↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

PR
66/143

揃わぬ枡

佐吉の返書、開封の回です。

届いた「もう一枚の紙」には、何が書いてあったのか。

 しょくが届くのを待つ間が、ひどく長く感じられた。


 女中が燭台を置いて下がると、藤丸ふじまる文机ふづくえの上で、佐吉さきちの文を開き直した。炎が揺れるたび、癖のない手蹟が、明るくなったりかげったりした。


 ――同じではなかった、とのお答え、それがしには何よりの手本にございました。


 文は、その先をこう続けていた。


 ――白状いたしますと、それがしは、書き方の揃わぬ古い帳を、使えぬものと諦めておりました。三十七年分あっても、使えるのは四年分。残りは、蔵の隅に積んでおくだけのもの。そう思い定めて、疑いませなんだ。


 ――なれど、あなた様のお答えを読み、考えが変わりました。あなた様は、過去の帖を書き直さず、これから書く分を一つに定められた。それを読んで、ふと思うたのです。過去の帳も、書き直せぬなら、読み替えればよいのではないか、と。


 読み替える。藤丸は、その言葉のところで、一度目を止めた。意味をつかみかねているうちに、文は、添えた紙のことに触れた。


 ――同封の一枚は、その試みの写しにございます。お目汚しながら、ご覧くださいませ。


 藤丸は、畳んであったもう一枚を、燭の下で開いた。


 紙には、線が一本、縦に引いてあった。線の左には、見慣れない書き方の帳の一行。右には、それを佐吉の書き方に直した一行。それが、上から下まで、幾組も並んでいる。


 左の行は、納めた者の名が先に来て、品が後に来る。右の行は、品が先で、名が後。左は日付を月の頭からの日数で数え、右は節句からの日数で数える。一行ずつ、左の書き方を、右の書き方へ移し替えてある。まるで、異国の言葉に通詞つうじを立てるように。


 ――前の帳場の方お一人分から、始めております。この方の書き癖を読み替える決まりさえ一度作れば、あとはその方の書いた何年分にも、同じ決まりが使えます。四年分しか使えなかった帳が、これで七年分になりました。


 藤丸は、紙から目を上げられなかった。


 自分は、これから書く分を揃えることしか、考えていなかった。過去の分は、書き直さないと決めた――それは裏を返せば、過去の分は諦めた、ということでもあった。だが佐吉は、諦めなかった。書き直さずに、読み替えた。積んであるだけだった紙の山が、決まりひとつで、また帳に戻っていく。


(同じ悩みに、手が二つあったのか)


 これから書く分を揃える手と、過去の分を読み替える手と。


 だが、文はそこで終わっていなかった。佐吉の筆は、続きで初めて、わずかに重くなった。


 ――ただし、読み替えられぬものが、一つだけ残りました。量にございます。


 ――前の帳場の方は、米をたわらで記しておられます。それがしはますで記します。俵を枡に読み替えるには、一俵が何枡かが分からねばなりませぬ。なれど、昔の一俵が、今の一俵と同じかさであったのか、それを確かめるすべが、それがしにはございませぬ。名の順は読み替えられました。日の数え方も読み替えられました。量だけが、読み替えられずにおります。


 そして、末尾に、問いがあった。


 ――つきましては、お尋ね申し上げます。あなた様の帖では、量をどのように記しておられますか。あなた様のまわりでは、枡や俵は、揃っているものにございますか。


 藤丸は、文を持ったまま、しばらく動かなかった。


 ただし今度は、痛いところを突かれて動けないのでは、なかった。


 目の裏に、数日前の光景が、はっきりと浮かんでいた。むしろの上の、二つの麦の山。角の擦り減った、太助たすけの古い木の枡。枡を一つに決め、量る者を一人に決め、り切りの手まで揃えた、あの量り比べの日。台所で女中が言った、家ごとに枡は違うという、こともなげな一言。


(今度は――答えられる)


 問われてから調べるのではない。すでに、この目で見たことの中に、答えがあった。文の往復を重ねて、初めてのことだった。


*  *  *


 翌朝、藤丸はまず、文吉ぶんきちの店へ下りた。佐吉への返事に使う紙を、見繕うためだった。


 店先では、文吉が客を送り出したところだった。旅装の男の背中が、通りの先へ遠ざかっていく。


「藤丸さま。ようこそ」


「今の客は」


「堺帰りの、薬種屋の手代でございますよ。紙より、口の方がよう動く男でして」


 文吉は、苦笑いをしながら、店の奥へ藤丸を招じ入れた。紙を選ぶ合間の世間話のついでのように、声を少しだけ低くした。


「その口が、言うておりました。……細川様の御内みうちで、三好のご一門が、内輪で仲違いをしておいでだとか。誰と誰が、というところまでは、あの男も知らぬ様子でございましたが」


「三好」


「畿内の、大きなお家にございます。まあ、大名衆の内輪の話など、堺の湯屋では毎日のように湧いては消えるものでございますが」


 文吉自身、さして重くは扱っていない口ぶりだった。藤丸も、その名にまだ、確かな像を持っていない。ただ、頭の中の帖が、ひとりでに開いた。


(夏。聞。一筋。細川の家中、三好の一門に内輪の不和の気配。堺帰りの薬種屋の手代、一人の口)


 一筋。それも、湯屋の噂の筋だ。重さで言えば、羽根のようなものだった。だが、書かずに捨てる理由もない。畿内で大きな家が揉めれば、道が乱れ、荷が乱れ、紙の売り先も乱れる――それだけは、この一年で覚えたことだった。


「文吉。その手の話、また耳に入ったら、聞かせてください」


「へえ。湧いて消えるだけの話でよろしければ、いくらでも」


 屋敷へ戻る道すがら、藤丸は、選んだ紙の包みを抱え直した。


 紙は、これでいい。あとは、書く中身だった。枡は揃っておりませぬ、とだけ書けば、答えにはなる。だが、なぜ揃っていないのか。それを、自分はまだ知らなかった。


*  *  *


 昼、藤丸は文と表を携えて、父・昌源しょうげんの間へ行った。


 昌源は、文をゆっくり読み、それから表の一枚を、長いこと眺めていた。


「……読み替え、か」


「はい。書き直さずに、読み替える。四年分が、七年分になったそうです」


「帳場を任されて四年の者が、任される前の帳まで使おうとしておる。言われた仕事の、外の仕事よ。誰に頼まれたわけでもあるまいに」


 昌源は、表を畳んで返した。褒め言葉らしい言葉は、それだけだった。だが、それで足りた。


「父上。ひとつ、伺いたいことがございます」


「申せ」


「佐吉の問いは、枡や俵は揃っているものか、というものでした。わたしは、揃っていないことを知っています。屋敷の枡と蔵方の枡が違い、村の枡がまた違うことも、この目で見ました。ですが――なぜ、揃っていないのでしょう。名の書き順や日の数え方なら、人それぞれの癖で済みます。けれど枡は、物です。誰かが作って、誰かが配れば、揃えられるはずのものです」


 昌源は、すぐには答えなかった。文机の上で手を組み、藤丸の顔を、しばらく見ていた。


「――揃わぬのではない。揃えぬのだ」


「揃えぬ……」


「考えてみよ。年貢を受け取る側は、大きい枡で受ければ、それだけ多く入る。銭や米を貸す側は、貸すときは小さい枡で量り、返させるときは大きい枡で量れば、座っていても増える。枡が揃わぬままであることで、得をしている者が、そこかしこにおるのよ」


 藤丸は、息を呑んだ。


(揃っていないから、まだ直せていないのだと思っていた。違う。誰かが、直させずにいる)


 揃っていないのは、怠りだと思っていた。誰も気に留めないから、ばらばらのままなのだと。だが、逆だった。気に留めている者ほど、揃わないことに利を見出している。


「では……揃えようとすれば」


「損をする者が、いっせいに嫌がる。名の書き順を揃えるのは、筆一本あればできる。じゃが、国じゅうの枡を揃えるとなれば、嫌がる者を黙らせるだけの力が要る。……藤丸。太助の量り比べで、枡を一つに決められたのは、なぜだと思う」


 藤丸は、考えた。あの日のあぜを思い返した。太助が古い枡を掲げ、村の衆がそれを見ていた。誰も、異を唱えなかった。異を唱える者がいなかったのではない。異を唱える理由が、誰にもなかったのだ。


「……あれは、太助の村の、太助の麦だったからです。損をする者が、いなかった」


「うむ。二枚の田なら、枡ひとつで済む。村と村なら、もう揉める。国と国なら――」


 昌源は、そこで言葉を切った。先は言わなかった。言わないことで、その先の大きさだけが、藤丸の中に残った。


*  *  *


 父の間を辞して、藤丸は廊下を歩いた。


 返事に書くことは、もう決まっていた。枡は、揃っておりませぬ、と。家ごと、村ごと、蔵ごとに違います、と。そして、揃わぬのは怠りではなく、揃わぬことで得をする者がいるからだと父に教わったことも、書こうと思った。佐吉の「読み替えられぬ量」の謎に、自分の見てきたものが、そのまま答えになる。


 曲がり角まで来たところで、台所の方から、米を量る音がした。


 藤丸は、足を止めて、その音を聞いた。


 枡が米に沈み、棒が縁をかすめる。今日も誰かが、今日の枡で量っている。その枡が屋敷の外のどの枡とも違うことを、量っている当人は、たぶん一度も考えたことがない。


 国じゅうの枡は、揃っていない。揃えるには、嫌がる者を黙らせる力が要る。それは、いつのことになるか、誰がやることになるかも分からない、遠い遠い話だ。


 だが、太助の古い枡は、角が擦り減ったあの木の枡ひとつは、確かに二枚の田の答えを出した。


 揃わぬ国の隅で、揃えた枡が、ひとつだけ働いた。


 まずは、そこからでいいのだと思った。


お読みいただき、ありがとうございます。


今回の「枡が揃っていない」という話は、史実そのままです。

戦国時代、枡の大きさは領主ごと、寺社ごと、商人ごと、それどころか家ごとにばらばらでした。作中で昌源が語った「貸すときは小さい枡、返させるときは大きい枡」という手口も実在したもので、枡の不統一は単なる不便ではなく、一部の人にとっては立派な「稼ぎの仕組み」だったわけです。


だからこそ、枡の統一は筆一本では済みませんでした。全国の枡が「京枡」にほぼ一本化されるのは、ずっと後の太閤検地の頃。度量衡を揃えるというのは、それだけの力を持った者にしかできない大事業だった、ということになります。


もうひとつ。文吉の店に流れてきた「三好のご一門の内輪揉め」の噂は、こちらも史実の入り口です。この年(天文17年/1548年)、畿内で何が動き始めていたのかは、いずれ噂の続きと一緒に。


次回もお付き合いいただければ幸いです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。