手つきの癖
前回、藤丸は安芸の寺へ送る文を書き上げ、甚兵衛の懐に託して見送りました。動かさぬために封じた枡の、そのやり方だけが東へ歩き出したところです。
今回は、その夏のうちの一日を追います。山のほだ木、二枚の田、そして村へ回した知恵の行方。
名を消して外へ出したものは、本当に辿られないのか。答えは、藤丸が思ってもみなかったところから返ってきます。
蝉の声が、山の斜面を埋めていた。
夏の盛りの山道は、木陰に入れば涼しく、日向に出れば背中が焼けた。藤丸は汗を拭きながら、平六の山を登った。
ほだ木は、去年の秋に伏せた場所に、同じ向きで並んでいた。
「変わりなしで、ございます」
平六はそう言って頭を下げ、それから、少しだけ言い足した。
「……ただ、置き場は、少しばかり動かしました。夏の日が、思うたより差し込みますでな。木口が乾きすぎんよう、日陰の深いほうへ、一列ぶん」
「乾きすぎは、悪いのか」
「椎茸は、ほどほどの湿りを好むと、前に申しました。からからに乾いた木には、つきますまい」
また、湿りだ。藤丸は帖を開き、書きつけた。
――夏。見。ほだ木変わりなし。平六、日陰の深きへ寄せる。乾きすぎを避くるためと言う。
筆を止めて、いま書いた一行を読み返した。去年の秋、置き場を選ぶのは平六殿に、と言った。渡したのは、選んでよいという一言だけである。それが一年経って、訊かれもせぬのに木が動き、動かした理由まで添えて返ってきている。
答えは、来年の秋。まだ一年も先だ。変わらないことを確かめるために山を登るのは、傍から見れば酔狂だろう。だが、変わらないという一行が積み重なっているからこそ、変わったときに、それと分かる。
――変わらなかったことも、後で効く。
いつか帖に書いた一行は、いまも生きていた。
* * *
山を下って太助の田に着くと、遠目にも、二枚の田の違いが分かった。
「ようお越しで。……ほれ、ご覧のとおりです」
太助は、畔の上から二枚の田を指した。
左の田の稲は、右より頭ひとつ丈が高く、葉の色も濃かった。深緑の波が、風のたびに重たげにうねる。右の田の稲は丈は並みで、色もいくらか浅い。並べて見れば、勝ち負けは明らかに見えた。
(青々と茂っておるほうが、良い出来。……前の世でも、そういう相場だった)
「左が――」
言いかけて、口を閉じた。
この夏の初めに、同じ形の物を見ている。丈の高い麦は藁も長い、束が重いのは実が多いからとは限らない。太助にそう教わって、帖にも書いた。書いておきながら、目のほうが先に勝ち負けを決めていた。
「……丈が高いのは、実の入りとつながるか」
「よう訊いてくださいました」
太助は、首筋を掻いた。
「丈が伸びるのと、実が入るのとは、別の話でしてな。水をたっぷり抱いた稲は、葉ばかり茂って、穂に実の入らんことがございます。それに、丈の高い稲は、秋口の風に弱い。穂が重うなったところへ野分でも来れば、ばたりと倒れます。倒れた稲は水に浸かって、実が腐る」
「見た目の勝ちと、枡の勝ちは、別か」
「へえ。丈と実は、また別の話にございます。稲がどう化けるかは、穂が出て、実が入って、刈って量ってみんことには」
藤丸は帖を開いた。
――夏。見。左の稲、丈高く色濃し。右は並み。太助、丈と実は別、風に倒るる恐れもと言う。
行の脇に、小さく書き添える。
――当て推量。見た目の勝ちは左。枡の勝ちは、まだ分からず。
見た目で決まるのは、見た目の勝ち負けだけだ。中身は、量ってみるまで分からない。田でも、俵でも、たぶん、人でも。
「それと、藤丸様。例の、焼き枯らしの儀ですが」
太助は、少し得意げな顔になった。
「先だっての寄り合いで、話してまいりました。川向こうの家の知恵として、指を折って、条を分けて。芯まで焼き切ること。煙の当たる高いところに吊すこと。ついでに、泥吐かせの婆さまの知恵も、一緒に」
「試す家は、出たか」
「三軒――いや、四軒。夏の泥鰌で、さっそくやってみると申しておりました。うまく持てば、正月の汁が一椀増えます」
「上出来だ。……わたしの名は」
「出しておりません。川向こうの知恵、で通しました」
言った覚えが、なかった。泥鰌を獲った日に頼んだのは、指を折った順のとおりに寄り合いで話してくれ、ということだけだ。名を伏せよとは、一言も言っていない。
「誰にも言われずに、そう決めたか」
「へえ。……藤丸様のお名が出ますと、あれは触れになりますで」
太助は、事もなげに言った。
「触れなら、やらんわけには参りません。やらんわけに参らんことは、みな一応やります。一応やって、うまくいかなんだら、それきりです。……試す家、とは申せませんな」
藤丸は、礼を言いかけて、言葉を探し直した。
試す家を立てて答えを待つ、という形は、こちらが考えて渡したものだ。だがその形は、名が乗った途端に壊れる。壊れることを、この男は自分の口で言い当てている。
太助は胸を張った。自分で決めたことを、自分で果たした顔だった。藤丸は礼を言い、帖に短く書いた。
――焼き枯らし、寄り合いにて回る。試す家、四軒ほど。答えは冬。
知恵は、名を消して、歩き出した。あとは冬を待つだけだ――そのはずだった。
* * *
屋敷に戻ると、渡りの廊下に、親直がいた。
柱にもたれ、団扇を緩く使いながら、庭の先を眺めている。涼んでいるようにも、誰かを待っていたようにも見えた。藤丸が会釈して通り過ぎようとすると、声が追ってきた。
「――焼き枯らし、とやら」
足が、止まった。
「川向こうの家の知恵じゃそうな。芯まで焼き切って、煙の高きに吊す。……よう出来た知恵よ。冬の汁が一椀増えるなら、村は肥える」
「兄上は、どちらでそれを」
「噂は、歩く」
親直は、団扇を止めなかった。
「文だけではないぞ。噂も、人の口に乗って、道を行き、湯屋に寄り、屋敷の台所まで歩いてくる。……で、あれは、お主が回したのであろう」
咎める声ではなかった。ただ、当たり前のことを当たり前に言う声だった。それが、かえって藤丸の背を冷やした。
「……名は、出しておりませぬ」
「出ておらぬ。台所で聞いた話にも、村の湯屋の話にも、お主の名はなかった。川向こうの知恵、で通っておる。消し方は、悪うない」
「では、なぜ」
「知恵の形よ」
親直は、そこで初めて藤丸を見た。
「指を折って、条を分ける。焼きの深さ、吊す場所、泥の吐かせ方。一つずつ切って、並べる。……そして、試す家を立てて、答えを冬まで待つ。当てものを言い切らず、試しの形にして手放す。――そういう知恵の回し方をする者を、わしは、この家に一人しか知らぬ」
団扇が、ゆっくりと動いた。
「名は、消せる。だが、手つきは消えぬ。文字に手蹟があるように、知恵にも手蹟がある。お主のは、癖が強い」
藤丸は、返す言葉を探した。見つかる前に、親直が続けた。
「勘違いをするな。回すな、と言うておるのではない。回した知恵で村が肥えるなら、家の得よ。……ただ、名を消せば辿られぬと思うておったなら、それは浅い。名を消して安心する者から、足がつく」
「では、どうすれば」
「さて、な」
親直は、柱から背を離した。
「わしなら、手つきごと変える。じゃが、お主にそれをやれとは言わぬ。手つきを変えれば、知恵の切れ味も変わる。よう切れる刀の反りを、鞘に合わせて打ち直すようなものでな。……鞘のほうを選ぶか、刀のほうを選ぶか。それは、お主が決めることよ」
言い終えると、兄はもう歩き出していた。数歩行って、思い出したように、一言だけ残した。
「――村の噂と屋敷の台所がつながっておることは、覚えておけ。聞いておるのは、わしだけとは限らぬ」
背中が、廊下の角に消えた。
藤丸は、しばらくその場に立っていた。夕方の風が、廊下を抜けていった。汗が引いて、単衣の背が冷たかった。
(兄上は、なぜ、村の噂まで拾っている)
人の弱みを集める兄が、泥鰌の干し方に用があるとは思えない。網が広いのか、それとも、網をわたしに向けているのか。訊いたところで、答えは返るまい。訊けば、こちらの気にしていることが伝わるだけだ。
――量られている、と思った。そして量り返す物差しを、こちらはまだ持っていない。
* * *
部屋に戻り、藤丸は文机の前に座って、帖を開いた。
今日の分は、山と田で書き終えている。ほだ木の一行。稲の一行。焼き枯らしの一行。そのあとに、筆が止まった。
書くべきことは、もう一つある。名は消せる、手つきは消えぬ――あの教えだ。文は歩く、と教わったときと同じで、これは帖に残しておくべき筋だった。忘れはしないだろうが、忘れないことと、書いておくことは別だ。
ただ、書くとなれば、出所が要る。
誰に教わったかも書け、と父は言った。教わった先を書かない帖は、当て推量と同じ扱いに落ちる。だから、書くならこうなる。
――聞(兄上)。名は消せるが、手つきは消えぬ。知恵にも手蹟あり。
筆を持ったまま、藤丸はその一行を、頭の中で眺めた。
妙なものだった。出所を書けというのは父の教えで、名の消し方が浅いと教えたのは兄で、その兄の名を、いま、出所として帖に書き込もうとしている。名を消して回した知恵の話が、名を書いて残す一行になる。
消す名と、書く名。外へ出す知恵からは名を消し、内に残す帖には名を書く。逆のことをしているようで、根は同じだった。どちらも、その知恵が、どこから来てどこへ行くかを、見失わないためだ。
藤丸は、筆を下ろした。
――聞(兄上)。
墨の乾いていく三文字を、藤丸はしばらく見ていた。帖の内で、兄の名が筋の出所になったのは、これが初めてだった。
作中で、知恵の回し方の癖から書き手が割れる、という話が出てきます。
中世の文書では、花押と呼ばれる図案化した署名が、本人が書いたことの証しとして広く用いられていたと言われています。名を書くだけでなく、真似のしにくい形をわざわざ作って据える——それだけ、紙の上で「誰が書いたか」を示すことが重んじられていた、ということかもしれません。
ただ、当時の人が花押や名とは別に、筆跡や文章の癖そのものを手がかりにして書き手を言い当てていたかどうかは、直接それを記した史料が多くあるわけではありません。この話の親直の言い分は、あくまで物語の中のものとしてお読みください。
もう一つ、稲の話を。丈が高く葉の色の濃い稲が、必ずしも実の入りで勝つとは限らない——これが理屈として説明されるようになるのはずっと後のことですが、実際に田を作る人々は、毎年の出来不出来の積み重ねから経験として知っていたと考えられます。もっとも、この時期の土佐の稲作を具体的に記した農書の類は残っておらず、当時の村で何がどこまで言われていたのかを確かめる手立てはありません。




