次郎兵衛の春
お読みいただきありがとうございます。
贈り物の返礼で紙の枚数をぴたりと言い当てた佐吉。今回、藤丸は物ではなく「問い」を贈ることにしました。返ってきたのは、答えと、そして初めての問い返し。文だけの付き合いが、少しずつ形を変えていきます。
次回もお楽しみに。
佐吉への返事は、三度書き直して、ようやく形になった。
――お尋ねの儀、正直に申し上げます。同じでは、ありませんでした。
書き始めの頃は、見聞きしたことを、ただ書き連ねておりました。途中から「聞」と「見」を分けることを思いつき、のちに、出所が二つ重なった話に印を添える工夫を足しました。良くなったと思うたびに、書き方が変わっておりました。それゆえ、年の初めからは、書き方を一つに定めて、これより先の分を揃えることにいたしました。定めるにあたり、あなた様の文が、何よりの手引きにございました。
読み返して、藤丸は筆を置いた。飾りはない。だが、嘘もない。この文は、甚兵衛が次に安芸へ発つ日に、託すことになっている。
その甚兵衛が、思ったより早く屋敷に現れた。ただし、安芸へ発つためではなかった。
「藤丸様。次郎兵衛殿が、参られましてございます」
春に来る。あの海の男の言葉は、梅が終わり、桜の便りが聞こえ始めた頃に、果たされた。
* * *
父・昌源の許しは、いつもの通りだった。短くせよ。甚兵衛を傍につけよ。海の向こうの話は、漏らさず聞いてまいれ。
裏門の近くに、次郎兵衛はいつものように立っていた。日に焼けた顔は変わらない。ただ、秋に見たときより、荷が軽い。売り買いの荷ではなく、話をしに来た足なのだと、それだけで分かった。
「藤丸様。息災か」
「はい。次郎兵衛殿も」
「海の男は、春がいちばん忙しい。忙しいのは、息災の証よ」
海の男は框に腰を下ろすと、すぐに本題へ入った。
「今年の荷の、約束をしに来た。秋のはじめに一度、冬にかけて二度。量は去年と同じ。値も同じ。――それでよいか」
「はい。お約束できます」
「例の工夫は」
来ると分かっていた問いだった。藤丸は、まっすぐに答えた。
「この冬に、仕込みを終えました。答えが出るのは、来年の秋です」
「ほう。仕込みは、終わったか」
「はい。ですが、当たるかどうかは、まだ分かりません。ですから今年も、お約束できるのは、いつもの量だけです」
「相変わらず、盛らんの」
次郎兵衛は低く笑って、それ以上は問わなかった。何を仕込んだのかも、訊かなかった。訊いても言わぬと、もう知っている顔だった。
「よし。商いの話は、これで仕舞いだ」
海の男は、帯に挟んだ細縄を抜いて、手の中で結んでは解いた。それが、土産話の始まる合図であることを、藤丸はもう知っていた。
* * *
「まず、唐船の続きよ」
次郎兵衛は、縄を結んでは解きながら言った。
「秋に話したな。明の湊の外に、留め置かれたままだと」
「はい。覚えています」
「その船、留め置かれたまま、年を越したそうだ。談判が続いておるらしい、というところまでが、冬に堺の船仲間から流れてきた話でな。……先に言うておくが、これは前と同じ筋よ。船乗りから船乗りへ、海の上を渡ってきた話だ。新しい口から出た話ではない」
「同じ筋の、続き」
「そうだ。だから、重くはならん。長くなっただけよ」
藤丸は、頭の中で帖の頁をめくった。唐船の行には「二筋」と書いてある。文吉の筋と、次郎兵衛の筋。今日の話は、そのうちの片方が、先へ伸びた分だ。
では、あの行は、少しは重くなったのだろうか。
なったような気もするし、なっていないような気もした。うまく言葉にならないまま、藤丸はその引っかかりを、そのまま抱えた。
「それから――例の、石よ」
海の男の声が、わずかに低くなった。
「石、と申しますと」
「名を言わぬ石の荷だ。運び手を探す者がおる、と秋に話したろう。あれがな、まだ探しておる」
「まだ、見つからないのですか」
「見つからんのではない。荷が、増えておるのよ。この春、わしの知る船持ちのところにも、話が来た。南の海から、堺の方へ運びたい荷だという。値は、良いそうだ。相場より、だいぶ良い」
(品が良いから、高いのではない。運びたがる者が少ないから、高いのだ)
「南から、堺へ」
「うむ。それでな、その船持ちが、一つだけ聞き出した。荷主は、何の石かは言わなんだが、扱いだけは、くどいほど言うたそうだ。――濡らすな、と。海の水はむろん、雨も、夜露もいかん。濡れたら、荷まるごと駄目になる石だと」
藤丸は、眉を寄せた。
(濡れたら駄目になる、石)
石は、濡れても石だ。塩なら溶けるが、塩ではないと、秋に聞いた。頭の中で、いくつかのものが浮かんでは消えた。だが、どれも当てはまらない。名を隠してまで、高い値で、南から堺へ。
堺、というところで、何かが小さく動いた。
堺には、火を吹く筒がある。それに使う火薬とやらがあり、値が張るのだと、行商人が言っていた。聞いただけの話で、自分の目で見たものは一つもない。だが、火に使うものならば――濡れて困るのは、道理ではないか。
そこまで考えて、藤丸は口を閉じた。
(噂から出た当て推量だ。本行には、書けない)
では、どこに書けばよいのか。それは、まだ決めていなかった。
まして、人には言わない。
「次郎兵衛殿は、その荷を」
「運ばん」
答えは、短かった。
「前にも言うたな。わしは、名を言わぬ荷は運ばん。名の分からぬ荷は、いざという時、海に捨てる決めがつかんのでな。……ただ、値の良い話には、人が集まる。名を問わずに運ぶ船も、そのうち出るだろうよ」
海の男は、縄を帯に戻して、腰を上げた。
「土産話は、これで仕舞いだ。――藤丸様。秋に、荷を取りに来る」
「はい。お待ちしています」
裏門を出ていく広い背を、藤丸は見送った。傍らで甚兵衛が、頭を下げたまま言った。
「藤丸様。手前も、五日のうちに安芸へ発ちます。お文は、その折に」
「頼む。……良い返事を書けたと、思っている」
* * *
父の間で、藤丸は聞いたままを報告した。唐船が年を越したこと。それが同じ筋の続きであること。石の荷が増えていること。値が良いこと。濡らしてはならないこと。
火に使うものではないか、とは言わなかった。それは聞いた話ではなく、自分が勝手に思ったことだ。父は、聞いてまいれと言ったのであって、思ってまいれとは言っていない。
昌源は、黙って聞き終えてから、言った。
「石の話は、二度目だな」
「はい。ですが、二筋ではありません。どちらも、次郎兵衛殿から聞いた話です」
「うむ」
昌源は、手元の書き付けに目を落としたまま、続けた。
「同じ口からの二度目は、二筋とは言わぬ。二筋というのは、道が二本あるということよ。同じ道を二度通ったところで、道は一本のままじゃ」
藤丸は、息を止めた。
裏門で抱えたまま、言葉にならなかったものが、そこで形になった。唐船の話も同じだ。長くはなった。詳しくもなった。だが、道は一本のままだった。
(増えたのは、話の長さだ。確かさではない)
書き足せば帖は厚くなる。厚くなった帖を見れば、たくさん知っているような気になる。だが、厚さと確かさは、まるで別の物差しで測られている。
「……よく、分かりました」
「何がじゃ」
「たくさん書けたことを、たくさん分かったことだと、思うところでした」
昌源は、書き付けから顔を上げなかった。ただ、筆が一度、止まった。
「名は分からぬままでよい。分からぬままに、書き足しておけ」
「名が分かるのは、いつになるのでしょう」
「さてな」
昌源は、また筆を動かし始めた。
「名を隠す荷には、隠すだけの訳がある。訳のある荷は、いつか必ず、どこかで揉め事を起こす。揉め事になれば、名は表に出る。――急ぐな。石は、逃げぬ」
* * *
昼下がりの自室で、藤丸は帖を開いた。
年の初めに定めた、新しい書き方。はじめに時季、次に聞か見か、次に筋の数、それから事柄。順番を決めてしまえば、筆は迷わなかった。
(前の世でも、書き方を揃えるのは自分の役だった。何を揃えたのかは思い出せない。揃っているあいだは、誰も見に来ぬ、ということだけが、手に残っている)
――春。聞。一筋。唐船、明にて年を越すと。前の話の続きにて、筋は増えず。
――春。聞。一筋。名を言わぬ石の荷、南より堺へ。値良し。濡れを嫌うと。
筆を止めた。
書きたいことが、もう一つある。堺。火を吹く筒。値の張る薬。濡れて困るもの。だが、それは誰の口からも出ていない。次郎兵衛は言っていないし、行商人も言っていない。自分の頭の中だけで、勝手に並んだ。
聞ではない。見でもない。ならば、この帖には入る場所がない。
しばらく迷って、藤丸は書かなかった。
書かないと決めたのに、忘れる気は少しもしないのが、我ながらおかしかった。紙に置けないものは、頭に置いておくしかない。頭は、紙より重い。
頁を少し戻した。秋に書いた、石の一行がある。どこにもつながらないまま、ぽつんと乾いていた、あの一行だ。
その行の下に、今日の一行が並んだ。
まだ細い。名も分からない。それでも、一本きりでは、なくなった。
藤丸は硯の水で筆を洗い、帖を閉じた。それを、文机の隅に置いた佐吉への文の上に、重ねて置いた。
五日のうちに、この文は山を越えて安芸へ行く。帖のほうは、どこへも行かない。
お読みいただき、ありがとうございます。
作中で次郎兵衛が「海の男は、春がいちばん忙しい」と言っていますが、これは当時の航海の事情によるものです。日本近海は冬に北西の季節風が強く吹き、波も高くなるため、帆走が主だった時代の船は冬場の遠出を避ける傾向があったと言われています。春になって風が落ち着くと航海の季節が始まり、湊が動き出す――そうした年の巡り方が、瀬戸内から土佐にかけての海運にもあったと考えられています。ただし、当時の航海日程を細かく記した史料は限られており、どの湊がいつ動いていたかまでを断定できる記録はほとんど残っていません。
もう一つ、作中で「船乗りから船乗りへ、海の上を渡ってきた話」という言い方が出てきます。中世の遠隔地の情報は、こうした商人や船乗り、僧侶、旅の芸能者といった「歩く人々」の口を介して伝わるのが常でした。文書で確認できる情報は全体のごく一部で、大半は口伝えのまま消えていったはずです。次郎兵衛が「同じ筋の続きだ」とわざわざ断りを入れるのは、口伝えの世界に生きる者ならではの慎重さ、という位置づけで書いています。
なお、明との勘合貿易は、この時期には大内氏が実権を握っており、船の派遣も間遠になっていました。作中の唐船が湊の外で留め置かれたままだという話は、そうした不安定さを背景にした創作です。
次回もどうぞよろしくお願いいたします。




