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龍は天を仰ぐ  作者: lala
十二社会篇

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火種



 店の扉が開くと、酒と煙草の匂いが夜の通りへ流れた。八月十四日。兵頭組の若い衆二人は、入口の段差を下りて歩き出そうとした。その向こうから、三人の男が来ていた。


 互いに顔は知っていた。岩城宗次が率いる二代目鬼塚組、その傘下にいる若い衆だった。同じ繁華街を歩いていれば、顔を合わせることくらいはある。前なら目をやって、そのまま通り過ぎていた。


 兵頭組の一人が足を止めた。隣にいた男も、少し遅れて止まる。三人の方も歩みを緩め、数歩を残して向き合った。


 横を通ろうとした客が、五人の顔を見て道の反対側へ寄った。誰も、それを見なかった。


「なんや」


 鬼塚組側の男が言った。兵頭組の男は、相手の顔を見たまま答えた。


「別に」


「ほな見んなや」


「見られて困ることでもあんのか」


 相手の顎が、僅かに上がった。後ろにいた二人も足を止めたまま、兵頭組の男へ目を向けていた。


「……なんやと」


「聞こえへんかったんか」


 兵頭組のもう一人が、横から腕を掴んだ。


「やめとけ」


 ここで揉めるなというつもりだった。東堂からも、勝手なことをするなと言われている。掴んだ腕を少し後ろへ引いたが、相手は動かなかった。


 鬼塚組側の一人が、その手を見て前へ出た。二人が並んだことで、こちらへ来るつもりだと思った。


「なんや。二人でやるんか」


「誰がそんなこと言うた」


「お前ら、最近調子乗りすぎやろ」


 腕を掴まれていた男の顔が変わった。ここ数日、兵頭組が鬼塚組の周りへ車をつけていることは、双方の若い衆が知っていた。顔を合わせても何も起きず、それぞれが上から言われた通りに動いていた。


 その間も、武藤が殺されたことは変わらなかった。男には、目の前の三人が、何もなかったような顔で街を歩いていることまで腹立たしく思えた。


「調子乗っとんはどっちや」


「なんやと」


「人の親父殺っといて、ようそんな口利けるな」


 腕を掴んでいた手が止まった。鬼塚組側の三人も、一瞬黙った。武藤の名を出さなくても、誰の話かは分かった。


 先頭の男が手を伸ばし、兵頭組の胸ぐらを掴んだ。シャツが引かれ、二人の顔が近づいた。


「もう一回言うてみい」


「何回でも言うたるわ」


 兵頭組の男が、その手を振り払った。離れた相手へ顔を寄せ、もう一度言った。


「岩城が親父殺らせたんやろが」


 拳が頬へ入った。男の身体が横へ揺れ、店先の壁へ肩が当たった。殴った男がさらに踏み込むと、止めようとしていた兵頭組の若い衆が、その肩を掴んだ。


 横から別の男が手を伸ばした。肩を掴んだ腕が引かれ、顔へ拳が来た。兵頭組の若い衆も殴り返した。さっきまで止めるために出した手で、相手の襟を掴んでいた。


 五人の身体が狭い歩道でぶつかった。壁へ押しつけられた男が相手の腹を蹴り、後ろへよろめいた足が店の看板へ当たった。看板が倒れる音に、店内から男が顔を出した。


「おい、何しとんねん!」


 誰も答えなかった。通りかかった二人連れが足を止め、すぐに離れた。店の男も、向き合っている顔を見ると、それ以上近づかなかった。


 兵頭組の男が一人、膝をついた。立ち上がろうとする肩を蹴られ、壁へ手をつく。もう一人が蹴った相手へ掴みかかり、その間に身体を起こした。


 ここで離れればよかった。仲間を連れて引き返せば、少なくとも刃物が出る前には終われた。だが、どちらも相手を見たまま退かなかった。


 親父を殺した組の者へ背中を向ける。やってもいないことを言われ、殴られたまま帰る。それぞれがそう受け取り、目の前の相手へ拳を出した。


「岩城の親父はやってへん言うとるやろが!」


 鬼塚組側の若い衆が叫んだ。口の端に血がついていた。


「ほな誰が殺ったんじゃ!」


「知らんわ!」


「知らんで済むか!」


 兵頭組の男が前へ出た。相手の胸を押し、返ってきた腕を払おうとした。その脇で、一人が懐へ手を入れた。


 刃が、店先の明かりを反射した。


「おい!」


 近くにいた男が声を上げた。伸ばした手が肩へ触れたが、掴む前に身体が動いた。重なっていた二人が離れ、兵頭組の男が一歩下がった。


 男は自分の脇腹へ手をやった。掌を当てた場所から、温かいものが指へ広がった。顔を下げると、シャツに血が染みていた。


「……お前」


 刃物を持った男も動かなかった。相手の脇腹と、自分の手を見た。握ったままの刃が下がり、その先から血が落ちた。


 兵頭組のもう一人が、仲間の身体を支えた。何かを言おうと口を開いたが、さっきまでの怒鳴り声は出なかった。シャツを押さえた指の間から、まだ血が滲んでいた。


 倒れた看板の横で、五人は互いを見ていた。刺した男のすぐそばにいた若い衆が、その腕へ手を伸ばした。今度は、誰もその手を殴るためのものとは思わなかった。


◇◇◇


「岩城の若い衆に、一人刺されました」


 兵頭組で報告を聞いた東堂政信は、机から顔を上げた。横にいた滝川雄二も、話している男へ向き直った。


「なんでや」


「向こうから絡んできたみたいです。親父のこと言うたら逆上して、刃物出したいう話です」


 東堂は、すぐには返事をしなかった。向こうから絡まれ、武藤のことを口にしたら刺された。今の説明では、そういう話になっていた。


「お前、そこにおったんか」


「いえ。戻った者から聞きました」


「刺された奴は」


「病院へ運ばれてます」


 東堂は男の顔を見た。病院へ誰をつけたのかを確かめ、それから、最初の話へ戻した。


「こっちは手ぇ出してへんのか」


 男が一瞬黙った。滝川がその顔へ目をやった。


「……殴り合いにはなったみたいです」


「最初からそう言え」


 東堂の声に、男は頭を下げた。刃物を出したのは相手だとしても、その前に何があったのかを聞かなければならなかった。武藤のことを言ったという、その言葉さえ、まだ正確には聞いていない。


 滝川が立ち上がった。


「カシラ」


「座っとけ」


「親父殺られて、今度は若い衆刺されて、それでもまだ――」


「座れ言うとるんや」


 東堂が顔を向けた。滝川は立ったまま見返していたが、やがて、ゆっくり腰を下ろした。椅子の脚が床を擦った。


 東堂は報告に来た男へ目を戻した。誰と誰が会い、誰が何を言ったのか。殴り合いになったところを、誰が見ているのか。聞くことは残っていた。


 滝川は口を閉じていた。だが、刺された若い衆が病院にいることは、もう変わらなかった。


◇◇◇


「兵頭の連中が待ち伏せしとったみたいです」


 二代目鬼塚組で、岩城宗次は煙草を持つ手を止めた。報告に来た若い衆が、机の前に立っていた。


「待ち伏せ?」


「ウチの若い衆見つけて、武藤の件で絡んできたそうです。いきなり殴られて、殺される思うて刃物出したと」


 岩城は何も言わなかった。煙草を灰皿へ運び、灰を落とした。


 先に手を出すなと言っていた。兵頭組が周りへ車をつけ、こちらの出入りを見ていても、向こうが動くまでは動くなと命じた。その相手と、若い衆が街で殴り合いになった。


 報告では、待ち伏せされていたという。武藤の件で絡まれ、いきなり殴られた。刃物を出したのは、殺されると思ったからだった。


 岩城は若い衆の顔を見た。男は、親父が何か言うのを待っていた。


 同じ夜、同じ場所で起きたことだった。店を出た二人と、通りを歩いていた三人が、顔を合わせた。最初に何を言われたのかも、最初に誰を殴ったのかも、そこにいた五人は見ていた。


 だが、兵頭組へ戻った話では、岩城側から絡んできたことになっていた。鬼塚組へ届いた話では、兵頭組が待ち伏せし、先に殴りかかったことになっていた。


 腕を掴んで止めようとしたことも、胸ぐらを掴んだ手を振り払ったことも、その報告からは抜けていた。自分たちが何を言ったかより、相手に何をされたかが先に伝わった。


 一人の男が刺され、病院へ運ばれた。まだ死んではいなかった。


 それでも、兵頭組には刺された若い衆が残り、鬼塚組には、殺されかけたから刃物を出したという話が残った。どちらも、その続きを身内の口から聞いていた。


 武藤を誰が殺したのかは、分からないままだった。その答えが出る前に、今夜、誰が誰を刺したのかだけが、次の怒りを生んでいた。



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