解かれる日
今回は安芸の寺、佐吉の側から書きます。時は天文十七年、夏の終わり。前回までに岡豊で書かれた文が、ちょうど海沿いの道を渡って届く頃合いです。
同じ夏を、もう一方の帳場から見た話になります。
安芸の夏は、終わりぎわに一度、風の向きが乱れる。
夜のあいだは山から風が下り、日が高くなると海から風が上がってくる。その入れ替わる刻限が、日ごとにずれていく。山門の石段のあたりで二つが揉み合い、どちらとも決まらぬまま夕になる日もある。
佐吉は蔵の帳場で、秋の勤めに向けた覚えを整えていた。刈り入れの前に、寺は檀家からの納めを受ける支度をする。去年の帳を開き、どの家がいつごろ何を納めたかを月ごとに並べ直す。これも表を作ってからできるようになったことの一つだった。
昼下がりに、蔵の入り口が翳った。
「佐吉様。お預かりものにございます」
岡豊の甚兵衛の、丸い影だった。懐から油紙の包みが出てくる。荷からではなく、懐から。この文だけは、いつもそうだ。
「遠いところを、ありがとう存じます」
包みを受け取って、佐吉はふと思った。この前は、二つあった。
「……御住職あては」
「此度は、佐吉様あての一通きりにございます」
甚兵衛は、それだけ言った。柔らかい顔のまま、その先を続けない。この男の世間話が、いつも肝心の手前で止まることは、佐吉ももう知っている。
包みは、思ったより厚みがあった。指先に紙の枚数が伝わる。
「道は、いかがでございました」
「三日かかりましてございます。二日の道が、三日に」
甚兵衛は笑って腰を伸ばした。
「まあ、急ぐ文ではないと承っておりますで」
急ぐ文ではない。あの方が、そう言って託したということだ。佐吉は包みを袂に入れ、その日の勤めをいつも通りに終えた。開くのは夜と決めている。惜しんでいるのではなく、読む前にこちらの手元を整えておきたいのだ。
* * *
その夜、佐吉は帳場の隅に灯りを寄せ、膝の脇に自分の帳と読み替えの表を置いてから、油紙を解いた。
一行目に、目が止まった。
――塞がらぬ間は、物で塞ぐほかございませぬ。
自分の書いた問いが、そのままの形で返ってきていた。答えの見当もないまま書いて送った夜の気の引けようを思い出す。
次の行で、佐吉は息を呑んだ。
――白状いたしますと、この枡は、それがしの思いつきではございませぬ。
白状いたします。亡き父の教えを文に書いたとき、佐吉が書き出しに使った一言だ。それが岡豊まで歩き、向こうの筆で書かれて戻ってきている。そのあと、こう続いていた。
――あの枡の出所は、あなた様の問いにございます。
出所を書け、と教えてくれたのは、あの方だ。その作法が、いま、紙ではなく物に使われている。
(……物にも、出所がある)
――さて、肝心のあなた様の間にございますが。昔の俵は、もうどこにもございませぬ。ゆえに、あなた様の間は、この手でも塞がりませぬ。それは、変わりませぬ。
佐吉は、その一行の上で指を止めた。
塞がらぬものは塞がらぬと、そのまま書いてある。工夫の余地がある、でも、追って考える、でもない。落胆は湧かず、代わりに肩のあたりが軽くなった。塞がらぬと書ける相手に、自分は問いを送ったのだ。
そのすぐ下に、続きがあった。
――なれど、寺の枡は、いま、ございます。
佐吉は、文を持ち直した。
いまの枡と量り合わせた予備を一つ、使わずに封じ、湿りの来ない高い所へ仕舞う。そうしておけば、後の世の帳場の者は、昔の嵩の前で立ち止まらずに済む。あなた様の表は、後ろへ向けて入れた紙。この枡は、先へ向けて仕舞う物――。
膝の脇の表へ、目が落ちた。
あの表は、確かに後ろを向いている。前の方の帳を読むための紙だ。読めたのは七年分まで。それより前は、どう工夫しても届かない。
届かないものを抱えているうちに、自分の帳もいつかは「昔の帳」になると、一度も考えたことがなかった。
(……わたくしの帳も、後ろになる)
背中が、すっと冷えた。
いま自分が書いている一斗は、寺の枡で量った一斗だ。その枡が三十年後にどうなっているかは、誰にも分からない。擦り減っているかもしれず、割れて作り替えられているかもしれない。そのとき自分の帳を開いた誰かは、いまの佐吉と同じ場所で立ち止まる。前の帳場の方の一俵が読めぬ、と唸っている、この場所で。
文を膝に置いて、佐吉は蔵の暗がりを見上げた。
高い棚がある。仕舞うだけなら明日にでもできる。古い枡なら、蔵の隅に幾つか転がっている。
だが、と佐吉は思った。
寺の枡は、寺のものだ。自分のものではない。
* * *
願い出たのは、翌る日の朝の勤めの後だった。
住職は本堂の脇の床几に腰を下ろし、朝の湯を飲んでいた。海の風に替わる少し前の刻限で、石段のあたりの木々が、まだ海のほうへ葉を押されている。
「御住職。お願いの儀がございます」
「珍しいの。言うてみよ」
「蔵の古い枡を、一つ頂戴いたしとうございます」
住職の湯呑みが、途中で止まった。
「枡を、何にする」
「いまの寺の枡と、量り合わせまする。そのうえで封をして、湿りの来ぬ高い棚へ仕舞い、以後は使いませぬ。量るにも使わず、貸すにも出しませぬ」
「使わぬ枡を、仕舞う」
「はい」
「なぜじゃ」
佐吉は、そこで一度、言葉を選んだ。文に書いてあったことを、そのまま口にすれば早い。だが、それでは出所が抜ける。
「岡豊の方より、教わりましてございます。使えば枡は擦り減りますゆえ、使わぬ枡だけが、いまの嵩を覚えておりまする。……いま量った一斗が、後の世でも一斗と読めるように」
「後の世、とは」
「三十年、五十年の後にございます」
住職は、湯呑みを膝に下ろした。
「佐吉。お前は、七年前の油壺を読んでみせた男じゃ。あれは、誰の役に立った」
「……あの檀家の御老人と、寺と、双方かと存じます」
「そうじゃ。目の前におった。礼も言われた」
住職は、庭のほうへ目をやった。
「その枡は、誰にも礼を言われぬぞ。仕舞うたことも忘れられる。開ける者は、お前の名も顔も知らぬ」
「存じております」
「それでも、やるか」
「やらせていただきとうございます」
住職はしばらく黙っていた。それから、ひとつだけ訊いた。
「その枡が解かれる日、お前は、どこにおる」
石段の木々が、いっせいに向きを変えた。海の風が上がってきたのだ。
佐吉は、答えられなかった。
寺におります、と言えばよかった。この寺に置いてもらっている者の、当たり前の答えだ。どこにおるかと問われて、寺のほかに行き先を持たぬ身の上のはずだった。
なのに、口が動かなかった。
喉の奥に答えが二つあって、そのどちらも出てこない。出てこないというより、こちらが出すのを止めている。どちらか一つを声にしてしまえば、もう戻れなくなる気がした。
沈黙は、思ったより長かった。
「……分かりませぬ」
ようやくそれだけ言うと、住職は、ふ、と息だけで笑った。責める笑い方ではなかった。むしろ、何かの答え合わせを済ませたような顔だった。
「持って行け。蔵の古いのなら、どれでもよい」
「ありがとう存じます」
「札には、いつのものかを書いておけよ。それが分からねば、仕舞うた甲斐がない」
住職は、それだけ言って本堂へ戻っていった。なぜ、と重ねて問われなかったことに、佐吉はしばらくしてから気づいた。
* * *
量り合わせは、その日のうちに始めた。
蔵の隅から、割れも欠けもない古い枡を三つ選び、水で洗って、日に干した。乾いてから、いまの寺の枡で米を摺り切り、一つ目へ移す。
米は、縁を越えて、板の間にこぼれた。
佐吉はしばらくその小さな山を見て、こぼれたぶんを掌で寄せ集め、二つ目に移し替えた。
今度は、縁まで届かなかった。爪の際ほど、下だった。
三つ目は、二つ目よりもさらに足りなかった。
三つとも、同じ蔵に転がっていた枡である。誰がいつ拵えたものかも分からない。分からないが、いずれも「一斗」として寺で使われていた時期があったはずだった。
(……揃っていたことなど、はじめから、一度もない)
前の帳場の方の一俵が読めぬのは、あの方の書き方が悪かったからではない。枡が、初めから、揃っていなかったのだ。それを、佐吉はいま、板の間にこぼれた米粒で知った。
二つ目を取り上げ、縁を指でなぞった。
底に薄い板を一枚敷けば、合う。爪の際ほどの違いなら、板一枚で、いまの寺の枡と同じ嵩になる。
だが、そうしたところで、その嵩は「いまの寺の枡」ではなく「佐吉が拵えた枡」になってしまう。板は外れる。動く。三十年のあいだには、どこかへ失われる。後の世の誰かが封を解いたとき、その者が知りたいのは、佐吉の手つきではない。天文十七年の夏に、この寺で一斗と呼ばれていた嵩のほうだ。
佐吉は、板を探すのをやめた。
合わぬものを、合わぬまま残す。三度量り直し、三度とも同じだけ足りないことを確かめてから、布に包んで麻紐で括った。
木札に墨を入れた。
――天文十七年夏。寺の枡と量り合わせ。量るべからず。擦るべからず。
書いてから、佐吉は札を裏返した。
――寺の枡一杯を移して、縁の下、爪の際ほど足らず。
表は、触るなと伝えるための面だ。裏は、いつか解いた者が読むための面である。この枡がいまの寺の枡より少し大きいことを書いておかねば、解いた者はまた、合わぬ物の前で唸ることになる。
書きながら、可笑しくなった。文には、札に何と書いたかは一文字も書いてなかった。書いてないのに、たぶん、似たようなことが向こうの札にも書いてある。同じことをすれば、同じ言葉になる。
踏み台を借りて、蔵の高い棚へ上げた。雨漏りの跡のない側、戸口から遠い側。手を離すと、包みは板の上で少しも動かなかった。
下りて、見上げた。
この包みを解く者に、自分は会わない。会わないまま、渡す。
そこまで思ったとき、佐吉は、文の末尾の一行を思い出した。
――返事の返らぬ相手に宛てて物を仕舞うのは、妙な心持ちにございました。あなた様は、いかが思われますか。
答えは、もう出ていた。棚を見上げたまま、佐吉は、それが自分の中にずっとあったことに気づいた。
前の帳場の方は、幾年かに一度、納められた俵を寺の枡で量り直し、その控えを帳の隅に小さく書き残していた。誰に頼まれた仕事でもなく、その年の帳には何の役にも立たない。読んだのは、この春の佐吉だ。あの控えがあったから、寺の枡の内でなら量が比べられると分かった。会ったこともない前の帳場の方が、返事の返らぬ先へ向けて紙一枚ぶんの物を仕舞っておいてくれた――それを、自分は受け取った側だったのだ。
妙な心持ちにございましたか、と佐吉は胸の内で答えた。
仕舞う側は、そうかもしれませぬ。なれど、受け取る側は、妙とは思いませぬ。ただ、助かるのでございます。そして、助かったことにも、しばらく気づきませぬ。
佐吉は帳場に戻り、灯りを寄せて紙を一枚のべ、返事の一行目だけを書いて筆を置いた。
――お尋ねの心持ちにございますが、それがし、すでに受け取る側におりましたゆえ、お答えできまする。
二行目から先は、明日でよい。急ぐ文ではない。
灯りを吹き消す前に、佐吉はもう一度、暗い蔵の高い棚のほうへ目をやった。
その枡が解かれる日、お前はどこにおる。
昼間、答えられなかった問いが、まだ喉の奥に残っていた。残っているということは、答えがないのではない。答えを、まだ自分に言わせていないだけだ。
佐吉は、灯りを消した。
作中で佐吉が三つの枡を並べて、どれも嵩が違うことを知る場面があります。
この時代、枡の大きさは全国で揃っていませんでした。国ごと、領主ごと、荘園ごとに寸法が違い、同じ「一斗」でも中身の量が土地によって変わる、というのが当たり前だったようです。年貢を納める枡と、貸し借りに使う枡が別だった例も伝わっています。
枡の寸法が広い範囲で揃えられていくのは、豊臣秀吉の検地で京枡が基準として用いられるようになって以降のこととされます。天文年間は、それよりだいぶ前になります。
もっとも、当時の土佐の寺が実際にどんな枡を使い、それをどう管理していたのかまでは、はっきりした記録がありません。佐吉が古い枡を洗って干し、量り合わせて封じるくだりは、あくまで物語の中の工夫としてお読みいただければ幸いです。
なお、木の枡は使い込むと縁が擦り減り、洗って乾かすうちに木そのものも痩せていきます。「使わない枡だけが、その時の嵩を覚えている」という理屈自体は、木という材の性質からいって無理のないものかと思います。




