道の詮議
天文17年(1548年)、夏の初めの続きです。
文吉の店で選んだ紙は、癖のない、静かな白さをしていた。
藤丸は文机の前に座り、墨を磨りながら、書くことを頭の中で並べ直した。書くことは、もう決まっている。決まっているはずだった。だが、筆を執ってみると、決まっていたのは何を書くかであって、どこまで書くかではなかったと分かった。
佐吉の問いは、二つあった。量をどのように記しているか。枡や俵は、揃っているものか。
一つ目は、すぐに書けた。
――量は、枡にて記しております。
二つ目も、答えそのものは短い。
――されど、枡は揃っておりませぬ。屋敷の枡と蔵方の枡が違い、村の枡がまた違います。家ごとに違うものだと、台所の者は、当たり前のことのように申しました。
筆が止まったのは、その先だった。
揃っていない枡で、では自分はどうしたか。それを書こうとして、藤丸は手元の帖を思い浮かべた。麦の量り比べ。枡を一つに決め、量る者を一人に決め、摺り切りの手まで揃えた、あの日の段取り。
(どこまで、書いてよいものか)
手の内を明かすことになるのではないか、と一度は思った。だが、考えてみれば、佐吉が問うたのは、揃っているか、であって、何を量ったか、ではない。問われたことに答え、問われていないことは書かない。帖の書き方と、同じことだった。
――それゆえ、量り比べの折には、枡を一つに定め、量る者を一人に定め、摺り切りの手まで一つに揃えました。さすれば、その枡の内でなら、量は比べられます。
何を量ったのかは、書かなかった。麦とも、田とも。それでも、答えとして欠けてはいないはずだった。
そして、もう一つ。
――なにゆえ枡が揃わぬのか、それがしも不思議に思い、尋ねましたところ……
そこまで書いて、藤丸はまた筆を置いた。
この先は、父の言葉だ。揃わぬのではない、揃えぬのだ。揃わぬことで、得をしている者がいる――あの答えを、自分は自分で考えついたわけではない。
* * *
父・昌源の間に、藤丸は書きかけの文を持って行った。
「父上のお言葉を、文に書いてもよろしいでしょうか」
昌源は、書きかけの文に、ゆっくりと目を通した。読み終えても、すぐには返さなかった。
「――構わぬ。じゃが、条件がある」
「条件、にございますか」
「誰に教わったかも、書け」
藤丸は、少し戸惑った。てっきり、父の名は伏せよと言われるものと思っていたのだ。
「人に聞いた話を、おのれで考えたことのように書く。それを一度覚えると、癖になる」
昌源は、文を返しながら言った。
「お前の帖は、聞と見を分けておるのだろう。文とて、同じことよ。どこから来た話かが書いてあれば、読む方は、その話の重さを量れる。書いてなければ、量れぬ。……佐吉とやらは、量れぬ話を嫌う質のようじゃからな」
藤丸は、頭を下げて、部屋に戻った。
文机に向かい、続きを書いた。
――父に尋ねましたところ、揃わぬのではない、揃えぬのだ、と教わりました。枡が揃わぬままであることで、得をする者がいるのだと。
書き終えて読み返すと、父の言う通りだと思った。教わりました、の一言があるだけで、文の姿が変わって見えた。おのれの背丈より大きなことを、おのれの言葉のように書けば、文ごと嘘くさくなる。誰の言葉かが書いてあれば、大きな言葉は大きな言葉のまま、静かに座っていられる。
末尾に、一つだけ、正直なことを書き足した。
――これから量る分は、揃えられます。されど、昔の量りは、それがしにも読み替えられませぬ。あなた様と、同じところで止まっております。
* * *
長雨の晴れ間を選んで、藤丸は村へ下りた。
平六の山には、先に寄った。三組に分けて仕込んだ木は、春と変わらぬ顔で、木陰に並んでいる。平六は「変わりありませんのう」と言い、藤丸も頷いた。帖には、変わらず、とだけ記すことになる。書くほどのこともない一行だが、書かない訳にはいかない一行だった。変わらなかったことは、変わったことと同じだけ、後で効いてくる。
太助の田は、様子が変わっていた。
麦を刈ったあとの二枚の田には、もう水が張られ、植えたばかりの稲が、細い列を作って風に揺れていた。
「右と左、また同じに植えたのですね」
「へえ。麦と同じですわい。苗も、手も、植えた日も、揃えてございます」
太助の口から、揃えて、という言葉が当たり前のように出るのを、藤丸は少し可笑しく聞いた。
畔に立って眺めると、麦のときとは、田の顔つきが違って見えた。水はけの良い右の田は、麦には勝った。だが、いま張られた水は、その右の田では引きが早く、左の田では、いつまでも静かに留まっている。
「太助。稲にとっては、どちらの田が良いのでしょう」
太助は、日に焼けた顔で、少し笑った。
「さて。麦にゃ右が勝ちましたがのう。稲ちゅうもんは、水の好きな作物ですきに。……秋になりゃ、田の方が答えますじゃろ」
藤丸は、その言い方が気に入った。同じ二枚の田が、麦と稲とで、勝ち負けを入れ替えるかもしれない。田に良し悪しがあるのではなく、作る物ごとに、良し悪しの物差しの方が変わるのかもしれない。だがそれも、いまはまだ思いつきに過ぎない。答えるのは、秋の田だ。
* * *
甚兵衛が安芸へ発つ朝は、よく晴れた。
「佐吉への文、頼みます」
「確かに、お預かりいたしました」
甚兵衛は文を油紙に包み、荷ではなく、懐へ納めた。いつの間にか、それがこの文の決まりになっている。
「藤丸様。ときに、ひとつ」
旅支度の紐を締めながら、甚兵衛は、世間話の調子で言った。
「安芸へ参ります道が、少うし歩きにくうなりましてございます」
「歩きにくい、とは」
「道の途中に、山田様の御領分にかかるところがございましてな。そこで、番の者が増えました。前は顔を見りゃ通してくれた道が、この春あたりから、荷を開けて改めるようになりまして。……商人には、ようあることではございますが」
山田。藤丸は、その名を、家中の者の口から幾度か聞いたことがあった。岡豊から東へ、安芸への道の途中に館を構える家。安芸よりずっと手前――隣と言ってよい近さだ。
「なにか、あったのでしょうか」
「さて。わしらに分かりますのは、道のことだけで。……ただ、道と申しますのは、正直なものでございましてな。国と国の仲が良いうちは、道はゆるみます。仲が悪くなり始めますと、道から先に、締まってまいります」
甚兵衛は、それだけ言うと、いつもの柔らかい顔に戻って、頭を下げた。
「では、行ってまいります。お返事、楽しみにお待ちくださいませ」
* * *
その日の夕方、藤丸は帖を開いた。
夏の頁には、先に書いた一行がある。
――夏。聞。一筋。細川の家中、三好の一門に内輪の不和の気配。堺帰りの薬種屋の手代、一人の口。
その下に、新しい一行を書き入れた。
――夏。見(甚兵衛)。一筋。安芸への道すがら、山田領にて番の者増え、荷改め念入りになる。春頃より。
書き終えて、二つの行を並べて眺めた。
どちらも、一筋だった。だが、同じ一筋には見えなかった。三好は、遠い。名ばかり大きくて、湯屋の湯気のように摑みどころがない。山田は、近い。すぐ隣の領の、甚兵衛の足が実際に歩いた、道の話だ。
遠くの大きな名と、近くの小さな名。帖の上では、近くの小さな名の方が、墨が重い気がした。
道から先に、締まってくる――甚兵衛の言葉を、藤丸は行の脇に小さく書き添えた。
この名が、次にどんな筋で帖に載るのか。それとも、載らぬまま消えていくのか。いまはまだ、どちらとも分からなかった。
戦国時代の「道」は、現代の道路とはずいぶん違う場所でした。街道の要所には領主ごとに関や番所が置かれ、通行料を取ったり、荷を改めたりするのが日常の光景です。旅の商人にとって、どこの番が厳しいか・緩いかは、そのまま商売の損得に関わる生きた情報でした。
そして甚兵衛の言う通り、国と国の関係の変化は、しばしば道に最初に表れます。番の者が増える、詮議が念入りになる――それは、その土地の主が「よそから来る者」を警戒し始めた印でもあります。
藤丸の帖に、また一つ、小さな名前が載りました。
お読みいただき、ありがとうございました。




