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龍は天を仰ぐ  作者: lala
十二社会篇

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弔い



 本家へ向かう道には、朝から警察官が立っていた。交差点にも、路地の入口にも人がいて、黒塗りの車が通るたびに顔を向ける。八月十一日。龍司は榊組の車の窓から、その様子を見ていた。


 少し離れた場所には警察車両が並び、私服の男たちが出入りする車を目で追っていた。さらに外では、報道陣がカメラを構えている。前の車が本家へ入っていくと、そちらへ幾つものレンズが動いた。


 武藤が撃たれたという知らせは、もう極道の中だけの話ではなかった。テレビでも新聞でも名前が出ていた。その男の葬儀へ、天龍会の直参組長たちが集まろうとしていた。


 車を降りた龍司は、上着の裾を直した。喪服を着ていても暑さは変わらず、襟の内側には、もう汗が滲んでいる。水谷と相沢の後ろへつくと、また一台、車が入ってきた。


 久世征一郎が降りてきた。榊が頭を下げ、龍司も慌てて続いた。


 いつもなら、顔を上げた時に何か言ってくることがあった。煙草を差し出されたことも、龍司の返事を聞いて笑われたこともある。だが、今日はその顔に笑みがなかった。


 久世は榊へ短く目を向け、そのまま本家へ入っていった。龍司は背中を見送ってから、顔を戻した。次の車の扉が、もう開いていた。


 周囲の若い衆が頭を下げる。車から降りた男が通り過ぎると、少しして別の男へ同じように頭が下がった。龍司は横にいる水谷の動きを見ながら、そのたびに背筋を伸ばした。


 天道会、天政会、天翔組、天峯会。天真会と共に創天五家と呼ばれる組の親分たちが、次々と姿を見せていた。


 その中に、鳴海清隆がいた。以前、神楽町で顔を合わせた男だった。あの時には、目の前の人間がどれほど上にいるのか分からずに話していた。今日は周りの動きだけでも、その立場が分かった。


 鳴海も、いつものように立ち止まって誰かへ話しかけることはなかった。前を向いて歩き、本家の中へ消えた。


 本部長の新道宏一、舎弟頭の阿波野和重。若頭補佐たちも集まっていた。黒崎獅童をはじめ、これまで名前を聞いていた男たちが、同じ場所にいる。


 龍司の知らない組長も多かった。車を降りた瞬間に周りが動く者もいれば、誰かが駆け寄って奥へ案内する者もいた。榊や水谷が、その一人一人へ頭を下げていた。


「すごいな……」


 声に出してから、龍司は口を閉じた。水谷が横で顔を向けたが、咎めることはなかった。


「役職ついとる人間だけが大物ちゃうぞ」


「え?」


 水谷が顎をしゃくった。ちょうど、一人の男が車から降りたところだった。近くにいた若い衆が揃って頭を下げ、通る場所を空けた。


「鷹城英毅。二代目鷹城組の組長や」


 龍司は男を見た。先ほど通り過ぎた執行部の人間たちと、周囲の扱いは変わらないように見えた。


「本家の役は?」


「ただの若衆や」


 聞き返しかけた龍司へ、水谷が続けた。


「執行部やなくても、八百人近く抱えとる親分や」


 榊組の人間を全員集めても、その数には遠く及ばなかった。その男が、本家では若衆だという。龍司は、もう一度鷹城の背中を見た。


 役の名前を覚えれば、上と下が分かると思っていた。同じ直参でも、抱えている人間の数が違う。その名前を聞いて動く人間も違う。今日ここへ来るまで、龍司には、それを目の前で見る機会がなかった。


 さらに一台の車が入ってきた。降りてきた男は、離れたところからでも目についた。百九十センチはありそうな長身に、百キロを超えていそうな身体。頬には古い傷が走っていた。


 周囲にいた者たちが顔を向けた。天龍会の組長を迎えていた時とは、どこか様子が違った。


「誰です?」


「神代連合会の織田誠や」


「神代……」


「関東一の組織や。構成員一万五千、直系八十五団体」


 龍司は水谷を見た。それから、もう一度男へ目を戻した。


「天龍会よりも大きい」


「せや」


 水谷は短く答えた。織田は迎えに出た者と言葉を交わし、本家へ入っていった。


 天龍会の若頭が死んだ。その弔いに、関東からも人が来ている。龍司が神楽町で名前だけ聞いていた世界は、本家の門の中で終わっているわけではなかった。


 また車が入ってきた。龍司は邪魔にならないよう、水谷と共に脇へ寄った。これだけの人間が、武藤和正という一人の男を送りに来ていた。


◇◇◇


 岩城宗次が姿を見せると、兵頭組の人間たちが顔を向けた。誰かが名前を呼んだわけではなかった。それまで下を向いていた者まで、同じ方を見ていた。


 滝川雄二が顔を上げた。安西修司も、入ってくる岩城を見た。東堂政信は、その場に立ったまま動かなかった。


 岩城は視線に気づいていた。車を降りた時から、こちらを見ている人間がいる。近くに控えていた若い衆が身体を寄せたが、岩城は止まらずに歩いた。


 来なければ、顔を出せない理由があると言われる。逃げも隠れもしないと伝えた翌々日に、葬儀だけ欠くつもりはなかった。武藤へ反発したことと、弔いに来ることは別だった。


 滝川の前を通り過ぎようとしたところで、声がかかった。


「よう来れましたな」


 岩城は足を止めた。滝川がこちらを向いて立っていた。


「何がや」


「分かっとるでしょうが」


 近くにいた兵頭組の若い衆が、岩城を見た。岩城についてきた者も、その顔を見返した。互いに目を逸らさないまま、誰かが半歩、前へ出た。


「ワシは武藤を殺ってへん」


 岩城の言葉に、滝川の口元が動いた。兵頭組の一人がさらに寄り、鬼塚組の若い衆も動いた。


「やめんか」


 東堂の声だった。両方の足が止まった。下がった者はいなかったが、それ以上は近づかなかった。


 岩城は滝川を見たまま言った。


「今日は武藤を送りに来た」


 滝川は答えなかった。岩城も、ここで信じるのかと尋ねる気はなかった。


「話あるんやったら、終わってから聞いたる」


 そう言って歩き出した。後ろへついていた若い衆も、兵頭組の男たちを見ながら、その横を通った。


 滝川の拳が握られた。身体が動きかけると、東堂が横から腕を掴んだ。


「今はやめとけ」


「カシラ」


「親父の葬式や」


 滝川は東堂を見た。その手を振りほどくことはせず、岩城の背中へ目を戻した。岩城が奥へ入るまで、その場を動かなかった。


 東堂は掴んでいた腕を離した。滝川の手は、まだ握られたままだった。


◇◇◇


 祭壇には、武藤和正の遺影が置かれていた。龍司は少し離れた場所から、その顔を見た。新聞やテレビで見た写真よりも大きく、周りの花や、その前へ進む人間たちが目に入った。


 兵頭組の者たちは、祭壇の近くにいた。安西は俯き、滝川は唇を噛んでいた。東堂は出入りする人間へ気を配りながらも、ふと動きが途切れると、遺影へ目を戻していた。


 焼香を終えた男が頭を下げ、次の男が前へ進んだ。足音と、衣服の擦れる音がした。入口で岩城へ向いていた視線も、ここでは一度、祭壇へ戻っていた。


 黒崎獅童が焼香を終え、静かに下がった。新道宏一は少し離れた場所に立ち、その姿を目で追った。


 黒崎がふと振り返った。二人の視線が重なり、黒崎は軽く会釈した。新道も何も言わなかった。黒崎が脇へ退くと、次の参列者が前へ進んだ。


 やがて、人の動きが変わった。入口に近い者から姿勢を正し、話していた声が止まった。龍司もそちらへ顔を向けた。


 國枝重政が入ってきた。


 ゆっくり歩いていた。以前に見た時よりも頬が痩せ、喪服の肩に余りがあるように見えた。それでも誰かへ身体を預けることはせず、自分の足で祭壇へ向かっていた。


 誰も声をかけなかった。道を空け、頭を下げた者たちの間を、國枝が通っていく。龍司も頭を下げてから、静かに顔を上げた。


 國枝は武藤の遺影の前で止まった。少し顎を上げ、写真の中の男を見ていた。両手は身体の脇へ下ろしたままで、すぐには焼香へ進まなかった。


 待っている者たちも動かなかった。兵頭組の若い衆が、一人、顔を伏せた。その隣の男は、國枝の横顔を見ていた。


 長い間があった。國枝は小さく息を吐いた。


「……アホが」


 低い声だった。静まった場内では、離れた場所にいた龍司にも聞こえた。


「順番が逆やろが」


 國枝は遺影を見ていた。返事を待つように、しばらく口を閉じた。


「子が親より先に逝って、どないするんや」


 安西がさらに顔を落とした。滝川は唇を噛んだまま、動かなかった。東堂だけが、親父の遺影と、その前に立つ國枝を見ていた。


 龍司には、武藤が國枝へ何を話していたのか分からない。普段、どんな距離で座り、何と呼ばれていたのかも知らなかった。


 ただ、会長が若頭を失ったというだけではないことは分かった。兵頭組の人間が親父を亡くし、その親父を送りに来た男もまた、子を亡くした顔で立っていた。


「五代目はお前やなかったんか」


 誰も答えなかった。國枝は写真の中の武藤を見上げたまま、そこに立っていた。


 龍司は、少しだけ周りへ目を向けた。久世がいた。岩城も、十二社会の親分たちもいた。創天五家、本家執行部、龍司が今日初めて名前を聞いた組長たち。関東から来た男まで、同じ祭壇の前にいる。


 皆が武藤和正へ頭を下げていた。誰も大きな声を出さず、一人の男を送りに来ていた。


 それでも、入口で岩城へ向いた滝川の目を、龍司は忘れられなかった。あの時、東堂が腕を掴まなければ、どうなっていたのだろうと思った。


 焼香が進み、人が入れ替わった。祭壇へ向いていた顔が、下がってきた誰かへ動く。すぐに目を戻す者もいれば、その背中を見続ける者もいた。


 同じ男を弔っているのに、互いに何を考えているのかは分からない。


 龍司はもう一度、遺影を見た。この男が生きていれば、あの入口で何と言ったのだろうか。その声を、一度も聞いたことがなかった。


 頭を下げる人間たちの間に、見えない隔たりがあった。今日ここへ集まっただけでは、それは埋まらない。龍司にはなぜか、天龍会の割れる音が聞こえた気がした。



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