第十章 転結編
「クイーン、じゃなかった主任。なんですか、隕石って」
「国の発表さ。公にはされていないが、五日後に隕石がココに落下する。だから四日後に大事なモノを引き揚げて、五日後には無人にするって寸法さ」
「それまでに、できるだけ使用済みカプセルを処分しとけってワケでしょうけど……数が多すぎますよね、白ウサギ(P.N)さん」
「裏にある謎の倉庫の正体って、使用済みのカプセルの置き場だったんだね。クイーン」
「そうさ。センター長のヤツ、随分と溜めこんでいやがったな。ちゃんと処理して五日後に備えないと。それにしても私、クイーンって呼ばれていたんだな」
私とクイーンは、一生懸命、使用済みカプセルを処理機に投入します。白ウサギ(P.N)さんはプラスチック片となったカプセルを箱に入れ、素早くパレットに載せていきます。
隕石が降って来る。それは地対空ミサイルなどでは、どうにも抗えない代物。隕石といえば世界の破滅を想像しますが、今回の隕石は、見事にこの処理場にしか被害を与えないほどの絶妙な大きさだと言います。この場所を捨てるしかないことは確定済みなのでした。
五日後までに使用済みカプセルを出来るだけ処理しなければなりません。そもそも処理能力はパンク寸前。センター長は未処理の使用済みカプセルを倉庫に隠し、いつか処理しようと考えていたようなのですが……ここに来て処理場の稼働期間はあと五日。
ただでさえ日に日に多くなっている使用済みカプセルに加えて、溜めこんでいた使用済みカプセルも処理しなければならないものですから、それはもう『負け戦』なようなもので。
私は使用済みカプセルをガンガン処理機に投げ込みながら、クイーンに聞きました。
「主任、こんな量、当日までに処理できるんですか」
「隕石が降って来るのは五日後の夜。23時ごろだ。五日後の朝に業者がやってきて、処理機をトラックに詰め込む。つまり五日後の未明までは作業できるってことだよ」
「ねぇクイーン、この仕事のあとって、私たちのお仕事あるの?」
「もちろんだ白ウサギ(P.N)。五日後は引っ越し作業を手伝ってもらう。それ以降は自宅待機だ。ちょうど新型インフルエンザが流行っているしな」
「こんなときだけ自宅待機って……」
五日後の未明まで使用済みカプセルをゼロにしなければならない。「ほかの処理場に頼みましょうよ」と進言したものの、クイーンいわく「ほかの処理場も手一杯」と断られたのだとか。今日も残業のようです。
★
隕石到来まで、あと四日。世の中に激震が走りました。カプセルのメーカーが一部の地域のカプセルの販売を休止すると発表したのです。その地域とは、この処理場の周囲の街。処理場の操業が四日後には停止し、隕石が降ってきて処理場が壊滅すれば、再稼働はいつのことになるのか分からない。製品の処理ができなければ、供給することもできません。
一方で隕石の到来は国民には知らされていませんでした。さらに地域住民は処理場が四日後に停止することも知らされていません。市井の人々からして見れば、突然にして、原因不明のカプセルの販売停止。麓の街はパニックに陥ったことでしょう。一部の住民は処理場に説明を求めてきたといいます。
そんなことを小耳にはさみながら、私たち従業員は汗水たらしながら使用済みカプセルを処理機に入れていくのでした。
隕石到来まで、あと三日。店頭からカプセルが消える事案が発生。一部の地域(処理場の周囲の街)のカプセルの供給が止まったものだから、いずれ日本中からカプセルが消えるのではないかという不安とデマが拡散し、カプセルの買占めが横行したのです。早くもネット転売サイトでは高値がつきはじめました。
隕石到来まで、あと二日。処理場に来てみれば、いつもより従業員の数が疎らな気が……。
「クイーン、白ウサギ(P.N)さんの姿が見えません。遅刻でしょうか」
朝礼のために作業場に来てみたものの、従業員は普段の三分の二もいません。
「みんな、今日は休みを願い出た。正しくは今日から、だ」
「それってどういうことですか」
私は防護服の中に手を突っ込み、スマホを取り出して白ウサギ(P.N)さんに電話しました。
「もしもし白ウサギ(P.N)さんですか。今日はどうしたのですか。ケガですか、病気ですか」
『おはようアリスさん。そんなんじゃないよ。カプセルが品薄状態なんだよ。手元にカプセルがない。そんな状態でイライラしたり、悲しい気持ちになったらどうするの? とても仕事なんてできない。ううん、外はストレスの源で一杯。カプセルがないと外に出られないよ』
「でも、カプセルは買いためているでしょう」
これ、この世界の人間の常識。
『買いためたカプセルは非常用に取っておきたいの。負の感情が生まれないよう、外には出たくない。供給が元通りになるまで巣籠りすることにするんだ。だから仕事にはいけない』
「そんな。操業停止まで、あと二日しかないのに。処理しなければいけないカプセルがゴマンとあるのに。人手が必要なのに」
『ごめんねアリスさん。冷静に考えて。私たちはバイトだよ。社員じゃないんだよ。なに頑張ってるの? カプセルがないのなら怖くて外に出られないよ。アリスさん、過労のストレスでカプセルを無駄遣いしても知らないよ』
「そんなこと」
『この電話もストレスになりそうだから切るね。それじゃあ』
私は呆然としているであろう表情をクイーンへと向けました。クイーンは察したように頷くと皆に言います。
「さあ、今日もケガなく事故なく仕事するよ」
★
次々と送られてくる使用済みカプセル。一時保管室の在庫も空にした状態でここを引き払わなければならないので大変です。廊下にも処理待ちのカプセルが溢れかえっています。そもそも従業員が少ないのです。
隕石到来まで、あと一日。
連日の残業で皆、疲れきっていました。クイーンを含め、社員は家に帰っていないのか、疲労困憊の様子。そして今日も夜の11時を迎えました。
「お疲れさん。あとは私がやっておくから、帰りな」
カプセルを処理機に入れていると、クイーンがやってきて、そんな言葉をかけてきました。防護マスクとゴーグルをしているものの、疲れているのがわかります。
「主任、隕石が降って来るのは明日のこの時間。引っ越し作業のことを考えると明日の未明にまで処理しきらないといけません。制限時間は約五時間……。正社員と夜勤組ではとても処理しきれませんよ」
「処理しきれなかったら、ほかの処理場に送り付けちまえばいいことさ。オマエはバイトだ。徹夜まですることはない。それに明日は引っ越しだ。明日頑張ってもらいたいから、今日は帰れ。いいな」
「……はい」
こうして、大混乱中の職場を背にして家路につく私。麓の町に出れば、カプセルの自販機は販売停止の張り紙が張られ、コンビニの入口にはカプセル売り切れの注意書きがあります。ニュースは連日、カプセルの品薄状況と世間の混乱具合を報道しています。
なんとなく、普段と違って街が静かな気がしました。こんな時間だから当然でしょうが、車や人の数も少ない気がします。みなさん、白ウサギ(P.N)さんのように巣籠りしているんでしょうか。街中を不安の空気が包み込んでいます。
私は星型のカプセルをカバンから出し、胸に押し当てました。心から不安が消えていきます。
こんな状況でも家に帰ることができて、キレイな心で過ごすことができる。そのことに感謝しながら終電に乗りこむのでした。
★
「主任、おはようございます?」
「おお、そんな時間か……」
朝、休憩所に行ってみると正社員たちが机に突っ伏しておりました。その中でもクイーンは長椅子を占拠し、豪快に寝ております。
作業場で待っていると、右手に栄養ドリンク、左手に新品のカプセルを持ったクイーンが登場。栄養ドリンクを胸に押し当て、カプセルに口づけします。
「主任、逆です。逆」
「ん? あ」
クイーンは栄養ドリンクを飲みほし、カプセルを胸に押し当てます。青く変色するカプセル。疲れすぎると鬱になりますよね。
「さぁ、今日はついに引っ越しだ。処理機みたいな大きなモノの運搬は社員とプロが行う。みんなは什器の運搬、細かいモノのダンボール詰めをやってくれ」
「あの、カプセルはどうするんですか」
案の定、使用済みカプセルは全て処理しきれなかったようで、いまだに作業場や通路に並んでいるのです。
「それも一緒に持ち出すさ。社員が責任もってな。さぁ、仕事に取りかかるよ」
クイーンと社員の指揮の下、トラックに荷物を積み込みます。処理機もメーカーから来た人間によって解体され、運び出されます。
お昼になる頃には、事務所や休憩所、作業場の備品などはトラックに積み込まれました。3Kの印象しかなかった暑苦しい作業場も、今ではもぬけの殻となって、なんだか寂しい感じです。
それでも全ての処理機の解体が終わったわけではなく、半分以上が取り残されています。
「バイトのみんな。よくやってくれた。作業はここまでだ。あとの仕事は任せてくれ。仕事の再開日は明日にでも本社のほうから連絡が行くと思う。この五日間、急な話で混乱させてしまって、ろくに相談にも乗れずに悪かったと思ってる。今までありがとう」
閑散としてしまった我が職場で、クイーンは私たちに踵を返すと、まだ社員が働いているであろう隣の部署へと向かいます。
「あの、主任」
私はクイーンを追いかけました。
「私に手伝えることはありますか」
「アリスか。もう十分だ」
「また会えますよね」
「隕石が落ちてくるなんて前代未聞だからな。再稼働はいつになるかな。アリス、それまでに新しい仕事を見つけるべきだと思うよ。いきなり無職にしてすまないな」
「いえ、慣れていますから」
こうして処理場の従業員としての最終日を迎えたのでした。
★
お昼過ぎに家に帰宅。なんだか変な感じです。これから、どうなるんだろう。急に仕事を失ってしまった。メーカーはどれだけ保障してくれるのだろう。バイトだしな。雇用保険は使えるのかな。
星型のカプセルを胸に押し当て、不安を取り除き、ホッとした矢先でした。
「あれ。急に眠たくなってきた。まだお昼の2時なのに……」
考えてみれば、毎日ろくに寝ていません。これまでの疲れが爆発してしまったようです。
布団を敷いて倒れこみました。……おやすみなさい。
気がつけば夜の7時過ぎでした。テレビのニュースは昨日と同様、カプセルの品薄報道や天気の不順などを伝えてきます。スマホのニュースサイトも同様です。
「どこも隕石のことは触れていませんね」
もし公にされれば混乱になるでしょうし。いえ、もう混乱状態ですか。
隕石がやって来るのは11時ごろでしたね。あと4時間。
「夕飯、何にしましょうかね」
そんなことを言ってみたものの、クイーンたちのその後が気になって仕方がありません。
「だからなんだというのですか。もう私には関係のないことです。気持ちを切り替えていきましょう」
★
そして、処理場の最寄り駅までやってきてしまった私。私には星型カプセルがあるので、外出を控える必要はありません。どうせ暇だし。なにより職場の最後と隕石落下という天体ショーを見ない手はありません。
時刻は夜の9時過ぎ。駅を出てみると。
「これは、どうしたことでしょう」
駅前のゴミ箱、ベンチ、郵便ポストは壊されていたのです。駅前のコンビニはガラスが割られ、店内では店主が横たわっておりました。
「どうしたというのですか」
私は店主に駆け寄り、支えて起こさせます。
「あぅ……さっき暴徒がやってきて、カプセルを寄こせと凄んできたんだ。カプセルはないと言うと店の中で暴れるだけ暴れて出ていった……」
「そんなことが……」
私は驚き、疲弊した店主から手を離して店の外へ駆けました。胸騒ぎがしたのです。店主は支えを失い、頭部を床に激突させていました。
街には多くの人間がゾンビのごとく彷徨っていました。その目は尋常ではありません。
「カプセルがない。カプセルは何処にあるんだ」
「負の感情が溢れてくる……ような気がする」
「カプセル、カプセルさえあれば」
これが、自身で感情を処理しきれなくなった人間のなれの果てか。
処理場が心配になってきます。私は街を駆け抜け、処理場のほうへ向かいました。途中で目にするカプセルの自販機は、こじ開けられて、中身のない中身を露わにしています。
処理場のある山の入口に差し掛かると、規制線が張られていました。立ち入り禁止と書かれた看板に、KEEPOUTと書かれたテープが左右に引かれ、処理場関係者以外の侵入を拒もうとしています。
規制線の反対側には処理場の社員やセンター長がいるのでした。
「センター長、これは?」
「これから処理場は隕石の直撃を受ける。周辺住民がこの先に立ち入らないようにしているんだ。キミはアルバイトの者だな。どうしてここに?」
「気になって来てみました。街の皆さんはゾンビのようになっていますよ」
「無理もない。カプセルが品薄なんだ。不安に陥るかもしれない未来を想像して不安になり、自我を失ってしまったのだろう」
「社員の皆さんは平気そうですね」
「メーカーから優先的にカプセルを分けてもらっているのだ」
なんだかズルイですね。ここであることが気になりました。クイーンの姿が見当たりません。
「センター長、主任は何処にいるのでしょうか」
「彼女だったら処理場に残された最後の使用済みカプセルを回収している」
クイーンはカプセルを「ほかの処理場に送りつける」と言っていましたが、まだ残っていたんですね。
センター長は続けます。
「そういえば、なかなか降りてこないものだな。我々も、こうして待っているというのに」
そう言ってスマホで連絡を取り始めたのですが。
「おかしい。出ないぞ」
「まさか、何かあったのでしょうか。私、見てきます」
「もうすぐ隕石がやって来るんだぞ。危険だ」
そのときでした。気配を感じて振り向けば、周辺住民らがゾンビのような目をしてユラユラと近づいてきたのです。
「どうしてオマエたちは平気でいられるんだ」
「この先にはカプセルの処理場がある。きっと新しいカプセルがあるんだ」
「独占するな。俺たちにも寄こせ」
人々が群がってきました。完全に正気を失っています。その中には処理場を街からなくそうとしているゴリラの姿もありました。
センター長や社員は規制線を越えさせまいと、必死に押し返します。だって処理場には隕石が落ちてくるんですもの。
「みなさん、私は主任の様子を見てきます」
「しかし隕石が」
「降って来るまで、あと二時間はあります。徒歩で往復しても、お釣りが来るくらいですよ。それに星型のカプセルもありますし」
「星型? なんだね、それは」
「健闘を祈ります」
住民を制止するセンター長たちを尻目に、私は処理場を目指して山を登るのでした。
★
山中で不自然なほどに煌々と光る、夜の処理場。しかし今晩は照明が落とされ、機械の蠢く音もせず、廃墟のごとく闇に溶けています。
門はまだ空いているので、中にはクイーンがいるのでしょう。進入してみると、ある倉庫から光が漏れていました。覗いてみればクイーンが蹲っているではありませんか。
「主任、どうかしましたか」
クイーンは口元を手で押さえていました。とても辛そう。指の隙間からは血が滴っていました。
「がはぁっ」
クイーンは血を吐いてしまいました。
「病気? 主任、病気なんですか」
「違う……これは……きっと、過労だ」
過労からくる吐血。胃潰瘍でしょうか。
「そんなになるまで仕事して。どうして休まなかったんですか」
既に身体はボロボロだったはず。クイーンは弱々しく答えます。
「カプセルを使ったんだ。カプセルを使うたびに心は軽くなった。心は健康な状態になったんだ。それはまるで身体まで健康になったかのように感じられた。でも、それは錯覚だったのさ。心の喜びに騙されて、身体の悲鳴には気付けなかった。その顛末が、このザマさ。ガハァ!」
血を吐き続けるクイーン。こうしちゃいられない。
「早く山を降りて病院に行きましょう」
「待ってくれ。台車の上に処理前のカプセルがあるだろう。それが最後なんだ。それをトラックに積み込んで運ばないと……」
視線の先には使用済みカプセルが載った台車がありました。倉庫の脇にはトラックが停まっており、荷台には大量の使用済みカプセルが載せてあります。
この場所には隕石が落ちてきます。使用済みカプセルを放置するわけにもいきません。
クイーンは絞りあげるように言葉を発しました。
「カプセルを使えば、まるで海岸線をオープンカーで走ったとき、私を歓迎するかの如く吹いてくるご機嫌な海風のような心地いい空気が、私の心を満たしていった。カプセルを使うたびに心が生き返った。おかげで身体まで元気になったと錯覚していた。身体は悲鳴を上げていたというのに」
「主任」
「ちなみに私はオープンカーなんて持っていない。ガハァ!」
また吐血。さっさと山を降りなければ。
私は台車の上のカプセルを素早くトラックの荷台に詰め込み、走行中に崩れないよう、幌をかぶせて、ロープで固定しました。
これでいつでも発車できます。あ、トラックは4トン車ですね。私、大型免許なんて持ってない。クイーンに視線を向けると、横たわりながら、虚ろな目で空を見上げておりました。
夜空には、ひとつの星が一際輝いております。いえ、輝くというにはあまりにも大きい。まるで近づいてくるような。恐怖と気持ち悪さを織り交ぜたような、不安をあおる光でした。
「もしかして隕石ですか。降って来るの早くないですか」
「宇宙からしてみれば、二時間程度の前倒しなんて、誤差のようなものなのだろうよ」
「もう、どうにでもなぁれ!」
溢れてくる不安を星型カプセルに閉じ込め、クイーンをトラックの助手席に押し込み、運転席に飛び乗ります。無免許の私が運転して麓まで降りるのです。緊急事態ですので、世間も許してくれることでしょう。
アクセルを踏み込み、トラックを発進させます。なんだか回しにくいハンドルですね。
なんとか処理場を脱し、つづら折りの急な坂道を降りていきます。助手席のクイーンに目を向ければ、顔と手は血まみれ。虚ろな目をして辛そうにしていました。
「これはカプセルに頼った罰なんだ。やはり人間は悲しいときに泣き叫び、イラついたときには怒り狂うべきだったんだ。そうすれば負の感情の元凶がなんなのか、考える機会を得られたハズなんだ。過労だと分かれば働き方改革を試みたり、有給申請を出したものを……うぅぇぇガハァ!」
「また血を吐いた! 何を言っているんですか。カプセルのおかげで、どれだけの人間が助かってきたと思いますか。トラブルや事件だって減ったんです。アルコールに頼ることもなくなりました。私はカプセルが好き。カプセルのない世界なんて想像できませんよ」
「うう……私は……もうダメだ……ガハァ!」
「身体に障ります。もう喋らないでください」
血を吐き続けるクイーン。早くしなければ。速く走るのは簡単なのですが、何ぶん、この下り坂はカーブが多いため、なかなかスピードが出せません。ブレーキをかけ続けた状態で下っております。面倒極まりありません。
「それにしても、オマエはトラックの運転が上手いな。どこかで乗っていたのか? ガハァ!」
自分でもトラックの運転を初めてとは思えません。なんだか相性がいいような。深く考えるのは止しましょう。
サイドミラーは迫って来る隕石を怪しく映し出します。
もう何度目かのカーブを曲がった矢先でした。足下に違和感あり。
「これは。これって。ブレーキが効かなくなっていませんか」
しまった。車の構造は詳しくありませんが、ブレーキペダルを踏み続けたせいで、ブレーキパッドがイカれてしまったようです。
「主任、吐血中に大変恐縮ですが質問です。坂道を降りている際に、ブレーキがまったく効かなくなってしまった場合はどうしたらいいんでしょう」
「…………」
「こんなときだけ黙らないでください」
既にクイーンは目を閉じていました。呼吸はしているので死んではいません。死んではいませんが……。
ブレーキが壊れてしまいました。トラックはどんどん加速していき、次のカーブが迫りまくってきます。カーブの先は岩肌なのです。このままでは正面からぶつかる!
「うおおおりゃぁぁ!」
渾身の急カーブ! 奇跡が発生し、無傷でカーブを突破! しかし車体はバランスを崩して……グラリ!
世界が90度傾き、あり得ない姿勢で地面を見下ろします。運転席側が上にある状態で横転してしまいました。それでもスピードは衰えず、車体は火花を散らしながら次のカーブに突っ込もうとします。ガードレールの先は……崖!
このままでは確実にぶつかる。絶対突き破って落ちる。ああ死ぬ。
これ以上転落することのない人生かと思っていたのに……。
そのとき、突然道路わきの茂みから人影が飛び出してきました。人影は横転しながら突き進むトラックの前に立つと、両手で車体を押し返そうとします。当然トラックは止まらず、その人物の足下はアスファルトとの摩擦で火花を散らします。
「マジか……」
それでもトラックの勢いはみるみると衰え、ガードレールの手前で止まりました。その人物は無言でフロントガラスを拳で叩き割り、私とクイーンを救出してくれたのです。
トラックの勢いを殺したためか、彼女の黒いワンピースの長袖は破れ、腕もボロボロ。皮膚さえも弾け、中身の骨が……違う、あれは骨ではなく……。
彼女はトラックの後方に目を向けていました。荷台に乗せていた使用済みのカプセルが、横転した拍子に崩れ落ちてしまっていたのです。一部の物は破損し、負の感情が溢れだしていました。青、黄色、赤い気体が街灯に照らされ、もうもうと立ち上るのがわかります。
その光景に腰が引けてしまう私とは反対に、彼女は一目散に負の感情に走り寄り、大きく吸い込みはじめました。一度に大量の負の感情を取りこんでしまえば、心はどうなってしまうのか。一人分の、悲しみの感情を取りこんだ白ウサギ(P.N)さんですら、我を忘れて泣き叫んでいたのです。
「危険です。やめて下さい。早くそこから逃げて」
彼女が吸い込んでいるのは、多くの人間の、多様な感情なのです。彼女は感情の中で、自分の胸に手を当てていました。私に視線を結ばせます。私は思わずつぶやきました。
「あれ、案外平気そうですね」
彼女は変わりなかったのです。本人もそれに気付いているのか、残念そうにしています。
破損したカプセルから湧き出た負の感情は、出し尽くしたようで、もう目には見えません。私は彼女に近寄りました。
「あなたはロボットだったのですね。エリットさん」
私たちを助けてくれたのは、いつか山道で出会い、自身を『感情のない人間』と言っていたエリットさんだったのです。彼女の両腕はトラックを止めた衝撃により、皮膚が弾けて機械の腕を露わにしていました。
「おっしゃる通り、私はロボットです。だから人の感情に憧れていた。今日も使用済みカプセルを頂こうと思い、規制線をやり過ごして処理場に向かっていました。山道から行けば、また従業員の方に止められてしまうと思って、車道から」
でも怪しいトラックが降りてきたので茂みに逃げ込んだのだとか。そしてトラックが横転したので助けてくれたとのことです。
「エリットさん、使用済みカプセルから溢れ出た負の感情を吸い込みましたね」
「はい。でもダメですね。悲しみも不安も怒りも湧いてこない。やっぱり私には感情が無いようです……あ」
空を見上げるエリットさん。隕石がすぐそこまで迫って来ていたのです。
「あああああっ」
私の悲鳴なんてお構いなしに、隕石は処理場に墜落しました。地震のような揺れ。そのあとに爆風が駆け抜けます。木々が慄くように幹を仰け反らせていました。
エリットさんは私を抱え、クイーンと共にトラックの影に移動させて、爆風から守ってくれました。
山頂を見上げれば炎が立ち上がり、処理場の崩壊を告げています。さらに火山が噴火するかの如く……赤、黄、青の小さな火球が大量に天に舞い上がります。
それらはきっと、まだどこかに残っていた赤・黄・青の使用済みカプセルが燃え、火災による上昇気流で舞い上がったものなのでしょう。
それらが私のもとへ、麓の町にも降り注いて行きます。まるで雪のように。どこかの誰かの負の感情。そんなものが身近にやってきたら危険です。危険なのですが……
「キレイ……」
私には、どこかキレイなものに見えてしまいました。三色の瞬きは蛍の光のようで。手の平に落ちる、人が生みだした光は、雪の結晶のように溶けていったのでした。
あとで聞いた話なのですが、光の正体は処理場に埋めていたプラスチック片だったんだそうです。つまり処理済みのカプセルが燃えて、舞い上がったもの。人畜無害。それでも麓の街のゾンビたちをパニックするには十分だったようです。
エリットさんに抱えられて下山したクイーンは入院。私は無職になりました。
そして五カ月後……処理場は復旧され、稼働を再開させたのです。
★
五カ月間、なんとか日雇いのバイトで食いつないでいた私は再び処理場の従業員になりました。元気になったクイーンや白ウサギ(P.N)さんとも再会。カプセルの供給も再開され、世間も元の平穏を取り戻しました。
新たな処理場では処理機が増設され、新顔の従業員とも出会えました。
「あ、オマエは」
「アナタは確か」
隣の作業場で働く従業員。彼は以前、深夜の公園で、捨てたカプセルを返せ、と凄んできた少年だったのです。
白ウサギ(P.N)さんから聞いた噂話では、彼は姉と共に父親の元を離れ、姉弟で暮らしはじめたのだとか。生活を楽にするためにも、学校のない日は処理場でガッツリ働いて稼ぐんだそうです。
処理場の廊下で鉢合わせ、お互い気まずい雰囲気です。そこへ。
「もうっ。早くしないと休憩時間がなくなりますよ」
彼のあとを追いかけるように作業場から出てきたのはエリットさんでした。彼女は私に会釈すると、彼の手を掴んで休憩室に向かいます。
ロボットの彼女も今では処理場の従業員です。ここで働けば、好きなだけ人間が捨てた感情を吸える。それが就労を決めた理由なんだとか。たまに隣の作業場を覗くと、処理機の外装を開けては、処理中の負の感情を吸いこんでいます。いつか彼女にも負の感情が宿ることがあるのでしょうか。
それにしても今日も疲れましたね。負の感情が生まれる前に、星型のカプセルを使いましょう。廊下の隅で、カプセルを胸に押し当てます。涼しげな風が心に吹きこんできてリフレッシュできました。
「なんだい、それ」
クイーンが覗きこんできました。
「見つかってしまいましたか。白状します。これは試作品のカプセルで何度も使えるばかりか、心に平静をもたらす力も、従来品に比べて劇的なんです。以前やって来たメーカーの研究員さんがくれたのですよ」
「研究員? それって猫顔の男か」
「お知り合いなのですか」
「ちょっと貸してみな」
カプセルを掠めたクイーンは、こともあろうかカプセルを上下に開けてしまったのです。
「なんてことを!」
カプセルの中には、私の数ヶ月分の負の感情が閉じ込められているというのに。そんなものを吸いこんでしまったら……。
「え? なんともないんですか」
「これは感情を閉じ込めるようなカプセルじゃない。ただの星型の容器だ」
「そんな」
「猫顔からもらったんだろ。アイツのイタズラさ」
そんな。私はただの容器を胸に押し当てて、負の感情を捨てていた気でいたんですか。それって、ただの思い込みではないですか。
「まぁ、感情を生むのは人間。その感情をどう感じるかも人間だ。ただの容器でシアワセになったのなら、いいじゃないか」
クイーンはカプセルを私に返すと、休憩所へ向かいました。
ああ、猫顔研究員め。よくも騙しやがって。この数ヶ月分の怒りがこみ上げてきます。
でも私の心が繊細ならば、偽物のカプセルでは負の感情を消し去ることなんて出来なかったはず。ならば私が悪いのか。
「久しぶりに従来のカプセルを買いましょうか」
星型カプセルを貰ってからというもの、カプセル代が節約できて良かったんですけどね。
またお金が減っていく。健全な精神と経済的困窮を天秤にかけた生活が再開します。ああ、生きづらい世界ですよ。
おわり
第10章終わりました。
後書きに書くネタが尽きました。
明日も投稿します。




