親信の構え
安芸の荷詮議が厳しくなったという同じ知らせを、親信・親直・藤丸がそれぞれ違う形に組み立てます。三兄弟それぞれの目が、くっきりと分かれる一話です。
早春の風が、稽古場の砂の上を吹いていく。
稽古場から、いつもとは違う音が聞こえてくる。藤丸は弓を置いて、その音の方へ足を向けた。
木刀の打ち合う音ではなかった。掛け声も、これまでとは違う。稽古場の真ん中で、若い衆の一人が、四方を囲まれていた。木刀を構え直す手が、おろおろと泳ぐ。
親信は輪の外に立って、それを見ていた。やがて輪の中へ歩み入り、囲まれた男の肩に手を置いた。
「逃げるな。背を見せれば、そこを叩かれる。常に、誰かに正面を向けておけ」
藤丸は、稽古場の隅で、それを見ていた。
(型ではない、な)
これまでの稽古は、一対一の型をなぞるものだった。今、親信がさせているのは、それとは違う。一人が、複数に囲まれたときの動き方だった。
ひとしきり声をかけ終えると、親信は木刀を下ろし、額の汗を拭った。そこで、藤丸に気づいた。
「藤丸。弓は、もう終いか」
「ええ。兄上の稽古、いつもと違うようですね」
親信は、少し間を置いてから答えた。
「安芸のことを、聞いたか」
「甚兵衛が荷の詮議に手間取った、という話なら」
「それだ」
親信は、その場にしゃがみ込み、木刀の先で地面に図を描き始めた。まず手前に、小さな四角を一つ。次に少し離れたところに、もう一つ四角を描く。二つの四角の間に、一本の線を引いた。
「これが、こちら側」親信は、手前の四角を指した。「これが、安芸だ」もう一方の四角を指す。「その間に、境がある」
「商人の荷を、いちいち検める。何を運んでいるか、誰の使いか、それまでより念入りに見る。それは、ただの用心とは思えぬ」
「親直兄上は、何かを恐れているか、隠したいか――その二つだと申していました」
「それも、一つの見方だろう」
親信は、境の線の上に、もう一本、別の線を引いた。
「だが俺の見方は、もう少し単純だ。荷を検めるというのは、よそ者を入れたくないということ。よそ者を入れたくないというのは、内側に、見られたくない何かがあるということ」
「それは、親直兄上の見方と、似ているように思えますが」
「似ているが、向きが違う」
親信は、木刀を肩に担ぎ直した。
「親直は、誰が何を隠しているかを知りたがる。俺が知りたいのは、それが戦に繋がるかどうかだ。よそ者を入れぬ家は、何かに備えている家だ。備えているなら、ただの政争ではない。いつか、矛先がどちらかに向く話よ」
藤丸は、その言葉を、胸の中で繰り返した。
(同じ知らせを聞いて、三人とも、違う形に組み立てる)
親直は、人の隙間を見る。親信は、戦の前触れを見る。自分は、商いの糸口として見ていた。一つの知らせが、三つの目を通ると、三つの違う絵になる。
「だから、今日の稽古を、変えたのですか」
「もしものときに、若い衆が一人で立たされても、すぐには崩れぬように。今のうちに、教えておいて損はない」
親信は、それだけ言うと、また稽古場の中ほどへ戻っていった。
近くで水桶を運んでいたお咲が、稽古場のほうを覗き込んでいた。
「お咲も、見ていたのですか」
「ちょっと、気になって。前と、稽古の感じが違いますね」
「兄上が、構えを変えたのです」
「藤丸様も、何か、思うところがあるのですか」
「まだ、形にはなりません。ただ――同じ話を聞いても、人によって、見えるものが違うのだと、改めて思いました」
お咲は、それ以上は聞かず、水桶を抱えて稽古場のほうへ歩いていった。
* * *
それから数日、稽古場では、囲まれての稽古が続いた。藤丸は弓を引く合間に、その様子を眺めることが多くなった。
ある夕刻、稽古が終わると、親信は木刀を置かずに、父の間へ向かった。藤丸は弓を片付けながら、兄の後ろ姿を見送った。
しばらくして、親信が稽古場へ戻ってきた。木刀を置く手つきが、出ていった時より少し重かった。
「父上に、安芸のことを申し上げてきた」親信は言った。「備えを見直してもよいのでは、と」
それで、と藤丸が促すと、親信は短く息を吐いた。
「『まだ早い』と。確かなことが見えてもおらぬのに、こちらが先に構えを変えれば、それ自体が、よそに知られる。備えを見せれば、こちらが何かを企んでいるように見える、と」
藤丸は、その言葉を聞いて、小さく頷いた。
(父上らしい、答えだ)
親直には「踏み込むな」、藤丸には「糸口を太くせよ」、そして親信には「構えを見せるな」。同じ慎重さが、三人それぞれに、違う言葉で渡されている。
親信は、しばらく黙っていたが、ふと小さく息を吐いた。
「正直、申し上げた手前は、もう少し別の返事を期待していたがな」
苦笑するように、木刀を取り直す。
「だが、若い衆に、もしものときの動き方を教えておくことは、構えを見せることにはならぬはずだ。これは、続けてよいと仰せだった」
そう言うと、親信は稽古場の中ほどへ歩き出した。囲まれていた若い衆の一人が、まだ落ち着かない構えで木刀を握っていた。
「肩が高い。下げろ」
親信は、その若い衆の肩に手を置き、わずかに押し下げた。木刀の先が、すっと下がる。
「そうだ。それでいい」
藤丸は、その様子を、しばらく見ていた。それから、自分の弓を担ぎ、的の前へ戻った。
矢を一本、構える。的までの間合いは、稽古を始めた頃より、ずいぶん身についてきていた。弦を引き、息を整え、放つ。
矢は、的の外れに落ちた。それでも、これまでより、わずかに的に近づいていた。
藤丸は、もう一本、矢を取った。
今回、親信は同じ知らせを「戦の前触れ」として捉え、稽古場の型を「囲まれても崩れない動き方」に変えていきます。親直の「隙間を見る目」、藤丸の「商いの糸口として見る目」と並べると、三人三様の受け止め方がよくわかる回でした。
昌源が三人それぞれに、違う言葉で同じ慎重さを渡している――「親直には踏み込むな、藤丸には糸口を太くせよ、親信には構えを見せるな」――というくだりに、この家の采配の巧みさも感じられます。
藤丸自身の弓も、少しずつ的に近づいてきているようです。




