落とし所
武藤和正が卓へ置いたのは、数枚の紙だった。城戸源蔵の前へ滑らせてから、持ってきた封筒を脇へ置く。七月十八日。十二社会の親分たちが集まる座敷には、紙を引き寄せる音が小さく響いた。
十二人は全員揃っていた。武藤が入ってきた時、誰も席を立たなかったが、その顔を見る目は以前と同じではなかった。海老沢は腕を組んだまま座り、室井は武藤が腰を下ろすのを待っていた。梶原の目は、もう卓上の紙へ向いている。
「本家からの回答や」
城戸が一枚目を手に取った。すぐには何も言わず、頭から読み始める。隣にいた室井も身を寄せたが、途中で尋ねることはしなかった。
武藤は煙草の箱を卓へ置いた。まだ一本も抜かず、城戸が最初の頁を読み終えるのを待った。
「まず上納や」
城戸が顔を上げたところで、武藤は口を開いた。
「今の負担の決め方は見直す。組の規模と実情を見て、負担が偏らんようにする」
「減らすんですか」
海老沢が聞いた。武藤はそちらへ顔を向けた。
「減るとこもある」
「曖昧ですな」
「全部減らす言うたら、本家が潰れるやろ」
海老沢の目が細くなった。武藤は声を変えずに続けた。
「ワシは機嫌取りに来たんちゃうぞ」
海老沢は返事をしなかった。腕を組み直し、城戸の持つ紙へ目を落とす。横に座る片岡も、今のやり取りには口を挟まなかった。
城戸が一枚目を室井へ渡した。読み終えた紙が隣へ回り、梶原は次の頁を手に取った。並んでいる項目を確かめるうちに、紙を持つ手が止まった。
「上納の使い道は?」
「今までより見せる」
「全部ですか」
「全部は見せん」
武藤は即答した。梶原は紙から顔を上げた。
「何でです」
「本家にしか持てん金もある。表に出せん金もある。それまで十二人に全部見せろ言われて、はいそうですかとはならん」
梶原は黙って聞いていた。以前、料亭で数字を見せると言われた時から、全てがそのまま出てくるとは思っていなかった。それでも、どこまで見せるのかが分からなければ、判断はできない。
武藤は梶原の手元へ目をやり、続けた。
「せやけど、何にどれだけ使っとるか。大枠は定期的に出す。新道にも数字作らせとる」
「その時だけ見せて終わりやないんですね」
「定期的に言うたやろ」
梶原はもう一度、該当する箇所を読んだ。見せられない金があるという答えには、不満が残った。大枠という言葉の中に、どれだけの数字が収まるのかも、まだ分からない。
だが、使い道を尋ねれば本家経費と返され、それ以上は聞くなと扱われてきた頃とは違っていた。少なくとも、今後も説明するという話が紙に残る。梶原は頁を戻し、上納の見直しについて書かれた箇所と読み比べた。
「もう一つ」
武藤の声に、佐伯が顔を上げた。
「直参の親分と本家が話す場を定期的に作る」
「執行部だけやなく?」
「ああ」
「そこで本家の方針にも意見できるんですか」
「言うんは自由や」
「聞くかどうかは?」
「内容次第やな」
佐伯は口元を歪めた。
「そこは本家が決めると」
「当たり前や」
武藤の声が少し低くなった。佐伯を見ていた目が、その隣の石渡へ移り、卓を囲む親分たちを順に捉えた。
「そこだけは勘違いしたらあかん」
紙をめくっていた音が止まった。室井は読んでいた頁を卓へ置き、武藤へ顔を向けた。
「天龍会は寄り合いやない。本家があって、直参がおって、その下がおる。その形までひっくり返す気はワシにはない」
石渡が口を開いた。
「結局、最後は本家に従えいうことですか」
「最後はな」
武藤は石渡から目を逸らさなかった。
「その代わり、最後までに話す場所を作る言うとんねん」
石渡は膝の上へ手を置いた。反論しかけたように唇が動いたが、武藤はそのまま話を続けた。
「今までは、本家が決めて下へ落とす。それだけやった。それを変える。お前らの話を聞く。数字も見せる。上納も直す」
城戸の前には、最初に出した要求書も置かれていた。武藤が持ってきた紙と並べると、書かれていることにも、書かれていないことにも目が行った。
直参が意見を出す場はできる。だが、それで本家の決定を覆せるわけではない。縄張りに本家がどこまで関わるかも、五代目をどう選ぶかも、十二社会の求めた形では認められていなかった。
「せやけど、本家の統治まで渡せ言うなら、それは飲めん」
武藤は言い切った。そこを曖昧にして、十二人に都合のいい受け取り方をさせるつもりはないようだった。海老沢は腕を解き、卓の端へ手を置いたが、今度はすぐに何も言わなかった。
城戸は二つの紙を読み比べた。五月に要求書を出した時、ここに書かれた全てを、そのまま認めてもらえると思っていたわけではない。それでも、最初に返ってきた答えには、話を続ける余地がほとんど見えなかった。
今、武藤が持ってきたものも、全てを認めた回答ではない。ただ、前の紙にはなかったことが、幾つも書かれていた。
「会長は、これでええ言うとるんですか」
「ああ」
武藤が頷いた。
「ワシが話した」
城戸は武藤を見た。この紙を作るために誰と何を話したのか、細かい説明はついていない。國枝が何と言ったのかも、どこで話が止まったのかも、武藤は語らなかった。
室井が、少し首を傾けた。
「随分揉めたでしょう」
「そら揉めたわ」
武藤が鼻で笑った。室井の口元が緩み、柏木も小さく息を漏らした。古賀は顔を伏せたが、先ほどまでの硬い表情ではなくなっていた。
武藤は煙草の箱から一本抜いた。指に挟んだまま、城戸が紙へ目を戻すのを待つ。誰かが笑ったからといって、それで話をまとめようとはしなかった。
「……現実的やな」
城戸が呟いた。
「城戸さん」
海老沢がすぐに顔を向けた。城戸は紙を置き、その目を受けた。
「要求全部通っとるとは言うてへん」
海老沢は城戸を見ていた。横から石渡も視線を向けたが、城戸は言葉を変えなかった。
「けど、本家も何も譲ってへんわけちゃう」
室井が頷いた。梶原は何も言わず、上納と会計の頁へ戻っていた。そこにどれほどの変化があるのか、自分で確かめるまでは、賛成とも反対とも口にする気はないようだった。
佐伯は、定期的な話し合いについて記された一文を読んでいた。意見を言えることと、それが通ることは違う。武藤も、最後に決めるのは本家だとはっきり言った。
それでも、これまでなかった場ができる。
要求書を作り、十二人で名前を並べた。城戸は交渉を続けると言い、海老沢は待っても変わらないと言った。その間に武藤が一人ずつ訪ねてきて、今、こうして本家の回答が卓へ置かれている。
十二社会を作らなければ、ここまで動かなかったかもしれない。そう思うと、集まった意味がなかったとは言えなかった。
佐伯は紙から手を離した。武藤に、壊した後は誰が作るのかと聞かれた時のことを思い出す。真田は、腐ったところを切ればいいと、自分の盃へ酒を注いだ。
あの時は、二人とも今の天龍を残そうとしているのだと思った。だが、卓上の紙には、今までのやり方を変えると書かれている。まだ実際に変わったものを見たわけではない。それでも、何も変えずに残すという答えではなかった。
壊さなくても、変えられるのなら。
佐伯はその考えを口には出さず、もう一度、同じ一文へ目を落とした。
武藤がライターを手に取った。火をつける前に、城戸へ言った。
「今日決めんでええ」
城戸は顔を上げた。武藤が煙草へ火をつけ、ライターを箱の横へ置くまで見ていた。
「十二人で話せ」
「待つんですか」
「ああ」
煙を吐いてから、武藤は答えた。
「ここまで来たんや。最後は自分らで決めたらええ」
城戸はしばらく武藤を見ていた。それから、本家の回答を要求書の隣へ揃えた。海老沢も石渡も、その手元を見ている。誰も席を立たず、まだ答えを出した者もいなかった。
梶原が会計の頁を取り直した。佐伯はその隣の紙を引き寄せ、室井が城戸へ少し体を向ける。武藤は煙草を吸いながら、親分たちが読み終えるのを待っていた。
卓の上には、十二社会が求めたものと、本家が応じると決めたものが並んでいた。城戸は片方だけを重ねてしまわず、二つを開いたまま置いた。




