改革
五月十七日。
昼過ぎ、榊宗次郎は再び二代目天真会の事務所を訪れていた。昨日とは違い、今日は水谷と龍司も一緒だった。
もっとも、龍司に用があるわけではない。水谷が別件で天真会へ届ける書類を持っており、龍司はその付き添いでついてきただけだった。
「昨日も来たんやろ?」
廊下を歩きながら龍司が榊へ聞いた。
「来たで」
「今日も何かあんの?」
「あるから来とんねやろ」
「何が?」
「お前は何で全部知りたがんねん」
「気になるやん」
榊は相手にせず、先に応接室へ入った。龍司はその背中を見送ると、水谷と一緒に少し離れた待合の長椅子へ腰を下ろした。
「兄貴、何の話やと思う?」
「知らん」
「絶対知ってるやん」
「ここで騒ぐな。黙って待っとけ」
「はいはい」
龍司は背もたれへ身体を預けた。榊組の事務所ならまだしも、ここは天真会の本部である。さすがの龍司も好き勝手に歩き回るほど馬鹿ではなかった。
応接室では、久世征一郎が昨日の要求書を机に置いていた。
「昨日から何回か読んだけどな」
久世が煙草へ火を点ける。
「向こうが言うとること、全部が間違いやとは思ってへん」
「俺もです」
榊は要求書へ目を落とした。上納、人事、縄張りへの介入。その辺りについては、直参の組長たちが不満を持つ理由も理解できる。
天龍会は一万人近い人間を抱える巨大組織になった。組織が大きくなれば金も動き、人事ひとつで影響を受ける人間も増える。本家が全体をまとめる必要がある一方、直参には直参で自分の組を預かる立場があった。
「今回の京極との話もそうや」
久世が言った。
「本家が入ったから止まった。それ自体は悪いことやない。せやけど、何でも本家が決めるようになったら、自分で組持っとる意味がないと思う親分がおってもおかしない」
「そうですね」
「上納かて、下に何百人抱えとる組と百人の組で事情は違う。そこ見直せ言うだけなら、別に無茶な話でもない」
久世はそう言いながらも、要求書を肯定しているわけではなかった。問題は内容だけではなく、十二人の直参組長がまとまり、連名で本家へ要求を出すという形そのものにある。
「そこまでせな、本家に届かんと思ったんでしょうか」
「城戸さんはそう考えたんかもしれんな。一人で言うても一人の不満で終わる。十二人なら無視できん。理屈は分かる」
「でも、本家からしたら話は変わりますよね」
「せや」
同じ要求でも、一人の直参が意見を出すのと、十二人が名前を並べて出すのとでは意味が違う。まして最後には五代目選定への関与まで書かれている。
それを改革の提案と見るか、本家の権限へ踏み込んだ要求と見るか。受け取る側によって意味は変わる。
「親父は、十二人が間違ってるとは思わんのですね」
「間違ってへん部分もある。それと、このやり方を本家が飲めるかは別の話や」
榊は黙って頷いた。
話を終えて二人が応接室を出ると、龍司と水谷はまだ廊下で待っていた。
「親父」
龍司が立ち上がる。
「終わったん?」
「おう」
その後ろから久世が出てきた瞬間、龍司の姿勢が自然と変わった。
「お疲れさまです」
「おう」
久世は龍司の前を通り過ぎかけたが、何か思い出したように足を止めた。
「龍司」
「はい」
「お前、昨日の話まだ気になっとるんか」
龍司は一瞬だけ榊を見る。
「……はい」
「何が分からん」
そこまで聞かれて、龍司は少し迷った。榊には何でも口にするが、久世を相手に同じ調子で話すわけにはいかない。
「すんません。俺みたいなんが聞く話やないとは思うんですけど」
「ええから言うてみ」
「城戸さんらが言うてること、全部おかしいわけやないんですよね?」
「ああ」
「親父も……」
龍司は隣の榊を見てから言い直す。
「榊の親父も、そう言うてました」
「せやな」
龍司は少し考えた。
「ほな、何で揉めるんですか?」
久世が龍司を見る。
「揉める?」
「はい。向こうの言い分にも筋が通ってるところがあって、本家の人らもそれが分かるんやったら……ちゃんと話したら、それで済むんちゃうんかなって」
「龍司」
榊が低い声で名前を呼んだ。
「すんません」
龍司がすぐに頭を下げる。
だが、久世は怒らなかった。
「ええ。こいつは別に喧嘩売っとるわけやない」
久世は龍司へ目を戻した。
「お前の言いたいことも分かる。ただな、人間二人でも話し合うだけで全部丸く収まるとは限らんやろ」
「……はい」
「それが一万人になったら、もっと簡単にはいかん」
正しいか間違っているかだけで組織は動かない。誰が言ったのか、どういう形で出されたのか、それを認めれば誰の立場が変わるのか。上で決めたことは、その下にいる何百、何千という人間にも影響する。
十二人には十二人の事情があり、本家には本家の事情がある。同じ天龍会の代紋を背負っていても、立っている場所が違えば見えるものも違った。
「難しいですね」
「せやろ」
「はい」
久世が笑った。
「せやから今は、お前は榊の言うこと聞いとけ」
「分かりました」
「ほんまか?」
「……多分」
「龍司」
「分かりました!」
榊に睨まれ、龍司は慌てて頭を下げた。久世はそれを見て笑い、そのまま廊下の奥へ歩いていった。
龍司には、まだ完全には理解できなかった。
喧嘩なら単純だった。殴られたら殴り返し、自分の街へ勝手に入ってきた者がいれば追い出す。だが、天龍会ほど大きな組織になると、それだけでは決められないことがあるらしい。
間違っていない要求でも、通るとは限らない。同じ代紋を背負っていても、立場が違えばぶつかる。
龍司がこれまで知らなかった種類の揉め事が、少しずつ形を持ち始めていた。




