藤丸の冬
天文十六年(一五四七)の暮れ、土佐の冬です。
前回、藤丸は秋の山で、椎茸の試しがうまくいかなかったことを認めました。出たのは八本のうち一本きり。しかもその一本は、もとから最も朽ちていた木でした。そこで藤丸は、来年の仕込みのやり方を平六と決め、帖に書き残しています。
今回は、その決めたことを実際に手で動かす回です。
寒が、いよいよ底に入った。朝、屋敷の裏の水溜まりには厚い氷が張り、藤丸が下駄の先で叩いても、割れずに鈍い音を返すようになっている。
山の木も、あらかた葉を落としていた。
その日、藤丸は平六に連れられて、裏山の奥へ入った。息は白く、足元の落ち葉は霜を含んで、踏むたびに小さく鳴った。
道は、秋に来たときの道ではなかった。平六は尾根へ上がらず、途中から沢のほうへ折れて、下りていく。
「平六。こちらでよいのですか」
「へえ。置き場は、こちらに決めましてございます」
振り向きもせずに、平六は言った。
置き場は平六に選んでもらうと、秋に決めた。決めたのは自分だが、選ぶところは見ていない。藤丸は、懐の帖を上から押さえた。あの日の行に、そう書いてある。
下りきったところは、沢筋から少し離れた、平らに開けたところだった。
「昼過ぎに、半刻ばかり日が差します。それより長うは差しません。沢からは、これだけ離れておりますき、水は来ん。来んが、土は乾きませんで」
平六は、足で地面を軽く踏んだ。
「三つ並べても、こちらの端とあちらの端で、日も水気も変わりませんわ。……そういう場所を、と仰せでしたな」
「はい」
藤丸は、端から端まで歩いてみた。落ち葉の下の土は、どこを掘っても、同じ湿り方をしている。
隅には、すでに朽ち木が積んであった。
「幾本ありますか」
「十二本ですわ。谷筋から引っ張り上げました」
平六は、そこで少し口を尖らせた。
「本当は、十四本ありました。二本は、外しましてございます」
「なぜです」
「指を入れてみなされ」
言われて、藤丸は積まれた木の一本に指を当てた。爪の先が、ずぶりと沈む。次の木も、同じだった。三本目も、四本目も、同じ深さで止まった。
「外した二本は、まだ固うございました。同じ組に混ぜたら、朽ち方が揃いませんで」
藤丸は、指を抜いて、その手を見た。
(揃える、と申したのは私だ。指で確かめたのは、この人だ)
「……助かりました。私は、数だけを聞いて、良しとするところでした」
「山の木は、一本ずつ違いますでな」
平六は、事もなげに言って、鉈を抜いた。
「では、生きた木を。あれにいたしましょう」
示されたのは、斜面の中ほどの椎だった。まわりに同じくらいの木が、五本も六本も立て込んでいる。
「あの辺りは、込みすぎとります。一本抜いておけば、残りが太りますき。……どうせ抜く木なら、藤丸さまの試しに使うたほうが、木も浮かばれましょう」
「木を伐るのは、今が良い時分だと言っていましたね」
「へえ。葉が落ちて、木が水を吸わんようになりますでな。この時季に伐った木は、あとで長持ちする。狂いも少ねえ。……逆に言やあ、夏に伐った木は、水を含んで、じきに傷みまさ」
鉈が、乾いた音を立てて幹に食い込んだ。
伐り倒した木を、平六は目分量で切り分けていった。二尺ばかりの長さに、次々と落としていく。運び上げてからは、積んであった朽ち木も、同じ長さに揃えはじめた。
「なぜ、みな同じ長さに」
「伏せるときに、揃うとらんと置きにくいですわ」
平六は、手を止めずに答えた。置きやすいから。それだけの理由だった。
藤丸は、切り口の並びを見ていて、ふと、指を止めた。
(長い木には、それだけ多く出るのではないか)
もし一本だけ長い木が混じっていれば、その組から多く出たとしても、それは組の違いではなく、木の長さの違いになる。傷と朽ちを分けられなかったのと、同じことだ。
藤丸はその場で帖を開き、かじかんだ指で、秋の行の下に一行を足した。
――木の長さ、同じに揃うべきこと。太さも、なるべく。組ごとの数も、同じに。
(置きやすいから、で揃えてくれたものが、比べるためにも要るものだった)
書いてから、藤丸は顔を上げた。
「平六。もう一つ、お願いがあります」
「へえ」
「三つの組に、印をつけたいのです。同じ場所に並べて置けば、春には落ち葉が積もります。どれが傷をつけた朽ち木で、どれがつけぬ朽ち木か、私にはもう見分けられません」
平六は、少し考えてから、鉈の先で自分の掌に線を引く仕草をした。
「木の端を、削りましょう。一本筋、二本筋、筋なし。それなら、雪をかぶっても分かりますわ」
三つの組が、地面に並んだ。傷をつけた朽ち木。傷をつけぬ朽ち木。傷をつけた、健やかな木。どれも同じ長さで、同じ土の上に、同じ向きに寝ている。
藤丸は、しばらくその並びを見ていた。
見た目には、ただの木の山だった。
* * *
山を下りたのは、昼を過ぎてからだった。
藤丸はその足で、太助の村へ向かった。麦のことが、気にかかっていた。秋の終わりに種をまいた、あの二枚の田。冬を越して、どうなっているか、この目で見ておきたかった。
畔一本を隔てて隣り合う二枚の田は、いつのまにか、うっすらと緑を帯びていた。まいた麦が、指ほどの高さに伸びている。冬枯れの野の中で、そこだけが、細い緑の筋を並べていた。
「藤丸さま。よう来てくださった」
太助は、田の縁にしゃがんで、土を指で探っていた。
「見てくだされ。夜のうちの冷えで、土がこう、持ち上がっておりましてな」
太助が示した土の表には、細い氷の柱が、無数に立っていた。その氷が土を押し上げ、伸びかけた麦の根を、わずかに浮かせている。
「これを、放っておくと」
「根が浮いたまま乾いて、枯れまする。せっかく伸びた芽が、無駄になる。……ですからな、踏むのです」
「踏む」
「へえ。足で、麦を踏んでやる。浮いた根を、土に押し戻してやるのです。踏まれた麦は、かえって根を張って、丈夫になりますでな」
太助が立ち上がって声をかけると、村の若い衆が、田の両端から入ってきた。横に並び、足を揃えて、伸びかけた麦を、端から踏んでいく。
その中に、見覚えのある顔があった。秋の種まきのとき、「良さそうな方に厚くまけばよい」と言った、あの若者だった。
若者は、二枚の田を、同じ歩みで、同じだけ踏んでいた。
「お前さん」
藤丸が声をかけると、若者は照れたように頭をかいた。
「太助どんに、言われましたで。片方だけ手をかけたら、どっちの土が良いか、分からんようになる、と。……まきも、踏みも、同じにしておけ、と」
藤丸は、頷いた。
(山と、同じだ)
山では、木の長さを揃えた。田では、踏む足の数を揃えている。揃えるものは違うが、していることは一つだった。比べたいところ以外を、そっくり同じにしておく。そうしておけば、後で違いが出たとき、その違いが、どこから来たのかが分かる。
揃えるのは、たいてい、面倒な側の手だった。長さを切り分けるのも、片方の田だけ楽をせずに踏むのも、余計な手間である。手間をかけた分だけ、後で分かることが増える。ただし、増えるのは、後だ。
「藤丸さまも、踏んでみなさるか」
太助が、笑って言った。
藤丸は、少し迷ってから、田に入った。若い衆に倣って、足を横に運び、伸びかけた麦を、そっと踏む。踏まれた麦は、一度は倒れ、それでも、すぐにまた立ち上がろうとしている。柔らかいのに、折れない。踏まれて、かえって強くなる草だった。
足の裏に、土の冷たさと、麦の弾力が伝わってくる。
この麦の一度目の答えが出るのは、来年の初夏。太助は、二年見てから決めると言っていた。山の木は、再来年の秋である。どちらも日は決まっていて、まだ遠い。この冬に手を動かしたことは、どれも、動かした冬のうちには何一つ返ってこない。ただ、揃えて、並べて、待つ。
それでも、藤丸の胸に、焦りはなかった。
答えを急いで、いい加減に揃えてしまえば、後で違いが出ても、その訳が分からなくなる。急がずに、丁寧に揃えておくこと。それ自体が、この冬の仕事なのだと、足の裏の感触が、教えてくれる気がした。
「太助」
「へえ」
「良い冬です」
太助は、一瞬きょとんとしてから、日に焼けた顔を、くしゃりと崩した。
「……藤丸さまは、時々、年寄りのようなことを仰る」
二枚の田で、村の衆の足音が、揃って続いていた。冬の日差しが、その緑の筋を、薄く照らしていた。
今回は、冬の山仕事と麦踏みの話でした。二つほど、時代の背景を添えておきます。
一つ目は、木を伐る時季のことです。
葉の落ちた冬に伐った木は水分が少なく、乾いてからの狂いが小さい――これは「伐り旬」と呼ばれ、各地の山仕事に古くから伝わる知恵です。文字に残る記録は近世以降のものが多いのですが、木を扱う者の間では、それよりずっと古くから経験として共有されていたと考えられています。作中の平六は、理屈ではなく手の記憶としてこれを言っています。
もっとも、藤丸がやろうとしている「朽ち木に鉈目を入れて椎茸を出す」やり方については、この時代にまとまった技術として確立していた記録はありません。椎茸の原木栽培が方法として語られるようになるのは、ずっと後のことです。土佐や豊後などで椎茸が採られ、干して流通していたこと自体は古くから知られていますが、それは山に自然に出たものを採る形が中心でした。藤丸がやっているのは、まだ誰の教えでもない手探りだ、とお考えください。
二つ目は、麦踏みです。
冬の朝、地面から細い氷の柱が立ち上がる現象を霜柱といいます。これが土を持ち上げ、伸びかけた麦の根を浮かせてしまう。踏んで押し戻してやると根が張り直し、かえって丈夫になる――これが麦踏みの理屈です。
ただ、この作業がいつ頃から行われていたかは、はっきりしません。農書として文章に残るのは近世に入ってからで、中世の農民が実際にどう麦を扱っていたかを直接示す史料は多くありません。ただ、麦が年貢の対象外に置かれることが多く、村の食い扶持を支える作物であったことは各地の記録から窺えます。作中の太助が「田に入るのです。桁が違いますでな」と言ったのは、そういう背景を踏まえています。
答えの出ない仕事ばかりの冬ですが、次回は年の瀬、屋敷の中の話になります。




