三年目
前回、藤丸は椎茸の山の崩れを知り、次郎兵衛から「早い生煮え」の教えを受け取りました。
野分から、ひと月。今回は稲の刈り入れです。
去年の麦で「揃えて量る」作法を覚えた二枚の田に、二年目の答えが出ます。
ただし、答えの出る年が、当たり前の年だとは限りません。
朝の風に、稲の匂いが混じるようになった。野分から、ひと月が過ぎている。
藤丸が屋敷を出たのは、日の低いうちだった。供は源五郎ひとり。畔の道は、この時季になると急に人が増える。刈り手を頼む者、鎌を研ぎに出す者、藁を背負って運ぶ者。
道の途中で、荷を担いだ男と行き合った。村の者ではない。源五郎が短く会釈をすると、男の方から話しかけてきた。
「そっちはどうじゃ。うちの方は、思うたほど悪うない」
「悪うない」
源五郎はそれだけ答えた。男は構わず喋った。夜須のあたりは風の当たりが強うて倒れた田が多く、山の陰の奥の村は大したことはなかったという。山田の方は――と言いかけて、そこで口を濁した。
どこへ運ぶのかと源五郎が訊くと、これから山田へ入るのだと言う。買うてくれる先の作柄を悪く言う者はいない。男は「まあ、聞いた話じゃ」と笑って、行ってしまった。
藤丸は歩きながら、聞いた地の名を頭の中に並べた。同じ野分が、同じ夜に、同じ土佐に吹いた。それでも東に寄れば倒れ、山の陰では倒れない。風は真っ直ぐ吹いていても、地面の方が真っ直ぐではないのだ。
(一つの村の一晩では、何も申せませぬ、と父上に申し上げた)
あれは間違っていなかった。だが、一つの村を十年数えるのと、十の村を一年数えるのと、どちらが早く答えに近づくのか。今の自分には、どちらもできない。
「源五郎。そなたの在所の田は、どうであった」
「畔が二枚、切れました」
「稲は」
「半分ほど倒れましたが、起こしました」
それだけ言って、源五郎はまた黙った。何のために訊かれたのかを、この男は決して訊かない。
* * *
太助の村に着くと、二枚の田は、すっかり色を変えていた。
畔から見て右の田――水の引きが早い方の田は、稲が低いまま、行儀よく立っている。穂の頭は重たげに垂れているが、列は乱れていない。
左の田は、そうではなかった。
野分の翌々日に三株ずつ藁で縛って起こした、あの束が、田の半ばから向こうにずらりと並んでいる。立ってはいるが、立たされている、という姿だった。所々、束の中に色の違う穂が混じっている。芽の出た穂だ。拾えなかった分である。
「今日、右を刈ります」
太助は畔にしゃがみ、右の田の穂を一本、指の腹でそっと撫でた。麦の時と同じ手つきだった。
「明日、左を」
「同じ顔ぶれで、ですか」
「へえ。刈る者も、束ねる者も、麦の時と同じに揃えます。……ですが、藤丸様」
太助は立ち上がって、左の田を見た。
「今年は、揃いませんですわい」
「揃わない」
「縛って起こした稲は、鎌の入りが違います。真っ直ぐ立っとる稲なら、根元にすっと鎌が入る。縛った稲は、束の根元がねじれとりますでな。刈るのに手間が倍かかりますし、どうしても取りこぼしが出ます」
「取りこぼした分は」
「田に残ります。量りには出てきませんな」
藤丸は、左の田を見た。
枡を揃え、量る者を揃え、すり切りの手まで揃える。変えるのは田だけ。あとは全部同じにする。そうして初めて、出てきた差が田の差だと言える。それが去年、麦で覚えた作法だった。
今年は、それが崩れている。田だけでなく、刈り方まで違ってしまっている。しかも、崩したのは人ではない。
* * *
鎌の音が、田に満ちた。若い衆が横に並んで刈り、女たちが拾って藁で括る。麦の時と同じ順で、同じ人の手で、同じ動きが繰り返された。
夕方までに、右の田は刈り終わった。
積み上がった束の前で、若い衆の一人が束を持ち上げた。麦の時に「右の勝ちじゃ」と言って叱られた、あの男である。持ち上げて、口を開きかけて、閉じた。
「言うてみい」
太助が、背を向けたまま言った。
「……言いません」
「なぜじゃ」
「持った重さの、どれだけが実で、どれだけが藁か、わしには言えませんので」
太助はゆっくり振り返って、しばらくその男の顔を見ていた。それから何も言わずに、次の束を括り始めた。若い衆は少し赤い顔をして、自分の仕事に戻った。
藤丸は畔の上から見ていた。自分が太助に渡したものは、もう手の届かないところで、勝手に転がっている。
翌日、左の田も刈り終わった。縛った束の根元は右の倍近い時を食い、刈り取ったあとの田には短く折れた稲が幾本も残った。若い衆が拾って回ったが、拾いきれるものではなかった。
二枚の田の束は、混ざらないように分けて、それぞれの稲木に掛けられた。畔をはさんで、干した稲の壁が二つ、向かい合って立つ。右の壁は低く揃い、左の壁は右より高く、あちこちで嵩が乱れていた。
* * *
扱き落としの日は、よく晴れた。
莚の上に、二つの山ができた。右の田の山と、左の田の山。太助が掲げたのは、角の擦り減った、あの古い木の枡だった。麦の時と同じ枡である。
「量りは二枚とも、この枡ひとつ。量る者も、わし一人」
村の衆が莚のまわりに集まった。太助が枡を沈め、棒ですり切り、傍らの俵へあける。そのたびに若い衆が声を揃え、数が十を越えると、指を折る者、小石を並べる者、藁を一本ずつ脇へ寄せる者が出た。
右の田、四十と一枡。
左の田、三十と八枡。
「――三枡」
誰かが言った。畔に集まった衆が、二つの俵を見比べて、ざわめいた。麦の時は五枡だった。今度は三枡である。
あの若い衆が、口を開きかけて、また閉じた。今度は太助も咎めなかった。かわりに、自分から言った。
「三枡じゃ。右が多い」
そして、少し間を置いて、付け足した。
「――今年はな」
太助は両の山から一掴みずつ取って、掌に並べた。覗き込むと、右の粒は揃ってはいるが心持ち細く、左の粒はまちまちで、その中に右のどれよりも太った粒が混じっている。
「右は水を吸わんかったぶん、粒が細い。左は、太った粒と痩せた粒と両方ある。……どちらがよいかは、枡では分かりませんな」
「分からない」
「枡は嵩を量ります。粒の太り具合までは量らん。三枡の差が、腹の足しにして本当に三枡ぶんなのかは、この枡には言えませんですわい」
* * *
藤丸は帖を開いた。
去年の頁に、麦の行がある。
――夏のはじめ。見。右の田二十七枡、左の田二十二枡。同じ枡、同じ量り手。今年は雨少なし。
その下に、今年の行を書けばいい。右四十一枡、左三十八枡。二年並べれば、太助の言った「二年見て決める」の二年が揃う。
筆を持ったまま、藤丸は手を止めた。
並べて、いいのか。
(比べるには、比べる中身のほうを揃えねばならない。去年と今年とでは、試したものが同じではない)
左の田は、三分の一を失っている。倒れて、水に浸かって、芽を出し、刈る時にも取りこぼした分だ。もし野分が来なければ、左の田は何枡になっていたのか。
誰にも量れない。来なかった年の数は、どこの枡にも入らない。
切れた畔を数えた夜は、二十三枚のうち筋の合わない三枚を下に別に書いた。混ぜれば数が嘘になるからだ。あの時は三枚だった。今度は、頁ごと合わない。
筆先のほうが、先に動いた。
この年は、数に入れない。来年をもう一度、二年目として数え直す。指はもう、その形に構えていた。
(前の世でも、そうしていた)
風の年、火の年、人の足りなかった年。そういう年は列から外して脇へ置き、外した理由を一行書き添えておけばよかった。それで数は残った。
藤丸は、外すことに決めた。決めてから、指がほんの少しだけ重かった。理由は、その場では出てこなかった。
* * *
藤丸は、太助にそれを言った。この年は数に入れない。当たり前の年が二つ揃うまで、答えは出さない。
太助は、俵の縁に手を置いたまま、しばらく黙っていた。
「藤丸様。……その、当たり前の年と申しますのは、いつのことでございましょう」
「野分の来ぬ年だ」
太助は指を折り始めた。折って、伸ばして、また折った。数えている顔ではなかった。思い出している顔だった。
「わしが田を見ますようになりましてから、四十年ほどになりますが。……大きいのが来なんだ年は、七つか、八つでございますな」
藤丸は、その指を見た。
「四十のうち、八つか」
「へえ。あとの年は、大きいか小さいか、どっちかは来ております。小そうても、来た年は来た年でございますで」
太助は指を下ろした。
「野分の来ん年を待っておりましたら、五年に一度しか決められませんな。……わしらは、毎年まきますで」
藤丸は、答えられなかった。
揃わぬ年を外して、残った年で答えを出すつもりでいた。だがこの土地では、外れているほうが五分の四である。外したのは、年ではない。ほとんど全部だ。
(前の世では、外しても数が残った。残ったのは、外した年のかわりが、どこかにあったからだ)
同じ試しをしている田が、よその国に千枚あった。だからひどい年の一枚を脇へ置けた。ここにあるのは二枚の田と、一年に一度きりの秋だけだ。かわりは、どこにもない。
外す、という手つきは、持っている者の手つきだった。
しばらくして、藤丸は口を開いた。
「太助。二つとも、書こうと思う」
「二つ、と申しますと」
「野分の来た年の行と、来なかった年の行を、分けて書く。混ぜない。だが、どちらも捨てない」
太助はしばらく考えていた。
「……分けて、どうなさいます」
「分けておけば、後で足せる。混ぜてしまえば、後で分けられない」
言ってから、藤丸は自分の言葉に少し驚いた。受け売りではない。今、この畔の上で出てきたものだ。
比べるための数と、食うための数は、同じ数ではない。だが、同じ帖には入る。入れ方さえ間違えなければ。
太助は、日に焼けた顔をくしゃりと崩した。
「なるほどのう。……なら、わしからも一つ、申し上げます」
「なんだ」
「二年見て決める、と申しました。じゃが、決められませんですわい」
太助は、莚の上の二つの山を見た。さきほど掌に並べた粒が、まだそこにある。
「三枡多い、までは分かりました。じゃが、あの粒でございます。太いのと細いのと、どっちが腹の足しになるかは、枡が言うてくれませんでな。……もう一年、掌で見とうございます」
「……三年目を、やるか」
「やらせてくだされ」
太助はあっさり言った。それから、少し笑った。
「わしも、あと何年この田を見られるか分かりませんがのう。三年目くらいは、まあ、大丈夫でしょう」
藤丸は、すぐには答えられなかった。
太助は五十五である。腰は曲がっていない。だが、この村で五十五まで田を見た男が、あと何人いるのかを、藤丸は知らない。
さきほど、四十年ぶんの野分を数えたのは、この男の指だった。あの四十年は、どこにも書かれていない。
「太助」
「へえ」
「書いておく」
「はあ」
「そなたが見たものを、全部、帖に書いておく。同じ枡で、同じ量り手で、何年の何がどうだったか。書いてあれば、四年目を数えるのは、そなたでなくてもいい」
太助は、枡の縁についた米の粉を、指で払った。その指の動きを、藤丸は見ていた。麦の時にも同じ払い方をしていた。何十年も、同じ払い方をしてきたのだろう。
「……そりゃあ、ありがたい話ですな」
太助は、それ以上は言わなかった。
* * *
屋敷に戻って、藤丸は文机の前に座った。
去年の麦の行の下を、一行分空けた。空けた下に、今年の行を書いた。
――秋。見。右の田四十一枡、左の田三十八枡。同じ枡、同じ量り手。この年、野分あり。左の田、三分の一を失う。刈り方揃わず。
――この行、雨少なき年の行と並べるべからず。ただし、捨つべからず。
書いてから、空けた一行をしばらく眺めた。この隙間には数も言葉もない。だが隙間があるかぎり、後から読んだ誰かは、二つの年が違う年だったことに気がつく。隙間がなければ、気がつかない。
もう一行、書き足した。
――太助、田を見ること四十年。うち野分の来ざる年、七つか八つ。太助の指による。
藤丸は、自分の書いた「見」の一字に目を落とした。自分の目で見た数である。誰から聞いたのでもない。だが帖に書けるのは、数と、それを誰の目が見たかまでだ。太助が幾つで、どんな声をしていて、枡の縁の粉をどう払うのか。それを書く欄は、この帖のどこにもない。
少し迷ってから、藤丸はもう一行だけ書き足した。
――三年目を、数える。
この帖に、まだ起きていないことを書いたのは初めてだった。数でもなく、聞でも見でもない。ただの約束である。書いてしまえば、忘れられない。忘れられなければ、来年の秋、自分は必ずあの畔に立っている。
障子の外は、もう暗かった。刈り取られた田のどこかで、拾い切れなかった稲が、まだ風に鳴っているはずだった。
今回は、数を数える場面が二度出てきます。若い衆が指を折り、小石を並べ、藁を脇へ寄せる。そして太助が、四十年ぶんの野分を指で数える。
そろばんを出したいところですが、この時代の土佐には、まだ置けません。日本に現存する最古級の算盤とされるものは十六世紀の終わりごろのもので、広く使われるようになるのはそれ以降と考えられています。天文十七年に土佐の村の刈り入れの場でそろばんが弾かれていた、という記録はありません。
ですから、この作品で数を数える場面は、しばらくのあいだ、指と小石と藁で進みます。逆に言えば、四十年ぶんの出来事を「七つか、八つ」と言える太助のような人の指が、そのまま一冊の帳面のかわりをしていた時代でもあります。藤丸が慌てて帖に書き写したのは、そのためです。
もう一つ。作中の「野分」は、秋の暴風を指す古い言葉です。平安のころの文章にはすでに見えており、戦国の土佐で使われていたとしても不自然ではありません。いっぽう「台風」という言い方は、ずっと後の時代のものです。
ただ、当時の土佐で秋の大風が何年に一度来ていたのか、それを数えた記録は残っていません。太助の「四十年のうち七つか八つ」は、この土地に暮らす者の体感として書いたもので、史料にもとづく数ではないことをお断りしておきます。




