二つの答え
秋にまいた二枚の田の麦が、ようやく刈り時を迎えます。
前回、藤丸は「揃えるものは田だけではない」と気づきました。今回は、その続きです。答えが出る日というのは、たいてい、揃えきれなかったものが顔を出す日でもあります。
同じ日の夕方、安芸からの返事も届きます。
二枚の田の麦が刈り時を迎えた、と太助から知らせが届いたのは、春の名残の風が、すっかり生ぬるくなった頃だった。
畔の上に立つと、秋から見続けてきた二枚の田は、見違えるほど変わっていた。青かった葉は淡い金色に干上がり、穂は重たげに頭を垂れて、風が渡るたび、さらさらと乾いた音を立てている。春にはわずかだった二枚の差は、いまは誰の目にもはっきりしていた。右の田の麦は丈が高く、穂の並びも厚い。左の田は、それより一回り、痩せて見えた。
「よう実ってくれました」
太助は、畔にしゃがんで穂を一本手に取り、指の腹でそっと撫でた。
「今日、右を刈ります。明日、左を。本当は同じ日に刈ってしまいたいのですが、人手が足りませんでな」
「一日ずれて、構わないのですか」
「一日くらいなら、麦は大きく変わりますまい。それより、刈る者と束ねる者を、二枚とも同じ顔ぶれで回すことのほうが大事ですわい。刈り方が違えば、束の嵩も違うてきますでな」
変えるのは田だけ。あとは、刈り方まで揃える。種まきから麦踏み、そしてこの刈り入れまで、太助はその筋を一度も崩していなかった。
ただ、一日だけは、揃わなかった。人手が足りないのは太助の落ち度ではない。誰の落ち度でもない。それでも、揃わなかったことに変わりはなかった。
やがて、鎌の音が田に満ちた。
若い衆が横に並び、根元から刈っては、後ろへ置いていく。女たちがそれを拾い、藁で括って束にする。束は畔際に、行儀よく積み上げられていった。
夕方までに、右の田は刈り終わった。積み上がった束を前に、あの若者——春に「刈るまでもねえ」と言った男が、一束を持ち上げて、うれしそうに声を上げた。
「ずしりと重い。太助さん、こりゃもう、持てば分かる。右の勝ちじゃ」
「たわけ」
太助の返事は、春とまったく同じだった。
「嵩と中身は、別のものよ。丈の高い麦は、藁も長い。藁が長けりゃ、束は重うなる。お前さんがいま持っとる重さの、どれだけが実で、どれだけが藁か、言えるか」
若者は、束を持ったまま、口をつぐんだ。
(束の重さは、麦の重さではない。麦と、藁を足した重さだ)
「……言えません」
「じゃろう。答えは、実を落として、枡で量ってからじゃ。それまでは、干して待つ」
翌日、左の田も同じ顔ぶれで刈り終わった。二枚の田の束は、混ざらないように分けて、それぞれ稲木に掛けられた。金色の壁が二つ、畔を挟んで並んで立った。
藤丸は、その二つの壁を見比べた。右の壁は、昨日から風に当たっている。左の壁は、今日から。量る日が同じなら、右のほうが一日ぶん、多く干されることになる。
尋ねると、太助は首を振った。
「どちらも、干し上がるまで干します。干し上がってしまえば、その先は一日や二日で変わりゃしません」
なるほど、と思った。だが、変わらないと聞いたことと、はじめから揃っていたこととは、同じではない。
(変わらぬと聞いた、と書いておこう)
秋に種をまいてから、麦踏み、春の伸び、そして刈り入れまで、八月あまり。あれほど長く待った答えが、あと数日で、枡の中に出る。
揃えたつもりでいた。それでも、刈る日は一日ずれ、干す日も一日ずれた。揃えられなかったものは、揃ったことにせず、書いておくよりほかにない。書いておけば、後で読む者が、その一日を差し引いて読める。
では、ほかに、書き落としているものはないか。
風に鳴る二つの壁を見上げながら、藤丸は、麦が干し上がるまでにそれを突き止めておこう、と決めた。
麦が干し上がるまでの数日、藤丸は、書き落としを探し続けていた。
答えは、屋敷の台所で見つかった。
女中が米を量るのを、何とはなしに眺めていた時だ。使っている枡が、太助の村で見たものより、一回り小さいように見えた。尋ねると、女中はこともなげに答えた。
「枡は、家ごとに違いますよ。うちの枡と、蔵方の枡も、少し違います。村の枡は、また村の枡で」
枡が、違う。
藤丸は、その場に立ち尽くした。同じ「一枡」でも、枡そのものが違えば、中身は違う。右の田と左の田を別々の枡で量れば、出てきた数がいくら違っても、それが麦の差なのか、枡の差なのか、分けられなくなる。
(佐吉と、同じだ)
寺の帳は三十七年分残っているのに、代替わりで書き方が違うから、比べられるのは四年分だけ——あの文の言葉が、枡の姿をして、目の前に現れていた。残っていても、揃っていなければ、比べられない。
* * *
量り比べの日、藤丸は太助に、真っ先にそれを告げた。太助は、日に焼けた顔をくしゃりと崩した。
「ようお気づきで。へえ、量りは二枚とも、この枡ひとつでやります。わしの家の、この枡で」
太助が掲げたのは、角の擦り減った、古い木の枡だった。
言おうとしていた言葉が、行き場をなくした。数日かけて突き止めたことを、この人は、初めから決めていた。
「量る者も、一人に決めます。枡のすり切り方も、人によって癖がありますでな。山盛りにすくって、棒でこう、すっと均す。その棒の当て方ひとつで、一枡の嵩が変わる」
枡を揃え、量る者を揃え、均し方を揃える。変えないのは、田だけ。ここでも、筋は一本だった。
藤丸は、その古い枡を、もう一度見た。
「太助。その枡は、どこの枡ですか」
「へえ、親父の代からの、わしの家の枡です。村の寄り合いで使う枡は、また別にありますわい」
「屋敷の枡とは、違いますか」
「そりゃ、違いましょう」
太助は、当たり前のことを訊かれた顔をした。
「よその枡で量れば、また違う数が出ます。じゃが、わしらには、よそと比べる用がありませんでな。この田とこの田を比べるだけなら、うちの枡ひとつで足ります」
足ります、という言葉が、耳に残った。
太助は正しい。二枚の田を比べるだけなら、枡は一つで足りる。どこの枡でも構わない。同じ枡でありさえすればいい。
だが、これから出てくる数は、この畔の上だけのものではなかった。自分は帖に書く。父に話すこともあるだろう。安芸の佐吉に書き送ることさえ、あるかもしれない。その時、二十枡だ三十枡だと数だけを渡せば、受け取った者は、自分の知っている枡でその数を思い浮かべる。麦は同じでも、頭の中の嵩が違う。
(数だけでは、歩けない)
揃っていれば比べられる。だが、比べた答えをよそへ渡すには、揃っているだけでは足りなかった。どの枡で量ったのかを、数と一緒に書き添えておかねばならない。数は、いつも枡と一緒に旅をする。
* * *
殻竿で叩き落とされ、殻を除かれた麦の実が、莚の上に二つの山になった。右の田の山と、左の田の山。太助が枡を沈め、棒で均し、傍らの俵へあける。そのたびに、若い衆が声を揃えて数を数えた。
右の田、二十と七枡。
左の田、二十と二枡。
「——五枡の差、ですか」
誰かが言った。畔に集まった村の衆が、二つの俵を見比べて、ざわめいた。五枡。ひと冬の粥にして、幾日分になるか、それぞれが指を折っている。あの若者が、今度は声を張り上げなかった。ただ、太助の顔をうかがった。
「太助さん。これで……答えが、出たんですかい」
「半分、出た」
太助は、枡の縁の麦の粉を、指で払いながら言った。
「今年の答えは出た。右の田が、五枡多い。これは動かん。じゃが、今年はたまたま、雨の少ない年じゃった。水はけの良い右の田に、都合の良い年じゃったのかもしれん。雨の多い年なら、あべこべになるかもしれん。……それを確かめるのが、来年よ」
一年目の答えは、二年分のうちの、一つ。いつかの夏の畔で聞いた言葉のとおりに、太助は今年の答えを、帳の一行にした。藤丸も、帖を開いて筆を執った。
揃えたもの。揃えられなかったもの。そして、どの枡で量ったか。
——夏。見。右の田二十七枡、左の田二十二枡。太助の家の枡、量り手は太助ひとり。刈り日は右が一日早し。干しは二枚とも干し上がるまで、その先は変わらぬと太助言う。今年は雨少なし。
書き終えて、藤丸は、その一行の長さに少し驚いた。数そのものは、二十七と二十二の二つきりだ。残りはすべて、その数がどこから出てきたかの断り書きだった。
* * *
その日の夕方、屋敷に戻ると、門の内に見慣れた振り分け荷が下ろされていた。
「藤丸さま。ただいま戻りました」
甚兵衛は、旅の埃も払わぬうちに、懐から油紙の包みを取り出した。
「安芸の、佐吉どのからで」
受け取った包みは、思いのほか厚かった。藤丸は礼を言い、部屋へ急ぎたい足を抑えて、甚兵衛の旅の労をねぎらってから、文机へ向かった。
油紙を開くと、見覚えのある、癖のない手蹟が並んでいた。厚かったわけが、すぐに分かった。文のほかに、もう一枚、別の紙が畳んで添えられている。
文の一行目は、こう始まっていた。
——同じではなかった、とのお答え、それがしには何よりの手本にございました。
手本。自分の、揃っていなかった帖が、手本。どういう意味か、すぐには分からなかった。藤丸は添えられたもう一枚を開きかけ、手を止めた。日はもう暮れかけている。急いで読める厚さではなかった。
燭を持ってくるよう、廊下の向こうへ声をかけて、藤丸は文机の前に座り直した。
今日は、答えが二つ届いた日だった。ひとつは枡の中に。もうひとつは、この油紙の中に。枡の答えは、断り書きまで含めて、もう帖に書いた。こちらの答えは、これから読む。
藤丸は、文の一行目に、もう一度目を落とした。
枡についての豆知識を少し。
この時代、枡の大きさは全国で揃っていませんでした。家ごと、村ごと、荘園ごとに違う枡が使われており、同じ「一升」「一斗」と言っても、量そのものは場所によって変わったと考えられています。全国的な統一が進むのは、豊臣秀吉の太閤検地で京枡が基準とされて以降のことです。
ですから、この時代の帳面に「米二十枡」と書いてあっても、それがどれくらいの量なのかは、どこの枡で量ったのかが分からないと決められません。逆に言えば、当時の人々は「よそと比べる必要がないなら、それで困らない」世界に生きていたわけです。太助が言うとおり、村の中で足りる分には、本当に足りるのです。
麦の脱穀には、殻竿という道具が使われました。棒の先に短い棒を紐で取り付けたもので、振り回して麦を叩き、実を落とします。地域によって、くるり棒、連枷などとも呼ばれました。稲を扱く道具である千歯扱きが広まるのは江戸時代のことで、この頃はまだありません。
なお、刈った麦をどう干したかは地域差が大きく、束にして地面に立てる形、稲架に掛ける形などがあったようです。本作では稲木に掛ける形を採りました。




