第十章 承転編
翌朝。
「なんだこりゃ」
眠い目をこすりながら、寝ても疲れが取れない身体を引きずって、処理場の最寄り駅までやってきたというのに、送迎のシャトルバスの前には謎の集団が居座っていたのです。
あれではシャトルバス、発車できませんよ。しかもその中心にいるのは、タスキをかけたゴリラだったのです。
「この街には危険な処理場があります。処理場から溢れ出た負の感情が、街まで流れてきては、住民の心の健康が脅かされてしまいます。ワタクシ、森野守人は皆さんを守るため、この街から処理場を追いだします!」
「いいぞ。いいぞ」
「森野さん、がんばってくれよ」
ゴリラが演説めいたことを言えば、まわりの人間が歓声を上げます。
ああ、あれはゴリラではない。ゴリラのような人だ。察しました。これは選挙運動の一環です。もうすぐ、この街では市議会選挙があるのです。
ちなみに使用済みカプセルの負の感情は、ちゃんと処理場内で処理しているので外部に漏れることはありません。
集団はバスの前と入口を塞ぐように展開しました。バスの運転手がクラクションを鳴らすものの、退きはしません。それどころか。
「処理場はこの街から出ていけー」
「出ていけー」
ゴリラが雄叫びをあげると、周囲の取り巻きも声を上げます。とてもシャトルバスに乗り込める状況ではありません。
こうなったら徒歩で処理場に向かうしかありません。徒歩で40分……。今から間にあうのだろうか。
私を含め、バス乗り場に集まっていた従業員は、朝から死んだ顔になってしまったのでした。
案の定遅刻してしまいました。起床時間はいつもと同じなのに、遅刻のために時給が減らされてしまう理不尽。休み時間はカプセルを使おう。
11時ごろ。いつものように使用済みカプセルを処理機に入れていると、防護服を着た一団がセンター長に連れられて、作業場にやってきました。センター長は彼らになにか説明しているようで、一分ほどでいなくなりました。
偶然居合わせたクイーンに一団のことを聞いてみました。
「そうか。オマエはシャトルバスの最終組か。朝礼にはいなかったから知らないか」
「好きで遅刻したわけではないのですが」
「事情は知っているよ。大変だったな」
「それで、あの一団は」
「ああ、メーカーの若手研究者どもが見学に来ているんだ。午後の予定では上の者たちと会議室でやりあうらしい。もう作業場には来ないよ」
メーカーの研究者といえば、カプセルを作った人たちですか。ふぅん。
★
今日も残業です。大変残念な有様です。
夜の7時ごろ、一旦休まなければ死んでしまうと自己判断し、休憩室に自主避難しました。
するとスーツ姿の男性が椅子に座っておりました。歳は20代後半。猫を彷彿とさせる顔。ネクタイなんてピンクとマゼンダの縞模様。これは減点対象ですね。
この処理場では見かけない顔です。もしや見学に来ている研究者の方でしょうか。
私が注目したのは、男性が読んでいるマンガでした。少女マンガです。月刊誌の。表紙丸見え。
すると男性と目があってしまいました。ヤバい。
「なにか?」
「いえ、私もそのマンガ雑誌、小学生の頃まで読んでいたんです。まだあったんですね」
「あ、これ。仕事のために読んでいるんだ」
「仕事?」
男性は本を閉じます。
「消費者からの要望で、恋心を捨てられるカプセルを作ってくれっていうのが多くてさ。だから恋心って何なのか研究しているんだ」
「やはり研究者の人でしたか。なんで恋心を捨てるんですか。悲しみや怒りのような負の感情でもあるまいし」
「多くは、年頃の子供を持つ親からの要望なんだよ。親からして見れば学生のうちは恋よりも勉強を優先させたいだろうし、未成年同士の恋愛は危く映ってしまうんだろうね」
「だからって、恋心を捨ててしまうなんて」
「いらないもの、だからじゃないかな」
「怒りや不安ではあるまいし」
「では怒りや不安なら捨てていいと」
そりゃ負の感情はゴミのようなものですから。私は抗議します。
「若い頃に恋心を捨ててしまったら、大人になって恋心が芽生えたとしても、それが恋心だと気付けませんよ。イイ人に出会っても行動に移せなくなってしまうと思うのです。恋心を捨てるためのカプセルよりも、疲労感や老化を吸収するカプセルを作ることのほうが急務だと思いますが」
「ははは。キミって面白いね」
何が面白いんだか。ああ、休憩の時間がなくなってしまう。猫顔は続けます。
「今は恋心の正体がなんなのか分からない段階なんだ。だから恋心用のカプセルを作れるかどうかも分からない」
「そうですか」
私は自販機でジュースを買います。隣にはカプセルの自販機。残業でイラついてしまうかもしれない。予防のためにも今、ここでカプセルを使って、キレイな気持ちで仕事に戻ったほうがいいでしょうか。どうしようか。
「キミ」
後ろから声をかけてきたのは、さっきの研究者でした。振り返れば、椅子に座って再び少女マンガをめくっております。
「カプセル、買うの?」
「買おうかと思いますが。あ、そうだ。研究者ということはメーカーの人ですよね。どうしてここのカプセルの自販機の値段は、市井の物と同じなんですか。従業員用に安く提供してほしいのですが」
「十分安いと思うけど」
それはアナタが高給取りだからでは。すると男性は傍らのカバンから星型で透明な物体を取り出しました。カプセル?
「これは試作用のカプセルなんだ。複数回使用できる。透明の状態なら何度も使えるし、変色すれば取り換え時」
「何度も使えるなんて、経済的ですね」
「どうも人によって使用回数が大きくバラけてしまってね。一般販売までこぎつけていない。これをキミにあげよう」
「え、頂けるんですか」
私は一日にカプセルを何度も使います。多いときは10回も。カプセルに当てるお金も少なくありません。常に心の平穏と経済的な豊かさを天秤にかけた生活を送っております。複数回使えるカプセルがあれば、カプセルにかけるお金も減るというものです。
「でも、そんないいものを」
「まだまだ販売できるような代物ではないんだ。二回で変色した者もいれば、十回以上使えた者もいる。新たな試作品を作らなければならない。すると、この試作品は用済みなんだ。だから、あげるよ」
従来の丸いカプセルと違い、星型のそれを受けとりました。これがあれば、数回分のカプセル代が浮いたも同然。是非実用化してほしいものです。
「では有り難くいただきます。そうそう、アナタが読んでいる少女マンガですが」
「うん」
「恋心を学ぶには少々荷が勝ちすぎるかと。読者の対象年齢が幼すぎるのです。年頃の子の恋心を学ぶには○○○や△▼△といった雑誌のほうがいいですよ。もしくは雑誌ではなく単行本、□□□先生の描く恋愛マンガがお勧めです」
「そうなんだ。キミはそれを読んでいるわけだね」
「ギクッ。え、あ、ああの、それらの雑誌は昔に卒業しましたから」
「ふぅん」
「本当ですからね。あと、カプセルは使わせていただきます。ありがとうございました」
私は星型のカプセルを抱いて、休憩室をあとにしました。
後ろから、あの男が声をかけてきます。
「キミの恋、実るといいね」
今の私に恋心なんて、ありませんから!
★
今日も夜の11時まで残業してしまいました。作業場に絶え間なく送られてくる使用済みカプセルに何度かイライラしてきたものの、こっそりと星型のカプセルを使うことにより乗りきることが出来ました。
星型のカプセルを使えば、まるで北欧の湖のほとりにたたずむコテージのバルコニーで、頬を撫でる清らかな風が心の中に吹いてきたようでした。北欧、行ったことがないのでわかりませんが。使用後の精神状態は従来のカプセルよりもはるかに良好。しかも変色していないので、まだ使えます。星型は優秀だったのです。
こんな時間ではシャトルバスはありません。クイーンはまだ仕事をしていたので、今晩は車での下山は望めないでしょう。
「徒歩で帰るしかありませんね」
山頂の処理場と麓をつないでいる車道は、くねくねと曲がっておりますが、歩行者用の階段は真っ直ぐ麓へ伸びています。
周囲は木々が生い茂り、足下はアスファルトではなく、丸太を用いた階段。ここが昼間の自然公園なら趣があるでしょうが、仕事帰りの深夜となれば、薄気味悪いし、疲れるし、たまったものではありません。それも歩いて20分。このルートでしか下山できないのだから仕方ありませんが。
さいわい街灯が設置されているため、転ぶようなことはありません。さっさと駅に向かいましょう。
降りていると、前方から人影が近づいてくるのが分かりました。こんな夜更けに人? 夜勤の人にしては出勤時間がおかしい。ましてや人気のない山道です。もしや昨晩の少年でしょうか。それとも今朝の処理場反対派が殴りこみに来たのでしょうか。どちらにせよ警戒するに越したことはありません。
私はカバンから護身用の丸いカプセルを取り出しました。怒っているヤツの胸元に押し当てて、怒りを抜いた拍子に反撃してやる。
謎の人物もこちらに気付いたのか、動きません。降りていくと、その人物は意外にも女の子であることが分かりました。歳は中学生くらい。キレイな金髪を両側でお下げにしています。黒い長袖のワンピースがとても似合っていました。
敵意は感じられないので、そのまま通り過ぎようとすると。
「あ、あの。処理場で働いている人ですか」
「え、ええ。そうですが」
「突然すいません。私はエリットといいます。私に使用済みのカプセルを頂けないでしょうか」
またこのパターンか。
街灯に照らされた彼女の顔は、それは整ったものでした。アイドル風……というよりもお人形といったほうが近いかもしれません。
私は聞きました。
「どうして使用済みのカプセルなんか。怒りや不安が詰まっていて、とても危険なんです。負の感情なんて吸い込んでしまったら、どうなるか」
「構いません。私、感情といったものがないんです」
はぁ? 感情がない人間がいるはずありません。世界と社会が不安や苛立ちで渦巻いているのは、世界と社会を作った者が人間だからなんです。人間がそこにいる以上、負の感情も、そこにあると思うのです。だからみんな、大変なのに。
「とても信じられないのですが」
ただでさえ早く帰りたいというのに。だからか、私の声は若干、語気が強かったと思います。それでもエリットさんは気後れせずに口を開きます。
「本当なんです。みんなが悲しいと思うことも悲しくないし、不安になるような状況でも不安にはならない。イライラしたこともなくって」
「そうなっていることに気付いてないだけでは。仮に本当なのならば、とてもうらやましいことですよ」
「それが辛いんです。みんなが悲しんだり、怒ったり、不安がったり。私から見たら感情の海を泳いでいるようで。心はひとつしかないのに、感情に飲み込まれれば、まるで別人のようになれて。なんだかみんなが羨ましくって」
羨ましい? 何を言っているんでしょうか。負の感情が無い状態こそが、とてもシアワセなことだというのに。
「エリットさん。みなさん、感情に支配され、心を平穏な状態にすることに多大な労力をかけているんです。感情がないと仰りましたが、それこそが人間のシアワセだと思うのです」
そんなシアワセのために、私はいくつカプセルを買ったんだっけ。そもそもシアワセになったのか。カプセルを使うたびに気分爽快。でもシアワセではないような。
「そうか。不シアワセにならないための努力……」
「あ、あの」
「エリットさんは感情が欲しいんですね」
「はい」
「劣等感、飢餓感をどうにかしたいのですね。その願望こそが感情がある証拠ではないですか。みんなが持っているモノを持っていない悲しみ。みんなと同じではないという恐怖から来る不安。嫉妬から来る怒り。もうアナタは感情をお持ちなのですよ」
「そうでしょうか。私、みんなのようになれないから、ここまで来て感情を頂こうと」
「だったら証拠を見せてあげますよ。えいっ」
私は護身用にと握りしめていた丸いカプセルをエリットさんの胸元に押し当てました。さて、なに色に変色するでしょうか……しない。
カプセルは透明のままです。すなわち負の感情を吸収していない新品の状態。
「不良品でしょうか」
自分の胸に押し当ててみると、黄色に変化しました。不安の色です。
「これは一体どういうことでしょう」
エリットさんの願望は、まさか純粋な憧れとでもいうのでしょうか。しかし、彼女にしてみれば、使用済みのカプセルが貰えるか否かの大事な状況。不安があってもおかしくないというのに。
「あの?」
エリットさんは首を傾げます。それは彼女の風貌も相まって可愛さを彷彿させるものなのでしょう。けれど、私にとっては得体のしれない人物。さらに、こんな時間です。不安が再び湧いて出て、恐怖に変わりかけてきました。
私は急いで星型のカプセルを胸に押し当てます。まだ変色はしません。心も平穏を取り戻します。頭だって冷静になります。星型カプセル、脅威の不安吸引力!
私に出来ることなんてない。私が彼女に言えることは、これくらいなのです。
「エリットさん。結論から言うと使用済みカプセルはお譲りできません。私には権限はありませんし、処理場としてもコンプライアンスの観点から、譲ることはないでしょう。また処理場に忍び込もうにも、セキュリティは万全ですし、24時間操業なので人目もあります。感情がないことが真実だとしても、ここは諦めて別の手段を考えましょう」
するとエリットさんは残念そうな表情を浮かべました。残念……悲しいんですね。私は従来の丸いカプセルをカバンから取り出し、エリットさんの胸に押し当てました。
それでもカプセルは変色しません。
「どうしてでしょう」
「父が、残念なときは、こういう表情をしろと教えてくれました」
どうしたものか。とにかく、この場を治めなくては。
「エリットさん。現代人は負の感情で大変疲れ切っています。それがないアナタは、いわばこれからの人類に必要な心を持っている。いわば新人類なのです。胸を張っていいのでは?」
「新人類扱いされるのは、イヤなんです。みんなと同じでいたい」
「……そうですよね。こんな時間では良いアイデアなんて浮かばないものです。夜とはそういう時間です。一緒に帰りましょう」
「…………はい」
こうして私とエリットさんは下山しました。駅に向かいながら缶ジュースくらいおごってあげようとしましたが、飲み物は飲まない主義だと断られてしまいました。
さらに駅に着いて振り向けば、エリットさんは姿を消していたのです。まるで黒いワンピースが、夜に溶け込んだかのように。
「きっと、この街の子だったんでしょうね」
ちょうど電車がホームへ駆けこんできたところでした。今晩も終電には間にあいました。
★
翌日のこと。今朝は無事にシャトルバスに乗れたので、始業時間には間にあいました。
異変は午前中に発生。一緒に働いていたクイーンが作業場から姿を消しました。緊急の会議でしょうか。
さらにお昼の休憩時間。休憩所にいるはずの正社員の姿もありません。どういうことでしょう。
その答えは次の日の朝に分かりました。今日の朝礼は中止と言われ、休憩室の集まるようにと言われます。休憩室には全部署の人間が集まっておりました。椅子に座れることもなく、ほとんどの者が立っております。
玉子体型のセンター長が皆の前に立ちます。
「みなさん日頃の勤務感謝いたします。突然ですが当処理場に隕石が落ちてきます。この処理場は操業を停止し、隕石の衝突に備えなければなりません。隕石の落下は五日後。よって、四日後の皆さんの業務は当処理場の引っ越し作業となります。ご理解とご協力をお願いします!」




