第七話 夢はさめ、日は沈み
丘をおりればあたりいったい畑と民家が広がっている。
容赦のない日光が鮮やかな緑の葉を照らす。
照らされた葉はもっともっとと求めるように堂々と空に向けられていた。
人間である萱愛は当然、汗を流して頬をぬぐう。
けれど今日は不思議と涼しい気がして、帽子のつばをあげて目を凝らす。
真っ先に目に入ったのはホースで野菜に水を撒く老人だった。
「こんにちは」
萱愛が微笑んであいさつを投げると、彼もまたにこやかに会釈する。
「ああ、丘の上の……年季くんは元気かい?」
「水月くんですか? はい、元気ですけれど」
何故彼の体調を気にするのか。
老人だってあの時水月に会っている。少し不自然に思えて首を傾げた。
すると老人は困った笑顔で頬をかく。
視線を巡らし、誰かがいないことを確認して声をひそめる。
「あんまりよその子にこんなこと話すのも悪いんだけれどね、奈津子さんも日中は忙しいから」
「……突然ここに来たいと誘われましたが、実はちょっと時々調子が悪くなるみたいでして。勿論立派で素敵なお家なのですが、古いですし……詳しくないんですがハウスダストとかの問題があるんでしょうか」
あえて常識的な疑問をあげる。ちょっとしたかまかけだ。
水月をいたわるような、それでいて詳細を知らないふりをした言葉。
ほんの少し良心が痛む。
だが、水月の様子に何度か違和感があったのは事実だ。
このあたりの人物は相当岩尾家の情報をだししぶっている。
他人へうっかりこぼすぶんだけでもいいから、ひとつでも多く情報が欲しかった。
「おれがいったってことはいわないでくれよ? 君は口が堅そうだし、やさしそうだから」
「大丈夫です。俺に言える範囲のことなら」
「実はね……」
切り出そうとしてまた口をつぐむ。
あっさり情報を渡し過ぎだと思ったが、それなりの両親はあるらしかった。
一度丘の上の家を見やる。
古い屋敷といってもはっきり視認することはできない。
「実は年季くん、記憶喪失でね」
「えっ」
素の驚きがこぼれる。
記憶喪失という言い方。岩尾や水月のいうような「忘れてしまった記憶」とは言葉の重みが違う。
しかも水月は最近になって知ったのに、地元では知られた話だったのか。
「岩尾 石三さんなあ……可哀想に。殺されたんだよ」
「殺された!?」
「そう。そのご遺体を最初に見つけたのが年季くんだったんだ。まだ両手の指で数えられる歳だったのに、可哀想に」
そうはいいつつ彼は萱愛から目をそらした。
眉根をよせ、よわいを重ねて刻まれた皺に影がさす。
この表情を萱愛はなんとなく知っている。
自分に都合が悪いことだとわかっている真実。時として本音や詭弁と呼ばれるもの。
内側に閉じ込めるべきものをとどめておけず、あふれだす何か。
追いつめられて、隠していた嫌悪の感情が噴き出す様を萱愛は見たことがある。
秘密やおそれをひた隠しにして抱え込むとは、一筋縄ではいかないのだ。
「本当に可哀想なことをしたよ。人の口に戸は立てられぬとはよくいったものでね。そっとしておこうといいながら、ばれさえしなければと随分噂したものさ」
「……」
「それを聞いた子どもたちが年季くんを……いや。こういう言い方はしたくないが、子ども達が年季くんで遊ぶようになってね。
助けられなかった年季くんを、本人が嫌がるほどしつこく人殺しと呼んでねえ。悪気はなかったんだろうがいってもやめず。そのうち彼自身が手を下したように扱いだして」
そのあとは言わずとも予想がつく。
老人は手塩にかけて育てている畑の方を確認した。
昨日は妻と思われる老婆が手伝っていたが今日はまだ表にでてきていない。
額に流れた汗をぬぐって、深い溜め息をつく。
「気づいたら記憶がなくなっていてねぇ。親戚の方が連れ帰って以来、長いこと帰ってこなかったんだ。思い出してもいいことがないだろうし。
元気そうで安心したよ。でもやっぱり心配だから、あの家で過ごすより外で遊んだ方がいいと思うんだ」
「……わかりました、せっかくここまで来ましたし近くをまわってみますね」
「おお、ありがとう!」
老人は大仰に喜ぶ。
誰もが水月を記憶から遠ざけようとしていた。
彼がやたら気にしている畑をちらりと見る。
生命力が濃く現れでたような深い緑。その影からじっとなにかがこちらを見つめているような気がして、背筋が寒くなる。
水月もこの老人も奈津子も、みな常に何かを隠して恐れている。
畑に戻っていく老人を見送ってから携帯を取り出す。
――これじゃあ水月くんの言葉は信用できないな。
祖父は病死。嘘。
祖父が亡くなってすぐ連れ出された。嘘。
本当に記憶が改変されているのかもしれないが……。
水月を見ているはずの柳端か、別行動をとっている黛さんで迷う。
迷って、黛さんへの電話番号を押した。
『もしもし、黛です』
「俺です、萱愛です」
『そう。なにか進展あった?』
単刀直入な物言いにほっとする。
萱愛も何度か自分自身で動いたことがある。
自発的な行動は自由がきくが、その分とても疲れる。
その点、頼れる仲間がいるというのは本当に心強い。
一歩間違えば容赦なく牙をむく人だとわかっていてもだ。
「はい、なんだかちょっときな臭いことになってきて。俺達の手に負えるかどうか」
そう切り出して今聞いたばかりの話を伝える。
軒下を求めて歩いて数十分、コンビニのなかへ逃げ込む。
冷房が効いていて、生き返った気分になる。
適当に商品を眺めるふりをしながら小声で話し終えた。
『なるほどね。水月は?』
「今は柳端と一緒に岩尾邸を探しているはずです。黛さんは?」
『エミと岩尾を見てるわ。岩尾が色々エミを煽るから、エミは樫添さんに任せているけれど』
「煽る?」
『あの二人の話は私にはよくわからない。この前もファミレスに女の子でパフェを食べにいったんだけれど二人でニヤニヤしちゃって……腹がたつ』
「は、はあ」
『ついでに探りを入れてみた。そっちは不発』
探り。ファミレスといえば、そこには人より感情の機微に鋭い少女がバイトで勤めている。
優しく真面目な性格で、人一倍よく気遣いやな美少女(実は萱愛は彼女が少し苦手だったりする)。
なにせまるで心を読んでいるかの如く他者の内面を見透かすものだから。
『ただ、どうにも気分が悪い、とだけ。でもあなたのカノジョは感じるところがあったみたい』
「閂さんが!?」
あまりの衝撃に咄嗟に言葉が出てこない。
閂は所謂男女のお付き合いをさせていただいている少女だ。
あまり人付き合いのいい方ではない彼女が黛さん達とパフェを食べる光景はいまいち想像がつかない。しかし元々閂は黛をとても慕っているからおかしくはない。
問題は岩尾に興味を持ったことだ。
最近はなりを潜めていたものの閂も黛さんや柏さんに負けず劣らずの変わり者。
特別な人間に異様といってもいい執着と好奇心を覚え、隠そうともしない。
そのためには時として自己犠牲的な行動をとることもためらわない。
――萱愛は彼女のそんなところが放っておけないのだが、それはまた別の話。
柏さんに興味をもった理由は言うまでもないだろう。
だが閂が最も興味を抱いた人間といえば、黛さん。
友達である柏さんを守るためなら、どんな過剰な行為も必要なものとしてくだすことのできる精神。
そして柏さんを守らせるため、特別な人間を見定めるため。
候補者の前に、様々な『特別な行動』をさせるお膳立てを用意した。
閂が興味を持つとはそういうことなのである。
傷害事件に発展することすらためらわない、といえばその激しさは察してもらえるだろうか。
『ええ。安心しなさい、あなたに無断で何かやらかしはしないそうだから』
「そ、そうですか?」
揶揄をかすかに感じ取り、頬が熱く火照った。
自分のいないところで危ないことをしないなら、黛の言う通り安心した。
同時に他者に恋人とのやりとりを知られるのは気恥ずかしい。
『愛されてるじゃない』
「はい、仲よくやってます」
ここで否定するのも閂に失礼な気がした。勇気をだしてはっきり認めてみる。
少女の声が一瞬つまり、気を取り直すように咳払いした。
『いいことじゃない。ストレートすぎてこっちが照れるわ……。
特に何も起きてないようならなにより。閂さんには私たちと行動してもらう。彼女の調査能力は便利だしね。私たちはこれから岩尾の家に向かうつもり。
また何かあったら連絡して』
「わかりました。閂さんにもよろしく伝えてください」
『ええ』
どうやらあちらもそれなりにあわただしいようだ。
うっすら柏さんの演劇じみた朗々とした語り口、二人の友人である樫添さんの困惑の声が聞こえてきた。
水月の話と今の黛さんの話をあわせて考えると、岩尾が柏さんを煽って黛さんたちをからかっているのだろう。
黛さんとの会話を切ると入れ替わりに新しい電話がかかってきた。
「水月くん?」
『いきなりごめん。岩尾の様子が気になってさ。黛さんに確認できないかな』
「大丈夫、みんなで楽しくやってるみたい。これからみんなで岩尾さんの家にいくって」
『そうか。ありがとう……ごめんな』
早口で礼を言い、謝る。
言葉尻は重く、声音はかすれるようで聞き取りづらい。
疲れているのに、無理に体のなかから外に押し出したかのようだった。
先程の老人を思い出す。
不安と良心に追い立てられた人間の声。
そういった人間を放ればろくなことがない。萱愛は経験上、自我に追いつめられた人間というものをよく知っている。
強すぎる念は、時として自己犠牲や自殺さえ軽いものに思わせてしまう。
「水月くん、今どこ?」
聞いた途端に通話を切られた。
嫌な予感がますます強くなっていく。産毛が焦げるような感覚がする。
そのまま柳端に連絡をかける。
汗で少しボタンが滑った。
「柳端!」
『なんだ、いきなり。変な奴にでも絡まれたか?』
「水月くんは?」
心配も余所に彼の所在を問う。
柳端は意味が解らないといいたげに不機嫌に返す。
『あいつ? 調子が悪いって借りた部室に戻った』
「まだいるか」
『……見てくる』
畳のある部屋にいるのか、すすすと布と畳がこすれて鳴った。
緊張とともに連絡を待つ。
最悪の可能性を考え、足は自然と駅に向かう。
コンビニから出るとむんむんとした熱気が全身を包む。
五分ほどして答えが知らされた。
『いない』
呆然とした調子に下唇を噛む。
柳端はこういった突然の行動に弱い。
今頃、どうして見ていなかったのかと自分を責めているかもしれなかった。
「朝はあれだけ落ち込んでいたのに、いきなりいなくなる理由がわからない。きっと何かを見つけたんだ」
『何か? あいつが見ていたものといえば、爺さんが死んだっていう部屋と、幼馴染と遊んだっていう裏庭ぐらいだぞ』
「だとしたら、もしかしたらお爺さんの部屋を見て記憶が戻ったのかも」
殺された祖父を最初に見つけた幼子。
地元の子どもの心ないいじめで記憶を封じたと老人はいった。
だが萱愛は思う。
萱愛自身、非常識な行動をする人間をそばで何人も見たことがあるために。
慈悲から他者の希望を奪う男がいた。
希望を奪われることを切望する少女がいた。
自らの幸福のために他者を踏み潰す女がいた。
自らの幸福のために他者を食い潰す男がいた。
少数を不幸にしないために大多数を切り捨てる人がいた。
すべて昨日のことのようにはっきり覚えている。
人間はつらい記憶をそう簡単に忘れない生き物なのだ。身近な人物の死因ともなれば血肉に刻まれて誤魔化すことなどできない。
水月にとっての祖父の死とは、一体何だったのか。
駅にたどり着くとちょうど電車が一本出ていくところだった。
スマートフォンで電車の乗り換えを調べた。もう数十分しないと次は来ない。
一応ホームに入ってみたが水月の姿はなかった。
萱愛の予感が正しければ、水月はもうここにはいない。
「閂さん、柏さん……大丈夫かな」
水月に電話をかけ直し、通信アプリでもメッセージを飛ばしたが一向に既読マークはつかない。
今から追いかけても追いつかないだろう。街中に出られては見つけるのも難しい。
荷物を持って飛んで帰ることも考えた。
しかし自分に対して首を左右に振る。
黛さんにきけば、きっとここで待てというはずだ。
萱愛自身もそうすべきだと思った。
きっと彼女たちであれば、多少の困難は乗り越えてしまうだろう。
いざ岩尾や水月の関係に割って入る時、事情がわかる・わからないでは大違いだ。
いつも通り閂がどこからか情報を探り当て、黛さんが推理する。
その推理の裏付けをとるには関係者に確かめるのが一番だ。
あの土地に関係者がいない以上、萱愛たちが奈津子たちにすぐにきけるよう待機した方がいい。
萱愛は少女達を信じて、岩尾邸に戻ろうと踵を返した。




