帳に載らぬ麦
天文十六年、秋の終わり。年貢の納めの季節です。
前回、次郎兵衛から海の向こうの話を聞いた藤丸は、今回、初めて「急ぎでない」帳場の仕事を父から任されます。
急ぎの仕事は、子どもの手でも借りたいから回ってくる。急ぎでない仕事が回ってくるのは、それとは別の意味があります。
山の紅葉が散り、朝の井戸の水が指を刺すようになる頃、久武の屋敷は、一年でいちばん人の出入りが多くなる。
年貢の、納めの季節である。
表の庭には筵が敷かれ、村々から運ばれた俵が、次々と積み上げられていく。俵を検める者、枡で量り直す者、帳面を繰る文吏。人足の掛け声と、米を移す音が、朝から途切れなかった。
藤丸は、廊下の端から、それを眺めていた。
夏の終わり、出陣の支度で蔵が騒がしかったときのことを思い出す。あのときも、村の名と数字の並んだ紙を見た。だが、様子がまるで違った。あのときは、誰もが急いでいた。足りるか足りぬかを、その日のうちに知らねばならなかった。
今日は、誰も走っていない。量り、記し、積む。それだけのことが、決まった順に、淡々と繰り返されている。
(急ぎの数と、毎年の数は、顔つきが違う)
そんなことを考えていると、背後から声がかかった。
「藤丸。そこで見ているだけか」
父・昌源だった。手には、紙の束がある。
「はい。……いえ」
「どちらじゃ」
「見ているだけでした。ですが、見ているだけでは、もったいないと思っていたところです」
昌源は、ふ、と鼻から息を抜いた。それから、手にしていた束から数枚を抜き、藤丸に差し出した。
「村ごとの納めの書き付けじゃ。届いた順に重なっておるゆえ、順がばらばらでな。これを、一枚の紙に、村の名で並べ直して写せ。夏にやったのと、同じことよ」
「よろしいのですか」
「写すだけじゃ。数を作るのではない。ただし――」
昌源は、束を渡す手を、途中で止めた。
「一つでも写し違えれば、その紙は使えぬ。使えぬ紙を作った者には、二度は頼まぬ。それでもやるか」
「やります」
藤丸は、両手で束を受け取った。夏に受け取ったときと同じ重さのはずなのに、手応えが少し違う気がした。あのときは、急ぎだから子どもの手でも借りた。今日は、急ぎではない。急ぎでないのに任されるのは、初めてだった。
* * *
文机の上に、藤丸は書き付けを一枚ずつ広げた。
村の名で並べ直すだけのことに、思ったより手間がかかった。紙の大きさが村ごとに違う。書き出しの位置も違う。村の名を頭に置く紙もあれば、末尾に小さく添えてあるだけの紙もある。どこに何が書いてあるかを一枚ずつ探してから、ようやく順に並べ終えた。
新しい紙に、写し始める。
上分郷、米二十六石二斗。下の郷、米二十九石四斗――。
筆の運びは、思っていたよりも息が詰まった。石と斗を取り違えないこと。似た字の村の名を混ぜないこと。一字書くごとに、父の言葉が背中に触れてくる。藤丸は数を口の中で唱えてから、筆を下ろすようにした。
半ばまで来たところで、手が止まった。
下の郷の書き付けの、いちばん端。米の数の下に、行を一つ空けて、別の手で書き添えたような一行があった。
――豆、一石二斗。
藤丸は、その一行を、しばらく見ていた。
他の村の紙には、こんな行はない。どの紙も、米の数だけで終わっている。この一枚だけが、最後に一行、はみ出していた。
写すべきか。
写せば、村の名と米の数だけが並ぶはずの紙に、米でないものが一つ混じる。落とせば、書いてある物を、自分の手で消すことになる。
(どちらも、写し違えではないのか)
書き足すのが違いなのは分かる。だが、書かないことも、同じだけ違うのではないか。父は「一つでも」と言った。あの一つに、書かなかった一行は入るのか、入らないのか。
藤丸は筆を置き、書き付けをそのままにして、立ち上がった。
庭に近い板の間で、文吏が帳面を繰っていた。年かさの、痩せた男である。藤丸が声をかけると、筆を止めて顔を上げた。
「下の郷の紙に、豆の行がございます」
書き付けを差し出すと、文吏はそれを受け取り、端の一行に目を落として、ああ、という顔をした。
「畑に掛かる分にございますな。こちらへは載りませぬ。畑の分は別の紙にまとめますゆえ、お落としくださりませ」
「落として、よろしいのですか」
「よろしゅうございます。むしろ、お写しになりますと、この紙が使えなくなります」
文吏は書き付けを返しながら、付け足した。
「毎年、幾つかの村が、こうして書いてこられます。米も豆も、村では同じ蔵に入りますでな。書く者にしてみれば、分ける方が妙なのでございましょう」
藤丸は礼を言い、文机に戻った。
筆を取り、下の郷の行を書く。米二十九石四斗。それだけを書いて、次の村へ移った。豆の一行は、新しい紙のどこにも来なかった。
写し終えるまでに、日が少し傾いた。
最後の村の名を書き終えて、藤丸は紙を離して眺めた。
村の名が縦に並び、その横に米の数が並んでいる。それだけの紙だった。上から下まで、米、米、米。
豆の名は、どこにもない。落としたからではない。初めから、ほとんどの村が、書いてすらこなかった。
太助の村を思い出す。畔の豆。庭先の菜。山裾の蕎麦。村を歩けば目に入る物の多くが、この紙のどこにもない。紙に載るのは、米の数字だけ。まるで、村というものが、米だけで出来ているかのようだった。
落とした一行を、もう一度思った。あれは、この紙に書いてはいけない一行だった。だが、書いてはいけないというのは、間違っているという意味ではない。豆は、たしかに下の郷にあった。ただ、この紙が、豆を書く紙ではなかった。
* * *
写し終えた紙を、藤丸は文吏に確かめてもらい、それから父の間に届けた。昌源は紙を受け取り、上から下まで目を走らせて、一言だけ言った。
「使える」
藤丸が下がろうとすると、昌源が、紙から目を上げずに続けた。
「下の郷の豆は、どうした」
見ていたのか、と思った。あの束を渡すとき、父はすでに、あの一行があることを知っていた。
「文吏どのに伺うて、落としましてございます」
「うむ」
昌源は、それきり何も言わなかった。だが藤丸には、それで足りた。
* * *
昼を過ぎて、庭の俵がまた増えた頃、聞き覚えのある声がした。
「これはこれは、藤丸さま。ご覧の通り、今年も無事に納めに参りましたわい」
太助だった。村の若い衆を連れ、俵の列の脇に立っている。日に焼けた顔が、ほっとしたように緩んでいた。
「太助。今年の納めは、どうでしたか」
「へえ。お陰さまで、滞りなく。……それよりも、藤丸さま」
太助は、少しだけ声を低くして、悪戯っぽく笑った。
「納めが済めば、次は麦にございますよ。例の二枚の田。明日から、まき始めます」
* * *
翌朝、藤丸は父の許しを得て、太助の村へ下りた。
村へ入る道の脇で、畔の豆の蔓が、枯れたまま杭に絡まっているのが目に入った。莢はもう取られたあとらしい。誰の口に入ったのかも、どれだけ採れたのかも、どこにも書かれていない。
例の二枚の田は、畔一本を隔てて、隣り合っている。稲刈りの済んだ田の面は乾き、すでに鍬で畝が立てられていた。太助と村の若い衆が、種の入った籠を提げて、畝の間に散っている。
「藤丸さま。ようこそお出でくだされた」
太助は腰を伸ばし、それから若い衆に向き直って、声を張った。
「ええか。こっちの田と、あっちの田。同じ日に、同じ種を、同じだけまく。まき方も変えるな」
若い衆の一人が、籠を提げたまま、首をかしげた。
「太助どん。どうせまくなら、良さそうな方に厚くまけばええじゃろう」
「どっちが良いか、まだ分からんのじゃ」
太助は、事もなげに言った。
「分からんものは、並べてまかねば、比べられん。今年と来年、二年見て、それから決める。……わしも昔は、お前と同じことを言うたがのう」
若い衆は、分かったような分からんような顔で、畝に戻っていった。太助は藤丸を見て、少しだけ笑った。
まきが始まった。指の先で種を落とし、土を薄く被せていく。単純な繰り返しが、二枚の田で、同じ調子で進んでいく。
その手元を眺めながら、藤丸は、昨日から胸に引っかかっていたことを訊いた。
「太助。この麦は、御年貢に納めるのですか」
「麦は、取られませぬよ」
太助は、手を止めずに答えた。
「米は御年貢、麦は儂らのもの。昔から、そういう決まりでございます」
「畑の麦も、同じですか」
「同じにございます。……ですからな、藤丸さま。畑の隅にほんの少しまく麦でも、あった年はありがたいのです。飯に麦を混ぜれば、その分、米が減りませぬ。一昨年の冬は、畑の麦のお陰で、蔵の米に手をつけずに越せた家が、二軒ばかりございました」
太助は、そこで手を止めて、二枚の田を見渡した。
「畑の隅で、二軒でございます。それが、田に入るのです。桁が違いますでな」
藤丸は、昨日写した紙を思い出した。米の数字ばかりが並んだ、あの紙。麦がどこにもなかったのは、忘れられていたからではない。初めから、あの紙に載る物ではなかったのだ。
(帳に載らないものが、村を支えている)
* * *
屋敷に戻ると、藤丸はその足で父の間へ行き、見てきたままを話した。二枚の田に同じだけまいたこと。麦は御年貢に取られないこと。畑の隅の麦でも二軒が冬を越せたという、太助の言葉。
昌源は、黙って聞いていた。話し終えると、藤丸は、ためらってから訊いた。
「父上。麦は、銭になりませぬ。年貢の帳にも載りませぬ。載らぬものを村に増やしても、家は富むのでしょうか」
「では、問おう」
昌源は、机の上で手を組んだ。
「麦を食うた村は、米をどうする」
藤丸は、考えた。麦で腹を満たせば、米は食われずに残る。残った米は――蔵に積める。売れる。夏のような急な戦支度のときにも、出せる。
「……米が、余ります」
「うむ。麦は安い。売っても銭にはならぬ。だが、麦が村にあれば、その分だけ、米が浮く。米は売れる。蓄えられる。いざというとき、動かせる。――麦はどこへも行けぬが、米を動かすのよ」
昌源は、そこで一度、言葉を切った。
「帳に載る物だけを数える者は、村の半分しか見ておらぬ。……昨日、お前が落とした一行も、その半分じゃ」
藤丸は、顔を上げた。
「落とすな、と仰せられますか」
「落とせ。あの紙には要らぬ」
昌源は、組んだ手を解いた。
「要らぬが、無かったことにはするな。落とした物を覚えておる者だけが、いずれ、それを載せる紙を作れる」
藤丸は、頭を下げて、部屋を出た。
* * *
廊下を戻る途中、表の庭が目に入った。
昨日と同じように、俵が積まれている。米の山だった。帳に載り、枡で量られ、蔵に納まっていく数字の山。
この俵の向こう、ずっと先の村々に、いま、帳のどこにも載らない畝が立ち始めている。誰にも数えられないまま、冬の間に伸びて、春に穂を出し、そして米を浮かせる。
藤丸は、しばらくそこに立って、俵の山を眺めていた。
ここに積まれている物は、すべて、紙の上にもある。量られ、書かれ、数えられている。
その紙に、豆の一行はない。落としたのは自分だ。落としてよいと言われ、そのとおりにした。間違ってはいない。
豆、一石二斗。
その一行だけが、庭のどこにも積まれないまま、藤丸の頭の中に残っていた。
今回出てきた「麦は取られませぬ」という太助の言葉について。
米を刈ったあとの田に麦をまく、いわゆる二毛作の麦は、年貢の対象から外すのが古くからの慣行だったと言われています。鎌倉幕府が文永元年(一二六四年)に、田麦への年貢賦課を禁じる令を出したという記録が残っており、これがよく引かれます。
理由は、おおむね次のように考えられています。田の年貢はもともと米で決められている。そこへ裏作の麦まで取り立てれば、百姓は麦をまかなくなる。まかなくなれば、飢えたときに食べる物がなくなり、結局は年貢を納める側が立ち行かなくなる――つまり、取らないことが取る側の利益でもあった、というわけです。
ただし、これがどこまで徹底して守られたかは地域や時代によってまちまちで、戦国期の土佐で実際にどう運用されていたかを直接示す史料は、私の知る限り見当たりません。作中の扱いは、この慣行が土佐にも及んでいたという前提に立ったものとお考えください。




