに大きいバーガーだけど、どうしてこんなに高値なの? はっ、いかん。今の私はお金持ちなんだ。入店したからには一番高いモノを下さいな。もちろん無駄に高いポテトとコーラも忘れずに。


「全然美味しくないですね」


 テイクアウトし、帰りの電車で温かいうちに食べてみましたが、たいしたモノではありませんでした。


「お店にいたお客さんは美味しそうに食べていたんですがね。あ、お友達や恋人と食べていたからでしょうか」


 そうですよ。仲間がいれば楽しいはず。私の友達は……もう数年も会っていません。宝くじ当たったから、また会おう! そんな誘い文句があるでしょうか。

 SNSで仲間を募りましょうか。ダメだ。一から関係を築くのはシンドイ。やって来るヤツは危ないヤツに決まってる……。


「やはり、一人でいましょう」



 帰宅した夜のこと。何気なくベランダに出て空を見上げました。あれ? こんな星の配置、どこかで見たことあるような。あぁ、あれは一年前か。もう一年か。そういえばドラマやアニメも四回は最終回をしていたっけ。


「あのとき星は、もっと輝いていたはずなんだけどな」



 興味のある範囲での贅沢は尽くしました。これからは新たな趣味を見つけなければ。

 そう考えて散歩しているときのこと。今の私は暇過ぎて、六時間くらいは平気で散歩します。

 そこは自宅からちょっと離れたところでした。コンビニ袋をぶら下げたお爺さんとすれ違がったのです。歩きながら……はて、どこかで、見たこと、あるような……はっ。

 急いで振り向きます。あのうしろ姿は、宝くじを落としたお爺さん!

 お爺さんは歩いていきます。どこに行くのでしょうか。急に罪悪感が湧いた私は無意識にお爺さんのあとを追いかけました。

 私のせいで不シアワセになっていないだろうか。とりあえずお爺さんが家に戻るところを見届けよう。家を見れば、ある程度の経済的な状況くらいは分かるはずだ。

 そう思ってついていくと、お爺さんは集会所へ入っていきました。ご町内や団地の外れにある、平屋の集会所です。


「どうして集会所なんかに」


 集まりがあるのでしょうか。それとも管理人なのでしょうか。中の様子を伺えないものかとうろついていると。


「どうかしましたか」


 突然ゴリラに話しかけられたのです。いえ、正確には服を着ているのでゴリラのようなオッサンでした。


「驚かして失礼。私は町内会の者で」

「町内会……」


 なるほど、ゴリラはたすきをかけていて、それには『防犯パトロール中』と書かれてあります。右手にトング、左手に空き缶が詰まった袋。町内のゴミ拾い中のようですね。私は聞きます。


「実はお店の常連のお爺さんを見かけたんです。たまたま進行方向が同じだったので、追いついたら声をかけようかなって。でもお爺さんは集会所に入られました。今日は集会があるのでしょうか」


 咄嗟に嘘をつける自分が怖い。するとゴリラはもっと怖い笑顔で答えました。


「お爺さん……ああ、そういうことだったんだ。集会なんてないよ。今ここは爺さんの仮住まいになっているんだ」

「仮住まい?」

「四ヶ月くらい前かな。爺さんの家、燃えたの。全焼」


 それは大変なことです。ゴリラは続けます。


「タバコが原因のボヤって噂だよ。火災保険には入っていない。子供もいない。親戚もいない。そんなわけで当分のあいだ、集会所に住まわせてやろうってことになって」

「そんなことが……」


 私は膝をつきました。私が当選金で怠惰な生活を送っているあいだ、お爺さんは孤独の中、火の中、集会所の中、不シアワセの真っ只中で生きていたなんて。

 急に目が熱くなり、涙が出てきました。


「どうしてアンタが泣くんです」

「だって、お爺さんは一年前に宝くじを買っていたんです。一等は10億円。そのお金があれば新しい家が買えたというのに」

「アナタ、宝くじ売り場の人? たしかに爺さんなら宝くじを買っていただろうね。ギャンブル好きだし。10億円もあればローンも組まずに一括払い」

「うう……私はこの一年、何してたんだぁ」

「でも当たらないって。仮に一年前に当たったとしても、すぐにギャンブルで散財しちまったでしょう。株もやっていたし。火事になったのは四ヶ月も前。宝くじ、当たっても外れても同じ」


 うぅ……私はお爺さんになんて言えば。

 涙でぼやけた眼差しで集会所の入口を見やります。ちょうど母娘が通りかかるところでした。


「ママ、募金したい」

「そうね。可哀相だから募金しようね」


 母親は財布から硬貨を取り出すと、幼い娘さんに手渡しました。娘さんは集会所のポストのお金を入れます。


「あれは?」


 ゴリラに尋ねました。すると。


「誰が始めたのか。町の者がああやってポストにお金を入れていくの。爺さんヘのカンパでね。爺さん、良いヤツだから。俺もガキの頃遊んでもらった。でも所詮カンパだ。家ひとつ買える額じゃない。それどころか、爺さんの生活も危いよ」

「あ……」

「何とかしてやりてぇけどさ」


 募金……そうか、今こそお金を使うべき。いえ、返金するべきなのです。


「ゴリラぁ! いえオジサン。私も是非募金したいのですが」

「え。していいよ。爺さんも喜ぶだろうな」

「ところが全額用意していません。それどころか2000万円以上を人間観察と無駄遣いに使ってしまいました」

「なに言ってるの?」

「とりあえず後日でも募金は受け付けていますか。町民じゃなくても」

「もちろん。24時間、爺さんが死ぬまで」

「ありがとうございますっ」


 私は駆けました。当選金を預けている銀行へ。タクシーに乗れば速いはずです。しかし、もう無駄遣いは出来ない。したくないのでした。


『家が全焼したお爺さんに9億7700万円の寄付!』

『集会所のポストに9億円以上!』

『家のない男性の元へ9億円以上の寄付金が寄せられる』


 以上のようなタイトルが大手新聞紙に踊りました。全国ネットのニュースにも取り上げられました。ネットニュースによるところ、お爺さんは新しい家を建てるためのお金以外は、市が運営する保育所や福祉施設に寄付したと言います。



 街でばったりと会ったのは、いつかのローカル新聞社の記者でした。


「不シアワセなお爺さんに9億円もの寄付があったようです。お爺さんはギャンブル好きのようですが、もらったお金は家の再築と寄付にまわしたようですよ」

「そうでしたか」

「私思うのですが、寄付したのは貴女ではないのですか」

「私が拾ったのは2000万円。いえ、もともと私のお金ではなかったのです。寄付したのは9億7700万円。あと2300万円をどうにかして返さねば」

「はぁ?」


 疑問でいっぱいの猫顔をよそに、私は足早に立ち去りました。そう、無駄に浪費した2300万円も早急に返さなければならないのです。

 返金するには労働するしかありません。こんな私が働けるだろうか。一体どんな職業で。一年以上も無職だったのに。


 そう考えて、得られた職業は、いつか私が辞めた清掃のお仕事でした。


「アンタ、元気だったんだね」

「はい。またお世話になります」


 女帝・鳩野に頷きます。職場はかつて働いていた大型スーパー。良い思い出なんてこれっぽっちもありませんが、お金が必要なんです。働かねば。


「アンタが戻って来てくれて良かったよ」

「え?」


 鳩野が予想外のことを言いました。


「アンタは覚えが悪いけど、仕事は丁寧だった。アンタが去ってから何人か働いて辞めていったけど、新人の中ではアンタが一番、仕事が丁寧だったからさ。外周りを任されば、ゴミは残さず拾ってくれるしね」

「へぇ……」

 初めて誉められた? 私って丁寧だったの?


 いつもの貧乏生活に戻りました。買うものといえば値引きされた食材。着ている服に穴があけば、それから新たな服を買う。そんな生活。なんだかお金持ちだった頃と変わりません。

 楽しみといえば、スーパーで半額のお寿司に巡りあうこと。イヤなことは理不尽なクレームを受け、仕事の不手際で怒られること。

2300万円はいつになったら返金できるのでしょうか。


「エレベーターホールにモップ、置いたままでしょ。どうせアンタでしょう!」

「ふぇェェ。すいません!」


 鳩野は相変わらず怒鳴り散らしてきます。誉めてくれたと思ったのに……。

 仕事が終わり、更衣室から出たときでした。


「あの、アリスさんだっけ」


 声をかけてきたのは、最近入った男性清掃員の海亀君です。まだ若いのにスーパーの清掃員。ほかにも仕事があるはずなのに、もったいない。それとも、それだけ就職事情は厳しいということなのでしょうか。


「なんでしょうか」

「昼間怒られていただろ。モップの置き忘れって」

「はい」

「あれ、俺なんだ。俺が忘れたんだ」


 え? そうなの? 日頃から怒られていて、自分でもなにをミスしたか分からない。そもそも何で怒られているのか分からない性分なので、とりあえず謝っている毎日です。


「かばってくれて、ありがとう」


 海亀君は、なんだかバツの悪そうな顔をしています。なんだ、そうだったんだ。他人がミスをすることなんて、念頭にありませんでした。子供の頃から、クラスや部活での不祥事は全部私が原因だったので。


「気にしなくて良いですよ。それに仕事のあとはお酒飲んでしまうので、今日のことは忘れてしまいます」

「アリスさん、酒飲むんだ。よかったら、このあと一緒にどう? おごるよ」

「悪いですよ。時給だって変わらないのに」

「いいよ。実は俺さ、ずいぶん前に100万円拾ったんだ。どういうワケか落とし主が現れなくて。俺って貧乏だけど、金持ちなんだ。だからおごらせてよ」

「ふぅん……」

「最近スナックにハマっててさ。アマビエって所なんだけど、そこでいい?」

「おごってくれるのなら、どこへでも」


 100万円。そういうことですか。あのスナックへ行くのも久しぶりです。おごりというのであればガンガン飲んでやりましょう。

 明日も明後日も働く、私なんかの原動力のために。


 おわり


最終回パターンA終了です。

今日中にビターエンドのパターンBをお送りします。

パターンBで最後の最終回となりますので、よろしくお願いします。

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