合わせる手
前回、藤丸は父から二年越しの種明かしを受け、自分の書いてきた文そのものが対価になっていたことを知りました。
今回は、藤丸のほうから頼んで、供の源五郎の在所へ足を運びます。
屋敷の帳に書かれている数と、村がその場で合わせている数。どちらも間違っていない、というところから始まる話です。
田植えが済んで、四日が過ぎていた。
水を張ったばかりの田は、朝のうちは鏡のように空を映している。藤丸はその光を横目に、東へ向かう道を歩いていた。供ではなく、先を歩かせている。
「源五郎。在所は、まだ遠いか」
「もう半分ほどにございます」
屋敷から東へ、歩いて半刻ばかり。連れて行ってくれと言ったのは藤丸のほうだった。言ったとき、この男は一度だけ、答えるまでに間を置いた。訊かない男が、初めて訊きたそうな顔をした。それでも訊かなかった。
(訊かれたほうが、こちらは楽だった)
道が細くなり、竹の藪に入った。日が急に翳る。足元に、切り株がいくつも並んでいた。切り口は新しくない。冬に伐った跡だろう、と思っただけで、藤丸はそのまま通り過ぎた。
藪を抜けると、家が見えた。数えて十四、五軒。屋根の低い、小さな在所である。
「これが、そなたの田か」
「三枚にございます。作っておりますのは、女房と、女房の父にございます」
三枚とも、水は入っていた。畔は低いが、草はきれいに刈られている。
藤丸は畔の端まで歩いて、水の落ち口を見た。
去年の秋、二十三枚の畔を歩いて数えたときの物差しである。落ち口が広いか狭いか。その先の溝が浚ってあるか、詰まっているか。あの二つで、切れた畔と切れなかった畔は、おおかた分かれた。
源五郎の田の落ち口は、狭かった。
鍬の幅で、一つ半ほど。先の溝は浚ってある。だが、口そのものが狭い。
藤丸は、少し困った。この男の家の田である。狭うございますな、と言えば、それは咎めに聞こえる。
「源五郎。この落ち口は」
「狭うございます」
源五郎は、藤丸が言い終わる前に答えた。
「承知しておるのか」
「承知しております」
それきり黙った。理由は言わない。訊けば答えるが、訊かれていないことは言わない。藤丸が次の言葉を探していると、畔の向こうから声がかかった。
「若さま。そこは、広げてはいけませんですで」
* * *
鍬を担いだ年寄りが、上の田の畔を伝って下りてきた。
「三蔵と申します。源五郎の田の、上を作っております」
顔の皺の深い、小柄な男だった。藤丸に向かって腰を折り、それから、落ち口を指した。
「そこを広げますと、源五郎の田が干上がりますで」
「干上がる。……水を落としやすうすれば、雨のときに畔が切れずに済む」
「切れずに済みますな。切れずに済んで、田が干上がります」
三蔵は、ゆっくり言った。責める調子ではない。
「この田に水が入りますのは、わしの田を通ってからでございます。わしが落とさねば、下へは行きませぬ。わしが落としたぶんだけ、下は水を持ちます。……そこの口を広う取っておきますとな、わしが落としたぶんが、そのまま先へ抜けていってしまいますで」
藤丸は、上の田を見上げた。
三蔵の田も、その上の田も、段になって続いている。水は一枚ずつ、上から下へ渡されていた。
「では、いつ落とすかは」
「寄り合いで決めます。田植えの前に、順を決めますで。上から順に、何日で落とす、と」
「毎年、同じ順か」
「だいたい同じでございます。……ただ、去年は源五郎のところが一日繰り上がりました」
「なぜだ」
三蔵は、少し笑った。
「源五郎のところは、春の貸しを借りませなんだで」
* * *
藤丸は、そのまま黙っていた。
落ち口の広さは、この田では答えにならない。広ければよいのでも、狭ければ悪いのでもない。上の田がいつ落とすかが先にあって、その後ではじめて、口の広さに意味が出る。
(畔を数えて、畔のことを書かなかった)
二十三枚を数えたときも、そうだった。一枚ずつ、切れたか切れないかを数えた。切れたのは畔である。畔は二枚の田の境で、境はどちらの田のものでもない。それは、歩いているあいだ、分かっていたはずだった。
それでも帖には、田の行しか作らなかった。行を作らなかったものは、後から思い出しても、入れる場所がない。
「三蔵。順を決める寄り合いは、いつだ」
「田植えの前でございますで、もう済んでおります」
「その順は、どこかに書いてあるか」
三蔵は、きょとんとした顔をした。それから、自分の頭を指で叩いてみせた。
「ここに」
* * *
三蔵は、鍬を畔に立てかけた。
「若さま。順のことを、なぜお聞きになりますで」
「春の貸しの話を、聞いておる」
三蔵の顔から、笑いが少し引いた。
「……借りましてございます」
「咎めに来たのではない」
藤丸は、そう言ってから、言い方を間違えたと思った。咎めではないと先に言う者は、たいてい咎めに来ている。
「秋に、人を一人出すことになっておろう。この在所から、幾人出る」
「七人でございます」
藤丸は、その数を、そのまま受け取らなかった。
屋敷の帳では、この在所で春の貸しを借りたのは九軒である。三日前、文吏の部屋で控えを見せてもらったときに、たしかに九と数えた。借りた家から一人ずつなら、九人になる。
「三蔵。九軒、借りておるはずだが」
「九軒でございますな」
三蔵は、少しも慌てなかった。
「ですが、出すのは七人でございます」
* * *
藤丸は、畔にしゃがんだ。
「なぜだ」
「与一のところと、その弟のところは、去年、家を分けましてございます。屋根は二つになりましたが、田は一緒に作っております。米も、一緒に受け取りました。……あれで二人出せと言われますと、田を作る者がいなくなりますで」
「もう一組あるのか」
「へえ。川下の、勘助のところも同じでございます」
九から二を引くと、七になる。
数は、合った。合ったが、藤丸の胸のあたりは、静かにならなかった。
屋敷の帳は、家を数えている。屋根の数である。村は、田を作る一まとまりを数えている。手の数である。屋根が二つでも、手が一つなら、村では一つと数える。
同じ「一つ」という言い方で、二つの違うものを数えていた。
(合っていなかったのではない。村が、毎年その場で合わせていたのだ)
合わせている手は、紙には映らない。
* * *
「源五郎。そなたの家は」
源五郎は、畔の少し後ろに立っていた。
「借りましてございます」
「では、秋に一人出るな」
「一人、出します」
「そなたが出るのではないのか」
「それがしは、屋敷の者にございます」
源五郎は、前を向いたまま答えた。
「屋敷の者は、初めから出るものと決まっております。在所の一人には、数えられませぬ」
冬の終わりに、この男は同じことを言った。あのときは、数が合っているとだけ思った。
いま、この田の畔で聞くと、違って聞こえた。
この家からは、秋に二人出る。源五郎と、もう一人。屋敷の帳には、一と書いてある。村の七人の中にも、源五郎は入っていない。
九でもなく、七でもなく、この家では二である。
(三つの数が、どれも違う。どれも間違ってはいない)
枡が二つあれば、量り合わせられる。そう父に申し上げたのは、つい先日のことだった。あのとき自分が考えていたのは、自分の帖と、もう一人の目のことだった。
いま、目の前にあるのは、そういう話ではない。
量り合わせる前に、二つの枡が、そもそも違うものを量っている。
* * *
藤丸は、しばらく水の面を見ていた。
この食い違いで、いま困っている者は一人もいない。村は七人を出し、屋敷は七人を受け取る。九と書いた紙は、誰も持ち出さない。毎年、寄り合いの座で、その場で辻褄が合わされてきたからだ。
だが、今年から、貸しの帳には種籾と食い物が分けて書かれる。
書いてくれと願い出たのは、自分である。
(去年どうしたかが分かるように、と申し上げた)
分かるようになる。分かるようになれば、九と七の差も、紙の上に残る。残った差を、誰かが後で見る。見た者は、その場の座を知らない。知らない者の目に、あの二軒はどう映るのか。
昨年の冬にも、自分の書いた紙が沙汰になって村へ降りたことがあった。あのときは、上へ上がる途中で断りの一行が落ちた。痩せた紙が、人を凍えさせた。
今度は、落ちるものがない。九軒と書けば、九軒と読まれる。読まれたとおりに人を呼ばれれば、与一のところは、田を作る者がいなくなる。
紙が正しいままで、いままで人を助けていた合わせ方のほうを、消してしまうかもしれない。
「三蔵。与一のところが二軒だと、屋敷の者は知っておるか」
「さあ……申したことは、ございませんな。訊かれたことも、ございませんで」
三蔵は、当たり前のことのように言った。
「毎年、座で決めておりますで」
* * *
藤丸は、畔から立ち上がった。
この在所の順は、三蔵の頭の中にある。九軒が七人になる合わせ方は、寄り合いの座にある。どちらも紙にはない。書けば、座から取り上げることになる。書かねば、九と七の差だけが残る。
どちらも駄目だ、と思ってから、思い直した。書けるものが、一つだけある。
「三蔵。与一のところと、勘助のところが、それぞれ二軒で一つだということを、私の帖に書いてもよいか」
「順のことは」
「書かぬ。順は、そちらで決めることだ」
三蔵は、藤丸の顔を見た。
「……ならば、構いませんですで」
藤丸は、帰ってから書く行の形を、その場で決めた。九軒。七人。差、二。そして、その下に一行。
――差にあらず。屋根二つにて田一つ。在所の座にて、毎年合わす。
名は書かぬ。名を書けば、その二軒だけが名指しになる。
数だけ並べれば、それは差になる。差の下に、差ではない理由が一行あれば、後で読む者は、そこで一度止まる。止まるところを作っておくくらいのことしか、いまの自分にはできない。
いや、と思い返した。上へ上がるとき、こういう一行は落ちる。去年の冬に、それは見た。
落ちても、控えには残る。残っていれば、後で誰かが、どこで落ちたのかを見に来られる。
三蔵は書けない。源五郎は言わない。屋敷の者は訊かない。この畔に立って、両方の数を見た者は、いまのところ自分だけだった。
(この在所だけの話ではない)
屋敷の帳が屋根を数えているのなら、どの在所でも同じことが起きている。太助の村にも、紙に映らない合わせ方があるはずだ。誰も困っていないから、誰も言わない。
次に太助の村へ行ったら、まず、それを訊く。
* * *
日が傾きはじめてから、二人は在所を出た。
竹の藪に入ると、また日が翳った。藤丸は、往きに見た切り株の前で足を止めた。
「この竹は、誰のものだ」
「誰のものでもございませぬ」
源五郎が答えた。
「在所の者なら、伐ります」
「何にする」
「籠を編みます。冬に、手の空いた者が」
藤丸は、切り口に指を当てた。乾いて、硬くなっている。
山のものは、拾えばそのまま荷になった。椎茸は、乾かすだけでよかった。竹は、そうではない。伐っただけでは、ただの竹である。誰かが編まねば、一銭にもならない。
そのかわり、編める者は、この在所にいる。冬に、手が空く。
(次郎兵衛殿の干し場には、簀と籠が要る)
思いついただけだった。銭もない。人を頼む当てもない。今日はそれ以上、考えないことにした。
考えないことにしたが、切り株の数だけは、帰ってから帖に書いておこうと思った。
* * *
藪を抜けると、日はまだ田の上にあった。
源五郎が先を歩いている。半日、この男は一度も訊かなかった。なぜ在所を見たいのかとも、なぜ人の数を数えるのかとも。
その背を見ながら、藤丸は思った。
九と七の差は、二である。紙の上では、そう書く。
だが、その二の中に、この男が立っている。屋敷の者であり、在所の者でもある。どちらの数え方でも一人と数えられ、どちらの数え方でも数え落とされる。
差、というのは紙の上の言い方だった。
村では、名のある一人だった。
今回は、村から人を出すときの数え方の話でした。
中世の夫役は、必ずしも「一軒から一人」という形ではなかったようです。年貢や課役の割り当ての単位が、家(屋根)ではなく、田を作る一まとまり——史料では「名」と呼ばれる単位——に置かれていた例が各地に残っています。作中の与一の家のように、屋根が二つに分かれても田を一緒に作っているうちは村では一つと数える、という合わせ方は、その延長で考えられる形です。ただし、土佐のこの時期について、村ごとの数え方が分かるほど細かい記録は残っていません。
もう一つ、段になった田の水の順番についてです。上の田がいつ水を落とすかで下の田の作柄が決まるため、順番を村内で取り決める慣行は各地に見られます。ただ、こうした取り決めは寄り合いの場で口頭で決められることが多く、文書に残るのはたいてい争いになったときだけです。うまく回っているあいだは、どこにも書かれない——そういう性質のものだったと言われています。
作中で藤丸が引っかかっているのは、まさにその点です。書かれていないものは、書かれた瞬間に性質が変わってしまうことがあります。




