拒否
五月二十一日。四代目天龍会本家では、前日に続いて十二社会の要求書を巡る協議が行われていた。
大会議場の座卓には、要求書とともに新道宏一がまとめた資料が置かれている。直参各組織から上がる金額と、本家の支出。その数字を確かめるため、朝から何度か事務方の若い衆が呼ばれていた。
新道は手元の資料を一枚めくり、並んだ数字を指でなぞった。昨日は要求をどう受け止めるかという話が中心だったが、今日は本家として何を返すのかを決めなければならない。紙を出した十二人も、その返事を待っている。
「上納については、見直せる部分があります」
新道の声に、男たちが資料へ目を落とした。
「組の規模やシマの状況も昔とは違う。一律で考えるには無理が出とる」
長く本家の金庫番を務めてきた新道には、数字の向こうにある各組織の事情が見えていた。以前と同じ額を納めていても、その重さまで同じとは限らない。人が増えた組もあれば、稼ぎの細ったシマを抱える組もある。
「下げた分は、どこで埋めるんや」
黒岩剛三が聞いた。昨日のように要求そのものを退ける口調ではなかったが、本家の負担が増えることには変わらず厳しかった。
「そこも含めて調べるんです。今ここで、一律に下げるいう話はしとりません」
新道は資料から顔を上げた。
「使途についても、全部とは言いませんが、ある程度説明する仕組みは作れるでしょう」
「そこは検討してもええんちゃうか」
神崎隆臣が言った。
「不満が出とる以上、何も変えへんでは済まんでしょう。何に使うとるか分からんまま払え言われたら、納める方も納得しにくい」
黒岩は口を結び、もう一度資料を見た。鷲尾勝政も腕を組んだままだったが、強く反対する様子はない。十二人が連名で要求を出した形には異論があっても、負担の実情を調べることまで拒む理由にはならなかった。
ただ、検討すると答えることと、要求どおりに制度を変えることは違う。新道は金額の変更を約束せず、まず見直す余地があるとだけ述べた。武藤和正も、その区別を確かめるように資料へ目を通していた。
人事についても、直参組長が意見を出す機会を設けること自体は、検討の対象に残った。本家の役付きを決める権限を渡すわけではない。それでも阿波野和重は、昨日と同じく慎重な姿勢を崩さなかった。
「意見を聞いたあとで、通らんかったらどうする。聞くだけ聞いて無視した言われるぞ」
「せやから、決める権限とは分けて返したらええんです」
神崎が答えると、阿波野は要求書を見下ろした。直参の不満を聞くことには意味がある。だが、聞く場を作れば、それだけで済まなくなるという懸念も消えていなかった。
武藤は二人のやり取りを聞いたあと、新道へ目を向けた。
「上納と人事は、検討するいう形で残しといてください」
新道が手元の紙へ短く書き込んだ。その先には、まだ意見のまとまらない項目が二つ残っている。直参同士の縄張り問題に対する本家介入の制限と、将来の五代目選定への直参組長会の関与だった。
「縄張りへの介入を制限するいう話は飲めん」
黒岩が言った。
「直参同士で揉めた時、本家が止められへんようになる。そんなもん組織ちゃうやろ」
「介入するな、とは書いてへん」
矢吹宗一郎は要求書へ目を落としていた。
「必要以上に入るないう話や。当事者同士で話がつくなら、そこは尊重してくれいうことやろ」
「その必要以上を誰が決めんねん」
黒岩の返事は早かった。矢吹が顔を上げると、黒岩は座卓の上の要求書を指した。
「片方は話がついた言う。もう片方は納得してへん言う。それでも本家は入るなで済むんか」
矢吹はすぐには答えなかった。当事者同士の話し合いを尊重することに異論はない。だが、どこまでを当事者の話とし、どこからを本家が扱うのか、その境目を要求書だけで決めることはできなかった。
直参同士の揉め事であっても、それぞれの下には傘下の組織がいる。上で収まらなければ、下の者が動くこともある。誰かが本家の裁定を求めた時、もう一方が介入は不要だと言えば、それだけで話が止まってしまう。
「本家が本家である以上、最終的な裁定権まで手放すわけにはいかんでしょうな」
新道が静かに言った。金の話では神崎と近かった新道も、この項目では黒岩と同じ側に立った。
神崎は要求書を読み返したが、その言葉には反論しなかった。下で話し合う余地を広げることと、本家の権限を制限することは、同じではない。城戸らが前者を求めていたとしても、後者まで認める文面では返せなかった。
「当事者の話を聞く。それはこれまでどおりや」
武藤が口を開いた。
「せやけど、本家が入れる範囲を先に狭めるいう形にはできん」
矢吹は小さく頷き、要求書を座卓へ置いた。理解できる部分はある。それでも、そのまま認めることはできないという点では、席にいる男たちの考えが揃い始めていた。
「ほんで、最後や」
阿波野が要求書の末尾を指で叩いた。
将来の五代目選定に、直参組長会の意見を反映する。
昨日、國枝重政が手を止めた一項だった。誰もが一度は目を通している。それでも阿波野がそこを示すと、紙をめくる音がやんだ。
「これは話にならん」
阿波野の声には迷いがなかった。
「四代目が健在のうちから、直参が次の会長選びに口出す仕組み作れいうんか」
「選ぶ権利をよこせとは書いてません」
神崎が言った。
「意見を反映させろ、です」
「言葉が違うだけや」
阿波野は神崎を見た。
「本家の跡目に外から口出せる前例を作る。それが問題や」
神崎は指先で要求書の端を押さえた。直参も同じ天龍会の人間であり、誰が頂点に立つかは自分たちの行く末にも関わる。その意見を聞いてほしいという城戸らの考えは分かる。だが阿波野が問題にしているのは、個々の意見ではなく、跡目の決定に関与する仕組みだった。
武藤は黙っていた。次の会長という話になれば、真っ先に名を挙げられる立場にいる。ここで要求を拒めば、自分のために直参の口を塞いだと受け取られる可能性もあった。
それでも、若頭として答えを避けるわけにはいかない。武藤は要求書から視線を上げ、阿波野だけでなく、座卓を囲む男たちを見渡した。
黒崎獅童も顔を上げていた。この日も発言は少なく、資料と議論の双方を静かに追っている。阿波野の言葉が出てから、五代目選定への関与を認めようとする声は上がっていなかった。
「上納と人事は検討する」
武藤が言った。
「せやけど、縄張りへの介入制限は、そのままでは認められへん。五代目の選定についても同じや」
「俺もそれでええと思います」
鷲尾が頷いた。昨日から問題視していた本家の秩序を、この答えなら保てる。黒岩も異論を挟まず、阿波野は要求書から手を離した。
神崎は少し考えてから、武藤へ向き直った。
「拒否するにしても、言い方は考えた方がええでしょうね」
「向こうも天龍の直参やからな」
矢吹も続けた。
「敵に返す文書やない」
武藤は頷いた。十二人が集まったことへの反発まで回答に乗せれば、検討するとした項目もまともに受け取られなくなる。要求を認めない理由は伝える必要があるが、相手を切り捨てるための文書にするつもりはなかった。
その時、大会議場の外で足音が止まった。入口の若い衆が頭を下げ、國枝重政が姿を見せる。座卓を囲んでいた男たちが、揃って姿勢を正した。
「会長」
國枝は短く頷き、自分の足で上座へ向かった。昨日より顔色は悪く、席に着く前に一度、口元へ手を当てて咳をした。だが武藤が身を寄せようとすると、空いている方の手で制した。
「どこまで決まった」
腰を下ろした國枝へ、武藤が要求書を差し出した。上納と人事については検討する。縄張りへの本家介入を制限することと、五代目選定に直参組長会を関与させることは認めない。武藤はそれぞれの議論を、順を追って説明した。
國枝は途中で口を挟まなかった。新道の資料にも目を通し、最後に要求書へ視線を戻す。読み終えると紙を置き、しばらく目を閉じた。
「……そうか」
掠れた声だった。國枝は湯呑みを手に取り、一口だけ飲んでから武藤を見た。
「上納や人事は、時代に合わせたらええ」
新道が静かに頭を下げた。國枝は座卓に置かれた資料へ指を添え、その先の要求書へと手を移した。
「せやけど、本家が本家やなくなるような話まで飲む必要はない」
「はい」
武藤が答えた。國枝はもう一度紙へ目を落とし、続けようとしたところで咳をした。今度は二度続いたが、収まるまで誰も口を開かなかった。
「話は聞け。突っぱねるだけはするな」
國枝はそこで一度、息を整えた。
「同じ天龍や」
武藤は静かに頷いた。阿波野も黒岩も、それ以上の異論は挟まなかった。要求を認めないことと、十二人を天龍会の外へ押し出すことを、國枝は一つにしていなかった。
新道が書き込んだ紙を武藤の前へ寄せた。そこには、検討する項目と、認められない項目が分けて記されている。武藤は一つずつ確かめ、回答をまとめるよう指示した。
上納と人事は検討する。縄張りへの介入制限と、五代目選定への直参組長会の関与は認めない。
十二人の要求をすべて退けたわけではない。だが、本家が実際に何かを変えると約束した項目はなく、二つには明確な拒否が返されることになった。
新道が紙を揃える間、國枝は席に座ったまま、その手元を見ていた。本家として守るべきものを守り、話を聞く余地も残した。大会議場にいる男たちは、その答えを確かめていた。
回答は、まだ十二人のもとへ届いていない。




