藤丸の見立て
甚兵衛から聞いた噂を、藤丸が初めて自分から父に語りかけます。今回は「聞く子ども」から「話す子ども」への、小さな一歩のお話です。
初夏の虫の声が、夜だけでなく、昼にも聞こえるようになっていた。
甚兵衛から堺の噂を聞いた日から、もう五日ほどが経っている。藤丸は、その間、何度も同じことを考えていた。
紙の値が上がっている。甚兵衛が、堺で「火を吹く筒」の噂を聞いた。火薬という言葉も、聞いた。この三つが、別々の話ではない気がした。
(船や人手には、限りがある)
国分川を下る舟も、一度に運べる荷の量は決まっていた。堺でも、同じはずだった。鉄砲やその薬を求める商人が増えれば、それを運ぶ船や人手が、そちらに取られる。紙を運ぶ分が後回しになれば、紙は前より少なく、値も上がる。
そう考えると、三つの話が、一本の線につながった気がした。だが、それを誰に言えばいいのか、藤丸にはまだわからなかった。
(前は、ただ見ているだけだった)
廊下の隅で、女中の話を聞く。甚兵衛の荷を、遠くから見る。父の机の上の紙を、差し出されて、初めて見る。今までは、いつも、そういう順番だった。
今日は、違うことをしてみたかった。
* * *
「父上に、お話があります」
藤丸がそう言ったとき、取り次ぎに出た女中は、少し驚いた顔をした。三歳の頃から、藤丸が自分から父に取り次ぎを頼んだことは、数えるほどしかなかった。
しばらくして、文机の前に座ることを許された。
昌源は、いつもと同じ顔で、藤丸を見た。
「話とは」
藤丸は、一度、息を整えた。
「先頃、上分の年貢と、紙の値を見せていただきました。どちらも、前より上がっておりました」
「うむ」
「甚兵衛が、堺で妙な噂を聞いたと申しておりました。南の島に、火を吹く筒が伝わったとか。それに使う薬――火薬は、値が張るとも」
昌源は、何も言わなかった。ただ、藤丸の顔を見ていた。
「甚兵衛の話では、堺では近頃、鉄砲やその薬を求める商人が増えていると申しておりました。船や人手には、限りがございます。鉄砲の荷を運ぶ分が増えれば、紙を運ぶ船が減り、紙は前より少なくなって、値が上がるのではないかと、思いました」
それだけ言って、藤丸は黙った。
言ってしまえば、ただの思いつきのように聞こえるかもしれない。三歳の――いや、もう七つを過ぎた子どもが、年貢の数字と、遠い島の噂を結びつけて喋った。馬鹿げていると言われても、仕方がないと思っていた。
昌源は、しばらく黙っていた。
それから、ひとつ、紙の束に手を伸ばした。藤丸が以前見せられたのとは、別の紙だった。
「これを見よ」
差し出されたのは、商人からの書状だった。藤丸には読めない言葉も多かったが、「堺」「鉄」という字だけは、読み取れた。
「お主が言うた話は、もう堺の方では、知れた話になりつつある。同じことに気づいた者は、他にもおる。だが――」
昌源は、言葉を切った。
「お主のような年で、それに気づいた者は、まだおらぬ」
藤丸は、その言葉を、どう受け取ればいいのかわからなかった。褒められたのか、ただ事実を言われただけなのか。
「もそっと、見ておれ」
昌源は、そう言って、紙を片づけ始めた。話は、それで終わりだった。
* * *
父の間を出てから、藤丸は裏門の方へ向かった。甚兵衛は、まだ屋敷に留まっていると、お咲から聞いていた。
裏門の脇で、甚兵衛は次の荷の支度をしていた。藤丸を見ると、手を止めて頭を下げた。
「藤丸様。また何か、お尋ねでございますか」
「うん」藤丸は頷いた。「堺の、火を吹く筒の話。もう少し、聞きたい」
甚兵衛は、少し笑った。
「よほど、お気に召したご様子で」
「その筒は、どこで作っているのですか」
「南の島から、紀州の方へ持ち込まれたとか聞きました。根来とか申す寺の辺りで、鍛冶屋がそれを真似て作り始めておるそうです」
「紀州、か」
藤丸は、その名を、もう一度胸の中で繰り返した。前に聞いた「紀州の廻船業者」という話と、今日の「紀州の鍛冶屋」という話が、同じ土地を指していることに気づいた。
「薬も、紀州で作っているのですか」
甚兵衛は、首を横に振った。
「いえ、それは違うようで。あの薬の元になる石――硝石とか申しますが、それは唐渡りの品でしてな。日本では、なかなか手に入らぬものだそうです。それを船で運び込めるのが、堺なのだと」
藤丸は、しばらく黙った。
(作る場所と、運ぶ場所は、別なんだ)
紀州は、筒という物を作る場所。堺は、その筒に使う薬の元を、外から運び込む場所。同じ「鉄砲」の話の中に、二つの違う役目が、別々の土地に分かれている。
それは、紙や布の話と、似ているようで、少し違っていた。紙は、産地から堺へ運ばれてくるだけだった。だが鉄砲は、作る場所と、薬を集める場所が、最初から分かれている。
「薬の元の石は、堺でしか手に入らないのですか」
「さあ……それは、私にもわかりませぬ。ただ、よそでは聞かぬ話です」
藤丸は、それ以上は聞かなかった。今日は、これで十分だった。
甚兵衛は、また荷の支度に戻った。藤丸は、その背を見ながら、少し離れた。
* * *
夜、布団の中で、藤丸は今日のことを、一つずつ思い出していた。
船や人手の限り。紙の値。紀州の鍛冶屋。堺の硝石。
(作る場所と、運ぶ場所が、別々にある)
それは、これまで集めてきた欠片の中でも、少し違う形をしていた。米や紙のように、土佐の中だけで動く話ではない。もっと遠く、もっと多くの場所が、一つの物に絡んでいる。
ふと、何かが、頭の隅でかすかに動いた。
(土から、薬の元を作る方法が……どこかにあったような)
形にはならなかった。前の生で、何かの本で読んだのか、画面の向こうで見たのか、それすら定かではなかった。ただ、「できないことではない」という、薄い感覚だけが、胸の奥に残った。
(今は思い出せない)
藤丸は、それ以上は追わなかった。今日のところは、それでよかった。
障子の外で、夏の気配を含んだ風が、低く鳴った。藤丸は、目を閉じた。
今回、藤丸は初めて自分から昌源に取り次ぎを願い、年貢・紙の値・堺の噂を結びつけた自分なりの見立てを口にします。昌源の反応はごくわずかですが、「同じ年頃で気づいた者はまだいない」という一言に、藤丸の芽生えつつある力への評価がにじんでいます。
また、甚兵衛とのやりとりから、鉄砲を「作る場所(紀州)」と、火薬の元となる石を「運び込む場所(堺)」が分かれているという構造が見えてきました。この「作る場所と運ぶ場所が別々にある」という発見は、今後の伏線としても効いてくる部分です。
次回、藤丸がこの気づきをどう深めていくのか、見守っていただければ幸いです。




