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龍は天を仰ぐ  作者: lala
十二社会篇

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32/55

武藤和正



 庭の池へ、雨が絶え間なく落ちていた。開けた障子の向こうで、濡れた木の枝が僅かに揺れている。六月十三日。本家の座敷には、十二社会の要求書を前にした執行部の男たちが集まっていた。


 床の間を背に、國枝重政が座っている。頬の痩せたところはまだ戻っておらず、時折、口元を押さえて咳をした。それでも、話す者へ向ける目には、四代目としての強さがあった。本部長の新道宏一と舎弟頭の阿波野和重がその近くに座り、若頭補佐の黒岩剛三、神崎隆臣、鷲尾勝政、矢吹宗一郎、黒崎獅童も顔を揃えている。


 武藤和正は、上座の一角で話を聞いていた。煙草を吸うことも、腕を組むこともなく、膝へ両手を置いている。男たちの声は大きくなかったが、話が進むほど、十二社会に対する言葉は厳しくなっていた。


「十二組まとめて処分したらええ」


 黒岩が言った。卓上の要求書を見たまま、膝に置いた手を握る。神崎が顔を上げ、その言葉を受けた。


「要求書まで出してきとるんです。ここで甘い顔したら、次が出ますわ」


「直参八十おるんやぞ。十二が許されるんやったら、残りも好き勝手言い出す」


 黒岩は國枝へ顔を向けた。要求への回答は、既に出している。検討するものは検討し、認められないものには、その理由も伝えた。それでも十二社会が集まりを続けていることを、黒岩は本家への圧力と見ていた。


「破門までいかんでも、最低限ケジメは取らせなあかんでしょう」


 鷲尾が続けた。処分の重さについては黒岩と同じではなかったが、このまま済ませることには賛成していなかった。


 國枝は返事をしなかった。湯呑みへ手を伸ばし、一口飲んでから元へ戻す。黒崎は卓上の要求書へ目を落とし、阿波野も口を閉じたまま聞いていた。誰も、國枝の沈黙を承諾として話を進めることはできなかった。


 黒岩が、武藤へ顔を向けた。


「カシラはどう思います」


 武藤は顔を上げた。黒岩を見て、短く返す。


「何がや」


「十二社会です」


「聞いとったで」


「ほな――」


「お前ら、十二人全員と喋ったんか」


 黒岩の言葉が止まった。神崎が僅かに姿勢を戻し、鷲尾は卓上へ目を落とす。武藤は膝に手を置いたまま、返事を待った。


「……いや」


「城戸とは?」


 黒岩は答えなかった。武藤は、神崎と鷲尾にも目を向けた。


「室井は。柏木は。海老沢は。石渡は」


 名前を挙げられても、返事はなかった。知らない相手ではない。直参として顔を合わせ、挨拶を交わしたことはある。だが、今回の要求について本人と話したとは、三人とも言わなかった。


「誰とも喋ってへんのか」


 武藤は声を荒らげなかった。それまで処分を口にしていた黒岩も、すぐには言い返せなかった。雨が庭の石を叩く音が、座敷へ入ってきた。


「要求書に書いてあることが、あいつらの総意でしょう」


 神崎が言った。武藤が、その顔を見る。


「ほんまに?」


「十二人で名前出しとるんですから」


「十二人が名前並べたら、頭ん中まで同じになるんか」


 神崎は口を閉じた。要求書を出すことに賛成した。それは、十二の名前が並んでいる以上、間違いない。だが、その先をどうするつもりなのかまで、紙には書かれていなかった。


 武藤は卓上の要求書へ手を伸ばした。上納負担の見直しと使途の説明、人事について直参組長が意見を出す機会、縄張り問題で直参同士の話し合いを尊重すること。そして、将来の五代目選定に直参組長会の意見を反映すること。順に目を通してから、元の場所へ戻した。


「新道」


「何や」


「銭の話、どうやった」


 新道は少し間を置いた。先日確かめた帳簿の数字と、事務方の返事を思い返す。それから、座敷の男たちへ聞こえる声で答えた。


「全部が全部、言いがかりとは言えんな」


 黒岩が新道へ顔を向けた。神崎も、要求書へ落としていた目を上げる。新道は、その反応に構わず続けた。


「上納の増額基準が曖昧なとこはある。本家経費いうだけで細目が見えん金もある。ワシが十二社会側でも、説明せえとは言うかもしれん」


 本部長が帳簿を確かめた上で言うのなら、ただ城戸の肩を持っているとして片づけることはできなかった。鷲尾は要求書を見直し、黒崎は新道の話を最後まで聞いていた。


「ほら見い」


 武藤は誰に言うでもなく呟いた。新道が調べたから分かったことだった。紙の文面だけを読み、金を惜しんでいると決めつけていたら、座敷では出てこない話だった。


「でもカシラ」


 鷲尾が口を挟んだ。


「正しい要求が一個あったら、集団で本家に圧かけてもええいう話にはならんでしょう」


「ならんな」


 武藤はあっさり認めた。鷲尾は次の言葉を用意していたようだったが、その返事を聞くと、一瞬口を閉じた。


「せやから話すんやろ」


 武藤は要求書を指先で軽く叩いた。紙の端が僅かに曲がっている。そこを直してから、鷲尾へ目を戻した。


「これ書いたんは紙やない。人間や」


 國枝が、武藤の横顔を見ていた。咳を押さえていた手を膝へ戻し、話の続きを待っている。


「城戸が何考えて名前書いたんか。海老沢が何に腹立てとるんか。柏木が何を守りたいんか。石渡が何を欲しがっとるんか」


 武藤の目が座敷をゆっくり回った。神崎は顔を上げ、黒岩も視線を逸らさずに聞いていた。


「ワシら、何一つ聞いてへんやろ」


 誰も口を挟まなかった。十二人で集まったこと、要求を出したこと、本家の回答を受けても解散していないこと。それらは知っている。そこから処分が必要だと言うまでに、本人たちへ確かめていないことが残っていた。


「一万人おったら、そら不満持つ奴も出る」


 武藤は続けた。


「本家が全部正しいとも思わん。直参が全部正しいとも思わん」


 上納の説明が足りなければ、本家が直すべきところはある。だからといって、十二社会の要求を全て通すことにはならない。武藤が言っているのは、その判断を捨てることではなかった。


「せやけどな」


 少し間を置き、声を落とした。


「間違っとるかどうか決める前に、口塞いだらあかんやろ」


 黒岩が僅かに身じろぎした。國枝の方へ一度目を向けたが、会長は何も言わなかった。武藤の言葉も、処分を求める言葉も、その場で聞いていた。


「カシラ」


 阿波野が口を開いた。それまで黙っていた舎弟頭へ、若頭補佐たちの目が向く。


「それで十二人が、天龍出る言うたらどうするんや」


 武藤は阿波野へ向き直った。


「その時考える」


「甘いんちゃうか」


「何がや」


「十二組やぞ。二千人超えとる。抜けてからでは遅い」


「せやから今、抜ける前なんやろ」


 阿波野は、開きかけた口を閉じた。武藤は座り直すこともなく、相手を見ていた。抜けた後では遅いというのなら、まだ天龍会の中にいる今、話すことをやめる理由にはならなかった。


 座敷にいる者は、十二の組が持つ人数を知っている。本家の回答一つで、それだけの人間が一度に敵へ回るかもしれない。その恐れから、先に処分しておくべきだという話も出ていた。


 武藤も、人数を軽く見ているわけではなかった。組長一人を処分すれば、その下にいる若い衆の行き先も変わる。十二人をまとめて切るという言葉の先には、今ここにいない大勢の人間がいた。


「まだ誰も鉄砲撃ってへん」


 庭の雨音に交じり、その声が通った。武藤は黒岩から阿波野へ目を動かし、続けた。


「まだ誰も死んでへん」


 新道が黙って武藤を見た。処分の軽重や、本家の威厳をどう保つかという話の中で、その事実は後ろへ追いやられていた。争いになった時の人数を数える前に、まだ争いを始めていないことを考えなければならなかった。


「今なら喋れる」


 武藤は、國枝へも目を向けた。國枝は動かなかった。鷲尾は目を伏せ、神崎は武藤を見ている。黒崎も口を挟まず、二人の間へ置かれた要求書を見ていた。


 十二社会の要求が正しいから話すのではない。正しくないと思うなら、その相手と話し、どこが違うのかを確かめる必要があった。武藤は、その手間を省いて処分だけを決める気にはなれなかった。


「十二人まとめて呼びますか」


 しばらくして、矢吹が尋ねた。先ほどまでの座敷にはなかった問いだった。処分の方法ではなく、話をするならどうするのかを聞いている。


 武藤は首を横に振った。


「それやったらまた十二社会と本家になる」


「では?」


 武藤は要求書へ目を落とした。一枚の紙に十二の名前が並んでいる。この紙を挟んで座れば、どちらの側に座ったかで、口にする言葉まで決まってしまうことがある。


 城戸の隣には海老沢が座り、柏木の向かいには石渡が座る。自分の考えを話す前に、隣の男の顔を見る。今の本家の座敷にも、同じようなことはあった。


 武藤は紙の端から手を離した。十二の名前の向こうには、十二人の男がいる。それぞれに組があり、若い衆がいて、家族がいて、積み上げてきた時間があった。同じ要求に名を連ねても、守りたいものまで一つになるわけではない。


「十二人おるなら」


 顔を上げると、矢吹が続きを待っていた。


「十二人と話したらええ」


 國枝が、ほんの僅かに目を細めた。新道は何も言わず、煙草を取り出した。火をつけ、最初の煙を吐く間も、座敷では誰も新しい言葉を出さなかった。


 黒岩は膝に置いた手を開いた。処分の必要がなくなったと思ったわけではない。それでも、十二人と話していないという問いには、最後まで答えられなかった。


 阿波野も、すぐに賛成はしなかった。一人ずつ話したところで、考えが変わるとは限らない。本家が折れたと受け取る者も、なお足りないと言う者もいるかもしれなかった。


 それでも、一括処分という言葉を口にする者は、もういなかった。武藤は要求書を閉じ、卓上へ戻した。庭では雨が降り続き、池の水面に幾つもの輪が重なっていた。


 紙の向こうにいる人間を見る。武藤和正にとっては、それをせずに十二人の行く先を決める方が、よほど難しいことだった。



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