第1章:赤い雲
かつて平和と美しさに満ちていた王国アルキヤは――
今や、戦場と化していた。
大地はどこまでも続き、赤に染まっている。
それは夕焼けの色ではない。
自然が生み出したものでもない。
――血だ。
空気は震えていた。
叫び声、うめき声、そして死にゆく者たちの喉から絞り出される断末魔が、歪んだ交響曲のように混ざり合っている。
見上げた空は、かつての澄み切った青を失っていた。
赤い煙と舞い落ちる灰に覆われ、もはや原形を留めていない。
それはまるで、地上の惨劇を映し出す残酷な鏡のようだった。
砕けた鎧と倒れた骸の周囲には、血だまりが広がっている。
まだ立っている者たちの足首を沈めるほどに。
一歩踏み出すたび、水面が揺れる。
その波紋のひとつひとつが、失われた命を静かに物語っていた。
腐敗と死の臭いが、すべてにまとわりついている。
逃げ場はない。
「やめて……! もうやめてよ!!」
ユウイの叫びが、混沌を切り裂いた。
むき出しの感情。
絶望。
それでも――確かに“生きている”声だった。
彼女の大きく見開かれた瞳が、周囲の光景を映し出す。
死体。炎。崩壊。
そして――血。
滴るそれは、まるで幕のように彼女を囲い、逃げ場のない悪夢の中へと閉じ込めていた。
「どうして……!? 何のためにこんなことをするの!?」
震える声で叫ぶ。
ほんの一瞬――
世界が、止まったように感じた。
そして――
「……ブラッドレイン」
ウィンターの声が、戦場を切り裂く。
冷たく。
感情を持たないかのように。
ユウイは息を呑み、空を見上げた。
空が――変わっていく。
雲が、不自然にねじれ始める。
やがてそれは濃密な深紅の塊となり、空一面を覆い尽くした。
脈打つ。
ゆっくりと。規則的に。
まるで“生きている”かのように。
気温が、一瞬で下がる。
空気は鋭く、息苦しいほどに重くなる。
地上から立ち上る赤い煙は、まるで死者そのものが空へと手を伸ばしているかのようだった。
そして――
雲が、裂けた。
一滴、落ちる。
また一滴。
さらに、もう一滴。
雨。
だが――水ではない。
血だ。
天から降り注ぐそれは、容赦のない豪雨となり、大地を叩きつける。
一滴一滴が、不気味な光を帯びていた。
そして――空中で。
変わる。
雫が、鋭く歪み――
硬質化する。
形を変え――
槍へと。
「――っ!」
最初の一撃が降り注いだ。
鎧はガラスのように砕け、肉は抵抗もなく裂ける。
兵士たちは悲鳴を上げる間もなく倒れ、魔術師たちは手をかざすことすら間に合わない。
詠唱は、混沌の轟音に呑み込まれていった。
戦場が、爆発する。
悲鳴が満ちる。
深紅の槍は、すべてを貫きながら降り注ぐ。
それは絶対的な死を運ぶ――まるで天から下される裁きのように。
瞬く間に――
地面は、屍で覆われた。
さっきよりも。
さらに多く。
圧倒的なまでの死。
容赦なき収穫。
ユウイは、その場に立ち尽くしていた。
血の雨に打たれながら、体を震わせて。
「どうして……?」
声が、ひび割れる。
「どうして……どうして……どうして、こんなことに……」
言葉は砕け、嵐に飲み込まれていく。
胸が締めつけられる。
まるで、この戦場すべての重みが、彼女一人にのしかかっているかのように。
すべての選択。
すべての瞬間。
すべてが――ここへと繋がっていた。
「人のせい……なの……?」
かすれた声で呟く。
視界が滲む。
「王の……せい……?」
思考は崩れ、絶望へと沈んでいく。
「……神?」
血の雨は、降り続ける。
冷たく。
終わることなく。
そして、そのすべての上で――
ウィンターは、動かずに立っていた。
ただ、見下ろしていた。
「違う……違う……全部、私のせい……!」
ユウイの声が砕ける。
言葉は、無理やり喉の奥から押し出されるようだった。
「魔法陣を描いたのは……私……あれをやらなければ……今頃、私たちは……あのベンチで……音楽を聴いて……昔みたいに笑ってたのに……」
呼吸が乱れる。
ひとつ、嗚咽が漏れる。
そして、またひとつ。
やがてその声は完全に崩れ、血の雨と王国を引き裂く悲鳴の中へと飲み込まれていった。
「助けて――!」
若い兵士の叫びが響く。
鋭く、切迫した声。
「逃げろォッ!!」
どこかで、老練な兵士が怒鳴った。
「このままじゃ全員死ぬぞ!!」
声が重なり、ぶつかり合い、そして消えていく。
ユウイは――
その場に立ち尽くしていた。
動けない。
「……止められない……」
かすれた声で呟く。
剣は、力なく手にぶら下がっていた。
重い――いや、すべてが重かった。
息をするだけで胸が軋む。
一秒一秒が引き延ばされ、内側で膨れ上がる恐怖を締めつけていく。
周囲には――
死体。
無数の死体。
最後の一瞬まで戦い抜いた仲間たち。
希望が尽きた後でさえ、立ち続けた戦士たち。
それでも――
死してなお……
彼らは逃げられない。
「……っ!」
ユウイの目が見開かれる。
血が――
動いている。
濃く、黒く、ありえない動きで。
それは屍から滲み出し、戦場を這うように広がっていく。
まるで生きた蛇のように、うねり、絡み、何かに引き寄せられるように――
彼のもとへ。
「やめて……」
ユウイは一歩、後ずさる。
足が震える。
「やめて……こんなの……ありえない……」
だが――
現実だった。
すべての中心に――
ウィンターが立っている。
静かに。
微動だにせず。
触れることすら許されないかのように。
静謐なる破滅の象徴。
青白くやせ細ったその顔には、何の感情も浮かんでいない。
怒りも、喜びも、迷いもない。
ただ――冷たい計算だけがあった。
血の流れは渦を巻きながら空へと昇り、彼の頭上に集まっていく。
それは巨大な塊となり、回転し、膨れ上がっていった。
時間が経つごとに濃く、重くなり――
空をさらに暗く染めていく。
まるでそれは――
雲ではない。
“死”そのものから生まれた嵐。
ユウイの胃がきしむ。
わかってしまう。
次に何が起こるのかを。
雲が、脈打つ。
一度。
二度。
そして――
滴が落ちる。
重く。
鋭く。
容赦なく。
血の雨が――再び降り始めた。
悲鳴が戦場を満たす。
落ちてくる血の雫は空中で硬化し、無数の槍へと変わる。
鎧も肉も関係なく貫き、逃げ場を与えない。
「――!」
さらに倒れる者たち。
さらに消えていく声。
嵐は、ただ激しさを増していく。
ユウイは、その場に立ち尽くしたまま動けない。
視界が揺れる。
世界が崩れていく。
「……使ってる……」
震える声が漏れる。
視線は、空へ。
「……彼……みんなの血を……武器にしてる……」
思考が駆け巡る。
だが――
どの道も。
どの可能性も。
辿り着く先はひとつ。
絶望。
戦えば戦うほど――
彼は強くなる。
死ぬたびに、力が増す。
流れる血の一滴一滴が、彼を強化していく。
これは戦いじゃない。
――収穫だ。
「……止められない……」
再び呟く。
その声は、さっきよりも重く。
決定的で。
覆しようがなかった。
ウィンターは――止められない。
抗えば抗うほど。
戦えば戦うほど。
彼らは、喰われていく。
――ウィンターに。
※本作は英語から日本語に翻訳したもののため、不自然な表現や誤りがある場合があります。お気づきの点があれば、ご指摘いただけますと幸いです。修正させていただきます。




