第11章 結編 生きづらい世界のアリスさん
金髪アリスの右腕が、アリスの胸を貫いた。
「かはぁ……」
アリスの口から、叫びでもなく、空気が漏れるような音が出る。オマエの口から、そんなものを聞きたくなかった。
金髪アリスがアリスから腕を引き抜くと、アリスの身体は倒れ、大量の血が流れ出た。
「ふぅ。これこれ。出てきましたね」
金髪アリスが何かを見ている。気がつけば、横たわったアリスの身体の上に、小さな白い光が浮いていた。
「これですよ。魂。皆さん見えます? これを喰らえば、この世界での私の目的は達成されます。あ、その顔、良いですね。悔しいですか。その気持ち、私には関係ありませんが。いつまでも眺めていたいのですが、さっさと魂喰らいたいので、進めさせてもらいますね」
「やめろ!」
その魂はアリスのものだ。食べるんじゃない。金髪アリスは魂を掴み取ると、口へ放り込み、飲み込んだ。
飲み込まれた。もうアリスはいない。この世にはいない。飲み込まれた。もう声を聞くこともない。アイツの動く姿も、声も、この世界には、どこにもいない。アイツの最後の言葉、何だったか。今日会って最初の言葉、何だったか。思い出せない。世界が止まったように、音がひとつも聞こえない、そんな光景の中、アイツはひとしきり震え、叫んだ。
「フフフ。これで、これで完全無欠へと、一歩近づきましたよ。アハハハ。ハァーハッハ」
金髪アリスは踊るように俺へと近づいてくる。
「さぁ、祝して下さい。私が目的を達成したのだから。あ、怒ってます? 殺します? いいのかなぁ? 私の中にはアナタの大切なアリスちゃんがいるんですよ。あ、もう立てないか。私ってば意地悪! あひゃひゃるひゃぁ」
『本当に意地悪だね。そんなことばかりしていたらシアワセになれないよ』
アリスの声がした。卑しい笑みを浮かべていた金髪アリスが、表情を険しくさせ周囲に視線を向ける。
白ウサギの視線は金髪アリスに向いている。口を空け、状況が飲み込めないという表情で。
俺の気のせいでは無かったみたいだ。俺も金髪アリスへ視線を向ける。そんな俺たちを見て、金髪アリスは取り乱していた。
「そんな。そんなバカな」
『バカっていったら、いけないんだよ』
アリスだ。アリスの声が金髪アリスから聞こえてくる。正確には金髪アリスが口を動かし、アリスの声で喋っているんだ。
「どういうことです。なぜアナタの魂は私の魂に吸収されない。こんなこと、これまで一度もなかったというのに」
『わからないよ。もしかしたら、これが私の力なのかも』
「力ぁ? アナタなんて、何の取り柄もない人間、才能のない人間だっていうのに」
『才能ならあると思う。人助けが出来るもん』
「そんなことが才能? そんなことで魂の融合を回避したとでも」
『だって私、アナタのこと、まだ助けてない』
金髪アリスが、まるで一人二役で喋っている。俺は何とか膝をついた状態に体勢を立て直した。
「オマエ、アリスなのか」
『うん』
取り乱していた金髪アリスが、冷静に俺のほうを見やる。
「本当にアリスだったら聞いてやる。どうして、死ぬことなんて選んだんだ」
『みんなを助けるには、この方法しかないって思ったの。この人、なんて呼べばいいのかな。アリスさん? 魂が食べられちゃうと、アリスさんの魂と一緒になるんでしょ。私の魂と一緒になれば、みんなが大切な人ってこと。気付いてもらえるかなって』
金髪アリスはエヘヘと満足そうに笑った。それを見た瞬間、アリスだと感じてしまった。この女の中にアリスがいる。
「私は納得できませんよ。こんなことが」
『みんなを助ける。私がいう『みんな』の中には、ちゃんとアリスさんもいるからね』
「はぁ?」
『ほかの世界のアリスさんを殺すのは良くないよ。そんなことじゃアリスさんはシアワセになれない。ほかの方法を一緒に探してあげるよ』
「勝手に決めないでください。どこの世界に行っても私より満たされているアリスばかりだった。私より欠点があっても、必ず何かは恵まれていて、そして私よりも楽しそうで。ソイツらを喰らえば私は一番シアワセになれる。そもそも、私の世界では私以外は私以上に必ず何かは恵まれていた。アナタだって、ドン臭そうな顔して、守ってくれる人間はちゃんと居て……」
『そうかぁ。アリスさんにとって、どの世界も生きづらい世界だったんだね』
「だからなんだっていうんですか」
『よし。何がアリスさんにとってシアワセなのか分からないから、まずは人助けしよう』
「え? あ、ちょっと。身体を勝手に動かさないで。まさか、コイツの魂のほうが私よりも上位だっていうんですか」
アリスは金髪アリスの身体を動かし、俺をかついで俺のマンションへ運んだ。白ウサギも何とか立ち上がり、殺されたアリスの身体を担いでついてくる。アリスが少し黙ったとたん、金髪アリスは喚き散らしていた。
★
アリスは俺をソファに寝かせてくれた。アリスの身体は白ウサギが俺のベッドに寝かせた。
『さてと、次の人助けは』
「待てよ、どこに行くんだ」
アリスがどこかへ行こうとしている。現状、アリスの身体は死んでしまっている。その魂はほかの世界からやって来た金髪アリスの中にいる。
『この世界からジャバウォックは消えたんだよね。でも別の世界には、まだいるんだよね』
「まさか、助けに行くっていうんじゃないだろうな」
俺の言葉に、アリスは困った表情を作る。
「無駄ですよ。ムダぁ。ほかの世界では既に親ジャバウォックが子を作り、子が孫を作り……全ての人間がジャバウォックと化した世界だってあるんです。変異を続け、黒い霧なんて出さなくても、怪人の姿をしてなくても、人の姿のまま皆がジャバウォックになった世界だってありましたよ」
金髪アリスが口を開く。
「ほかの世界のジャバウォックを滅ぼそうなんて無駄なんです。人助けなんて無駄ですよ。私を、そんなくだらない事に付き合わせないでください」
『う~ん。ムダかなぁ』
アリスは首を傾げる。
『ジャバウォックって強い嫉妬に反応するんだよね。もしも私みたいな、何もできない人間がみんなの近くにいたら、みんなは一番できない人間ではなくなるわけだから、ジャバウォックにならないと思うの』
「そりゃアナタみたいなドン臭そうな人間が側にいたら、自分のほうが断然マシだと思うでしょうね……まさか」
『アリスさんは世界を越えられる。チェシャ猫さんの力は、どこにでも居られること。私がいろんな世界のいろんな場所にいれば、みんなはジャバウォックになることはない』
「何を言ってるんですか! 集団の中で最も価値のない人間になるなんて」
別の世界に行く。それは、この世界から出て行くことじゃないか。
『私の身体があったら、みんなビックリしちゃうね』
アリスは俺の部屋に行き、自分の身体を担いで戻って来た。
「アリス!」
『海亀君。白ウサギちゃん。ちょっと行ってくるね』
「まて。施設の人たちは。白馬や栖桃は」
俺はアリスを引き留める。そんな姿になったって、この世界で生きる手段はあるはずだ。手段を探せばいいだけだ。
「だからアリス、行くな。オマエは一回死んだんだ。別の世界が安全とは限らないだろ。もし死ぬようなことがあったら」
『大丈夫。もう私は死なないから。すぐに帰って来るよ』
「待ちなさい。私は承諾していません」
金髪アリスが抗議する。
「人助け? そんなこと続けて何になりますか。人助けしたところで良いことありましたか? 何も得られない。そんなことがずっと続く。それは拷問ではありませんか。ずっとずっと満たされませんよ」
『支え合いの輪の中に入れるよ』
「さっきからワケのわからないことを」
『支え合う。支え合わさる。それが私の支合わせ(シアワセ)だから』
「なにを!」
『えいっ』
アリスが壁に向かって声をかけると、壁がオーロラのカーテンに変わった。
「じゃあ言ってくるね。海亀君、白ウサギちゃん。バイバイ」
アリスの声で、死んだアリスの身体を抱えた金髪アリスは、オーロラの向こうに消えていった。待て。なにが人助けだ。オマエがいなくなってしまったら、誰が俺を助けるんだ……。
ただ呆然としていた。文句をかける相手もいない。オーロラのカーテンは消え、元の部屋の壁に戻る。俺は壁にかかるカレンダーを見つめていた。何分、何十分過ぎたのか分からない。白ウサギも同様に黙っていた。俺は、アリスがいなくなった世界、それに打ちのめされていた。
天井が突然光る。光のオーロラが天井を覆った。そこから現れたのは神様女だった。
「全ての世界でアリスが観測されています」
★
神様女がアマビエを呼び出して、俺と白ウサギのケガを治してくれた。
「そんなことがあったのですね」
白ウサギの説明を聞いた神様女は、驚きながらも受け入れたようだ。
俺は神様女に言った。
「アリスは金髪アリスの中にいる。これ以上、どの世界のアリスも殺されることはないと思う。でも、今の状態はおかしい。アリスの魂を金髪アリスから奪い返す方法はないのか。あと死んだアリスの身体を治す方法はないのか」
「今やアリスは全ての世界に同時に突然現れています。まるで生まれたときから、その世界にいたかのように。もう神が関与できる人間のレベルを超えた存在となっています。私が彼女に介入できるのは、運が良くても彼女が死んだとき。複数の神の力を借りたとしても難しいでしょう」
「そんな」
「そもそも、この世界を除く全ての世界に現れています。どのアリスが本体なのか。本体すら存在しないのかわかりません。どうすればいいものか」
どうしようもないのかよ。
「問題はそれだけではありません」
神様女は続ける。
「白ウサギのはなしだと、アリスの肉体の中に二人のアリスの魂が拮抗している状態だとか。これまでアリスはほかのアリスの魂を吸収していた。でも今回は違う」
アリスは魂を吸収されても、金髪アリスの中で生きていた。
「どうなるんだよ」
「ひとつの肉体にふたつの魂。いずれ記憶の混濁が起き、最終的には自分が何者で、どの世界からやってきて、なぜその世界にいるのか、それすらも分からなくなってしまうでしょう。場合によっては、ふたつの魂であったことすら忘れてしまいます」
「すれはつまり、別世界の人間をジャバウォックから守るために故郷の世界を離れたこと、それすらも忘れてしまうということなのか。私たちや、この世界に帰って来ることさえも憶えていないということなのか」
白ウサギは怒り混じりだ。神様女は頷いた。
「そんな……そうだ。迎えに行く。私が迎えに行けばいい」
「いけません。アリスが全ての世界に同時に現れたことに入り、『世界と世界のあいだの壁』は非常に脆い物になってしまいました。これ以上、世界と世界を渡り歩いてはなりません」
「だからって。あのアリスを一人ぼっちには」
「記憶の喪失は既に起こっているのかもしれません。場合によっては、別人のようになっているでしょう。それに白ウサギ、貴女の身体は限界なのです」
「うう……」
白ウサギは泣き出した。俺も同じ気分だ。正真正銘、もうアイツには会えないのか。
「なぁ神様。お願いだ。俺がアリスを助けに行く。行かせてくれ」
神様女は首を振った。
自分の力でもアリスを助けることはできない。最後にそう言った神様女は、白ウサギを元の世界に送るため、連れて帰ろうとする。床に座り込み、項垂れている白ウサギに手を差し出した。
白ウサギは泣き続けていた。アリス……すまない。私が弱いばかりに。守れなかった。私がアリスを倒していれば……。
白ウサギの姿は、まるで涙の出ない俺に代わって、俺が吐きだしたい言葉を全て吐きだしている、鏡の世界の自分のようだった。
俺もコイツも立ち上がる気力が無い。俺は神様女に、明日の夜に迎えに来てほしいと頼んだ。神様女は頷くと帰っていった。
★
その夜、時計の針が無駄に進んでいった。朝になり、陽の光がマンションを差す。泣いてなんかいられない、もっと泣いていたい。そんなことを何度も考えて、泣けない俺は胸の中の重いモノに何とか負けないよう、立ち上がって、部屋の窓を開けた。
アリスのいない街を見下ろす。
「なぁ白ウサギ。前に言っていたよな。いろんな世界にも俺は生きているって」
「え?」
泣き腫らした顔には、何を? そんな言葉が浮かんでいる。
「俺、たとえどんな世界でも必ずアリスを探しだして、そして助ける。今度は俺がアイツを」
「どうやって、そんなことを。別世界の自分といえども他人なんだぞ。生まれてきた境遇が違う、考え方も好みも性別だって。どうやって指示するんだ」
「別世界の俺のことだ。アリスが同じ世界に生きていれば、必ず探しだして支えてやる。アイツがどんなヤツになったって」
すると白ウサギは立ち上がり、街を見下ろす俺の隣に立った。
「では私はアリスの友達になるとしよう。今度は私が支えよう」
「オマエは硬そうなヤツだからな。友達になれるのか?」
「元の私はな、空気が読めないくらい天真爛漫な良い子だぞ。もう一度アリスと友達になるのだ」
朝日が街を照らす。この世界のアリスはもう死なない。アイツが見守っていた猫はシアワセになれるだろうか。
おわり
第11章終了しました。
次回(明日)は最終回となります。予定より1日延びたことをお詫び致します。
最終回はベターエンドのパターンA。ビターエンドのパターンBでお送りします。
ノリはいつものアリスさんです。




