十二社会
五月十日。
大阪市内の繁華街から一本奥へ入ったところに、その料亭はあった。表通りの喧騒はここまで届かず、日が落ちれば軒先の提灯と門灯だけが細い路地を照らす。普段なら座敷から酔客の声が漏れてくる時間だったが、今夜は二階だけが貸し切られ、店先には時間をずらして到着した黒塗りの車が何台も並んでいた。
二階の一番奥にある座敷では、すでに酒が進んでいる。
四月三十日に初めて顔を揃えてから十日。あの夜は城戸源蔵の呼び掛けに応じた十二人が、互いの腹を探りながら話しただけで終わった。それでも、もう一度声が掛かれば十一人が当然のように同じ料亭へ来た。
初回ほどの硬さはない。料理を摘まみながら近況を話し、酒が回れば笑いも起きる。自分の組へ戻れば何十、何百という人間を従える直参組長たちも、この席では同じ代紋を背負ってきた者同士だった。
空いている座布団は一つだけだった。
七時半を少し過ぎた頃、廊下から足音が近づき、襖が開く。
「すんません。遅なりました」
「遅いわ、片岡」
海老沢豪がすぐに声を飛ばした。
二代目京極組組長、片岡忠志は苦笑しながら座敷へ入った。
「若い衆がしょうもないことで揉めましてな。話つけてたら遅なりました」
「どことや」
「シマの境目ですわ。向こうの若いのと、こっちの若いのがちょっと」
「収まったんか」
「もう終わってます。上からも話入ってますし、こっちも引かせましたから」
「ほなええ」
海老沢はあっさり興味を失い、片岡へ猪口を寄越した。
神楽町という地名は出なかった。榊組も、柳龍司も、この座敷では話題にすらならない。柳が拳を振るったところから始まった一件も、ここまで上がれば「若い衆が境目で揉めた」という程度の話だった。
ただ、片岡が口にした一言には反応した者がいた。
「上から話入った言うたな」
梶原信成だった。
「入りましたよ」
「最近、多ないか」
「何がです?」
「本家が出てくるんがや」
それまで料理へ伸びていた箸が、いくつか止まった。
片岡の一件だけではない。シマの調整、商売上の揉め事、直参同士の衝突。天龍会が大きくなるにつれて、本家が間へ入る場面は確実に増えていた。
「そらデカなったんやから、しゃあない部分もあるやろ」
室井泰造が言った。
「一万人おんねんぞ。好き勝手やらせて抗争なったら、それこそ誰が止めんねん」
「止めるなとは言うてへん」
梶原は猪口を置いた。
「話する前から答え降ろしてくんな言うとんねん。こっちはこっちで何十年も地場でやっとるんや。シマの事情も相手の事情も、本家より俺らの方が知っとる」
「今回の俺んとこは助かりましたけどね」
片岡が酒を飲みながら言った。
梶原がそちらを見る。
「せやろ。全部が悪い言うてへんねん」
「ほなええやんけ」
海老沢が割って入った。
「よないから言うとるんや」
「お前いっつも話ややこしすんねん」
「お前が簡単にしすぎや」
海老沢が鼻で笑い、座敷に小さな笑いが起きた。
城戸は上座でそのやり取りを聞いていた。
十二人の考えが揃っていないことは、最初から分かっている。むしろ十日前より、その違いははっきり見えるようになっていた。
室井のように本家の立場を理解しようとする者もいれば、海老沢のように直参へ口を出されること自体を嫌う者もいる。梶原が気にしているのは感情より仕組みだった。
「シマだけちゃうで」
梶原が続けた。
「上納も一緒や」
「また金か」
海老沢が呆れた顔をする。
「金が一番分かりやすいやろ」
梶原は気にしない。
「天龍の看板背負って商売しとる以上、本家に金入れるんは当たり前や。俺かて上納なくせなんか言うてへん。ただ、組織デカなったいう理由で額だけ上がって、何に使われとるか何も分からん。それで下に説明つくか?」
「下に説明なんか要るかい」
「お前んとこはそれでええんやろ。俺んとこは違う」
「ほな金の流れ全部見せろ言うんか」
「誰が全部言うた」
「どこまでや」
「せやから、それを話しとるんやろ」
「やっぱりややこしいやないか」
「お前とはもう喋らん」
今度は城戸も笑った。
同じ不満でも、中身は違う。
それでよかった。
全員が同じことを言うだけなら、十二人も集まる意味はない。
「金だけでもないやろ」
赤松隆一が灰皿へ煙草の灰を落とした。
「人事もそうや。最近、本家の役付きなんかほとんど中で決めてから降りてくるやないですか」
「八十人全員に聞いて決めるんか」
柏木寛治が言う。
「それも無理やろ」
「全員に聞けとは言うてへん。ただ、俺ら直参が何も知らんまま決まっとることが増えたいう話ですわ」
佐伯昭三がそこで口を開いた。
「せやから仕組み変えなあかんねん」
それまでとは少し違う強さのある声だった。
「組がデカなったんやったら、デカなった組に合わせてやり方も変えたらええ。昔からこうやった、で済ませる方がおかしいやろ」
「何でも変えたらええもんちゃうぞ」
室井が返す。
「変えへんかったら何も変わらん」
「当たり前や。何言うとんねん」
また笑いが起きる。
酒席らしい空気は残っていた。
だが、話題は少しずつ深いところへ入っていく。
「人事いうたら」
赤松が煙草を揉み消した。
「この先もありますしな」
誰もすぐには続かなかった。
四代目天龍会の、その先。
國枝重政の次に誰が座るのか。
今の時点では、若頭の武藤和正が五代目を継ぐ。それが組織内の共通認識だった。だからこそ、誰を推すという話ではない。それでも代替わりの時、八十近い直参がどこまでその決定に関われるのかは別の問題だった。
「まだ早いやろ」
室井が低く言った。
「國枝会長は健在や」
「今すぐ跡目決めろなんか誰も言うてへん」
石渡慎吾が返した。
「せやけど、その時なって『本家で決まりました。お前ら従え』で終わるんか?」
「石渡」
城戸が初めて強く話を切った。
石渡が上座を見る。
「話を先に走らせんな」
「俺は誰を五代目にせえとも言うてませんよ」
「分かっとる。せやから分けろ言うとんねん」
城戸は猪口を置いた。
「跡目の話と、俺ら直参が組織の決め事にどこまで関われるかいう話は別や。混ぜたら余計な話になる」
石渡もそれ以上は言わなかった。
城戸はしばらく黙って十二人を見た。
十日前から話してきたことは、結局いくつかの問題へ集約されていた。本家への上納、役付きの人事、各組のシマへ本家がどこまで介入するのか。そして将来の跡目選定に、直参組長たちの意思をどう反映させるのか。
どれも天龍会を否定する話ではない。
少なくとも、城戸にそのつもりはなかった。
「俺はな」
城戸が口を開いた。
「天龍出たいわけちゃうで」
海老沢が腕を組む。
「潰したいわけでもない。俺らも天龍や。この代紋でここまで来た。それ忘れて本家がどうの言い出したら、ただの謀反や」
「ほな、このままでええんですか」
古賀慎二が聞いた。
「ええわけないから集まっとる」
城戸は古賀を見た。
「組織が一万人までデカなったんや。昔と同じやり方が全部そのまま通用する方がおかしいやろ」
梶原が頷く。
「せやから、まとめよ」
「何をです?」
「今出た話や。上納、人事、シマへの介入。それと跡目の決め方。十二人で意見まとめて、本家に出す」
大庭英治が、それまで浮かべていた笑みを少し消した。
「本家に?」
「ああ」
「ほんまに出すんですか」
「何のために集まっとんねん」
城戸は大庭を見る。
「毎月ここ来て、酒飲んで愚痴言うだけやったら居酒屋でええやろ」
海老沢が煙草へ火を点けた。
「出して蹴られたら?」
城戸はすぐには答えなかった。
「その時、また十二人で話す」
「甘いな」
「何がや」
「蹴られてから考えんのか」
「蹴られる前から喧嘩の準備するんか?」
「誰もそこまで言うてへん」
「お前の『そこまで』は信用ならん」
片岡が堪えきれず笑った。
「兄貴、城戸の親分に完全に読まれてますやん」
「お前は黙っとけ」
「俺、遅れてきてからずっと大人しゅうしてましたやん」
「遅れてきた奴が偉そうに言うな」
座敷の空気が緩んだ。
城戸も笑った。
要求を出す。
今夜決まったのは、そこまでだった。
本家がどう答えるのか。その答えを受けて十二人がどうするのか。まだ何も決まっていないし、決める必要もなかった。
少なくとも今は、誰も天龍会から離れるつもりはない。
しばらくして柏木が猪口を置いた。
「ところで、この集まり何て呼ぶんや」
「何や急に」
「これからも集まるんやろ。毎回『例の十二人』やの言うん面倒やんけ」
岩城が笑う。
「十二人会でええやろ」
「ダサすぎるでしょ」
古賀がすぐに返した。
「ほな十二組会?」
「もっとダサなっとるがな」
「お前ら名前つける才能ないな」
海老沢が呆れた顔をする。
「ほな兄貴つけてくださいよ」
片岡に振られ、海老沢が黙る。
「……十二会」
「大して変わってへんやないですか」
「うるさいわ」
笑い声が広がった。
城戸はその様子を見ながら酒を飲んでいた。
四月三十日に初めて集まった十二人が、十日後も同じ卓を囲んでいる。考えは違い、性格も違う。それでも一度きりの酒席で終わらず、これからも集まることだけは誰も疑っていなかった。
「十二社会でええやろ」
誰かが言った。
城戸が顔を上げる。
「十二社会?」
「十二人で集まって話す会や。分かりやすいやんけ」
「まあ、さっきのよりはマシやな」
「海老沢さんの十二会よりはな」
「まだ言うんか」
また笑いが起きた。
城戸は壁の時計へ目をやった。
そろそろ始めなければならない。
目の前には、先ほど引き寄せた白紙がある。今夜ここから、十二人が本家へ何を求めるのかを形にしていく。
城戸が猪口を置くと、周囲も自然と静かになった。
「ほな」
十一人の視線が上座へ集まる。
城戸は白紙へ手を置いた。
「十二社会、始めよか」




