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佐吉の文

年の暮れ、久武家では歳末の贈り物の支度が始まります。

今回は、これまで昌源が一人で進めてきたある調べごとが、初めて藤丸自身に明かされる回です。

霜が硬くなり、朝の水桶に薄い氷が張るようになった。年貢の納めも一段落し、屋敷の中は、代わりに年の暮れの贈り物の支度で忙しくなっている。


藤丸ふじまるは、父・昌源しょうげんの間に呼ばれた。


「藤丸。少し、話しておきたいことがある」


昌源は、いつもより静かな声で言った。藤丸は、その口ぶりに、何か違うものを感じた。


「実は、お前のために、この夏から見てきた者がいる」


「わたしのため、ですか」


「親信にも、親直にも、武芸と行儀の師がついておる。だが、お前にだけ、誰もついていない。それを、わしは気にかけておった」


藤丸は、思わず父の顔を見た。そんな話は、初めて聞くことだった。


「去年の春、この屋敷へ、托鉢たくはつの僧が参ったのを覚えておるか」


藤丸は、目を上げた。


(あの僧か)


霜の消えかけた朝だった。安芸あき郡から来たという旅装の僧が玄関先に立ち、応対に出たのは親直だった。藤丸は、廊下の隅から、それを見ていた。僧が暇を告げる前に、世間話のようにこぼした一言がある。寺では近隣の子らに文字や経を教えている、中には算用さんように明るい子もいて、蔵の出し入れまで任されることもある――。


あのときは、ただ胸の中に留めただけだった。今すぐ何かになる話とは、思わなかった。


「覚えております」


「その一言を、駒丸が覚えておった」昌源は言った。「この夏になって、世間話のように、わしに申しよった。……あれは、いつもそうじゃ。すぐには出さぬ」


藤丸は、答えなかった。兄が何を胸に仕舞い、いつ出すのかは、いつも後になってから分かる。


「それから、文吉ぶんきち甚兵衛じんべえに、少しずつ様子を探らせてきた」


昌源は、机の上の文箱ふばこを引き寄せ、一枚の紙を取り出した。


「名は、佐吉さきちという」


藤丸は、その名を、静かに繰り返した。


(佐吉……)


初めて聞く名だった。だが、父の話しぶりからすると、決して昨日今日の話ではないらしい。


「佐吉は、元は武家の子だそうだ。一条家中いちじょうかちゅうの代替わりの折、家が立場を失い、父も亡くなった。母方の伝手つてで、寺に身を寄せたと聞いている」


「今は、どうしているのですか」


「寺のくらの出し入れを、任されておるそうだ。米や銭の数を、誰よりも細かく覚え、間違えたことがないという。そればかりか、行商の値の付き方まで、自分の頭で考えを進めるところがあるらしい」


藤丸は、黙って聞いていた。話を聞くほどに、頭の中に、まだ見ぬ誰かの姿が、少しずつ像を結んでいく。


「なぜ、今まで、わたしに話してくださらなかったのですか」


昌源は、少し間を置いてから答えた。


性根しょうねの分からぬ者を、いきなりお前に近づけるわけにはいかぬ。噂だけで人を判じては、後で悔いる。時をかけて、様子を見てきた」


「今は、様子が分かったのですか」


「分かった、とまでは言えぬ。だが――」


昌源は、文箱の中から、もう一枚、小さく畳んだ紙を取り出した。


「先だって、寺へ文を出した。住職からは、丁重に、返答を先延ばしにする文が返ってきた。だが、その文に、佐吉自身が書き添えた一言があった」


藤丸は、その紙を、そっと受け取った。開くと、そこには、数字が二つだけ、記されていた。


「これは……」


「寺にいた年数と、蔵の帳付けを任されてからの年数だそうだ。それだけしか、書いてよこさなかった」


藤丸は、その二つの数字を、何度も見返した。


(言葉を、書かなかった。数字だけを、書いた)


飾らない返事だった。だが、その飾らなさの中に、何か、確かなものがある気がした。


「父上は、これを見て、どう思われたのですか」


「急がぬ、と思った。だが、忘れもせぬ、とも思った」


昌源は、静かに言った。


「今年の年の暮れの贈り物に、寺への文を添える。そこに、佐吉への一言も、忍ばせるつもりでいた。だが――」


昌源は、まっすぐに藤丸を見た。


「今年からは、お前自身の言葉で、それをせよ。これは、お前のための話だ。わしが、いつまでも間に立っているわけにはいかぬ」


藤丸は、しばらく、何も言えなかった。


(自分のために、この半年、動いてくださっていた)


親信にも親直にも師がいて、自分にだけいない。そのことを、寂しく思ったことはなかった。だが、誰にも知られぬところで、父がそれを気にかけ続けていたのだと知ると、胸の奥が、少し熱くなった。


「わたしは、何をすればよろしいのですか」


「贈り物に、佐吉への言葉を、お前自身で考えて添えよ。会うたことのない相手だ。何を書くべきか、それも、お前が考えることだ」


(こちらから会いたいとは言えぬ。言えば、寺は値を吊る。だが年の暮れの贈り物なら、断る理由がない。物に添えた一言だけが、堂々と向こうへ届く)


藤丸は、深く頭を下げた。


「承知いたしました」


*  *  *


翌日、藤丸は文吉の店を訪ねた。


「藤丸様。年の暮れの贈り物の紙、にございますか」


文吉は、店先の反物のような紙束を見比べながら、少し考える顔をした。


「上等な紙は、たしかにございます。ですが、寺で日々の帳付けに使うとなれば、上等すぎるものより、書き味が素直で、量のあるものの方が、喜ばれましょう」


藤丸は、その言葉に頷いた。


(見栄えより、使い勝手。文吉は、いつもそこを間違えない)


選んだのは、真っ白ではないが、墨の乗りがよく、量もそれなりにある紙だった。値も、贈答として不足のない、しかし驕らない額に収まった。


「これでよろしいかと存じます」


文吉は、紙を丁寧に包みながら、ふと言った。


「藤丸様は、いつも、贈る相手が何に困っているかを、先に考えられますな」


藤丸は、それには答えず、ただ小さく頭を下げた。


(前の世でも、贈り物は幾度も選んだ。何を選んだかは思い出せない。ただ、喜ばれたかどうかを後で確かめた覚えが、一度もない)


*  *  *


屋敷に戻ってから、藤丸は文机ふづくえの前で、何を書けばよいのか、なかなか決まらなかった。


(会うたこともない相手だ)


飾った言葉を書いても、上辺だけのものになる。かといって、何も書かねば、紙を贈っただけで終わってしまう。


藤丸は、佐吉から届いたという、あの二つの数字を思い出した。飾らず、ただ数字だけを記した返事。あの潔さに応えるなら、自分の言葉も、飾らないほうがいい。


(多くを語る必要はない。数字に、数字で応えるくらいで、ちょうどいいのかもしれない)


しばらく考えて、藤丸は短く書き付けた。


――この紙、日々の帳付けに、ほどよき数かと存じます。使い切る頃、また文を頂ければ幸いに存じます。


書き終えて、読み返す。飾りのない、ただの一言だった。だが、これでいいと、藤丸には思えた。


父の間に持っていくと、昌源は文面に目を通し、何も言わずに頷いた。


「よかろう。甚兵衛に、これも渡しておけ」


紙包みを携え、甚兵衛が使者として立つ日になった。贈り物には、品目と数量を記した状を一枚添えるのが習いだった。


「藤丸様。年の暮れの品、確かにお預かりいたしました」


甚兵衛が屋敷を出ていくのを、藤丸はしばらく見送っていた。冬の朝の光が、甚兵衛の背に薄く差していた。


*  *  *


甚兵衛が出立してから、十日ほどが過ぎた。屋敷の庭には、初雪の名残がうっすらと残っている。


「藤丸様。安芸より、戻りましてございます」


甚兵衛が持ち帰ったのは、住職からの丁重な礼状と、もう一枚、佐吉自身の手による文だった。藤丸は、それを父の間で開いた。


住職の文は、これまでと変わらぬ、丁重な言葉が並んでいた。だが、佐吉の文は、前と違っていた。


数字は、今度も記されていた。だが、数字だけではなかった。


――紙、確かに頂戴いたしました。日々の帳付けに使う枚数を数えましたところ、頂いた束は、一年と二月ふたつきぶんに足り申し候。二月ぶんは、書き損じに充てまする。


藤丸は、その文面を、何度も読み返した。


(一年分と、書き損じの分。分けて数えている)


紙を選ぶとき、藤丸は「量のあるもの」としか考えていなかった。だが佐吉は、日々使う枚数を数え上げたうえで、そのうち幾らかは必ず書き損じるものとして、初めから別に取り分けている。使う分と、無駄になる分。二つを分けて数えておかねば、一年もつかどうかは分からない。藤丸が数えていたのは、片方だけだった。


昌源も、その文面を見て、しばらく黙っていた。


「……これは、値踏みではないな」


「はい」


「贈られた物を、ただ受け取るのではない。受け取った物が、自分の暮らしにどう合うかを、すぐに数えてみせる。……なるほど、聞いていた通りの者らしい」


藤丸は、その言葉に頷きながらも、それ以上のことは、まだ言えなかった。


(会うたことのない相手が、こちらの見立ての甘さまで、そっと示してみせた)


驚きはあった。だが、それは佐吉が並外れているという驚きではなく、自分の見立てにまだ粗さがあったのだと気づかされた、静かな驚きだった。


「父上。次は、どうなさいますか」


昌源は、文を丁寧に畳んだ。


「急がぬ。だが、忘れもせぬ。……それは、変わらぬ」


ただ、と昌源は続けた。


「今日からは、忘れぬ相手が、お前にとっても、忘れぬ相手になったはずだ」


藤丸は、その言葉を、静かに受け取った。


*  *  *


その夜、藤丸は文机に向かい、ちょうに短く書き留めた。


見。佐吉。紙、一年と二月ぶんと数える。二月は書き損じの分。次、何を贈るべきか、まだわからず。


書き終えて、藤丸は、しばらくその文字を見ていた。


まだ、会ったことのない相手だった。名を知り、文を交わしただけの相手だった。それでも、遠く安芸の寺で、誰かが自分と同じように、数を数え、見立てを立てている。そのことが、藤丸には、思っていたよりずっと近くに感じられた。


障子の外で、冬の夜風が、低く鳴っていた。


藤丸にとって、佐吉はまだ会ったことのない相手です。

名前と、二つの数字と、一枚の文だけを手がかりに、二人の距離がどう縮まっていくのか。

このやり取りは、まだ始まったばかりです。

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