揃わぬ枡
佐吉の返書、開封の回です。
届いた「もう一枚の紙」には、何が書いてあったのか。
燭が届くのを待つ間が、ひどく長く感じられた。
女中が燭台を置いて下がると、藤丸は文机の上で、佐吉の文を開き直した。炎が揺れるたび、癖のない手蹟が、明るくなったり翳ったりした。
――同じではなかった、とのお答え、それがしには何よりの手本にございました。
文は、その先をこう続けていた。
――白状いたしますと、それがしは、書き方の揃わぬ古い帳を、使えぬものと諦めておりました。三十七年分あっても、使えるのは四年分。残りは、蔵の隅に積んでおくだけのもの。そう思い定めて、疑いませなんだ。
――なれど、あなた様のお答えを読み、考えが変わりました。あなた様は、過去の帖を書き直さず、これから書く分を一つに定められた。それを読んで、ふと思うたのです。過去の帳も、書き直せぬなら、読み替えればよいのではないか、と。
読み替える。藤丸は、その言葉のところで、一度目を止めた。意味を摑みかねているうちに、文は、添えた紙のことに触れた。
――同封の一枚は、その試みの写しにございます。お目汚しながら、ご覧くださいませ。
藤丸は、畳んであったもう一枚を、燭の下で開いた。
紙には、線が一本、縦に引いてあった。線の左には、見慣れない書き方の帳の一行。右には、それを佐吉の書き方に直した一行。それが、上から下まで、幾組も並んでいる。
左の行は、納めた者の名が先に来て、品が後に来る。右の行は、品が先で、名が後。左は日付を月の頭からの日数で数え、右は節句からの日数で数える。一行ずつ、左の書き方を、右の書き方へ移し替えてある。まるで、異国の言葉に通詞を立てるように。
――前の帳場の方お一人分から、始めております。この方の書き癖を読み替える決まりさえ一度作れば、あとはその方の書いた何年分にも、同じ決まりが使えます。四年分しか使えなかった帳が、これで七年分になりました。
藤丸は、紙から目を上げられなかった。
自分は、これから書く分を揃えることしか、考えていなかった。過去の分は、書き直さないと決めた――それは裏を返せば、過去の分は諦めた、ということでもあった。だが佐吉は、諦めなかった。書き直さずに、読み替えた。積んであるだけだった紙の山が、決まりひとつで、また帳に戻っていく。
(同じ悩みに、手が二つあったのか)
これから書く分を揃える手と、過去の分を読み替える手と。
だが、文はそこで終わっていなかった。佐吉の筆は、続きで初めて、わずかに重くなった。
――ただし、読み替えられぬものが、一つだけ残りました。量にございます。
――前の帳場の方は、米を俵で記しておられます。それがしは枡で記します。俵を枡に読み替えるには、一俵が何枡かが分からねばなりませぬ。なれど、昔の一俵が、今の一俵と同じ嵩であったのか、それを確かめる術が、それがしにはございませぬ。名の順は読み替えられました。日の数え方も読み替えられました。量だけが、読み替えられずにおります。
そして、末尾に、問いがあった。
――つきましては、お尋ね申し上げます。あなた様の帖では、量をどのように記しておられますか。あなた様のまわりでは、枡や俵は、揃っているものにございますか。
藤丸は、文を持ったまま、しばらく動かなかった。
ただし今度は、痛いところを突かれて動けないのでは、なかった。
目の裏に、数日前の光景が、はっきりと浮かんでいた。莚の上の、二つの麦の山。角の擦り減った、太助の古い木の枡。枡を一つに決め、量る者を一人に決め、摺り切りの手まで揃えた、あの量り比べの日。台所で女中が言った、家ごとに枡は違うという、こともなげな一言。
(今度は――答えられる)
問われてから調べるのではない。すでに、この目で見たことの中に、答えがあった。文の往復を重ねて、初めてのことだった。
* * *
翌朝、藤丸はまず、文吉の店へ下りた。佐吉への返事に使う紙を、見繕うためだった。
店先では、文吉が客を送り出したところだった。旅装の男の背中が、通りの先へ遠ざかっていく。
「藤丸さま。ようこそ」
「今の客は」
「堺帰りの、薬種屋の手代でございますよ。紙より、口の方がよう動く男でして」
文吉は、苦笑いをしながら、店の奥へ藤丸を招じ入れた。紙を選ぶ合間の世間話のついでのように、声を少しだけ低くした。
「その口が、言うておりました。……細川様の御内で、三好のご一門が、内輪で仲違いをしておいでだとか。誰と誰が、というところまでは、あの男も知らぬ様子でございましたが」
「三好」
「畿内の、大きなお家にございます。まあ、大名衆の内輪の話など、堺の湯屋では毎日のように湧いては消えるものでございますが」
文吉自身、さして重くは扱っていない口ぶりだった。藤丸も、その名にまだ、確かな像を持っていない。ただ、頭の中の帖が、ひとりでに開いた。
(夏。聞。一筋。細川の家中、三好の一門に内輪の不和の気配。堺帰りの薬種屋の手代、一人の口)
一筋。それも、湯屋の噂の筋だ。重さで言えば、羽根のようなものだった。だが、書かずに捨てる理由もない。畿内で大きな家が揉めれば、道が乱れ、荷が乱れ、紙の売り先も乱れる――それだけは、この一年で覚えたことだった。
「文吉。その手の話、また耳に入ったら、聞かせてください」
「へえ。湧いて消えるだけの話でよろしければ、いくらでも」
屋敷へ戻る道すがら、藤丸は、選んだ紙の包みを抱え直した。
紙は、これでいい。あとは、書く中身だった。枡は揃っておりませぬ、とだけ書けば、答えにはなる。だが、なぜ揃っていないのか。それを、自分はまだ知らなかった。
* * *
昼、藤丸は文と表を携えて、父・昌源の間へ行った。
昌源は、文をゆっくり読み、それから表の一枚を、長いこと眺めていた。
「……読み替え、か」
「はい。書き直さずに、読み替える。四年分が、七年分になったそうです」
「帳場を任されて四年の者が、任される前の帳まで使おうとしておる。言われた仕事の、外の仕事よ。誰に頼まれたわけでもあるまいに」
昌源は、表を畳んで返した。褒め言葉らしい言葉は、それだけだった。だが、それで足りた。
「父上。ひとつ、伺いたいことがございます」
「申せ」
「佐吉の問いは、枡や俵は揃っているものか、というものでした。わたしは、揃っていないことを知っています。屋敷の枡と蔵方の枡が違い、村の枡がまた違うことも、この目で見ました。ですが――なぜ、揃っていないのでしょう。名の書き順や日の数え方なら、人それぞれの癖で済みます。けれど枡は、物です。誰かが作って、誰かが配れば、揃えられるはずのものです」
昌源は、すぐには答えなかった。文机の上で手を組み、藤丸の顔を、しばらく見ていた。
「――揃わぬのではない。揃えぬのだ」
「揃えぬ……」
「考えてみよ。年貢を受け取る側は、大きい枡で受ければ、それだけ多く入る。銭や米を貸す側は、貸すときは小さい枡で量り、返させるときは大きい枡で量れば、座っていても増える。枡が揃わぬままであることで、得をしている者が、そこかしこにおるのよ」
藤丸は、息を呑んだ。
(揃っていないから、まだ直せていないのだと思っていた。違う。誰かが、直させずにいる)
揃っていないのは、怠りだと思っていた。誰も気に留めないから、ばらばらのままなのだと。だが、逆だった。気に留めている者ほど、揃わないことに利を見出している。
「では……揃えようとすれば」
「損をする者が、いっせいに嫌がる。名の書き順を揃えるのは、筆一本あればできる。じゃが、国じゅうの枡を揃えるとなれば、嫌がる者を黙らせるだけの力が要る。……藤丸。太助の量り比べで、枡を一つに決められたのは、なぜだと思う」
藤丸は、考えた。あの日の畔を思い返した。太助が古い枡を掲げ、村の衆がそれを見ていた。誰も、異を唱えなかった。異を唱える者がいなかったのではない。異を唱える理由が、誰にもなかったのだ。
「……あれは、太助の村の、太助の麦だったからです。損をする者が、いなかった」
「うむ。二枚の田なら、枡ひとつで済む。村と村なら、もう揉める。国と国なら――」
昌源は、そこで言葉を切った。先は言わなかった。言わないことで、その先の大きさだけが、藤丸の中に残った。
* * *
父の間を辞して、藤丸は廊下を歩いた。
返事に書くことは、もう決まっていた。枡は、揃っておりませぬ、と。家ごと、村ごと、蔵ごとに違います、と。そして、揃わぬのは怠りではなく、揃わぬことで得をする者がいるからだと父に教わったことも、書こうと思った。佐吉の「読み替えられぬ量」の謎に、自分の見てきたものが、そのまま答えになる。
曲がり角まで来たところで、台所の方から、米を量る音がした。
藤丸は、足を止めて、その音を聞いた。
枡が米に沈み、棒が縁を掠める。今日も誰かが、今日の枡で量っている。その枡が屋敷の外のどの枡とも違うことを、量っている当人は、たぶん一度も考えたことがない。
国じゅうの枡は、揃っていない。揃えるには、嫌がる者を黙らせる力が要る。それは、いつのことになるか、誰がやることになるかも分からない、遠い遠い話だ。
だが、太助の古い枡は、角が擦り減ったあの木の枡ひとつは、確かに二枚の田の答えを出した。
揃わぬ国の隅で、揃えた枡が、ひとつだけ働いた。
まずは、そこからでいいのだと思った。
お読みいただき、ありがとうございます。
今回の「枡が揃っていない」という話は、史実そのままです。
戦国時代、枡の大きさは領主ごと、寺社ごと、商人ごと、それどころか家ごとにばらばらでした。作中で昌源が語った「貸すときは小さい枡、返させるときは大きい枡」という手口も実在したもので、枡の不統一は単なる不便ではなく、一部の人にとっては立派な「稼ぎの仕組み」だったわけです。
だからこそ、枡の統一は筆一本では済みませんでした。全国の枡が「京枡」にほぼ一本化されるのは、ずっと後の太閤検地の頃。度量衡を揃えるというのは、それだけの力を持った者にしかできない大事業だった、ということになります。
もうひとつ。文吉の店に流れてきた「三好のご一門の内輪揉め」の噂は、こちらも史実の入り口です。この年(天文17年/1548年)、畿内で何が動き始めていたのかは、いずれ噂の続きと一緒に。
次回もお付き合いいただければ幸いです。




