執行部
五月七日。
午前十一時を少し回った頃、四代目天龍会本家の大広間には十二人の男が揃っていた。
正面に座るのは四代目会長、國枝重政。その左右に若頭の武藤和正、本部長の新道宏一、舎弟頭の阿波野和重が並び、若頭補佐、舎弟頭補佐が席次に従って座っている。
普段の本家会合とは違う。ここにいるのは、八十近い直参と一万人近い構成員を抱える四代目天龍会の方針を決める側の人間だけだった。
國枝は正面の座椅子へ深く腰を下ろしていた。六十四歳。白髪を後ろへ撫でつけた姿は、黙って座っているだけでも周囲の空気を変える。
「そしたら始めよか」
國枝が言うと、雑談が消えた。
新道は手元に置いていた一枚の紙を持ち上げた。
「四月三十日の件です。集まったんは十二人。辰巳の城戸、海老沢、菱川の梶原、室井、大嶽の大庭、佐伯、鬼塚の岩城、赤松、高瀬の石渡、柏木、京極の片岡、古賀」
新道は名前を読み終えると、紙を卓上へ戻した。
「場所は大阪の料亭。店を押さえたんは辰巳側です。城戸が上座。誰が最初に声を掛けたんかまでは取れてませんが、城戸が中心におったんは間違いないでしょう」
「で、中で何話しとったんや」
真っ先に聞いたのは黒岩剛三だった。五十五歳。古参の武闘派らしく、回りくどい話を嫌う。
新道は黒岩を見る。
「そこは取れてません」
「一番大事なとこやないか」
「せやから今日集まっとんねやろ」
武藤が横から言った。
黒岩は武藤を見ると、少しだけ眉を寄せた。
「カシラ、俺は別に新道の叔父貴に文句言うてるんちゃうで。ただ、十二人も集まって何話したか分からんままいうんは、気色悪いやろ」
「それは俺も同じや」
武藤は否定しなかった。
「せやけど、気色悪いからいうて話作ったらあかん」
黒岩はそれ以上言わず、煙草を咥えた。武藤に対して反発しているわけではない。むしろ逆だった。だからこそ、自分が気になったことは遠慮なく口にする。
鷲尾勝政が卓上の名簿へ目を落とした。
「俺は中身より、十二人が本家に何も言わず集まったことの方が気になるな」
五十三歳。秩序と格式を重んじる鷲尾にとって、そこは無視しにくい。
「直参同士が飯食うんに、いちいち本家の許可はいらんやろ」
神崎隆臣が穏やかに返した。
「一人二人ならな」
「十二人でも同じや。人数で決まりが変わるわけやない」
「決まりやない。筋の話しとんねん」
「その筋で話を大きくしたら本末転倒や言うてんねや」
二人の声が少しだけ強くなったところで、矢吹宗一郎が煙草を灰皿へ置いた。
「まあ待てや。鷲尾の叔父貴が言いたいんは、処分せえいう話ちゃうやろ」
鷲尾が頷く。
「当たり前や。ただ、何もなかったみたいに扱うんも違う言うとる」
「それやったら神崎も同じや。気にすんなとは言うてへん」
矢吹は双方を見る。
「見る。ただし、こっちから騒がん。それでええんちゃうんか」
実務も現場も知る矢吹らしい整理だった。
少し離れた席で、阿波野和重が口元を緩めた。
「随分と慎重やな。城戸一人呼んで聞いたら済む話にも見えるけどな」
舎弟頭という立場もあり、阿波野の言葉を軽く受け流す者はいない。
伊達武雄がそれに乗った。
「俺も一回ぐらい呼んだらええ思うで。締め上げるんやない。城戸、何の集まりやったんや。それだけ聞いたらええ」
「親睦会です、と答えられて終わりでしょう」
黒崎獅童の声だけが、広間の中で異質だった。
標準語。
しかも声を張ることもない。
若頭補佐の中では最年少の三十八歳だが、黒崎が口を開くと伊達も遮らなかった。
「本人たちに何か意図があるなら、本家に聞かれた程度で話すとは思えません。何もないなら、こちらが疑っていると教えるだけです。今、城戸さんを呼ぶことに利点は少ないと思います」
「ほな黒崎、お前やったらどないする」
阿波野が聞いた。
「何もしません」
黒崎は即答した。
何人かが黒崎を見る。
「正確には、何もしていないように見せます。彼らが次に誰と会うのか、どこへ行くのか、金をどう使うのか。普段と違うものが出るまで待てばいい。こちらから動けば、相手も動き方を変えます」
新道が黒崎へ目を向けた。
「金か」
「ええ。十二人が集まって食事をしただけなら、大した金は動かないでしょう。でも、そこから何かを始めるなら別です」
新道は何も答えなかったが、その言葉は頭に残った。
本家の金庫番として長年数字を見てきた。組が動けば金も動く。それは新道自身、誰より知っている。
「俺は好かんな」
鬼塚清志が腕を組んだ。
「何がや」
三宅義隆が隣から聞く。
「こそこそ見とるだけいうんがや。海老沢に石渡、岩城までおる。あの顔ぶれ集めて茶飲んで終わりなわけないやろ」
武闘派の鬼塚らしい言い方だった。
三宅は少し考えてから答える。
「せやからいうて、先に殴ったらこっちが悪なる。今は何も起きてへん」
「起きてからでは遅い言うとんねん」
「起きてもないこと止めようとしたら、何止めてんのか自分らでも分からんやろ」
鬼塚が何か言い返そうとした時だった。
「そこや」
それまで黙っていた武藤が口を開いた。
広間の視線が若頭へ集まる。
「俺らが一番やったらあかんのは、分からんことを分かったつもりで動くことや」
武藤は十二人の名が書かれた紙を指先で押さえた。
「城戸も海老沢も片岡も、今日から急に天龍会の人間になったわけちゃう。昔から同じ代紋背負ってきた直参や。そいつらが十二人で集まった。それは気になる。調べるんも当然や」
そこで武藤は黒岩を見る。
「せやけど黒岩。お前が言うように気色悪いからいうて、兵隊つけて探らせてみい。向こうがそれ知ったらどう思う」
黒岩は煙草を揉み消した。
「本家が俺ら疑うとる、やな」
「せやろ」
今度は鷲尾を見る。
「鷲尾の叔父貴が言う筋も分かる。せやけど、本家の筋を通させるために直参同士の間に溝作ったら意味ないやろ」
鷲尾は黙って聞いている。
「上に立つ人間が一回間違えたら、下で動くんは一人二人ちゃうねん。何百人、場合によったら何千人や。せやから今は、決めつけたらあかん」
黒岩が小さく息を吐いた。
「カシラがそこまで言うんやったら、俺はええよ。ただ、何か出た時は早いで」
「その時は俺が言う」
「分かった」
二人のやり取りを國枝は黙って見ていた。
武藤が次の五代目になる。
この広間にいる者の多くにとって、それは改めて確認するような話ですらなかった。武藤が意見をまとめれば、黒岩だけでなく他の者も自然と耳を傾ける。
阿波野だけが、煙草の煙の向こうで表情を変えずにいた。
新道が次の報告へ移った。
「もう一つ。十二人の中に京極の片岡がおります。神楽町の境目で、京極の下と天真会傘下の榊組が揉めた件がありますが、今のところ十二人の集まりとの繋がりは出てません」
「そこは混ぜん方がええ」
神崎がすぐに言った。
「俺もそう思う」
三宅が続ける。
「京極と天真会の揉め事まで一緒に見始めたら、何でも十二人に繋がってまう」
國枝が新道へ顔を向けた。
「境目の方は?」
「双方止めてます。あとは上同士でシマの線を詰める話になってます」
「ほな、そのままやらせ」
「はい」
國枝はそこで煙草を灰皿へ押しつけた。
それまで好きに話させていた男が動いたことで、広間が自然と静かになる。
「大体分かった」
國枝は一同を見渡した。
「新道」
「はい」
「金、見とけ」
「分かりました」
「黒崎が言うた通り、何かやるんやったらどっかで金が動く。普段と違うもん出たら上げろ」
「はい」
國枝は次に武藤を見た。
「人の方は任せる」
「分かりました」
「ただし、張り付かせたりすんなよ。向こうに分からん範囲や」
「はい」
役割が決まった。
新道は金を見る。武藤は人の動きを見る。ただし、十二人を敵と決めたわけではない。
國枝は最後に全員へ向き直った。
「ええか。今の時点で城戸ら呼びつける必要はない。余計な探りも入れんな。何かあったら、その時考えたらええ」
鷲尾が低く尋ねた。
「何もなかったら?」
「それが一番ええやろ」
國枝は当たり前のように答えた。
その一言で、何人かの表情が緩んだ。
武藤も僅かに笑う。
「そらそうですわ」
「せやろ」
國枝は灰皿の横に置いていた煙草へ手を伸ばした。
「同じ天龍会の人間が飯食うた。それで終わるんやったら、何の問題もない」
火を点け、一口吸う。
「終わらんかった時だけ、考えたらええ」
今度は誰も異を唱えなかった。
午前十一時四十分。
執行部会はそこで終わった。
男たちが順に立ち上がり、大広間を出ていく。黒岩は武藤の横へ寄って何か話し、神崎と矢吹は鷲尾を交えて先ほどの話を続けていた。伊達と三宅も廊下へ出ていく。
黒崎は最後まで席に残っていた新道の横を通り過ぎる時、一度だけ足を止めた。
「新道さん」
「なんや」
「金を見るなら、入った方だけじゃなく、出ていく方も見た方がいいと思います」
新道が顔を上げる。
「どういう意味や」
「まだ分かりません」
黒崎は穏やかに答えた。
「ただ、何かを始める時に必要なのは、入ってくる金より使える金ですから」
それだけ言うと、黒崎は頭を下げて広間を出ていった。
新道はしばらく、その背中を見送っていた。
やがて卓上に残された十二人の名簿へ視線を戻す。
そして紙を二つに折り、懐へ入れた。




