空いた一畳
前回は安芸の寺の側から、住職が墨を磨りはじめるところまでを書きました。
今回は岡豊へ戻ります。田植えの季節です。
藤丸のもとへ届いたのは、いつもより一通、少ない荷でした。
五月の田は、人でいっぱいになる。
早苗を植える幾日かだけは、村の者がみな出てくる。年寄りも、まだ小さい子も、腰の曲がった者も畔の端で苗を束ねている。田の中に横一列に並んだ背中が、少しずつ後ろへ下がっていく。声を掛け合う者はいない。手が揃っているので、掛ける要りがないのだった。
藤丸は、畔の高みからそれを見ていた。
帖は持ってきていない。今日は数えに来たのではない。人手が何人で何日かかるかは、いずれ数えねばならぬと思っているが、数えれば村の者に何を数えているのかと問われる。田植えの最中に、それを問わせたくなかった。
(何日で終わるかは、終わってから訊けばよい)
太助が畔を回ってきて、藤丸の隣に立った。
「今年は、水がようございます」
「よい、というのは」
「早すぎもせず、遅すぎもせずで。……去年の野分のあと、水の落ち口を広う取り直した田がございましょう。あそこは今年、水を張るのも早うございました」
藤丸は、田の東の隅に目をやった。去年の秋に自分が歩いて数えた畔のうちの一枚である。抜けるのが早くなったことは知っていた。張るほうは、見ていなかった。
「同じ口を、両方に使うておるのですね」
「さようで。出るも入るも、あの口一つでございます」
言われるまでもなく、口は一つしかない。ただ藤丸の帖には、去年の秋に書いた行が一つあるきりで、その行には水を落とす話しか書いていなかった。
広げたのは、水を落とすためだった。落とすために手を入れた口が、いま水を入れるほうで働いている。狙って作ったものではない。
ただし、と藤丸は思った。
(手を入れていない口には、何もついてこぬ)
去年、あの田に手を入れなかったなら、今年ついてくるものもなかった。ついてくるものは、どこへでもついてくるわけではない。手を入れた場所にだけ、後から遅れて出てくる。
太助は田へ戻っていった。藤丸は、もうしばらく背中の列を見ていた。
* * *
甚兵衛が戻ったのは、その翌日の昼過ぎだった。
門の内で草鞋の紐を解いているところへ、藤丸は駆けていきそうになって、止まった。走って迎えに出る歳ではない。歩いて出た。
「お帰りなさい」
「これは、藤丸様。ただいま戻りましてございます」
甚兵衛は膝の埃を払い、懐に手を入れた。油紙の包みが出てきた。
一つだった。
「殿様へ、お預かりものにございます」
藤丸は、その包みを見た。それから、甚兵衛の懐のあたりを見た。甚兵衛はもう手を下ろしていた。
「……それだけですか」
「へえ。今度は、これ一通きりで」
言い方に含みはない。荷の数を告げるのと同じ調子だった。
「寺の方々は、お変わりなく」
「お変わりございませぬ。和尚様も、お達者で。……佐吉様も、達者にしておられました」
達者にしておられました、で終わった。いつもなら、この後に一つ二つ、頼まれもせぬ土産話がつく。蔵の帳がどうの、背が伸びたの、夜遅くまで灯りが漏れていたの。今日は、それがなかった。
甚兵衛は包みを持って書院のほうへ去っていった。
藤丸は、門の内に立ったまま、庭の日を見ていた。
考えられることは、二つある。
一つは、こちらの用が尽きた。文というものは、用があって出す。こちらが問い、向こうが答え、その答えの中にまた次の問いが転がっている――そういう形で、二年近く続いてきた。だが去年の夏に枡の話が一往復して終わってから、こちらから出す用が思い当たらなくなっていた。無理に作った問いは、書いている途中で自分でも分かる。あれは問いの形をした挨拶だ。相手にも、それは分かるだろう。
もう一つは、向こうで何かが動いている。文が来ないのと、文を出せなくなっているのとは、違う。
藤丸は両方を並べた。並べたが、重さは同じにならなかった。痩せた文を書いていたのは、こちらである。思い当たる節があるほうへ、手が伸びた。伸びたところで、もう一方は畳んでしまった。
(尽きたなら、尽きたでよい)
そう思ってみたが、思った先で、胸のあたりが少し重たかった。用がなければ終わるものなら、あれは何であったのか。
* * *
夜、昌源に呼ばれた。
書院の隅に灯りが一つ。文机の上に、昼に届いた紙が広げてあった。畳んだ折り目がまだ立っている。
「座れ」
藤丸は膝を折った。昌源は紙を見たまま、しばらく何も言わなかった。
「安芸の寺から、返答が来た」
「……返答、にございますか」
「二年越しじゃ」
藤丸は、意味を取り損ねた。返答というのは、問うた者がいるということである。
「父上が、何かを問うておられたのですか」
「問うたのは、もっと前じゃ」
昌源は、紙の端を指で押さえた。
「お前が九つの年の夏に、紙屋と甚兵衛に、安芸の寺を調べさせた。算用に明るい子がおると聞いてな。名も分からぬところから始めた」
藤丸は、その夏を思い出そうとした。何も思い当たらなかった。田を歩いていた。山を歩いていた。父が誰に何を調べさせていたかなど、知りようもない。
「返答は、何と」
昌源は、紙を裏返した。裏には何も書かれていない。
「短い。あの子が、行きたいと申した、と。それだけじゃ」
藤丸は、しばらく声が出なかった。
行きたい、という言葉が、二日の道を渡って、この部屋の畳の上に置かれている。書いたのは住職だが、言ったのは佐吉である。会ったことのない相手が、会ったことのないこちらへ来たいと言った。
昼間、門の内で並べた二つのうち、畳んだほうが正しかった。向こうで何かが動いていた。二年かけて動いていたものが、昨日、決まっていた。
並べておいて、思い当たる節のあるほうを取ったのである。思い当たる節があるというのは、こちらの側の話でしかない。
「……なにゆえ、今なのでしょう」
「ほう」
昌源は、わずかに眉を上げた。
「なにゆえ二年かかって、なにゆえ今、話が動いたのか、と申すか」
「はい」
「西じゃ」
藤丸は、顔を上げた。
「中村の御所様が亡うなられた。跡目は七つじゃ。あの家は当分、外へ手が伸びぬ」
「……はい」
「重しが軽うなる。軽うなれば、この国の中の者は、みな少しずつ動きやすうなる。御館様も動かれる。動けば、人が要る。槍を持つ者ばかりではないぞ。数を数える者、書く者、村と掛け合う者――戦の前より、戦の後のほうが人は要るのじゃ」
昌源は、紙を畳み直した。
「足りぬものは、要る前に埋めておく。要ってから探しても、そのときには誰もが同じものを探しておる」
(父上は、二年前から、この順序で歩いておられた)
あのとき昌源が寺を調べさせたのは、佐吉が欲しかったからではない。いずれ足りなくなるものを、足りなくなる前に見つけておきたかったからだ。そして足りなくなる時期が、西の重しが外れたことで、思っていたより早く来た。
そこまで辿って、藤丸は一つ、腑に落ちないものに突き当たった。
二年である。二年、寺と行き来があった。行き来があれば、動くものがある。
藤丸は、頭の中で帖を繰った。繰るまでもなかった。贈り物は毎年、自分が選び、自分で値を訊き、自分で書いて綴じている。甚兵衛の路銀も、荷の数も、預けた品も、みな行になっている。二年ぶん、一行残らず。
その中に、寺へ渡った銭の行が、一つもない。
「父上」藤丸は、顔を上げた。「あの寺には――一銭も、積んでおられませぬな」
昌源の指が、紙の上で止まった。
「ほう」
初めて、藤丸のほうを見た。
「なぜ、そう見た」
「甚兵衛の荷にございます。二年のあいだ、寺へ渡ったものは、暮れの紙が一度と、白い冊子が一冊。あとは、文ばかりにございます。紙も冊子も、贈答として不足のない、しかし驕らぬ額に収めました。それより重いものが動いておれば、路銀が変わります。人も、一人では参りませぬ。……帖に、その行がございませぬ」
昌源は、しばらく黙っていた。
「一銭も積んでおらぬ。そのとおりじゃ」
藤丸は、頭を下げた。下げたが、下げながら、分からないことが残っていた。
積んでいないなら、向こうは何を受け取ったのか。
寺は値を吊る家である。それは九つの年から知っている。吊る相手が、二年待って、一銭も取らずに子を出す。そういう筋の通し方を、藤丸は知らなかった。
「父上。……では、向こうは、何を受け取ったのでございましょう」
「訊いてきよったわ。回りくどうな」
昌源は、灯りを少し引き寄せた。
「預け先の帳場は幾人おるか、と。帳場が大きければ、あの子はその中の一人に埋まる。小そうても、名のある家であれば箔はつく。どちらであろうと、値の付けようはある。そう踏んでおったのじゃろう」
「父上は、何と」
「帳場はない、と書いた」
藤丸は、息を止めた。
「書く者が一人おる。齢十。帳場は、この先その者が作る。――それだけ書いて、値は一行も書かなんだ」
灯りが、紙の折り目に影を作っていた。
「値を付ける相手を探しておった者に、的がない。あるのは、これから作るという話だけじゃ。売り込みにしては痩せておる。じゃが、嘘が一つも混じっておらぬ」
「あとは、お前の文じゃ」
「……わたくしの」
「向こうの子は、お前の文を読んで育った。枡の話も、帳の継ぎ目の話も、揃わぬものの揃え方も、みなお前が書いて送ったものじゃ。読むたびに、その子の中で、こちらの家の帳場の形が出来上がっていく。わしが百貫積んでも作れぬものを、お前は一文も使わずに作っておった」
藤丸は、膝の上の手を見ていた。
(銭は、一度も動いていない。動いたのは、私の書いた文だ)
二年のあいだ、こちらは何も払っていないつもりでいた。払っていたのは、父ではない。自分だ。払っている自覚だけが、なかった。
量りに載っていたのは、佐吉ではない。自分の帖のほうだった。痩せた文だ、口実が尽きた、と思いながら書いた一通も、同じ量りに載っていた。
「藤丸」
「はい」
「一つ、答えを求めておく。今夜でのうてよい」
昌源は灯りを引き寄せ、藤丸の顔を照らした。
「お前は、あの子に何をさせるつもりじゃ」
藤丸は、口を開いて、閉じた。
「帳場を作る、と書いて出したのはわしじゃ。じゃが、作るのはわしではない。お前じゃ。何をさせるかも知らずに人を呼ぶのは、呼ぶとは言わぬ。連れてくると言うのじゃ」
藤丸は、頭を下げた。答えは持っていなかった。
* * *
廊下は暗かった。
自室へ戻り、文机の前に座った。いつも通りの一つきりの机である。紙と、硯と、帖。ここに座って、二年のあいだ文を書いてきた。
歳は三つばかり上、寺の帳を五年、字は自分より整っている。会ったことのない相手について、知っているのはそれだけだ。
その机の脇の、何もない板の間に、藤丸は目をやった。
畳一枚ぶんほどの空きがある。冬に炭櫃を置くだけの場所で、いまは何もない。
そこが、急に空いて見えた。
これまでもずっと空いていた。人が座ると決まった途端、同じ板の間が「まだ誰も座っていない場所」に変わった。
(何をさせるのか)
答えは出なかった。ただ、そこを眺めているうちに、昼間、田で思ったことが戻ってきた。手を入れた場所にだけ、後から遅れて、ついてくるものが出る。
二年、あの一つきりの机で書いていた。書いていた場所へ、いま、座る者がついてこようとしている。
――返ってきていたのは、文ではなかった。
傅役・守役といった呼び方は、時代劇でよく耳にしますが、当時これが公の職名として定まっていたわけではないようです。幼い主君や子息に人を付ける慣行そのものは古くからありますが、名称も、任される範囲も、家ごと・時代ごとにかなり幅があったと言われています。誰を付けるかは、その家の内々の判断で決まる性質のものだったと考えるほうが実情に近いのかもしれません。
もう一つ、作中で藤丸が根拠にした「贈り物の記録」について。中世の贈答では、品物に品目と数量を書いた状を添えるのが広く行われていました。何を、いくつ、誰に渡したかが紙に残るということです。裏を返せば、紙に残らない形で渡されたものは、後から辿りようがありません。藤丸が帖を繰って「銭の行がない」と言えたのは、この習いがあったからということになります。ただし、久武家のような一国の家老家で、贈答の記録がどこまで細かく残されていたかを示す土佐のこの時期の史料は見当たりませんので、そこは物語としてお読みいただければと思います。
なお、西で当主を失った一条家については、幼い跡目がそのまま長じて後の一条兼定となります。土佐の力の釣り合いが、このあたりから少しずつ動きはじめます。




