第十章 起承編
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『負の感情』『悲しみ』『不安』『怒り』『お仕事』『近未来』『ローファンタジー』『ヒューマンドラマ』『ここでもゴリラ』
皆さんお疲れ様です。仕事のあと、一人になると不安や怒り、悲しみの感情に飲み込まれてしまう情緒不安定な主人公、アリスです。
別に仕事や同僚が好きというわけでもなく、むしろ一人でいるほうが楽なのですが、一人になると原因不明のマイナス感情に襲われてしまうのです。
イライラや不安に支配されたまま家に帰りたくない。だから飲食店や居酒屋で気分転換したいのですが、このご時世ですもの、飲食店・居酒屋は時短で店を閉めてしまうのです。
仕方なくコンビニでお酒を買って飲みながら帰るのですが。ああ、暴風雨の夜なんて傘をさしながら缶ビール片手に足を進めることに。片手にビールがあるものだから、突然の突風があれば対応できず、傘が裏返ってずぶ濡れになります。
どうしてここまでしてお酒を飲むのか。そう、全ては溢れてくるマイナスの感情が悪いのです。感情を抑え込むにはアルコールしかないのです…………。
しかし、そんな生活も数年前までのお話。今や怒り、不安、悲しみという感情は、専用のカプセルに封じ込めて捨てられる世の中になったことを御存知でしょうか。
カプセルはまるでガチャガチャのカプセルを一回り大きくしたような、透明で球状の物体。使い方はいたって簡単。負の感情に支配されたとき、透明のカプセルを胸に押し当てればいいのです。カプセルが負の感情を吸い上げて変色し、使用者は負の感情から解放されます。
心からドロドロとした感情が消え失せて、代わりにスゥーっと高原の風が入って来るような感じ。私の内面は、まるで波ひとつない湖の水面のように、穏やかで静逸なものへと変わっていくのです。とっても心軽やか。
透明の新品カプセルはスーパーやホームセンター、コンビニ、自販機でも売られています。使用済みとなり変色したカプセルは専用のごみ箱に捨てることができ、ゴミ箱もいたるところに設置されています。家庭ごみとして出すこともできますよ(回収日は自治体ごとに決められているので、廃棄する際はお調べ下さい)。
私は仕事終わりに、このカプセルを使って心を綺麗にし、カプセルは駅に設置された専用のゴミ箱に捨てて、清潔な心で家へ帰るのです。おかげで夜はリフレッシュタイム。寝付きも良くなりました。
今日のおはなしは、そんなカプセルが実用化され、必要必需品となった世界での、些細な出来事? です。
★
ゴミが出れば処理場が必要になります。負の感情が閉じ込められた使用済みカプセルは、一般家庭では処分しきれません。
素人がカプセルを割ろうものなら、閉じ込められた負の感情を溢れだし、吸い込んでしまえば、心が負の感情に支配されてしまいます。
負の感情を吸い込まなかった場合、感情は空気中に拡散され、人の心に影響しないレベルにまで薄まりますが、それでも、ちゃんとした施設で処理しなければなりません。
使用済みカプセルはメーカーに依頼された業者が回収し、専門の処理場に送られるのです。私は、そんな処理場で従業員として働いております。
私が担当する部屋(作業場)では、業者が回収した使用済みカプセルが車輪付きの大きなカゴに入れられて、運ばれてきます。
私の仕事は送られてきた使用済みカプセルを、専用の処理機に入れること。回収トラックは日に何回もやってきて、別の従業員が私たちのいる処理機のある部屋にカプセルをガンガン持ってきます。私は朝から夕方までカプセルをガンガン処理機に投入するのです。
処理機の長さは50メートルほど。中はベルトコンベヤーになっていて、カプセルは投入口から排出口に向けて流れていきます。処理機のほとんどの部分は鉄板で覆われていて、どんな仕組みなのかは分かりませんが、途中にある機械はギッタンバッタンと音を立てて、カプセルの中の負の感情を処理している御様子。私は技術者でもなく、お金さえもらえれば良いので、感情を機械的に処理するメカニズムまで興味はありません。
排出口からは1センチメートル四方のプラスチック片となったカプセルが、どんどん出てきます。このプラスチック片は、どこかの埋め立て地に捨てられるようです。
私の仕事は、とにかく送られてくる使用済みカプセルを処理機にいれること。これがけっこう重労働なのです。専用の防護服を着ているので、汗をかくのです。
ま た、排出口から出てきたプラスチック片を箱に入れて、箱をパレットの上に積み上げている担当者(通称・相方)の仕事の速度を考慮しながらカプセルを入れないと、迷惑をかけてしまいます。
ビーっ!
処理機が止まってしまいました。途中でカプセルが詰まってしまったのでしょうか。
「アリスさん、また止まっちゃったね」
排出口で仕事をしていた相方が、こちらに駆けてきます。今日の相方は白ウサギ(P.N)さんです。私は彼女に声をかけます。
「この処理機、きっと古いんですよ。交換の時期だと思います」
「詰まったところは、Bポイントかな。外装を開けてみるよ」
「でしたら、ちゃんと防護マスクとゴーグルをつけてください」
「つけなくても平気だよ。それに、この部屋暑いし」
たしかにこの部屋は暑いんです。処理機の熱気のせいですね。防護服の下の私服は汗でびしょびしょ。
白ウサギ(P.N)さんはゴーグルも防護マスクもつけずに外装を開きました。ムワッとした青い気体が白ウサギ(P.N)さんの顔面に直撃しました。
「うわっ。ゴホゴホっ!」
「大丈夫ですか!」
彼女は蹲ってしまいました。小刻みに震えています。
「あの……」
「うわぁぁぁん!」
大声で泣きはじめてしまいました。
「お母さん! どうして僕を置いて死んじゃったの! お母さん!」
これは……そうか。私たちが担当している使用済みカプセルの色は『青色』。青は悲しみの感情を取りこんだカプセルが変色する色です。さっき処理機から溢れ出た青い気体は、処理途中の悲しみの感情だったんでしょう。きっと幼くして母親を亡くした男の子の悲しみ。それを彼女は取りこんでしまった。
「白ウサギ(P.N)さん。自分を思い出して下さい。アナタのお母さんは健在です。昨日もスーパーでお会いしました。値引きされた食品を大量にカゴに入れていましたよ。ほかのお客さんのカゴからも値引き品を掠め取っていました。お母さんはとっても元気です。だから泣かないで」
「うわぁぁん! お母さぁぁぁん! お母さぁぁぁん!」
ダメだ……他人が捨てた感情に完全と飲み込まれています。その泣き様に、事情を分かっている私でさえ悲しい気持ちが込み上げてきました。
そうだ。こういうときこそカプセルだ。ダメだ。ここには使用済みの物しかない。
「一体なんの騒ぎだい」
そこへやってきたのは、私たちの上司である主任でした。処理機の排気口から出る熱風にたなびくソバージュヘアー、バブルの頃のような濃いメイク。そんな風貌から元レディースであると囁かれ、誰がつけたのか、あだ名はクイーン。
「主任、大変です。白ウサギ(P.N)さんが処理中の感情に飲み込まれて……」
クイーンは開け放たれた処理機の外装を見て、察してくれました。
「防護マスクはつけなかったのかい」
「注意はしたんですが」
「お母さん! お母さぁぁぁん!」
白ウサギ(P.N)さんはクイーンに抱きつきました。
「ちょっと! 私にはこんな大きな子はいないよ」
「僕、良い子にするから。だから死んじゃヤダ!」
このあと新品のカプセルを使って、白ウサギ(P.N)さんをもとの状態に戻したのでした。
★
「ああ、疲れた。そしてこれからも、疲れる」
ここは処理場の休憩室。間もなく夜の七時になろうとしていますが、まだ仕事は終わりません。私、朝の八時から働いているのに。
「悪いな。残業させて」
私が休憩室の椅子に項垂れていると、クイーンがやってきました。私は応えます。
「あんなことになってしまったんですから、残業になることは覚悟していました」
白ウサギ(P.N)さんは新品のカプセルに悲しい感情をしまいこみ、平静を取り戻しましたが、どうしても母親の顔が見たいと言い、早退していきました。彼女の仕事はクイーンが受け持ちました。
「まったく、白ウサギ(P.N)のヤツめ。あれだけカプセルの詰まりを取り除くときは、防護マスクとゴーグルをつけろと言っておいたのに」
「今朝の朝礼でも言っていましたね。ところで支給されている防護服やマスクって……。私、知ってしまったんです」
「それ以上、言ってはならない」
「はい……」
先日、ワー○マンにいったとき、まったく同じ物が売られていたんですよね。千円出せば買える市販の防護服やゴーグルに、処理機やカプセルから溢れた負の感情を防ぐ機能が、果たしてあるのか。
クイーンは自販機でコーヒーを買うと、差し出してくれました。口止め料? もらいますけどね。
「まぁ、白ウサギ(P.N)が飲み込まれたのが、悲しみの感情だったから、まだマシだったのかもしれないが」
私たちが担当しているのは悲しみの感情が入った青いカプセル。使用済みカプセルの中でも、処理するには安全と言われています。
不安の感情を閉じ込めた黄色いカプセルは、少々危険なんだとか。最も危ないのが、怒りの感情を閉じ込めた赤いカプセル。
以前、この処理場でも、赤いカプセルを大量に載せていた台車が転倒。カプセルが床に落ちて、一部が破損したのです。怒りの感情が解放され、それを吸いこんでしまった従業員が、怒りにまかせて暴れてしまいました。止めにはいった別の従業員が殴られてしまったのです。カプセルは、そう簡単に壊れるものでもないのですが、回収してから処理場に至るまでのあいだ、なんらかの不具合が生じて、ヒビが入っていたようなのです。
「あの、クイーン、じゃなくて主任。最近、受け入れている使用済みのカプセル、多くありませんか」
「ああ。それだけカプセルが必要とされ、使われているってことさ」
この処理場はカプセルのメーカーが母体として操業しています。
「メーカーから従業員が応援に来てくれれば、少しは残業も減ると思うのですが」
「上の者が打診しているようだけれど、来る予定はないな」
「でしたら、アルバイトを雇うとか」
「こんな所だぞ。来るヤツなんて、なかなかいないよ」
私はもらったコーヒーを一口飲みました。にがぁ。ブラックじゃん。
この処理場は山の上に建っております。街の中に作ろうとすれば、周辺住民から反対されてしまうことが理由だからです。反対の理由は『もし負の感情が漏出すれば、近隣住民の心が汚染される』。負の感情なんて誰でも持っているのに!
だからここは交通の便の悪い、山の上に建っているのです。最寄駅からシャトルバスが出ているおかげで、なんとか通勤できますが。
「せめて麓の町からアルバイトを募集できないでしょうか」
「募集しても来ないだろう。応募しづらいんじゃないか」
この処理場は建設途中から、麓の町の住人から建設反対の運動をされていたのです。メーカー側は新たな処理場を作らないと、既存の施設だけでは使用済みカプセルの処理は難しくなるとして、一時的にカプセルの供給を減らしました。
するとメーカーに、多くの消費者から苦情が寄せられたのです。カプセルの買占めや転売ヤーも現れました。それだけ人々はカプセルなしでは心の安定を保てなくなったことが浮き彫りになったのです。
この一件で建設反対運動は鎮静化し、この処理場は完成。カプセルの供給は万全のものとなりました。一応、メーカーは半年に一度ほど、麓の町のみなさんにカプセルの引換券を郵送しているそうです。
「まぁ、そんなこともあって、麓の町からここに来ている従業員はゼロなのさ」
「そうなのですか」
「さぁ仕事に戻ろう。そうでもないと、終わるのが明日の始業時間になりかねない。その前に」
クイーンはジュースの自販機の横にある、カプセルの自販機の前に立ちました。白ウサギ(P.N)さんを元に戻すときに使ったカプセルも、この自販機で買ったのです。
それにしても、自販機の料金設定が市井の物と変わりません。この施設の母体はメーカーなのだから、格安で売ってくれればいいモノを。
クイーンはカプセルをひとつ買うと、さっそく自分に使いました。まぁ、忙しすぎてイライラしますよね。
彼女がカプセルを使うと、それは黄色に変色していきます、黄色、すなわち不安か。クイーンのような人でも不安になるのですね。
「どうしたんだい?」
彼女はカプセルを専用のごみ箱に入れて振り返りました。
「いえ、別に」
人前でカプセルを使うのはよそうかな。私はにがいコーヒーを無理やり飲み干し、仕事を再開するのでした。
★
終わったのが夜の11時でした。
「これで明日8時から仕事って。これから山を降りて電車に乗って家に帰れと」
こんな時間ではシャトルバスもありません。山を降りるのに20分。麓から駅まで20分。電車、あるのかな。
「もう、どうにでもなぁれ!」
処理場の横に設けられた、東屋しかない、名ばかりの公園の椅子に腰をかけます。ついでに路上の自販機で普段は飲まない、強そうな炭酸水を買いました。ジュースの自販機の横には、もちろんカプセルの自販機もあります。今やカプセル自販機は公衆電話よりも多いのです。
「いつか負の感情を閉じ込めるカプセル以外にも、疲れや眠気、老化を吸収するカプセルを作ってほしいものです」
椅子に腰かけて炭酸を飲んでいると、向こうから誰かが近づいてきました。
高校生くらいの少年でした。なんでこんな時間に。それにここは山の上。処理場と公園しかないつまらない場所です。なぜ。
「アンタ、ここで働いている人だよな」
こことは、処理場のことでしょう。
「なにかご用でしょうか」
「俺さ、怒ったときの感情をカプセルに封じ込めて捨てちゃったんだ。それを取り返したくて。アンタ、ここの従業員だろ。取ってきてくれないか」
「それは無理な相談ですよ」
だって、使用済みカプセルには使用者の名前なんて書いていないのだから。そもそも処理場に送られてくる使用済みカプセルの数は膨大なんです。特定の人間が捨てたカプセルなんて、探しきれません。
「どうして一度捨てた感情が必要なんですか」
すると少年は俯いてしまいました。公園の11時の街灯が、招かざる客の意味深な姿を照らし出しています。
「俺の親父は暴力を振るうんだ。母さんは俺たちを捨てて、とっくに出ていった。親父は姉さんにも暴力を振るう。俺は親父を殺したい。そう思うたびに、カプセルに怒りの感情を封じて、なんとか生きてきたんだ」
「はい……」
「昨日も親父をブッ殺そうと思った。でも、いけないことだと思って、感情はカプセルに入れて捨てたんだ。今日、親父は姉さんを殴った。姉さんの歯は折れた。やっぱり俺は親父を殺すべきだったんだ。だから殺そうと思ったんだけど、躊躇しちゃって」
複雑な家庭環境なのは分かりました。少年は感情を抑えるように震えながら、言葉を紡ぎます。
「でも昨日の感情でなら殺せたハズなんだ。昨日のカプセルを壊して、感情を取り戻せば親父を殺せる。そうすれば姉さんだって助けられるんだ。だから俺はカプセルを取り戻したい」
「おっしゃることは分かりますが、一度捨てたカプセルは回収できないのです。所有権は処理場にあります。私個人では、どうにも」
「俺がこれだけ困っているんだぞ。どうして」
私が黙りこむと、少年は胸倉を掴んできました。
「俺は感情を取り戻したいだけなんだ。取り戻して親父をブっ殺す。殺さないと、俺と姉さんが殺される。昨日の感情があれば、絶対親父を殺せる。だから昨日の感情が必要なんだ。俺の感情を出せ」
「そんなこと言われても」
「昨日の感情さえあれば親父を殺せる。返せ。俺の感情を返せぇ!」
怖い、誰か助けて。
「そこまでにしときな」
そこへ現れたのはクイーンでした。クイーンは少年の手首を掴むと、うしろへ回して拘束します。
「いてぇ!」
「そんな元気があるのなら、親父さんだって殺せるだろう」
「なんだっ。オマエは」
「処理場のしがない部署の主任さ。その子は私の部下でね。手荒な真似はよしてくれ」
「俺は自分の感情を取り戻そうとしているだけだ。オマエから殺すぞ」
「そりゃ怖い。だったら、これならどうだ」
クイーンは少年を仰向けで突き倒すと、懐から出したカプセルを彼の胸に押しあてました。するとカプセルは赤色に染まり、鬼気迫った彼の表情は穏やかなものへと変わっていったのです。
「ガキはもう寝る時間だよ。帰った帰った」
「チっ。なんて女だ」
クイーンが横たわった少年を蹴りとばすと、少年は起き上がり駆けて行きました。
「主任、どうしてここが」
「隣は駐車場だよ。オマエの声がしたんで来てみたんだ」
公園と処理場はフェンスで仕切られています。フェンスの向こうは従業員用の駐車場になのでした。
「おかげで助かりました。ありがとうございます」
「ああ。処理場ってのは麓の住民から快く思われていない。そこで働く従業員も同じだ。特にこんな時間は気をつけな」
そこまで嫌われていたなんて。明日から護身用にカプセルを持ち歩こう。それにしても。
「あの少年、大丈夫でしょうか。父親を殺したいと言っていましたが」
「いざとなったらカプセルを使うだろうよ」
私はクイーンをジッと見ました。
「なんだい」
「いえ、お強いんだなって」
だって、あの身のこなし。相手は少年とはいえ、キレかかっている人間を簡単にあしらうなんて。
「やっぱり、あの噂は本当なのでしょうか」
「え。私は噂されているのかい」
クイーンは弱った顔をしました。
「白状するよ。私は総務省から送られてきた人間さ」
噂と違う。
★
車で駅まで送っていくよ。クイーンは、そう言ってくれました。てっきりバリバリの改造車に乗っているのかと思いましたが、無改造の真っ赤なスポーツカーでした。
クイーンの車に乗せてもらい、いろは坂のようなつづら折りの山道を下っていきます。
「それにしても、どうして総務省の方が」
私は車中でクイーンに聞いてみました。すると。
「もしカプセルの処理場が機能しなくなったら、どうなると思う?」
「え? メーカーがカプセルの供給をストップさせて、多くの人が負の感情を処理できずに困ると思います」
「そうだな。でも本当に大変なのは、その先なのさ」
「その先? 仕事を失った処理場の従業員が貧困になる……」
「ハハハ。それも問題だな。でもさらに恐ろしいのは、負の感情を心にとどめた人間が、どんな行動に走るかってことだ」
ハンドルを握ったクイーンの横顔を、山道の街灯が断続的に照らしだします。
「カプセルが普及したおかげで私たちは負の感情から解放された。毎日のように湧いてくる不安や怒りも、カプセルを使えばすぐに消し去ることができる。ところがカプセルがなくなってしまったら?」
「負の感情は自分で発散しなければなりませんね」
「そうだ。たった数年前まで私たちは、そうしていたはずなんだ。でもカプセルが普及してからというもの、私たちは、それをしてこなかった。いまさら私たちに、自らが生んだ感情を自分で処理することなんて出来ない」
考えてみればカプセルに頼りっきりです。買い物から帰ってきて玉子を買い忘れたと知ったとき、私はカプセルを使って自分への苛立ちを静めました。何が発端で心が乱されるか分からない。心が負の感情に支配されてしまうと、本当に面倒。それを知っているから、だから、健やかな生活のためにもカプセルは無くてはならない物なんです。もしかしたらスマホよりも大切な物かもしれません。
クイーンは続けます。
「一度便利なものが手に入ったら、人はもとへは戻れない。自分の感情を自分でコントロールする術を失ってしまっている。カプセルを失った人間は、どんなことをすると思う?」
カプセルが普及してからというもの、DVや虐待、イジメ、パワハラやセクハラ、傷害事件や殺人事件は劇的に減少しました。自分からも、他人からも負の感情を取り除こうという社会。それは逆に、カプセルがなければ現状の平和は保てないということです。
「いま、この国を混乱させたければ、国民からカプセルを奪えば良い。奪い方は間接的でも構わないんだ。例えば、カプセル処理場を壊すとかな」
「まるでテロですね」
「その通りだ。国にとってカプセル工場や処理場は、空港や原子力発電所なみの重要施設とみなされている。もしテロの対象になったら? テロを企てている者が従業員として潜りこんでいたら? それを調べるために私は来たのさ」
「そういうの、警察の仕事では?」
「警察に公安、自衛隊。いろんな組織が動いているよ」
車は駅に到着。クイーンから今晩のことは内緒にしておいてくれと言われました。誰かに喋ったとしても、信じてもらえないでしょうね。
終電には間にあったようです。




