第五話 田舎に泊まろう
朝早くから乗り込んだ電車は閑散としていた。
緑色の座席が緑道の植垣のようにのび、三人はそこに自由に座ることができる。
向かう先は電車を何度か乗り換え、半日ほど揺られた先。
女三人集まれば姦しいという。
しかし男三人集まっても馬鹿話が好きな類でもないために、大して話に花も咲かない。
「遠いんだね、おじいさんち」
萱愛が口を開く。
移り変わる窓の向こうにやっていた視線を戻して頷く。
「ああ。普通の店や施設も生活に困らない程度にはあるが、川に近づけばあちこち畑だらけ……って感じの田舎だよ」
高望みしなければ十分不足なく生きていける。平穏な町。
遊園地など遊びに行くとなれば大層苦労することになるが、最近はゲームもあるし自然も豊かだから食事もゲームも困るまい。
勿論病院だってある。
念のために二泊三日の予定だが、何があっても大抵のことはどうにかなるだろう。保険証もきちんと持ってこさせた。
「実家に帰るって感じでいいね」
「仲がいいはずなのに家が離れすぎていると気になるのか。普通なら仕事のためだとか珍しくもないが」
萱愛の言葉をつぐように放たれた柳端の指摘。
言われてから水月も萱愛の問いの意図もそれだったのだと察する。
「まさに仕事先がこっちになった、って理由でオレの両親も親戚も前より遠くに引っ越した」
当時はそういうものだと思っていた。
親戚は元々あちこち飛び回るし、両親だってサラリーマンだから転勤といわれれば納得するしかない。
ましてやあの頃は疑う理由すらなかった。
二人はいやな予感を裏付けるような水月の返答に黙り込む。
萱愛は悲しそうに。柳端は苛立つように。
そして水月はどのような表情も浮かべることができなかった。
朝の七時に出発したというのに、祖父の家がある町に着いたのは午後四時半。
肌をじりじり焼くような真夏の熱気が大地から立ち上ってくる。
「で、ここからどういく?」
「えーと。一応道は教えてもらったから、えっと。踏切が見える方に行って、十字路で薬局のある側に曲がって……そのままっすぐ行く」
メールに添付して送られてきた地図を印刷したものと、ロータリーに張り出された近隣の地図を見比べる。
祖父の家を管理する、彼の三人の息子。次男夫婦から送られてきた手描きの地図。
サインペンで描かれた地図はシンプル極まりなく、通るべき道しか描かれていない。
今はまだ川から遠く住宅や店が多い地域だが、実家に近づけばあたりはほとんど畑になって目印は少なくなってくる。
「多分、大丈夫」
前に来てから随分だった。
背丈が低かったあの頃に比べると何もかもが違って見える。
建物じたいは変わらない。汚れ傷みんでいるぐらいか。
多少不安はあるがなんとかなるだろう。
夏の太陽のもと、歩き回る人も少ない。平日であるのもあって通り過ぎるのは専業主婦かそれに近いと思われる女性と、老人がほとんどだ。
彼らは年若い三人の男子が歩いていくのを時折無遠慮に見つめていく。
「平日だからなあ」
不良だと警戒されても仕方がないかもしれない。
ただの勘違いした馬鹿騒ぎ野郎ならともかく、大人しいのが不気味なのだろう。
しばらくたつとあたりが田端でいっぱいになってくる。
冷蔵庫から出しっぱなしにした玉ねぎのような臭いがただよってきた。
畑のそばではほっかむりを被ったおばあさんや帽子を被ったおじいさんがちらほら様子を見ている。
茶色い大地を覆い尽くす緑はカボチャだろうか? 大きな葉っぱがまかれる水をうけてゆらゆら動く。
作業にいそしむうち何人かは水月たちの方をちらちら覗き込む。
「……もしかして、年季くんじゃないか?」
すぐ近くで水月の顔をまじまじと覗き込んだ誰かが言う。しわがれた男の声。
驚いてそちらを見やる。
深い皺と日焼けた顔。そこには自然と戦ってきた無遠慮さと強かさがある。うっすら太陽を浴びた土の匂いもする。
「えっと。はい、そうですが」
「おい」
柳端がたしなめるがもう遅い。
もっとも彼が心配したのは詐欺か責め苦だったのだろう。
水月の反応に、むしろ老人の顔は華やぐ。
「おお、やっぱりかい! 久しぶりだねえ」
「どうしたんだいシゲさん」
「年季くんだよ! ほら、水月さんちの」
「あのちいさかった!? はあ、久しぶりだねえ、大きくなって」
急に大きな声をあげた老人のもとに次々人が集まってくる。
祖父の家があった丘のふもと。なるほど、彼らは古い知り合いであるらしかった。
次々人が集まるなか水月の唇が歪んでいく。
ひきつった笑顔だ。うまく愛想よく振舞えているとは我ながら思えない。
特に明るい声をはりあげているのは老婆たち。
若さを失って矢継早とはいかずとも他人に興味をもつ語り好きは変わらないらしい。
「昔はこーんなぐらいだったのにねえ。まあまあ、すっかり立派」
「二人はオトモダチ?」
「あ、は、はい」
「まあまあまあ……きっと石三さんも喜んで」
「シズコさんッ!」
誰かの名があがった途端、鋭い叱責がとぶ。
和気あいあいと盛り上がっていた雰囲気が凍りつく。
「あの、お爺さんが何か?」
戸惑う。しかし聞かねばと思った。
このままでは知ろうとしているのか他の二人に疑われかねない。
萱愛は違うだろうが何もできていないのには変わりなかった。
祖父の名前はきちんと憶えている。なにせ懐中時計の裏に刻み込まれているのだから。
岩尾 セキゾウ。漢字まではわからないが……。
「ああ、ううん。天国の石三さんも嬉しいでしょうねえって」
気まずそうに視線を逸らし、皺を深くして笑顔を作る。
何も言わずとも放たれていた眩しいそれは、すっかりつくりものめいて見えてしまった。
思わず怪訝な表情を浮かべてしまう。
「それにしても、もう十年ぐらい来てなかったんじゃないか。今の時期にどうして急に? 鶴歩さんと善陽さんは?」
「両親は来ていません。もうそろそろ大学も忙しくなるので、その前に思い出を振り返りたくなってきてみました」
「偉いわねえ~」
「大学? はあ、すごいなあ」
「もうそんな歳かい」
再び沸き立つ周囲。
どことなく肌寒いものを覚えるのは気にし過ぎだろうか。
適当なところで会話を切り、蛇の形にまがりくねった丘の道を登っていく。
木々と雑草が多くなり、この時間帯では人も少なくなってくる。
真夏になれば遊びと虫を求めて小さな子どもも増えるあたりだが、夕食時も近づいた夕方ではまずいないだろう。
それを確認してから萱愛が口を開く。
「石三さんって例のお爺さん?」
「そうだ。名前が出るまですっかり忘れていたぐらいだけれどね」
「……悪い人だったのか」
その問いには一瞬の沈黙が下りる。
迷ったあとに静かに首を左右に振った。
「わからない。少なくともオレが覚えているのは優しくて親切な祖父の姿だけだ」
「家族仲はよかったのか」
「……そうだ、と思っていた」
しかし、もし自分が大人だったらどうするだろう。
子どもにあえて見せないようにしていた。
あるいは子ども特有の純粋さで祖父が正しいと信じ込んでしまって、不快な記憶をして思い出すことができないとか。
息が上がり、呼吸が浅くなる。
「ま、ガキの頃の記憶じゃあアテにならねえな」
柳端の言う通り。
あの頃とはもう目が変わってしまった。
ありのままには思い出せないし、自分の記憶は目印にならない。
「もしかしたら、今だからこそ見えるものなのかもしれないね」
萱愛の言葉の意味はどういう意味なのだろう。
ただ恐らくは、その通りなのだろう。
「それにしても丘の上か。子どもの頃にみた映画を思い出すな」
「どれのこと?」
「世界一有名な日本アニメーション会社のやつ。ポンプで水をくみあげるやつに憧れた」
「多分あった気がする……探す?」
「んなわけあるか」
水月の提案はすっぱりと切られてしまう。
それはそうだ。
風も冷たくなって汗をかいた体をひやす。ぶるりと体をふるわせながらも歩みはとめない。
完全に日が暮れる前にたどり着かねばならない。
三人ともお世辞にもよく運動していたとはいえないようだ。
玄関に着くころには汗だくだ。
息を整えてからインターホンを押す。
玄関の右上で明るい光を放つライトには虫が群がっていた。それを見てなんとなく胸が焼けるような懐かしい気持ちに襲われる。悪くない心地だ。
『はーい?』
「こんばんは。水月 年季です」
『ああ! いらっしゃい、お疲れ様~。遠かったでしょう、今行くから』
中年女性の声がインターフォン越しに響き、次いで廊下からバタバタと足音が聞こえてきた。
スリッパで傷んだフローリングを踏む音。
言われた通り待てば数十秒後には想像通りの女性が玄関を開け放つ。
「お待たせ!」
「改めて、こんばんは。しばらくお世話になります」
「いいのよ~。まさかこんな日が来るなんておもってなかったから、ロクに準備もできてなくてごめんね。さ、オトモダチもあがって! 夕ご飯できてるから、それとも先にお風呂に入る? ああいや荷物が先よね」
興奮しているらしく一気に続けて話す。
しかし調子は妙にゆっくりで、その気になればいつでも口を挟める速度だ。
マイペースな話し方は岩尾によく似ている。
柳端は女性にいい思い出がないのか、あいさつを一言しただけで黙ってしまった。
反対に萱愛は礼儀正しく三十度に腰を折る。
それだけで彼女――岩尾 奈津子は機嫌をよくしたようだった。
どうやら萱愛を気に入ったらしい。
「礼儀正しくていい子ね~、うちの旦那に爪の垢を煎じて飲ませたいぐらい」
「恐縮です」
「気を遣わなくていいからね。ああ、この部屋を使っちゃって。一応掃除はしたから埃はないけれど古い家なものだから、ちょっと我慢してもらえると助かるわあ。三人一部屋にしちゃったけれど構わない? さすがに一人ずつは無理でねぇ」
「勿論です、本当に何から何までありがとうございます」
「あらー、本当にいい子ね~……こんな子が友達になってくれて、おばちゃん安心したわ~」
手に口をあてて微笑む奈津子は本当に楽しそうで、ほっとする。
あまり機嫌を損ねたくない。探し物に支障がでそうだ。
何気ない所作から本心を見抜かれそうで心臓があらぶっている。
もしもここで冷たく反応されたら、この三日間で胃が壊れてしまうだろう。
簡単に帰ることなどできないのだ。
「ご飯が食べたくなったら居間に来てね。場所は覚えてる、としきくん?」
「はい、それぐらいは」
「よかったー。今日も天気がよかったからお風呂がいいなら、もうわいてるからね。結構広いの。うちの旦那には使わせてないから安心して」
もしここに彼女の夫がいたら苦笑いしそうだ。しかし旅行を許してくれたあたり寛容な夫婦である。
きっとアルバムを隠した夫婦もそうだったと信じていたのに。
「ジャージでもパジャマでも好きな恰好して。楽な方が色々いいでしょ? 気にしないからオトモダチも本当気を遣わないで! 今日の夕ご飯は天ぷらとうどん。気に入ってくれたら嬉しいけれど苦手だったらごめんなさいね、もっと手の込んだものが作れたらよかったとは思ったの、でも無理に難しいのを作って失敗するよりかはいいと思って……まあ食べればわかるか」
奈津子が案内してくれたのは、家で最も奥にある通路の先。ベランダに面した簡素な部屋。
玄関からは遠いが、他の部屋にいくには便利な部屋だと水月は知っている。
ここと風呂場と居間の距離はほぼ均等だ。
そして祖父の部屋からは最も遠い部屋である。
「こんな部屋あったんだ」
いってから誰かがいう。
『そうじゃないんだ』
頭のなかで響く声。自問自答――自分で自分をののしる声。
そうじゃない。この部屋を自分は知っている。
子どもの頃、岩尾と一緒になって家じゅうを冒険した。
ここは確か物置だったはず。おもちゃや雛人形、季節違いの洋服、古いが捨てられていない道具が大量に木箱にいれられていた。
そのひとつひとつを開け、時にダンボールで家を造り、朝から夕方まで遊んでいたこともあった。
ここは自分と彼女の秘密基地だったのだ。
床の隅をみれば、家具で隠されているもののところどころに日焼けが見られる。
わざわざ動かしたのだろう。いつのことかはわからないが、今の水月はそれに作為を感じてしまう。
なにせこの物置は祖父の部屋から最も遠い部屋なのだから。
「あたしたちが住むようになって色々模様替えもしたから。お布団もそこに積み上げておいたから、寝るときに敷いてくれる? 敷こうかな~とも思ったんだけれど、そうするといやに狭くなっちゃって……勝手に決めるのもなーって。ごめんね」
「いえ、いいんです。実際彼らと語り合いたいこともありますから」
「そうなの? いいなあ青春……あら余計なお世話かしら。じゃあ待っているから、いつでも来てね。ただ、美味しいのを食べてもらいたくて準備はできているけれど天ぷら全部はあげていないの。だからあと三十分か一時間後ぐらいには来てくれると嬉しいな」
あまり拘束し過ぎてもまずいと思ったらしい彼女は、急に話題を切って部屋を出ていく。
幸い水月の内心がばれたというわけではない。
閉じていくふすまの隙から見えた彼女は満面の笑顔だったから。
完全にいなくなり、気配も遠のいたところで萱愛が慎重に溜め息をつく。
「緊張した」
「超能力者でもあるまいし、そうそう気づかねえよ」
「だといいな」
二人も同じ心持だったようで、小声ながらリラックスした様子で言葉を交わす。
「ここは和室みたいだが、玄関前は洋室なんだな」
「うん。昔は完全に和風の家だったらしいけれど、歳をとってから一部をリフォームしたらしい」
「ふうん。随分広い家だ」
「昔からここらへんに住んでいる家でさ。豪農……とまではいかないかもしれないけれどそれに近いかな。家族が多いのもその名残かもね、なんて」
地元とのつながりも深く、先程の通り住人同士の距離も近い。
もっとも最近は核家族化が進んで、駅近くではそんなこともないそうだ。
だからうまくやれば岩尾家に関しては、近しいものと客観的な視点、両方の情報を得られるかもしれないと企んでいたのに。
「家族だけじゃなくて、知り合いも駄目かもしれない。目を光らせていられたら、駅近くでも下手にきき込みできない」
老人たちの噂好き、情報の広がり具合には異様なものがある。
こんな土地では余計にだ。
それは一概に悪とはいえないが、現状は壁でしかない。
「思ったよりきな臭いことになってきたな」
柳端の吐き捨てた感想は、水月にとって不吉な予言めいて響いたのだった。




