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龍は天を仰ぐ  作者: lala
十二社会篇

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33/53

一人ずつ



 松の葉から落ちた雫が、縁側の先の石を濡らした。雨は夜のうちに上がり、庭の池には薄い朝の光が映っている。六月十四日。武藤和正は縁側に座り、昨日、執行部が集まっていた座敷を背にしていた。


 卓は片づけられ、灰皿も下げられている。黒岩が処分を求め、神崎が要求書を十二人の総意だと言い、阿波野が二千人を超える組織の離脱を案じた。男たちの顔と声は、部屋が空になった後も、武藤の頭に残っていた。


 十二人おるなら、十二人と話したらええ。


 自分で言った言葉だった。口にした時、誰もすぐには賛成しなかった。一括処分の話は止まったが、それで十二人に会うことまで決まったわけではない。國枝も、昨日の座敷では最後まで聞いていた。


 相手は十二人の直参組長である。それぞれが組を持ち、その下に何十、何百という人間を抱えている。本家の若頭が会いたいと言えば、それだけで警戒する者もいるだろう。処分を言い渡すために呼ばれたと思えば、話す前から構える。


 城戸には城戸の筋があり、海老沢には海老沢の怒りがある。室井が迷っていることと、石渡が譲れないことも、同じではないはずだった。十二社会という名前を外せば、そこにいるのは十二人の男だった。


 武藤は庭から目を戻した。昨日、矢吹は十二人をまとめて呼ぶのかと聞いた。それが一番早いことは分かっている。だが、十二人を一つの座敷へ並べれば、また同じ看板を背負った返事を聞くことになる気がした。


「カシラ」


 背後から声がした。振り返ると、本家の若い衆が廊下で頭を下げていた。


「会長がお呼びです」


「ああ」


 武藤は立ち上がった。若い衆が脇へ退き、奥の部屋へ向かう道を空ける。廊下を歩く間、庭の枝から落ちる雫の音が聞こえた。


 襖の前で声をかけ、返事を待ってから開けた。國枝重政が一人で座っている。昨日のような大人数の座敷ではなく、卓上には茶が二つ置かれていた。


「座れ」


「はい」


 國枝が顎で示した向かいへ、武藤は腰を下ろした。國枝はすぐには話さず、湯呑みを手に取った。飲む前に一度、顔を横へ向けて咳をしたが、武藤へ目を戻す時には、いつもの表情になっていた。


 武藤も急かさなかった。自分の湯呑みには手をつけず、國枝が口を開くのを待った。


「ほんまに十二人と会うんか」


「そのつもりです」


「一人ずつ」


「はい」


 國枝は湯呑みを卓へ戻した。指を離してからも、しばらく武藤を見ていた。


「昨日の連中、まだ反対しとるぞ」


「でしょうね」


「十二社会を認めることになる言うとる」


 武藤は少し考えた。昨日の黒岩の言葉を思い返す。本家へ要求を突きつけた集まりを、若頭自ら訪ねる。その形だけを見れば、本家が圧に応じたと受け取る者がいることは分かった。


「認めるんは十二社会やないです」


 國枝の目が動いた。武藤は、その目を見て続けた。


「十二人の直参です」


 國枝は何も言わなかった。武藤は膝の上の手を動かさず、考えていたことを話した。


「十二社会いう看板と話したら、向こうも十二社会として答えるしかない。でも一人で呼べば、その人間の言葉で喋れる」


 盟主が横にいれば、盟主の言葉を待つ者がいる。強く出る者が先に口を開けば、引くつもりでいた者も言い出しにくくなる。十二人が名前を並べた要求書だけでは、その違いまでは見えなかった。


「本家に腹立てとる奴もおるでしょう。ほんまに天龍出たい奴もおるかもしれん。周りに流されとるだけの奴もおる」


「お前に見分けられるんか」


 武藤は少し笑った。


「分かりません」


 國枝の眉が僅かに動いた。武藤は笑みを引き、続けた。


「分からんから会います」


 國枝はしばらく武藤を見ていた。若頭になってからも、この男は、分からないことを分かったふりで押し通さなかった。それで話が早く済む場でも、自分が納得していなければ、一度足を止める。反面、自分でやると決めたことを、人へ渡して済ませることもなかった。


「十二人全部と会ういうたら、時間かかるぞ」


「かかりますね」


「その間に何か起きたら」


「起こさんために会うんです」


 國枝は鼻から短く息を吐いた。武藤の返事を聞いても、時間のかかることが変わるわけではない。一人と話している間にも、残りの十一人は、それぞれの場所で考え、動いている。


「口は達者やな」


「会長に鍛えられましたから」


 國枝の口元が僅かに緩んだ。武藤もそれ以上は言わず、ようやく湯呑みへ手を伸ばした。茶はまだ温かかった。


「武藤」


「はい」


「ワシはな、十二社会の言い分を全部飲む気はない」


「分かってます」


 國枝は卓上へ目を落とした。今、要求書は置かれていない。だが、どの要求を認められないと答えたのかは、紙を見なくても分かっていた。


「五代目を直参の多数決で決める気もない。シマのことも、本家が手ぇ引いたら済むほど簡単ちゃう」


「はい」


 直参組長会の意見を反映するという要求を、どこまで認めるのか。縄張りについて本家が口を出す範囲を、誰が決めるのか。会うことになったからといって、既に出した回答をそのまま引っ込めるわけにはいかなかった。


「せやけど」


 國枝は庭へ目を向けた。障子の開いたところから、濡れた石と池の端が見える。


「十二組まとめて切るんも違うと思っとる」


 武藤は湯呑みを置いた。國枝は四代目だった。切れと言えば、それが本家の決定になる。座敷にいる者が反対しても、最後に会長が言い渡せば、処分は下へ伝わっていく。


 十二組、二千人を超える人間。その後ろには、家族や、組と付き合って生きている者もいる。組長十二人の名を消して終わる話ではないことを、國枝も知っていた。


「昨日、お前が言うたやろ」


 國枝が続けた。


「まだ誰も死んでへんて」


 武藤は頷いた。


「はい」


「ワシも、そこは同じや」


 國枝が武藤へ目を戻した。昨日の座敷で処分を求める声を聞いていた時と、同じ目だった。


「死んでから話し合い言うても遅い」


 庭で雫が落ちた。武藤は國枝を見たまま、返事をしなかった。今、会長が口にした言葉を、そのまま受け止めていた。


 國枝は煙草を一本取り出した。指に挟み、火をつける前に言った。


「やれ」


 武藤の目が動いた。


「十二人、全部会うてこい」


「……はい」


 武藤は頭を下げた。昨日、自分が口にしたことが、本家の若頭として引き受ける仕事になった。十二人のうち誰かと話せばいいのではなく、全員と向き合うことを、國枝は命じていた。


「誰から行く」


 顔を上げ、武藤は少しだけ考えた。頭の中に、要求書へ並んでいた十二の名前が浮かぶ。


 城戸から始めれば、盟主との会談になる。城戸が十二社会として答えようとすることも、他の十一人がその返事を待つことも考えられた。まず本人の考えを聞きたいという武藤の意図が、そこで変わってしまう。


 海老沢からでもなかった。最初から強く出ている相手を選べば、本家がそこを押さえに来たと受け取られるかもしれない。誰から会うかという順番にも、見られ方があった。


「室井です」


 國枝が煙草へ火をつけた。最初の煙を吐いてから、武藤へ聞く。


「理由は」


「一番、話を聞いてくれそうやからです」


「弱いとこから崩すんか」


 武藤は首を横に振った。


「崩しに行くんちゃいます」


 國枝が、煙の向こうから武藤を見た。武藤はその視線を受けたまま、続けた。


「聞きに行くんです」


 室井が何を心配し、何を求めて十二社会へ加わったのか。城戸と同じように交渉を続けたいと考えていても、その理由まで同じとは限らない。まずは相手が話し、こちらがそれを聞けるところから始めたかった。


 國枝はしばらく黙っていた。それから、ほんの少しだけ笑った。


「ほな行ってこい」


 武藤は深く頭を下げた。


「ありがとうございます」


 部屋を出ると、廊下の先へ朝の光が差していた。呼びに来た若い衆が離れたところで待っており、武藤が歩き出すと、静かに頭を下げた。


 十二人を説得できる保証はない。一人目から追い返されるかもしれず、本家の若頭が来たことで、かえって怒りを強める者もいるだろう。座敷では言わなかったことを聞けば、こちらも考え直さなければならなくなる。


 武藤は廊下を進んだ。十二人と会うと決めた以上、都合のいい話だけを持ち帰るつもりはなかった。國枝が聞けと言ったのも、従う返事だけではないはずだった。


 縁側の前を通ると、先ほど座っていた場所が見えた。庭はまだ濡れているが、雨は止んでいた。


 まず、室井泰造と話す。十二社会の一人として名前を数えるだけだった男に、何を考えているのかを尋ねる。


 武藤は足を止めず、玄関へ向かった。



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