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第六話 メリー電話

 漠然とした不安が胸をおおう。

 朝焼けが近づいた一際深い夜の闇。

 冷たい涙を思わせる湿気が満ちた、黒。ほのかな月と星の灯りが照らすからこそ、黒はますます冴えて生暖かい人の意志を吸い込まんとする。

 深い眠りについていたはずの水月が目覚めたのもまた、そんな暗闇に誘われてのことだった。


「ああ、なんだか、いやだ」


 さきほどまでこんなに楽しかったのに。

 故郷ともいえる場所で得る幸福が自分の目的とは正反対のものなのだと思うと苦しい。

夕食はおいしかった。

 さくっとした衣は油で唇が濡れそぼることもない絶妙の加減。薄い皮を噛みきればぷるぷるした食感のあと、汁があふれ出す。

 王道のえびは勿論のこと、水月が気に入ったのはしいたけだ。

 焼いたきのこの匂いというのはたまらないものがある。ほんの少し苦くて泥臭いのが新鮮さの象徴のようでいい。

 にんじんやカボチャの天ぷらも優しい甘さが嬉しかった。それに用意されたつゆをかけ、塩味を増した食材をゆっくり咀嚼するのも彼の食欲を十分に満足させてくれた。

 風呂場はタイルとタイルのあいだにカビが見えたが確かに広い。十人くらいまではギリギリ入るかもしれない。

こっそり窓を開ければ心地よい夜風と星空が迎えてくれた。

 星明りは子どもの頃に比べれば頼りないもの。

 雰囲気満点とはいかずとも田舎町でこれは十分な贅沢だ。

 萱愛と柳端と相談した結果、今宵は体を休めて本格的な探索は明日からにしようと決めた。

 隠し事も探し物もひどく気力と根気のいることなのだ。

 だからこそ安心して食事と風呂と眠りを楽しむことができた。

 眠る前に、物置であったはずという記憶を語りはしたが。この不安定な目覚めはそのせいだろうか。


「なにもなければよかったのに」


 誰にいうでもなく呟く。

 二人を起こさないようにこっそり起き上がり、なんとなく布団を抜け出す。

 夜風にあたって神経をしずめればまた安らかに眠れるかもしれない。

 声がきこえてきたのは廊下にさしかかった時だ。


「ねえ、まさかあなたいってしまったんじゃないでしょうね?」


 なじる言葉には鋭い棘。

 今この家にいる女性といったら奈津子だけ。

 団欒していた時と同じ人間とは思えない。

 背中に冷たいものを感じながら息を殺し、耳をそばだてる。


「いってない? ならどうして今頃年季くんが帰ってくるの?

 そりゃあ、会えたのは嬉しい。でももしかしてって思うと……」


 もしかして。

 やはりこの家には年季が忘れてしまった重大な何かがあるのだ。

 その先の言葉がこぼれでないかと身構えた。


「……本当に言ってないの。そう。ごめんなさい、あなたが両親の呵責に耐えきれなくなったのかと思って……ええ。気を付ける」


 期待虚しく会話は終わってしまった。

 肩を落とす暇もなく足音がこちらに近づいてくる。

 せっかく来た道をひきかえす。

 静かにふすまをしめて、布団のうえで正座した。

 神経はおさまるどころか昂ぶって、とても眠れる状態ではない。

 二人を起こすのもちらりと考えたがやめておく。

 少女のように己の両腕をさする。


「岩尾、オレは何を忘れているんだ」


 心を落ち着かせようと懐中時計を手に取る。

 規則正しい秒針。それがやけにくぐもって聞こえた。




 結局再び横になったものの眠りは浅い。

水月の夢と希望はすっかり薄墨色だ。

 昇ってきた白い朝陽とともに目が覚めてしまった。

 鳥が軽やかに笑いさざめき、ひゅるりと飛び立つ。

 思わず現実を忘れてしまいそうな陽気な新しい一日だった。


「随分早いな」

 

 他の二人が目を覚ましたのは二時間も後。

 服を着替え、布団をしまい、意味もなく荷物を確かめる。

 柳端に背後から声をかけられ、ちからなく微笑む。

 すぐに「なにかあった」と悟られたとわかった。


「悪い夢でもみたか?」

「ああ……なんというか……。岩尾以外はみんなオレに隠し事をしたいみたいだ」


 それだけでほとんど理解したのだろう。

 ああ、と頷いた。

 何故か彼の顔色も悪くなる。


「本当にやばいことに足つっこみかけてるんだな」

「君じゃなくてオレだよ」

「お前は知らないだろうが今すごくらしくないことをしているんだよ」


 皺がよった眉間をもむ姿を情けないと笑うことはできない。

 この三人で今、一番頼りなくたゆたっているのは水月なのだから。

 話しやすい萱愛に顔を向けてしまう。

 彼は昨日の昼間、奈津子から渡された大量の飴玉をどこにしまおうか悩んでいた。


「で、どうしてそういう結論に至ったんだ」

「夜に起きちゃって、そのときに」


 見聞きした一部始終について語る。といっても、水月が聞けたのは最後も最後の部分のみであるが。


「そうか。やっぱり爺さんまわりが怪しいな、どうにか情報を集めたいもんだが」

「昨日の様子じゃあね。水月はどのくらい覚えているんだ? 性格とか、当時の様子とか」

「オレたちには優しい人だった。ああ、でも、大人たちには時々怒鳴ってたから……そう、確か厳しくてちょっとだけ激しい人だったかな」


 子どもの頃、調子にのって悪戯し過ぎたことがある。

 祖父は自分に甘いからこれぐらい、と思っていたのだが、はだしで外に放り出されてしまった。

 普段のニコニコした顔とのあまりの差異に号泣したのを思いだし、頬が火照る。

 幼い頃にいなくなった祖父の思い出はそう多くない。

 一番新しい記憶もセピア色に色あせていた。


「そもそもなんで死んだんだ」

「え……」


 そういわれるとよくわからない。

 祖父は水月と岩尾が遊びに来ている間に、突然亡くなったのだ。

 連れて来てくれた親戚は大慌てで二人を帰した。


「多分、病死……だと、思うけれど」


 声がかすれる。

 当時の祖父はそれなりに高齢で、からだの自由もききにくくなっていた。

 だから咄嗟に祖父の死因は容体の急変、病死だと思った。

 しかし今となってはひとつの疑問が浮かび上がる。


「けれど?」

「……オレ、本当の死因を知らない。どころか、考えたこともなかった」


 子ども心に気になることもあるだろう。 

 なのにそれすら存在しない。

 祖父が死んだと知らされたあの日から、その存在と思い出に思いをはせたことがみじんもないのだ。

 その程度でしかなかった、というよりも。

 |あえて忘れたいかのように《・・・・・・・・・・・・》。

 

「……オレが忘れているのって、爺さんの死因、なのかな」


 そうなると想定されてくるのは最悪の可能性だ。

 あえて具体的に言葉にはしなかったものの、二人も思い当ったようで顔をしかめる。

 重い沈黙がおりる。

 それを破ったのは不釣り合いなほど明るい声だった。


「朝ご飯できたよー!」


 昨晩とは打って変わった声音に背筋が寒くなる。

 夏の怪談は定番だが、我が身をもって恐ろしさを体験するのは遠慮願いたい。

 ふすまの向こうからかけられた声に平素を装ってあいさつを返す。


「とりあえずお爺さんについて調べてみよう。部屋は覚えているんだよな」

「それは覚えている」

「昔よく行った場所なんかもめぐってみるか」

「えーと、となると庭とか近所の林のなかとかかな」


 とまっている部屋も思い出があるといえばあるが、宿泊部屋として選ばれたあたり情報は少なそうだ。


「あ、そういえば、さっき黛さんからメールが来てたよ」

「黛さんから?」

「うん。俺たちがお爺さんの家にいく、っていったらあっちでも色々調べものをしているらしくて」

「調べもの? 調べられることなんてあるのか?」

「どうなんだろう。あの黛さんが無駄なことをするとも思わないけれど」


 歴戦の殺し屋のような目をした彼女を思い出す。

 確かにあらゆる行動が相手の息の根を止める一手に繋がっていそうだ。

 あまり思い出したくはない。寿命が縮む。


「岩尾さんも一緒にいるみたい」

「岩尾も? そうなんだ……」


 水月であれば毎秒確実に胃にダメージが加わりそうだが、岩尾なら平気だろう。

 彼女が何を思い、何をしようとしているのかは気になるところだが。

 延々と部屋の中に閉じこもるわけにもいかない。

 頭を振り払って不安と邪念を追い払う。

 奈津子の用意した朝食を素知らぬふりで咀嚼した。

 トマトのサラダにマッシュルームいりのスクランブルエッグ。こんがり焼いてはちみつバターを塗ったトースト。

 食事のなかで今日は家を見回ってみたいと申し出た時、一瞬表情がかたまった。

 あらかじめ注目していなければ見逃してしまっただろう。


「え、ええ……いいよ」


 本音では断りたかったのかもしれない。

 それでも言質は奪い取った。

 二泊三日、移動時間をいれれば今日と明日の午前しかない。


「だから考えたんだが、萱愛は別行動にしよう」

 

 奈津子がパートに出かけて行ったあとでそう提案したのは柳端。

 渋面でむすっとしている。彼にとっては苦しい決断だったようだ。


「別にいいよ。でもなんで?」

「昨日おばさんたちにモテモテだっただろ。いちかばちか聞いてみてくれ」

「あー、うん。わかった」

「本当は俺も、いや、なんでもない」


 萱愛の友達として彼を一人にはしたくない。

 そんな様子を勝手に読み取る。

 なのに水月とともに探索することを選んだのはなぜか。


――信用されていないのかな。


 そう思うと、勝手ではあるが悲しい。

 二人で祖父の部屋に入り込んでも会話は広がらない。萱愛がいるときのようになんとなく肩の力を抜いて過ごすこともできない。

 祖父の部屋はお世辞にも綺麗とはいえなかった。

 ふすまを開けた途端大量の埃がまい、激しく咳き込む羽目になったほどだ。

 涙目になりながら窓をあけ放ち、一時間ほど換気する必要があった。


「どれだけ放っておかれてたんだよ」


 電球も切れて使い物にならない。

 窓にも埃がこびりついて、水拭き程度ではどうにもならなかった。

 全開にして熱を含んだ風と陽光をとりいれる。

 最初の三十分は陽光のみを頼りに探索していたが、そうなると引き出しのなかや部屋の隅、窓から離れた場所がほとんど見えなくなってしまう。

 柳端はともかく水月はまるで使い物にならない。

 ここに黛がいれば一体何をしに来たのかと睨まれそうだ。


「め、眼鏡に埃が……見えない……部屋も証拠も目の前も過去も未来も」

「見えなさすぎだろ」


 やむをえず鞄から懐中時計をひっぱりだしてくる。

昼間から懐中時計をつけて室内をうろつくという、なんとも怪しい図が完成してしまった。

 懐中時計から円筒状の光が伸びる。ハウスダストが光の柱のなかで輝く。

 照らし出した室内を脳内で組み立てると、過去の部屋と全く変わっていないと確信した。

 昔見た時よりは狭く感じる。しかし個室としては相当広い部類だろう。

 病院にあるような器具付のベッドが隅に置いてあった。

 祖父は大抵ここに寝転がっていた……はずだ。


「壊れてるな」

「え?」

「ベッド。時間が経ったせいか、あえて壊したのかはわからねえけど」


 いわれてみるとベッドはあちこちひび割れていた。

 勿論そう簡単に壊れるものではない。

 しかし細いチューブといった比較的弱い部品はほとんど完全に壊れてしまっている。


「普通ここまで放置するかな」

「……」


 触ることすら忌まれたような放置ぶり。

 見られては困るというのに処分もできていない。


「何か思い出せないか?」

「……このベッドは、あんまり近づきたくない、感じがする」


 ただの薄汚れた壊れたベッドだ。

 かつて祖父がそこで眠っていたというだけの話だ。

 人が死んだ寝床。それだけ。

 理性はそう告げる。感情的な部分は違う。

 人が死んだというだけではない。


――毛布一枚の下、とんでもない秘密と嫌悪がそこに寝転がっているのだ。


 失われた記憶がその場所を拒絶している。

 そしてその気持ちは別の場所にも向いていた。


「裏庭に行こう」

「ん?」

「そっちもなんだか嫌な場所な気がする」


 優しかった祖父。彼の痛みが染みついたようなベッド。

 マイペースな幼馴染。一緒に遊んだ裏庭。

 思ってみれば、水月は『楽しい』ということがずっと怖かった。

 深い思い出がある場所ほど、不快な思いが残っている。

 だから忘れてしまった。

 あんなに好きだった場所を誰かにいわれるまで思い出そうともしなかった。

 自分がひどく醜い人間なのだと思い出してしまうから。

 何も見えなかった心の内が少しずつ明瞭になってくる。

 

「嫌な場所に記憶のヒントがあるのは確実なんだな」

「そうだね」

「そんなものをお前に思い出させて、幼馴染は何がしたいんだ」


 改めて確認された事実に苦笑する。

 続いた問いかけには苦笑いさえ固まった。


「どうだろうね。彼女はオレが嫌いなのかな」


 心のどこかでそんなはずはないと思っているのは、どこから根拠が来ているのだろう。

 裏庭にたどり着く。

 夫婦二人では手が回らないらしく、人目につかない小さなそこは荒れ放題になっていた。

 雑草は一面に生え、植木鉢の中身は元からあったものと雑草が混ざり合っている。


「この裏庭でよく土遊びをして遊んだんだ」

「たとえば?」

「ホースで水をもってきて泥団子をつくったり、それでままごとをしたり」


 柳端の質問で記憶の想起が促される。

 そう、こんな暑い日にはよく水遊びをしたものだった。

 渇いた土が舞い上がるのも気にせず、その香りすら楽しんで駆けずり回る日もあった。

 朝も夜もなく、月曜も土曜もなく。


「それに。蟻の巣に水や食べ物を押し込んで遊ぶこともあったんだ」


 今思えば酷く残酷な遊び。

 入口に川の如く水を通したらどうなるだろうという好奇心。

 祖父に貰った菓子をあげる、という名目で固形の菓子を詰め込んだ。

 菓子に関しては、それを見た祖父が激怒し、以降ものを与えられることがなくなってしまったけれど。


「入口に菓子を詰める過程で巣は壊れたし、なかにいた蟻も出てこなくなって。水をいれたら手足をばたつかせた小さい黒いものがどんどん流されていって」


 『面白い』と誰かがいった。

 いきものがしぬというのは、こんなにたのしいんだね、と。

 じぶんがいきているっていうことがすごいことにおもえるよ、と。


「……悪趣味な遊びだよ、今思うと」


 心臓のあたりがひどく苦しい。

 ばくばくと波打って、次々と汗が流れ出てくる。

 膝をおって水月は雑草をかきわけてみた。

 脅威が去り、悠々自適に餌を運ぶ蟻が列をなしている。

 とても気分が悪いのに、自然と唇が歪む。

 滑稽だと嘲笑う笑みだった。


「ごめん、ちょっと気分が悪くなったから部屋に戻るよ。なにかあったら教えて」


 目玉焼きが焼けそうなほど熱くなった頭部をおさえ、裏庭をあとにする。

 胸ポケットから懐中時計を取り出す。

 何の音も聞こえない。

 何の慰みも与えない。

 とっくの昔に錆び、本来の役目を失った時計。


「なんだ」


 割れたガラスに曲がった秒針を弄り、誰に言うでもなく吐き捨てる。


「とっくの昔に壊れてるじゃないか」


 部屋に戻った水月は、ゴミ箱にぽいっと懐中時計を放り込んだ


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