量り直す者
天文十八年五月。安芸の寺から、二年越しの返答が届きました。
前回、父・昌源が藤丸に一つだけ宿題を残しています。あの子に何をさせるつもりか、と。答えを持たずに人を呼ぶのは、呼ぶとは言わない。連れてくると言うのだ、と。
三日が過ぎました。今回は、その答えを父の前に置く回です。
五月の昼は、田に張った水の照り返しで、部屋の天井まで明るかった。
藤丸は、文机の前に帖を三冊並べていた。天文十五年、十六年、十七年。三冊目だけが、初めから終わりまで同じ書き方で揃っている。書き方は明日からでも揃えられるが、年は明日にはならない――そう思って、この三冊を捨てずに置いてある。
その脇に、まっさらな紙を一枚。
(何をさせるのか)
父の問いは、三日たっても頭の同じ場所に引っかかったままだった。
藤丸は筆を取り、思いつく端から書き出していった。
一、写しを取らせる。
書いてすぐ、消した。写しなら文吏がいる。二枚でも三枚でも、日の差さない板の間で黙々と写す。あの手つきに敵う者はいない。
二、数を数えさせる。
これも消した。数なら自分が数える。数えているうちに何かに気づくから帖をつけているのであって、その一番おもしろいところを人に渡す気はなかった。
三、村へ使いに出す。
消した。源五郎がいる。訊かれたことにだけ短く答えて、余計なことは何一つ訊かない男である。
四、蔵の出し入れを見させる。
筆が止まった。それは、寺で佐吉が五年やってきたことだ。二日の道を渡らせて、渡った先で同じことをさせる。
藤丸は、その一行も消した。
紙には、消し跡ばかりが四つ並んだ。
(どれも、佐吉でなくてよい)
誰かにさせればよく、その誰かはすでに屋敷の中にいる。三つ上の、寺の帳場を五年任された者を、わざわざ二日の道の先から呼び寄せておいて、渡すのが誰にでもできる仕事なら――それは、父の言った通りである。
「呼ぶ、とは申さぬ。連れてくる、と申すのじゃ」
声に出して言ってみると、いっそう始末が悪かった。
もっとも、四つとも、書く前から消えると分かっていた。
書いたのは、五つ目を書かずに済ませるためである。
藤丸は筆を置き、紙の下の、まだ何も書いていないところを見た。そこに書くべきことは、父に問われた晩のうちに出ていた。三日かかったのは、思いつかなかったからではない。
――私の書いた数を、あの者に量り直させる。
(それを、なんと呼ぶのか)
呼び名がなかった。この屋敷にも、村にも、寺にもない。名がないというのは、そういう形で人を置いた者が、これまでいなかったということである。
検めるのは、いつも上から下へだった。父が文吏の写しを検め、文吏が村から上がってきた届けを検める。逆に置いた例を、藤丸は一つも知らない。置くための言葉が、そもそもない。
(前の世には、その形があった。書いた者と、それを検める者は、初めから別の欄になっていた。書いた本人が自分で検めた紙は、通らなかった)
当たり前だと思っていた。当たり前になるまでに誰が何を積んだかは、一度も考えたことがない。形の出来上がったところだけを覚えていて、据える手順を知らぬ。
名のないものを、父に願い出ることになる。
藤丸は、しばらく紙を見ていた。
* * *
夕方近く、藤丸は帖を初めから繰り直した。
願い出るなら、数で言わねばならない。父は「そう思います」では動かない。動くのは、数と、その数の出所である。
お咲の書付を写した行があった。東回りの便が七日、八日、九日、十日と延びていった、あの記録だ。
――七日。
その七日は、お咲が数え、お咲が書いた。藤丸はそれを帖に写し、「見(お咲の書付)」と出所を添えた。誰が言ったことかは、後からでも分かる。だが、それだけである。七日が本当に七日であったかどうかは、いま誰にも量り直せない。
次の行。太助の田。二年見なければ何も言えぬ、と太助自身が言い、藤丸もそう書いた。
次。平六の山。三夏かけて、ようやく三つ目の見立てが立った。
次。切れた畔、二十三枚。半日で源五郎と歩いた。歩いたのは一晩ぶんの野分で、一つの村だけである。
藤丸は、指で二つに分けながら繰った。後からもう一度確かめられる行と、確かめようのない行と。
後者ばかりだった。
当て推量の欄が年を追って長くなっていることは、去年から気づいていた。気づいて、慎重になった証しだと自分に言っておいた。そう言っておけば、直さずに済む。
三冊目を数えた。見た数の行より、当て推量の行のほうが多い。数えるまでもないことを、藤丸は指を折って一つずつ数えた。
(慎重なのではない。確かめる相手が、おらぬからだ)
これも、去年から分かっていた。代わりの者がいない以上は直しようがないと決めて、そこで手を止めていた。
一つ、思い出したことがある。
先月、御所様の弔いの支度で屋敷が止まったとき、順を思い出せたのは母だけだった。だが母の記憶は切れ切れで、思い出した端から次の話へ移ってしまう。あれが形になったのは、母が思い出し、自分が並べたからだ。
母は後で言った。並べねば、思い出したままで終わっておりました、と。
あのとき、部屋には二人いた。
一人では、なかった。
* * *
夜、書院の灯りは細かった。
昌源は文机に向かったまま、藤丸が入ってきても筆を止めなかった。三日前と同じ姿勢である。
「答えが出たか」
「はい」
藤丸は座って、両手を膝に置いた。
「申せ」
「数えさせるのでは、ございませぬ」
筆の音が止まった。
「私の数を、量り直させます」
昌源は筆を置き、ゆっくりと藤丸のほうへ体を向けた。灯りが低く、父の顔の半分は影になっている。
「もう一度、申せ」
「私が見て、私が書いた数を、あの者にもう一度見させます。違うと思えば、違うと申させます」
しばらく、何も言わなかった。
それから、昌源は短く笑った。息を一つ落としたような音だった。
「藤丸。それを家来と申すか」
「……」
「主の書いたものを疑う者を、傍に置くと申すのじゃな。それは家来ではない。目付じゃ。目付は上から下へ置くものであって、下が自分の頭の上に置くものではない」
「存じております」
昌源の眉が、わずかに動いた。
「三日かかりましたのは、そこにございます。何をさせるかは、あの晩のうちに出ておりました。ただ、申し上げてよいものかが、分かりませなんだ」
「ほう」
「検めるのは、上から下へと決まっております。名のあるものが、それしかございませぬ。名のないことを願い出るのは、初めてにございます」
「父上。私の帖には、当て推量の欄がございます」
「知っておる」
「三冊目は、見た数より、当て推量のほうが行数が多うございます。今日、数えました」
「分からぬことを分かったように書かぬのがよいと思うて、そう書いてまいりました。……慎重なのではございませぬ。確かめる相手が、おらぬのです。それは去年から分かっておりました。分かっておって、代わりの者がおらぬゆえ、直さずに置いてまいりました」
「お咲の書付の七日を、私は確かめておりませぬ。畔を歩いた一日も、私と源五郎の二人きりでございます。数が違うておっても、違うておるようには見えませぬ。一人で書いた数は、間違うたとき、間違うた形で揃うてしまいます」
昌源は、黙って聞いていた。
「枡は、二つあれば量り合わせられます。一つきりの枡は、擦り減っても、擦り減ったことが分かりませぬ。……私の帖が、いま、その一つきりの枡にございます」
「それは、名のない形にございます。ですが、この屋敷でもう一度、起きております」
昌源の指が、机の縁で止まった。
「先月にございます。御所様の弔いの支度で、順を思い出せたのは母上お一人でした。母上が思い出され、私が並べました。並べたのは私でございますが、思い出す中身は一つも持っておりませぬ。どちらが欠けても、あの紙は出来ませなんだ」
「……そなたの母か」
「母上は後で申されました。並べねば、思い出したままで終わっておりました、と」
「名がないだけにございます。もう、この家で使うております」
長い間があった。
庭のほうで、蛙が鳴いていた。田に水が入ってから、夜はずっとこの音である。
「藤丸」
「はい」
「お前は、それを楽しいことだと思うておるな」
顔を上げた。
「己の書いたものが違うと言われる。それを、おもしろいと思うておる。そうであろう」
藤丸は、答えに詰まった。詰まってから、正直に答えた。
「……思うております」
「今はな」
昌源は、灯芯を少し掻き立てた。部屋が明るくなり、父の顔から影が引いた。
「今は、お前は十一じゃ。誰に何を言われても、痛うはない。じゃが、お前がいずれ人を使う立場になり、己の書いた紙で村が動き、その紙で人が損をするようになったとき、傍から違うと申されて、同じ顔でおれるか」
「……」
「わしは、おれる者を多くは見ておらぬ。たいていの者は、途中で聞かんようになる。聞かんようになった者は、そのことに自分では気づかん。まわりが先に気づいて、口をつぐむ。そうなれば、その者は死ぬまで、己の数だけを正しいと思うて生きる」
藤丸は、父の顔を見ていた。
父はいま、家老の話をしていない。
「よい」
昌源は、机の上の紙を一枚、端に寄せた。
「連れてまいれ」
藤丸は、深く頭を下げた。
「ただし、条件を一つ付ける」
「はい」
「疑わせるなら、腹を立てぬのはお前のほうじゃ」
昌源は、藤丸の顔をまっすぐ見た。
「あの子は、こちらの家に借りがある形で来る。寺を出て、二日の道を渡って、身寄りのない先へ来るのじゃ。そういう者は、初めのうちは何でも申す。二度目に主の顔色が曇れば、三度目からは申さんようになる。三度目で決まる」
「……はい」
「一度でも、お前が違うと言われて嫌な顔をしてみよ。その日から、お前の帖はまた一つきりの枡に戻る。戻ったことに、お前は気づかん。あの子は気づいておるが、申さん」
藤丸は、その情景を思い浮かべた。
自分は帖をつけ続ける。傍には人が座っている。数は増えていく。当て推量の欄は短くなっていく。誰も違うとは言わない。
――そのほうが、よほど恐ろしかった。
「肝に銘じまする」
「銘じるな。書いておけ」
昌源は、また筆を取った。
「銘じたものは、忘れる。書いたものは、残る」
* * *
自室に戻ると、灯りを一つだけ点した。
文机の脇の、板の間。畳一枚ぶんの空きが、今夜も何もないまま黒く沈んでいる。
藤丸は、水に浸した布を持ってきて、そこに膝をついた。冬に炭櫃を置いたきり、誰も座らなかった場所である。
(いつ来るのかは、まだ決まっておらぬ)
夏の終わりか、秋か。いつ来るとも、父は言わなかった。
それでも、拭いた。拭き終えて布を絞ると、濡れたところが灯りを返して光った。
藤丸は文机に戻り、三冊目の帖を開いた。
初めのところに、断り書きが並んでいる。出所を書くこと。当て推量は脇へ小書きすること。一緒に見た者の名を書くこと。どれも自分で決めて、自分で書いた。決めたのも自分なら、守っているかを見るのも自分である。
その下に、一行足した。
――違うと申されたる時、顔に出すべからず。
この一行だけは、守れているかどうかが自分では分からない。分かるのは、明日から板の間に座る者である。
(それでも、書いておく)
銘じたものは忘れる。書いたものは残る。残っていれば、いつか誰かがこの行を指して、違うと申せる。そこまでが、この一行の仕事だった。
藤丸は筆を置き、灯りを吹き消した。
畳一枚ぶんの板の間が、暗がりの中で、拭いたばかりのまま乾いていく。
今回は、藤丸が「名のない役目」を願い出る話でした。
書いた者と、それを検める者を分ける――という考え方そのものは、中世の日本にもあります。荘園の年貢の出し入れをまとめた散用状は、現地で預かる者が作って領家の側へ差し出し、受け取った側がそれを見て、認めるか、突き返すかを決めました。作る者と、検める者が別だったわけです。
ただしこれは、上の立場の者が下から上がってきた紙を検める形です。作った当人が、自分より下の者に自分の紙を疑わせる、という形の記録は、少なくとも筆者の調べた範囲では見当たりませんでした。藤丸が父に願い出たのは、順番が逆のことになります。
今回、藤丸は自分の帖の断り書きに一行を足しました。守れているかどうかを自分では確かめられない一行を、それでも書いておく――というのが、今回の落としどころです。
なお「目付」という職名が定まってくるのは、もう少し後の時代のことと言われています。天文年間の土佐の一家中にそういう役職があったという記録はありませんので、本文では制度の名としてではなく、昌源が藤丸の言い分を言い当てるための喩えとして使いました。
次回は、渡ってくる側の支度から始めます。




